クラブ「純」のカウンターから

相良武有

文字の大きさ
23 / 72
第七章 バーテンダー嶋木

③奈美は水商売の女としては素直で、擦れてもいなかった

しおりを挟む
 奈美が出かける支度を始めた。軽く髪の乱れを直し、薄く化粧をして、ルージュだけは少し濃い目に引いた。タンクトップのミニのワンピースを着るとクラブ勤めのホステスの姿になった。奈美は胸も腰もヒップも均整の取れたしなやかな肉体をしていた。ミニの裾から白い脚がすらりと伸びている。
 奈美は大学二年の二十歳の夏に、父親が事故に遭って半身不随になり働けなくなってしまった。母は父の介護に明け暮れ、六歳下の弟は未だ中学に入ったばかりだったので、奈美が大学を辞めて働きに出る他はなかった。一家四人の家計を助け、父の治療代を賄い、弟の学費の面倒を見る為には、大都会へ出て手っ取り早く稼げる夜の水商売に入って行くしかなかった。OLや店員の仕事では親子四人の生活費は賄えなかった。
 奈美は今、この街の歓楽街で一番の高級クラブに勤めている。二十二歳の時にスカウトされて、二十五歳の今では既に古参である。嶋木と暮らすようになってからも奈美がそのクラブを辞めなかったのは、其処に長年居続けて居心地が良かったし、馴染みの常連客も大勢付いて店にも大事にされているからであった。
 奈美は、身持ちは硬かった。浮気をして来る様子は無かった。家を空けたことも無い。嶋木が帰って来た時には、いつも奈美は眠っている。確たる証は無いが、何と無く、奈美が浮気はしていないだろうことは嶋木には判る。
 だが、最近、奈美は、これまで小まめに熟して来た家事をあまりやらなくなった。時折、疲れて大儀そうな表情で、クラブへ出かける時刻までベッドで横たわっていたりする。
マンションには乾燥機能付きの洗濯機があったが、コインランドリーやクリーニング取次店を利用するようになったし、肌着類はしょっちゅう新しいものを買い換えた。
食事は店屋物の出前や通販のお取り寄せ或いは外食で済ませ、手料理を作ることは殆どしなくなった。
ただ、掃除と整理整頓だけは今も小まめに行っている。マンションの間取りが狭かったこともあるが、嶋木が偶に何かを出し放しにしておくと決まって「自分の使ったものぐらいは自分でちゃんと片付けてよ」と小言を言われた。食後の汚れた食器類が流しに放置されていることも無かった。せっせと洗って食器乾燥機に入れた。奈美は極めて綺麗好きだった。
 嶋木は、奈美の気怠そうで疲れた様子を見ると気懸かりで、何度か尋ねてみたたこともある。
「何処か身体の具合でも悪いんじゃないのか?医者に診て貰ったらどうだ?」
「大丈夫よ、何とも無いったら」
何時も奈美はそう答えるだけだった。
要らぬ干渉とお節介は嫌がられる、と嶋木は、それ以上は踏み込まなかった。
 嶋木には男と女のことを何処か投げ遣りに思っているふしが有る。女って者は何時どう気が変わるか判らない、男と女は一つ拗れればどう変わるか解からない、という気がしている。そういう考え方は、嶋木が酒場の人間になって久しく、その間、幾人かの女を知ってから彼に棲み付いたものだった。
奈美のことも惚れているのかどうか、よく解っていなかった。多分、奈美が傍に居るから、奈美が嫌いな訳でもないから、一緒に暮らしているだけのことであったろう。奈美は水商売の女としては素直なところがあり、そう擦れてもいなかった。身体は男心をそそる魅力を備えていたが、商売以外ではそれを売りにすることは無かった。だが、肉体を重ねると一遍に女の本性を現す乱れ方をした。嶋木は普段の生真面目な奈美には愛おしさを感じることもあったが、奔放に乱れる奈美には時として疎ましさも感じた。奈美もそういう嶋木の気持ちを見抜いていた。その為にクラブの仕事を止めなかったのかも知れなかった。
「どう?このコーディネイトで良いかしら」
奈美は着合わせて行く服装について嶋木に尋ねた。
「ああ、ちゃんと合っているよ」
「じゃ、行ってくるわね」
奈美が出て行って暫くすると、陽が落ちて部屋の中が薄暗くなって来た。そろそろ仕事に出かける時刻だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

まだ見ぬ未来へ駆け抜けて!

