クラブ「純」のカウンターから

相良武有

文字の大きさ
7 / 72
第九章 オーナー岡林

①岡林、大震災で妻子を失う

しおりを挟む
 年末年始の休みが終わって程無くの、小正月が過ぎて間もない一月中旬、岡林は機械工として東京に単身赴任していた。地元の工場が閉鎖されて東京の工場に吸収され、妻子を残して単身で赴任したのだった。同じ一つの会社であっても、工場が違えば別会社と同じである。それまでやっていた仕事に就けるとは限らなかったし、職場が変れば新人同然であろう。岡林は仕事も生活も先のことが見通せるまでは単身で赴くのも止むを得ないと妻を説得した。 
 昼食を摂る社員食堂でテレビのニュースを観た岡林は言葉を失った。ヘリコプターから舐めるように捉えられた映像の中で、幼い頃から長年住み馴染んで来た故郷の街並が瓦礫と化し濁った水に覆われていた。大地震に大津波・・・瞬時に、自宅に残して来た妻と娘の顔が眼に浮かんだ。
 岡林は直ぐに食堂を抜け出して更衣室へ走り、自分のロッカーから携帯電話を取り出してボタンをプッシュした。だが、何度架けても妻の携帯に電話は繋がらなかった。どうか無事で居てくれよ、岡林は不安と焦る心の中でそれだけを念じた。ひょっとしたら、二人とも上手く何処かへ逃げて避難しているかもしれない、彼はそんな僥倖に縋って二人の無事を願った。そうするしかその場の自分の気持を納得させる術が無かった。二人を一緒に此方へ連れて来ていれば、妻も娘もこんなことにはならなかったろうに・・・岡林は悔やんでも悔やみ切れない思いに苛まれた。 
 
 翌日、始発の新幹線に乗り込んだ岡林は、逸る心を抱えて、麻痺する交通機関を乗り継ぎ、寸断された道路を迂回しながら漸く自宅に辿り着いた。が、昨日まで其処に在った賃貸マンションは跡形も無く消え失せていた。マンションの在った場所は少し内陸部だったので、此処までは大丈夫なのではないかと一縷の希を託していたが、それも儚い願いに過ぎなかった。
 岡林は避難所の体育館に寝泊りし、其処を根城に幾つかの避難所を訪ね歩いて、妻と娘の名前を名簿の中に見出そうとした。だが、何処にもそれは見つからなかった。何軒目かの避難所で再会した知人に二人の消息を尋ねたが、それも駄目だった。
「俺も母親を車に乗せて逃げるのがやっとで、妻の方は未だに行方不明なんだ」
知人はそう言って頭を垂れた。
倒壊を免れた市役所の一隅で業務を再開した区役所に出向いて手掛りを求めもしたが、それも徒労だった。妻と娘どころか友人・知人も誰一人としてその消息を掴めた者は居なかった。

 三月の彼岸を過ぎても妻と娘は見つからず、岡林は開き始めた桜の花に追われるように、止む無く東京へ戻った。これだけの惨事の後にも桜の花は無情にも今年も見事に花を開いた。
然し、東京へ戻った岡林を襲ったのは強烈な喪失感と寂寥感だった。
仕事をしていても妻と娘のことが片時も頭から離れない、夜、寮の部屋に帰っても夢にまで二人が現れて碌に眠れない、酒に紛らわそうとしても飲む気にもなれない・・・
後を追いたいのに、自分は生きる為に仕事をし、飯を食わなければならない・・・
何処か遠くへ消えてしまいたい、いっそのこと一思いに俺も死んでしまいたい・・・
九十歳の夫が亡くなって悲しむ女性に出逢って、もう十分に生きたじゃないか、と心の中で羨んだ。
周囲の励ましは虚しいだけだった。
幸せそうな友人の連絡先は携帯電話から消した。 
 岡林は次第に生きる気力を無くし、自閉し自失して行った。
岡林は毎日、鬱々とした自らの心を持て余し、無気力にただ流されて生きた。が、それでも毎週末には、急き立てられるように、己を鞭打って、被災した街へ帰って妻と娘の行方を捜し歩くことは止めなかった。そうしなければ居ても立ってもいられなかった。
 
