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相良武有

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⑲軽はずみの代償

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 三月末の大安の夜で、成田空港のロビーは新婚旅行への旅立ちで賑わっていた。
「また、後輩に先を越されたわね」
早希と並んでロビーの椅子に腰かけていた理恵が不機嫌に呟いた。
二人は高校時代からの親友であった。大学も同じであったが、理恵は卒業と同時に新聞社へ勤め、今はファッション専門の編集に携わっている。三十二歳であるが、早希同様に未だに独身であった。マスコミで生きている所為で舌鋒は鋭いが、腹の中はあっけらかんとして涙脆い。
新婦が早希たちの処へ挨拶にやって来た。
「今日はお忙しいところを、わざわざ有難うございました」
「愉しい旅行を、ね」
新婦は手を振りながら遠ざかり、通関の階段を新郎と連れだって降りて行った。
空港での見送りは呆気無く終わった。
理恵が腰を上げ、早希も彼女の後に従った。
「お茶でも喫んで行こうよ」
「そうね」
 ティールームの隅に二人は腰を下ろした。
「あなた、あれから、恋愛をしたこと、有るの?」
ちょっと考え込んでいた理恵が、不意に、悪戯っぽく笑いながら早希に訊いた。
「恋愛?」
「そう、フィアンセを亡くした後よ。あの後、男に言い寄られたことは無いの?」
「無いわよ」
「だったら、今から男友達でも作って恋をしたらどう?そうでもないと、あなた、このままでは直ぐに老けちゃうわよ」
「相手が居ないわよ」
「その気になれば出来るものよ。あなたの場合、二十代は、中半は浩介さんに夢中だったし、終半はその亡骸にしがみ付いて居たから、他の男なんて目に入らなかったでしょう。恐らく、男の方でも声をかける隙が無かったんじゃないの?」
 その時、ティールームの入口に一人の男が立って店内を見回した。
何処かで観たことがある顔だと早希は思ったが、愕いたことに、理恵が男に向かって手を挙げた。
「此処よ!」
男が近づいて来て理恵の隣に腰掛けた。
「紹介するわ、細川崇さん。新劇俳優だけど、テレビにも出ているから、早希も知っているでしょう?」
番組の名前を言われて早希は頷いた。道理で、何処かで観た顔だと思った訳である。
「私の親友の笹本早希さん」
細川が眼元に微笑を湛えた。
「今日はお知合いの方の結婚式だったそうで、何はともあれ、お疲れさまでした」
話す声の響きがテレビで訊いた声と同じだった。
理恵が本音とも取れる感想を漏らした。
「結婚式もこの歳になると心が浮き立つことも無く、何か複雑な気分なのよね・・・それより、あなた、コーヒー飲む?」
細川が、否、と言うように首を横に振った。
「東京へ帰ってから飲みましょうよ」
 理恵と早希を待たせておいて、細川は駐車場から車を出して来た。洒落た欧州車だった。細川が後部のドアを開けて、女性二人を乗せた。
「あなた、前でなくて良いの?」
早希がそっと囁いたが、理恵は含み笑いを貌に滲ませただけで、何も言わなかった。
 道路は暗く、空いていた。
東京からの長い道程を、彼は、わざわざ理恵を迎える為だけに、車を飛ばして来たのだろうか?とすれば、二人の仲は相当に格別なものと考えなければならない・・・
これまで、理恵の口から彼の名前を聞いたことは無かった。尤も、ここ暫く、理恵とは電話で話しただけで、直接逢うのは久し振りであった。
「早希はね、喫茶店を経営しているのよ。彼女の店、コーヒーがとても美味しいの」
後部座席から理恵が細川に言った。
「じゃ、今から行きましょうか?」
「残念でした。十時で閉店。第一、今日はお休みなの」
理恵の言う通り、今日は臨時休業だった。
「わたし、適当な処で降ろして貰えれば、タクシーで帰るから」
二人の邪魔になるような気がして早希がそう言うと、理恵が愉快そうに笑い飛ばした。
「何、僻んでいるの、ちゃんとマンションまで送るわよ」
細川もちょっと振り向いて、言った。
「ご心配無く、僕は車の運転は大好きですから」
一日の疲れが出て、早希はクッションに凭れて眼を閉じた。その方が、理恵が細川と話し易いだろうと思ったのだが、理恵はあまり口を利かず、時折、細川の世間話に鬱としそうな返事をした。
 成田空港から青山まで凡そ一時間半ほどだった。
「良いマンションですね」
早希を降ろしながら細川は十一階建てのマンションを見上げた。
 やがて、一週間が経って、隣家のソメイヨシノは満開になった。そんな時、細川が早希の喫茶店へ顔を出した。
早希が慌てて先日の礼を言うと、彼は照れ臭そうに微笑った。
「旨いコーヒーを一杯、飲ませて貰おうと思って・・・」
店の客の何人かが細川の顔を知っていて、小声で彼の名前を囁き合った。そんな雰囲気の中で居心地が悪かったのか、細川はコーヒーを飲むと、早々に、店を出て行った。
その翌日、理恵が店へあたふたとやって来た。
「細川さんが来たでしょう?」
店へ入るなり、いきなり言った。
「何か、言っていた?」
「別に何も。お店のお客が細川さんを知っていて、振り返って見たりするから、不愉快だったのか、直ぐお帰りになったわ」
理恵の訊き方が、いつもより剣が在るようだった。畳み込んだ喋り方をするのは彼女の癖であるが、語気に嫌なものが感じられた。普段の理恵には無いことであった。
 もう来ないだろう、と思ったのに、細川は、屡々、早希の喫茶店へやって来た。一人の時も在れば俳優仲間と一緒のこともあった。コーヒーを、旨い、と褒めてくれたが、時にはペパーミントやカモミールのお茶も飲んだ。
「撮影で夜明けまでかかった」と言い乍ら開店早々に飛び込んで来て、トーストとコーヒーで朝食を摂ることもあった。
「ロケで旅に出た」と言って土地の名産を持って来ることもあった。

