翻る社旗の下で

相良武有

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第一章 悔恨

第13話 嶋を襲ったのは喪失感と寂寥感だった

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 打ちひしがれて沈み込んでいる嶋を二歳年長の先輩が夜の街へ連れ出した。
連れて行かれたのはコールガールの居る秘密クラブだった。
女は皆、均整の取れたプロポーションを持った美形の粒揃いで、上級だった。
相手をしてくれたのは鼻筋の通った切れ長の眼の、肌白の金髪嬢で、歳の頃は二十代の後半、嶋と同い歳くらいだった。
「あなた、此処、初めてね」
女の日本語は流暢だった。
このクラブを利用する日本人は多いと言う。大半がこの地に赴任している若いビジネスマンで、常連となる客も少なくないとのことだった。日本人のお客は優しくて親切で、チップの弾みも気前が良く上客なの、と女は言った。
「だから私達も商売柄、日本語を半ば強制的に勉強させられて、日々使っている内に否応なく堪能になるのよ」
そう言った女はにっこり微笑んで、それから、スカートの縁を指で少しずつたくし上げていった。成熟し切って下り坂にある、快楽の対象としては打ってつけの肉体に眼を射られた嶋は、妄想を掻き立てられて挑むように女に飛びかかっていった。
 女はやさしかった。
無私の同情と優しい愛情と無償の手ほどきの柔らかくて親切な誘いに積極的な快楽を与えられた嶋は次第に陶酔境に浸っていった。
これは、優しくて綺麗な女なら、むしろ自分の義務と考える最も純粋な在り方ではないか、と嶋は思った。
「わたしはねえ、私の肉体によって多くの若い人達にねぇ、男らしさの土台を作ってあげるのよ」
女は言った。
「しかも、当惑させないように、後腐れの無い安心感を与えながら、ね。恐らくこれは一つの美徳でしょう」
嶋は思った。
確かにそうだ。男たちが、男色という悲しい方便に歪められたり、自分で自分を満足させる自涜に耽ったりするのは、痛ましい限りだ。そんな悪癖から守ってくれるのは、その手段を沢山持ち合わせているこういう境遇の女達なのだ。
あくせく営む交わりの中で嶋が求めたものは何だったのか?
嶋の中で男が立ち上がり捩れ合い絡み付き合った。彼の中を白い液体が走って彼は仰け反り、女の水位の持ち上がった花園に、淫らな線を描いたその割け目に、嶋は人間の亀裂と自身の割け目を覗いていた。
恍惚たる陶酔の後、鉄砲を狂わせて、嶋は果てた。
 行為が終わると、女はその代償を喜んでさっさと受取り、そして、言った。
「もし私がお金を受取らなかったら、あなた達は残酷なまでに自尊心を傷つけられるでしょう。慈悲心なんて不躾だと思うでしょう」
「そうだな。こういう場合、金とは匿名のものだ。何という偽りの無邪気さ、何というエゴイズムか。若い俺たちは金で女を辱めることを義務とすべきなんだよな」
二人は声を立ててカラカラと笑い合った。
 堪らない喜悦の広がりの中で嶋が認識したもの、それは「精神と肉体の合一性」であった。
「自分の肉体や相手の肉体を愛しもせず、ただ魂の力だけで相手を征服しようとしても、真実に相手を満足させることは出来ないわよ」。
「そうだ。肉体を精神から完全に切り離すことは出来ないし、精神以上に自己に深く根ざしている肉体の可能性以外のところに、自己を見ることは出来ないのだから・・・」
この哲理を理屈でなく身体で感知した嶋は、豊かな肉体と豊かな魂の結合の中に、純粋で優しい高潔な天使の存在を見出したのだった。
嶋の中で男の燃焼が尽きてその頭脳がどろりと凍り、嶋は夢に沈んでその夢に座り続けた。

 麗子を失った嶋を襲ったのは喪失感と寂寥感だった。
オフィスに出勤して仕事をしている間は気が紛れたが、夜、マンションの部屋に帰ると、嘗て愛し合い語らい合った麗子の笑顔が目に浮かび夢にまで現れて碌に眠れなかった。酒に紛らわそうとしても飲む気にもなれなかった。
嶋は毎日、鬱々とした自らの心を持て余し、ただ流されて生きた。が、それでも仕事にだけは己に鞭打って必死に取り組んだ。そうしなければ成果も実績も積み上げることは出来なかった。そう、実績はビジネスマンの実力と信頼のバロメーターだったのである。
嶋は、恋人を事故で失った男性とネットの掲示板で知り合い、互いの辛さを語り合った。少しは楽になった、気がした。
悲しみは消えはしなかったが、時が少しずつ癒してくれた。生活に支障が無い程度には回復して行った。
 そうして、半年後、嶋にニューヨークへの転勤命令が発せられた。
心の傷は未だ癒えてはいなかったが、嶋は自分の心を捻じ伏せるように踏ん切りをつけて次の赴任地へ旅立って行った。
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