小林汐希
ライト文芸
2年5組の生徒:松本花菜(17歳 高校2年生) 2年5組の担任:長谷川啓太(23歳 教師歴1年目) 幼い頃から、様々な悩みを抱えながら過ごしてきた花菜。 それは幼い頃に父との離別を経験した家庭環境だったり、小学校の最後に作ってしまった体の古傷であったり。 学校外の時間を一人で過ごすことになった彼女の唯一、かつ絶対的な味方でいてくれたのが、近所に住む啓太お兄ちゃんだった。 しかし年の離れた二人の関係では仕方ないとはいえ、啓太の大学進学や環境変化とともに、その時間は終わりを迎えてしまう。 ふさぎ込む花菜を前に、啓太は最後に「必ず迎えに来る」という言葉を残して街を離れた。 言葉を受け取った花菜は、自分を泣かせないための慰めだったという諦めも入りつつ、一方で微かな希望として心の中で温め続けていた。 数年の時を経て二人が再び顔を合わせたものの、もはや運命の意地悪とでもいうべき「担任教師と生徒」という関係。 最初は様子伺いだったけれど、往時の気持ちが変わっていないことを再確認してからは、「一人じゃない」と嬉しいこと・辛いことも乗り越えていく二人には少しずつ背中を押してくれる味方も増えていく。 再会した当初は「おとなしい終末的運命キャラ」になっていた花菜も次第に自信を取り戻し、新米教師の啓太も花菜のサポートを裏で受けつつ堂々と教壇に立ち続けた。 そんな互いを支えあった二人の前に開けた世界は……。 たった一つだけの約束を胸に、嬉しいときは一緒に喜び、悲しいときは支えあって走り抜けた二人の物語です。

Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都
青春
幼なじみへの気持ちの変化を自覚できずにいた中2の夏。ライバルとの出会いが、少年を未知のスポーツへと向わせた。 美少女と手に手をとって進むその競技の名は、アイスダンス!! 【2022/6/11完結】  その日僕たちの教室は、朝から転校生が来るという噂に落ち着きをなくしていた。帰国子女らしいという情報も入り、誰もがますます転校生への期待を募らせていた。  そんな中でただ一人、果歩(かほ)だけは違っていた。 「制覇、今日は五時からだから。来てね」  隣の席に座る彼女は大きな瞳を輝かせて、にっこりこちらを覗きこんだ。  担任が一人の生徒とともに教室に入ってきた。みんなの目が一斉にそちらに向かった。それでも果歩だけはずっと僕の方を見ていた。 ◇ こんな二人の居場所に現れたアメリカ帰りの転校生。少年はアイスダンスをするという彼に強い焦りを感じ、彼と同じ道に飛び込んでいく…… ――小説家になろう、カクヨム(別タイトル)にも掲載――

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

怪我でサッカーを辞めた天才は、高校で熱狂的なファンから勧誘責めに遭う

もぐのすけ
青春
神童と言われた天才サッカー少年は中学時代、日本クラブユースサッカー選手権、高円宮杯においてクラブを二連覇させる大活躍を見せた。 将来はプロ確実と言われていた彼だったが中学3年のクラブユース選手権の予選において、選手生命が絶たれる程の大怪我を負ってしまう。 サッカーが出来なくなることで激しく落ち込む彼だったが、幼馴染の手助けを得て立ち上がり、高校生活という新しい未来に向かって歩き出す。 そんな中、高校で中学時代の高坂修斗を知る人達がここぞとばかりに部活や生徒会へ勧誘し始める。 サッカーを辞めても一部の人からは依然として評価の高い彼と、人気な彼の姿にヤキモキする幼馴染、それを取り巻く友人達との刺激的な高校生活が始まる。

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

処理中です...