 四月中半過ぎの土曜の夜だった。閉店の少し前に細川が入って来た。
「此処で和泉理恵さんと待ち合わせなんですよ」
何となく憂鬱そうに言って、店の隅に腰を下ろした。
が、閉店の十時になっても理恵は来なかった。
コーヒーを飲んでいた細川が不意に言った。
「ドライブしませんか?夜の桜を観に行きましょう」
「桜はもう終ったわ」
「咲いて居る処も在りますよ」
時計を見た。十一時になろうとしていた。
「理恵、来るかも、よ」
「来ませんよ、もう」
細川が立ち上がって、早希の肩に軽く手をかけた。
「一時間ほど付き合って下さい」
断わる心算だったのに、早希は頷いていた。夜の花見も悪くないと思った。
 店の前に停めてあった車に並んで腰かけた。
青山から渋谷を抜けて、池尻から高速へ出た。
「何処まで行くの?」
毎日が、マンションの中の我が家と喫茶店との単調な生活である。夜のドライブは開放感が在った。
「花の咲いて居る処まで」
細川の声は弾んでいた。
何方もアルコールは入って居ないのに、浮き浮きとした気分だった。ドライブも時として人の心を酔わす。
東名高速に出ていた。
「遠出過ぎるわ」
「成田から思えば、どうってことないですよ」
細川が口笛を吹いた。
スピードが百キロを超えていた。
「パトカーが来るわよ」
「気を付けているから大丈夫だよ」
適当に走ると八十キロに落とし、更にまた、百キロに上げる。
早希は陶酔に似た感覚の中に居た。帰る時間を気にする必要も無かった。
 御殿場のインターチェンジで高速を下りた。
この辺で引き返すのか、と思っていると、車は脇道へ入り、急に停まった。
細川がゆっくりと躰の向きを変え、早希を抱いて口づけをした。早希はされるままになっていた。彼のキスは役者のそれらしく技巧的だった。醒めている心算でも早希はその後、次第に陶然として来た。
「二時間ほど休んで行きましょう」
細川が躰を抱いたまま囁いた時も早希は自失の境地に在った。
 車はそのまま進んで一軒のモーテルに入った。
早希が突っ立って居ると、細川がポケットからウイスキーの小瓶を取り出して口に含み、それを口移しに早希の口の中へ流し入れた。これは早希にはちょっとしたショックだった。二回、三回と繰り返されて早希は恥も外聞も失くして行った。ベッドに倒れ込んで、それでも僅かに残っていた自意識で、辛うじて、言った。
「灯りを暗くして・・・」
 帰りの車の中で、早希の心には、親友の恋人と出来てしまった後ろめたい呵責の念とそんなことをしでかした自分への嫌悪が沸々と湧き上がって来た。
「後悔しているの?」
細川が訊ねたが、彼女は返事をしなかった。
彼はどういう心算で私なんかを抱いたのだろう?遊び相手なら幾らでも良い女が居るだろうに・・・
「今夜のことは無かったことにして、お互いに忘れてしまいましょう。もうこれ切りにしましょう、ね」
早希はそう強く念を押して、店の前で車を降りた。夜はもう明けかけていた。

 朝一番に、慌しく理恵がやって来た。
普段、身嗜みの良い彼女が、化粧は崩れ髪を振り乱していた。
「昨夜、何処へ行っていたのよ!」
噛みつきそうな勢いである。
「何処へも行かないわよ。店閉めて、此処へ帰って来て」
「居なかったわ、ベルを押しても!」
「何時頃?」
「十一時半」
「寝入り端かしら・・・近頃、寝つきが悪くて、催眠剤を飲んでいるから」
「細川さん、来たでしょう?」
「十一時近くまで店であなたを待って居たわ」
「一緒にドライブに行ったでしょう?」
「そんな元気無いわよ、もう・・・」
理恵の表情が急変して険しくなった。顔は憤怒で燃えていた。
「早希、空恍けるのもいい加減にしてよ!」
「えっ?」
「私、細川のマンションに張り込んでいたのよ。朝帰りした彼に問い詰めたら、あっさり白状したわ!」
ああ、やっぱり二人はそういう仲だったんだ・・・
「あなたって最低ね!十年来の親友を裏切るなんて!・・・絶望的だわ!」
早希は俯いて両手で顔を覆った。
「あなたの顔なんて二度と見たくないわ!さよなら!」
理恵は語気荒くそう言って出口へ向かい、途中で、つと、振り向いた。
「細川はあなたに呉れてあげるわ、じゃあね」
理恵の後姿を見送った早希の胸に深い悔恨の思いがじわぁ~っと拡がった。
外には、いつの間にか、小雨が降り出していた。
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