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相良武有

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①旅立ち

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 小泉遼子は四歳で父親と死に別れ、五歳の時に母親も亡くなって児童養護施設に預けられた。高校を卒業するまで彼女は其処で暮らした。遼子は中学生になって思春期を迎えた頃、孤独感に苛まれて自閉した。遼子は、預けられた時には既に五歳になっていたので、親という存在も解かっていたし、父親のことはあまり記憶に無かったが、母親と過ごした生活も母親の面影も憶えていた。中学校に上った時に施設長の先生から親のことを聞かされたが、やはり親が居ると違う生活が有ったんだ、とショックは隠せなかった。
 遼子の母親はこの都市一番の大きな花街で、一、二を競う美貌の芸妓だった。源氏名を菊千代、本名を小泉千代と言った。遼子は母親の姓を名乗ったことになる。
父親は九州若松の、海運業の元締め「関本組」の二代目で、名を関本吾郎と言った。
二人は初めてのお座敷で一目惚れし合ったらしい。座敷に呼んで呼ばれているうちに互いに忘れられない人となり、母親は半年後には引かされて唐津へ移った。だが、二代目には既に正妻が居た。母親は所詮日陰の身だったので、世間からは随分冷たい眼で見られたり蔑まれたりしたようだった。だが、遼子が四歳になった時、父親が突然の事故で呆気無く他界した。母親は遼子を伴って故郷のこの街へ戻り、花街の端の髪結処で働いた。が、その母親も一年後に悪性の膵臓癌で亡くなった。身寄りの無い孤児となった遼子は施設に預けられることになった。
遼子は施設長の話を詳しく聞き進むにつれて、次第に暗い思いを胸に沈ませて行った。自分はやくざ紛いの父親と芸者の母親との間に生まれた子供だったのだ、然も、妾の子だったのだ。生まれながらにして、普通の子では無かったのだ・・・
 それから遼子は荒れた。心が落ち着かず精神の安定を欠いた。遼子は、洋服や本や雑貨等を床が見えない程に凄まじく散乱させて暮らした。散らかして置かないと心が落ち着かず、物に取り囲まれていることで安心感を得ていたのだった。部屋は遼子の心を表していた。散乱している物で鎧のように自分を包み、守って居たのだった。
施設の丸山と言う女先生がCDを聞かせDVDを視せたりして、音楽を拠所にして根気よく遼子の心を解いて行ってくれた。或る日、遼子はCDで聴いたジャズの音に全身を揺さ振られたような気がした。遼子の身体を鮮烈なジャズのリズムが直撃して電撃が走った。遼子は痺れた。遼子はジャズの虜になった。遼子は次第に心の鎧を脱ぎ始め、二年ほど後には部屋を片付けられるようになって、漸く普通の女の子に戻っていた。
 中学卒業時に進学か就職かの選択を迫られた遼子は丸山先生に相談した。
「十五歳で就職して自活するのは非常に厳しい状況だからね。出来れば、高校か専門学校か職業訓練校へ進学した方が良いわね」
遼子は金の掛からない市立の普通高校へ進学することを決めた。施設の子の一割余りが就職して社会へ出て行ったが、直ぐに辞めてしまったり、その後行方知れずになったりして、将来的に生活を安定させて自立出来た子は非常に少なかった。
 高校へ進学した遼子はアルバイトを始めた。喫茶店のウエイトレスになってお運びをし、スーパーやコンビニ等のレジに立って金を稼いだ。施設から貰う小遣いは微々たるものだったので、本を買ったり服を買ったり、或いは、夏休みに施設が催してくれる海水浴やキャンプに参加する小遣いも入用であった。特に夏休みには、親の有る子は多くが親元へ帰って行ったが、両親ともに居なかった遼子には帰る所は無く、もっぱらアルバイトに精を出した。何よりも、十八歳で施設を出て行く時の資金を確保することが必要だった。アパートを借りるだけでも相応の資金が要る筈だと遼子は考えていた。 
 高校三年生の夏休み前に、卒業後の進路を決める個別相談会が催された。親の有る子は本人と親と先生の三者懇談だったが、両親の居ない遼子は先生と二人で話し合った。
「特にやりたい仕事や成りたいものは何か有るのか?」
「具体的には未だ何も・・・」
私はやくざ紛いの父親と花街芸者との間に生まれた妾の子だ、他人が蔑み憐れむのは仕方無い。それは事実なのだから構わない。然し、自分で自分を卑下し憐れんで、引け目を負って生きて行くのは堪らない。自分の背骨をしっかり持ち矜持を確かに保って、この先の人生を生きて行きたい。その為には、自分の原点である出自をこの眼でしっかり確かめ、心できっちり見極めなければ、そうでなければ、この先、前を向いて踏み出すことは出来ない・・・。
遼子は施設長の先生に十数年前のことをもう一度聞かせて貰い、母親が亡くなる前の一年間を過ごした花街の端の、髪結処の住所と場所を教えて貰った。
 花街の端の髪結処は直ぐに見つかった。
「小泉遼子と言いますが、佐古花絵さんにお眼にかかりたいのですが・・・」 
スタッフに導かれて表われた五十歳前後の女性が、訝しげな表情で遼子を見詰め、遼子の頭の天辺から足の先まで目線を動かした。
「小泉遼子ちゃんって、あの遼子ちゃん?」
「はい、小さい頃、母と一緒にお世話になった遼子です」
