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第八章 純子ママ

⑨茉莉の生活態度が変わり始めた

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 それから一週間ほどが過ぎた夜に、開店前の身支度を慌しく整えていた茉莉を、キャッシャーの女性が呼びに来た。
「茉莉さん、勝手口にお客さんですよ」
「お客?」
 忙しげに顔を出した勝手口の前に、三十歳くらいのほっそりした女性が立っていた。
斜めに小首を傾げて確かめるように自分から声をかけて来た。
「茉莉さんですか?」
「はい、そうですが・・・。どちら様で?」
「お世話になった新藤の家内です」
茉莉は一瞬、狼狽えた。新藤が入れ揚げた女だったという後ろめたい思いが胸を過ぎった。
が、その思いを吹っ切るように直ぐに身を立て直して、聞いた。
「で、新藤さんはその後?」
「夫は亡くなりました。自殺したんです」
「えっ!」
茉莉は言葉が出なかった。身体から血の気が引くのが自分でも解った。
「立ち話も何ですから、何処かその辺でお茶でも」
それがやっと出た茉莉の言葉だった。
細く眇めた上目遣いで、女性は小さく、はあ、と応えた。
「いま店に断りを入れて来ますから一寸待っていて下さいね」
だが、茉莉が戻って来た時には、其処に女性の姿は無かった。
女性が立っていた場所辺りに、粉々に千切られた茉莉の名刺が散らばっていた。
取り返しのつかないことになってしまった・・・
茉莉の胸に悲痛と悔悟の思いがじわりと湧き上がって拡がった。
煌くネオンの通りの先に、揺れながら去って行く女性の影が見えた、気がした。茉莉はそのか細い薄い影を見やって、虚ろげに立ち尽くした。
 
 暫くして、茉莉の生活態度が少し変わり始めた。
晴れた日にはマンションのベランダに、物干し竿に吊るされた洗濯物が風に翻るようになった。
朝は十時過ぎには起きて軽い昼食を作るようになったし、夕食の惣菜も二品三品用意することが多くなった。自分の身体を気遣って野菜サラダなどを添えもしたし、冷蔵庫にもそれまでは入っていなかった肉や魚や野菜等の食材、或いは牛乳やチーズや果物等を収納し始めた。昼間に近くのスーパーなどで買って来て、料理ブックと首引きで惣菜を手作りしたりした。
自分のエプロン姿を鏡に見て、満更でもないわ、と茉莉は思った。長い間忘れていた二十歳の頃の初々しさを少し思い出した。
 そして、キャバクラでの仕事振りも変わり始めた。
浴びるほどに飲んだ酒が唯のドリンクに変わった。
嬌声を上げての大笑いが消えて、静かに話を聴くようになった。
タンクトップなどの露出度の高い衣装は着なくなったし、パンティがちらつくような超ミニは止めて膝頭が出ている程度のスカートに変わった。
「同伴」や「アフター」は殆どを断わるようになったし、無論、「大人の恋愛」からも遠ざかった。
キャバ嬢茉莉の心と身体から、これまで圧殺して来た細田純子が蘇るように見えた。
 
 或る日、岡林という男が初めて店にやって来た。その姿を一目見た時、茉莉はこれまでの男に無い異様なものを見た気がした。
岡林はチャラチャラしたチンピラやくざのような恰好をして派手に金を遣い、下卑た言葉を大声で発して大仰に振る舞いながら酒を呷った。そして、付いたキャバ嬢たちをひとり一人からかっては嬌声を上げ続けた。客も店員も時折、苦虫を噛み潰して白い眼で彼を見た。
だが、茉莉はそれだけではないものを見ていた。破顔万笑しているのに眼は笑っていなかった。鋭い尖った眼をして、自分を潰してしまいたいような破れかぶれの表情を垣間見せた。胸の奥底に大きな抱え切れないほどの悲痛の錘を沈めているように茉莉には思えた。そして、嬌声を上げて騒いでいる連れの一人が、岡林の隣に座っていた茉莉に冗談半分に言った一言が鋭く茉莉の胸に突き刺さった。
「こいつはなあ、この間の震災で女房と子供を亡くしたんだ。可愛がってやってくれよ、なあ、姐ちゃん」
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