クラブ「純」のカウンターから

相良武有

文字の大きさ
22 / 72
第七章 バーテンダー嶋木

④老婦人の急逝

しおりを挟む
 ここ十日ほどの間、嶋木はリハビリセンターで桐島美禰を見かけなかった。
今日も来ていないのかな、と思いつつセンターに入って行った嶋木に、彼女が明るい笑顔を向けて手を振った。
「暫くお見受けしませんでしたけど、具合でも悪かったんですか?」
「夏風邪を引いちゃいましてね、四日ほど寝ていましたのよ」
「道理で、姿が見えなかった筈だ。それで、もう起き上がっても良いんですか?」
「ええ、大丈夫よ。ほら、この通り元気でしょ」
「無理せずにもう少し我慢して、完全に治るまで寝ていれば良かったんじゃないですか」
「わたし、もう寝るのは飽き飽きしているの」
「そうでしたね、桐島さんは三月以上も寝て居られたんでしたね」
「そうですよ」
二人は声を出して笑い合った。
 だが、暫くしてまた、霧島美禰の姿を見かけなくなった。
季節の移ろいは早かった、既に秋になっていた。晴れた日には空が青く澄みわたって頬を撫でる風が心地良い。
今日は見えているかな、と思いつつリハビリセンターへ入って行ったが、老婦人の姿はその日も見かけることはなかった。あれ以来、既にもう一月以上も顔を見かけていない。具合でも悪いんじゃないか、ひょっとしてリハビリの時間帯を変えたのかも知れない、だから逢わなくなったんじゃないか、嶋木は色々と考えを巡らせて桐島美禰のことを思った。
 
 季節は駆け足で通り過ぎて行った。既に晩秋になっていた。冷える日には朝晩に霜の降りる日もある。老婦人は今日も来ていなかった。本当に具合が悪いんじゃないだろうか、嶋木は気が気ではなかった。
 確か、自宅は病院から少し北へ上がった大通りに面した美容室だと言っていたな、嶋木はリハビリを終えた晴れた日に、見舞いがてら、老婦人を尋ねることにした。
 漸く医師から乗ることを許された車をゆっくり走らせて、左右を覗き込みながら見当をつけた辺りを周ると、捜す家は直ぐに見つかった。閑静な住宅街の広い通りの四つ角に、瀟洒な白い三階建てのビルが在った。一階が美容室で二階と三階が居宅のようである。広い入口のガラス扉の横に、「桐島美容室」という草書体の黒文字のネームプレートが掲っていた。それは白い壁と好対照であった。扉の向こうには、四、五人の女性が客を相手に忙しく立ち働いているのが見えた。
嶋木は車を近くの一時預けの駐車場に入れて、そこから歩いて美容室を訪ねた。
 訪いを乞うた嶋木に若い女性スタッフが応対した。
「病院のリハビリでお世話になっている嶋木と言う者ですが、桐島美禰さんは居らっしゃいますか?」
「少々お待ち下さいませ、今、先生をお呼びしますから」
丁度その時、奥から五十年輩の女性が客を送り出して、出て来た。
「有り難うございました」
零れる笑顔で深く腰を折って客を見送った。
それから、先生と呼ばれたその女性が嶋木の方へ顔を向けた。
顔には年齢相応の小さな皺が刻まれていたが、足首まで隠れるロングスカートは腰高の女性に良く似合い、彼女は十分に美しかった。
嶋木は老婦人との関りとその経緯を簡略に説明した。
頷きながら聞いていた女性が丁寧に礼を言った。
「母から聞いていました。いつも明るく励まして下さる若い方が居らして、とても元気を頂くんだって、そう言ってました。真実に有難うございました」
それから、彼女は、ぽつんと一言続けた。
「母は先日亡くなりましたの」
「えっ!」
思いもせぬ話に嶋木は次の言葉が継げなかった。
「二ヶ月ほど前に風邪を引いて暫く寝たんですが、一度良くなってリハビリにも通ったんです。ところが或る朝、大層寝汗をかいて、ベッドのシーツにまで染み通るほどの大汗をかいて、それから風邪を拗らせてどんどん悪くなって・・・」
女性は不意に声を詰まらせて、慌ててハンカチで眼を拭った。
「急性肺炎で先日呆気無く亡くなりました」
「未だお若かったでしょうに。確か、古希を過ぎたばかりと伺っていましたが・・・」
「はい、七十七歳でしたから」
嶋木は、わたしにも未だ未だやりたい事も行きたい所も見たい物も沢山ありますからね、と微笑った老婦人の言葉を思い出して、さぞ無念だったろうな、と胸が痛んだ。
こんなことになるんだったら、もっと速く見舞うんだったな、と嶋木は悔やんだ。
 