「まあ、遼子ちゃんなの!随分大きくなって、綺麗になったわねえ。さぁさ、中へお入りなさいよ」
自分が先に立って、遼子をサロンの入口近くに在る応接室へ導き入れた。
「いやぁ、本当に懐かしいわね、もう何年になるかしら?十数年振りだわね、きっと」
彼女は遼子の顔をしげしげと見つめた。
「良く似ているわね、千代ちゃんと。眼の辺りから頬にかけて、それに、口元もそっくりだわ」
余りに繁々と見詰められて遼子は眼のやり場に困った。
「で、今日はどうしたの?ふらりと立ち寄ったという訳でも無さそうね」
「はい、ちょっと母のことが知りたくて」
「あっ、解かった。あんた、そろそろ高校卒業なのね、それで自分の生まれや育ちが気になって来たんでしょう」
「ええ、まあ・・・」
「千代ちゃんは、そりゃあ、綺麗な人だったのよ。髪は鴉の濡れ羽色、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿が百合の花、って言う形容がぴったりの綺麗さだった。舞踊の納めに舞扇をさっと抜いて翳した立姿なんかは男だけでなく女までもが見惚れるほどだったからね」
遼子は幼い頃の記憶と花絵先生の話に聞く母親の姿を重ね合わせた。
「それに、姿かたちだけでなく気風も良かった。金が物を言う憂き世の花街で、金では絶対に左褄を取らなかったからね」 
金に物を言わせて口説いた旦那も数多く居たらしいが、頑として首を縦に振らなかった、と言う。
「義理に絡んだ花街で、千代ちゃんは特に義理に固かった。人情に厚く筋を通す人だった。あなたを連れて帰って来た時も、未だ若かったから、もう一度お座敷に出たら、と言う話が随分と有ったんだけど、此の子の為に堅気でやらせて下さい、と言ってこの店に住み込んだのよ」
遼子は朧な記憶の中を弄って母親を偲んだ。胸の中がきりりと痛む気がした。
「店での仕事振りは、そりゃ、一生懸命だった。若い見習いの髪結さんに混じって、必死にパーマネントの技術と知識を身に付けようとした。うちの母も絆されて閉店後に特別に教えていたからね。まさか癌に侵されて、呆気なく逝ってしまうなんて、誰も思いもしなかったのに・・・」
遼子は今更乍らに母親の苦労に思いを馳せた。
「父のことは何かご存知ですか?」
「さあ、わたしも詳しくは聞いていなかったけれど・・・気は荒いが一本気で、男気のある人だったらしいわ。未だ二十代だったのに、義侠心に厚くて度胸が有って、なかなか腹の座った人だったみたいね。あの若さで元締めを務めていたのだから、きっと面倒見も良かったのだろうと思う」
遼子は、花絵先生の話を聞いて、自分の親が世間から後ろ指を指されるような、卑下しなければならないような二親ではなかったらしいことを嬉しく思った。むしろ矜持をしっかり持った芯の有る親だったのかも知れない、と自分の出自に少し安堵した。
 そして、不意に、私も美容師になろうかしら、母が成し遂げられなかったことを自分のこの手で実現してみようか・・・と思った。遼子は直ぐに施設や図書館でネットを使って美容師について調べ始めた。
美容師として仕事をして行く為には美容師免許が必要である、それには国家試験に合格しなければならない。受験するには、大きく別けて、厚労省認定の美容学校に通うか、通信教育とスクーリングで受験資格を得るか、二つの方法がある。美容院で見習いとして働きながら国家試験に挑戦することも出来る。
遼子は、私にはお金が無いなぁ、と暗い気持に沈みかけたが、ふと何かに思い至った。
よし、やってみよう!・・・
 遼子は夏休みが終わる真際に再び「佐古美容室 」を訪れた。
「来年の春、高校を卒業したら私を此処で雇って下さい、お願いします」
「どうしたのよ、一体?」
「私、美容師に成りたいんです。此処で働かせて頂いて、夜は美容学校に通いたいんです、お願いします。私は親が居ないことで、蔑まれたり虐められたり憐れまれたり、惨めな嫌な哀しい思いでこれまで生きて来ました。でも、先日、母の話を聴かせて頂いて、少し心が解けたんです。そして、私も母と同じように、否、母が成り得なかった美容師に自分が成りたいと心の底から思ったんです」
うん、うん、と遼子の話を頷きながら聴いていた花絵先生が表情を緩めた。
「解かった、あなたの身柄は私が預かってあげるわ。此処で内弟子として働いて、夜は美容学校へ通いなさい」
「えっ!真実ですか?真実に良いんですか?」
「でもねぇ、内弟子とかアシスタントと言ったって、言葉は格好良いけど、実際は雑用係よ。店の掃除、備品の買出し、道具の準備、シャンプーなどなど、三年間くらいはかかるわよ。覚悟は出来る?」
「はい!是非やらせて下さい!お願いします」
遼子は満面に笑みを浮かべて何度も頭を下げた。
「あなた、卒業したら住む処もお金も無いんでしょう。一年目の学費は私が立替えてあげるから、二年目からは自分で払うのよ、良いわね」
「はい、有難うございます、宜しくお願い致します」
帰り際に花絵先生が言った。
「学校が始まったら、土日にアルバイトに来ても良いわよ。雰囲気に慣れるだけでも早い方が良いだろうからね」
遼子はまた何度も何度もお礼の言葉を述べて頭を下げた。
花絵先生に見送られて店を出た遼子の足はその心を映すかのように軽やかだった。彼女は物心ついて初めて人生に希望と言うものを見出した気がした。遼子は顔を挙げ、真直ぐ前を向いて歩いて行った。
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