 梅雨が明け暑い陽差しが街路から照り返す頃になって、岡林は、もう駄目かもしれないな、と辛い諦めを胸に抱き、誰かに言われて思い出したように、保険金や見舞金の請求手続きを行った。それは思ったよりも早く直ぐに支給されて来た。何やかや合わせて二千万円余りの現金が手に入った。然し、それは妻と娘を失ったことと引き換えに手に入れたものだった。見ているだけで憤怒と悲嘆が胸を打ち塞ぐ金だった。岡林はそんな金は唯ただ持っているだけでおぞましかった。
 岡林は、工場の同僚を誘って憂さ晴らしに酒を飲みに出かけた時、直ぐに決めた。
「この金は全部飲んで使ってしまうぞ。これから毎週、週末には呑みに出るからな、つき合ってくれよ、な」
「良いのか、お前、そんなことをして?」
「ああ、良いんだよ、これほどの悪銭は一生の内でも滅多に無いからな」
陽気に大声で応えはしたが、岡林の心の中には大粒の涙が泳いでいた。
 それから岡林は、イタリア国旗のマークが入ったTシャツ、胸元には金色のネックレスを光らせ、黒い帽子に黒いスーツを着込んで、毎週、何軒も梯子して飲み回った。テナントビルに雑居する酒場を最上階から地下まで、一軒一軒順番に呑み降りたりして、一晩に五十万円を使う日もあった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

まだ見ぬ未来へ駆け抜けて!

小林汐希
ライト文芸
2年5組の生徒:松本花菜(17歳 高校2年生) 2年5組の担任:長谷川啓太(23歳 教師歴1年目) 幼い頃から、様々な悩みを抱えながら過ごしてきた花菜。 それは幼い頃に父との離別を経験した家庭環境だったり、小学校の最後に作ってしまった体の古傷であったり。 学校外の時間を一人で過ごすことになった彼女の唯一、かつ絶対的な味方でいてくれたのが、近所に住む啓太お兄ちゃんだった。 しかし年の離れた二人の関係では仕方ないとはいえ、啓太の大学進学や環境変化とともに、その時間は終わりを迎えてしまう。 ふさぎ込む花菜を前に、啓太は最後に「必ず迎えに来る」という言葉を残して街を離れた。 言葉を受け取った花菜は、自分を泣かせないための慰めだったという諦めも入りつつ、一方で微かな希望として心の中で温め続けていた。 数年の時を経て二人が再び顔を合わせたものの、もはや運命の意地悪とでもいうべき「担任教師と生徒」という関係。 最初は様子伺いだったけれど、往時の気持ちが変わっていないことを再確認してからは、「一人じゃない」と嬉しいこと・辛いことも乗り越えていく二人には少しずつ背中を押してくれる味方も増えていく。 再会した当初は「おとなしい終末的運命キャラ」になっていた花菜も次第に自信を取り戻し、新米教師の啓太も花菜のサポートを裏で受けつつ堂々と教壇に立ち続けた。 そんな互いを支えあった二人の前に開けた世界は……。 たった一つだけの約束を胸に、嬉しいときは一緒に喜び、悲しいときは支えあって走り抜けた二人の物語です。

Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都
青春
幼なじみへの気持ちの変化を自覚できずにいた中2の夏。ライバルとの出会いが、少年を未知のスポーツへと向わせた。 美少女と手に手をとって進むその競技の名は、アイスダンス!! 【2022/6/11完結】  その日僕たちの教室は、朝から転校生が来るという噂に落ち着きをなくしていた。帰国子女らしいという情報も入り、誰もがますます転校生への期待を募らせていた。  そんな中でただ一人、果歩(かほ)だけは違っていた。 「制覇、今日は五時からだから。来てね」  隣の席に座る彼女は大きな瞳を輝かせて、にっこりこちらを覗きこんだ。  担任が一人の生徒とともに教室に入ってきた。みんなの目が一斉にそちらに向かった。それでも果歩だけはずっと僕の方を見ていた。 ◇ こんな二人の居場所に現れたアメリカ帰りの転校生。少年はアイスダンスをするという彼に強い焦りを感じ、彼と同じ道に飛び込んでいく…… ――小説家になろう、カクヨム(別タイトル)にも掲載――

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

怪我でサッカーを辞めた天才は、高校で熱狂的なファンから勧誘責めに遭う

もぐのすけ
青春
神童と言われた天才サッカー少年は中学時代、日本クラブユースサッカー選手権、高円宮杯においてクラブを二連覇させる大活躍を見せた。 将来はプロ確実と言われていた彼だったが中学3年のクラブユース選手権の予選において、選手生命が絶たれる程の大怪我を負ってしまう。 サッカーが出来なくなることで激しく落ち込む彼だったが、幼馴染の手助けを得て立ち上がり、高校生活という新しい未来に向かって歩き出す。 そんな中、高校で中学時代の高坂修斗を知る人達がここぞとばかりに部活や生徒会へ勧誘し始める。 サッカーを辞めても一部の人からは依然として評価の高い彼と、人気な彼の姿にヤキモキする幼馴染、それを取り巻く友人達との刺激的な高校生活が始まる。

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

処理中です...