 美容室を後にした嶋木は駐車場に向かってゆっくりと歩いた。あの人はこの道を歩いて病院へ通うのが当面の夢だったんじゃなかろうか、とふと思った。顔を紅潮させ懸命に頑張りながらも屈託無く笑った老婦人の姿が眼に浮かんだ。
嶋木の心は沈んだ。
「嶋木さん。何時も元気に親身になって励まして頂いて、私は貴方に感謝していますよ。それに、この天国では独りで自分の足でちゃんと歩けているわよ、ほら。だから貴方もこれからの人生を地に足をしっかりつけて真直ぐに歩いて行って頂戴ね」
老婦人の声が聞こえた気がした。嶋木は通りを見透かしたが、辺りには誰も居なかった。晩秋の日射しが道を白く染めているだけだった。
嶋木の目が潤んで足元の道がぼやけて見えた。
遠くで病院へ向かう救急車のサイレンが聞こえた。嶋木は思いを吹っ切るように足を速めて歩き出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

まだ見ぬ未来へ駆け抜けて!

小林汐希
ライト文芸
2年5組の生徒:松本花菜(17歳 高校2年生) 2年5組の担任:長谷川啓太(23歳 教師歴1年目) 幼い頃から、様々な悩みを抱えながら過ごしてきた花菜。 それは幼い頃に父との離別を経験した家庭環境だったり、小学校の最後に作ってしまった体の古傷であったり。 学校外の時間を一人で過ごすことになった彼女の唯一、かつ絶対的な味方でいてくれたのが、近所に住む啓太お兄ちゃんだった。 しかし年の離れた二人の関係では仕方ないとはいえ、啓太の大学進学や環境変化とともに、その時間は終わりを迎えてしまう。 ふさぎ込む花菜を前に、啓太は最後に「必ず迎えに来る」という言葉を残して街を離れた。 言葉を受け取った花菜は、自分を泣かせないための慰めだったという諦めも入りつつ、一方で微かな希望として心の中で温め続けていた。 数年の時を経て二人が再び顔を合わせたものの、もはや運命の意地悪とでもいうべき「担任教師と生徒」という関係。 最初は様子伺いだったけれど、往時の気持ちが変わっていないことを再確認してからは、「一人じゃない」と嬉しいこと・辛いことも乗り越えていく二人には少しずつ背中を押してくれる味方も増えていく。 再会した当初は「おとなしい終末的運命キャラ」になっていた花菜も次第に自信を取り戻し、新米教師の啓太も花菜のサポートを裏で受けつつ堂々と教壇に立ち続けた。 そんな互いを支えあった二人の前に開けた世界は……。 たった一つだけの約束を胸に、嬉しいときは一緒に喜び、悲しいときは支えあって走り抜けた二人の物語です。

Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都
青春
幼なじみへの気持ちの変化を自覚できずにいた中2の夏。ライバルとの出会いが、少年を未知のスポーツへと向わせた。 美少女と手に手をとって進むその競技の名は、アイスダンス!! 【2022/6/11完結】  その日僕たちの教室は、朝から転校生が来るという噂に落ち着きをなくしていた。帰国子女らしいという情報も入り、誰もがますます転校生への期待を募らせていた。  そんな中でただ一人、果歩(かほ)だけは違っていた。 「制覇、今日は五時からだから。来てね」  隣の席に座る彼女は大きな瞳を輝かせて、にっこりこちらを覗きこんだ。  担任が一人の生徒とともに教室に入ってきた。みんなの目が一斉にそちらに向かった。それでも果歩だけはずっと僕の方を見ていた。 ◇ こんな二人の居場所に現れたアメリカ帰りの転校生。少年はアイスダンスをするという彼に強い焦りを感じ、彼と同じ道に飛び込んでいく…… ――小説家になろう、カクヨム(別タイトル)にも掲載――

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

怪我でサッカーを辞めた天才は、高校で熱狂的なファンから勧誘責めに遭う

もぐのすけ
青春
神童と言われた天才サッカー少年は中学時代、日本クラブユースサッカー選手権、高円宮杯においてクラブを二連覇させる大活躍を見せた。 将来はプロ確実と言われていた彼だったが中学3年のクラブユース選手権の予選において、選手生命が絶たれる程の大怪我を負ってしまう。 サッカーが出来なくなることで激しく落ち込む彼だったが、幼馴染の手助けを得て立ち上がり、高校生活という新しい未来に向かって歩き出す。 そんな中、高校で中学時代の高坂修斗を知る人達がここぞとばかりに部活や生徒会へ勧誘し始める。 サッカーを辞めても一部の人からは依然として評価の高い彼と、人気な彼の姿にヤキモキする幼馴染、それを取り巻く友人達との刺激的な高校生活が始まる。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

処理中です...