翻る社旗の下で

相良武有

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第一章 悔恨

第16話 麗子、経営コンサルタントへ転身する

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 これを契機に、麗子は自分の仕事の在り方に疑問を感じ、これで良いのだろうか、と考え始めるようになった。
 大企業の経営活動の結果集約を、商法や会社法や税法等に抵触しないように決算書に纏め、それを監査する、決算書の瑕疵をチェックして是正指導する、或いは、不利情報を隠匿してクライアントに有利になる決算報告書を作成する、そして、高額の報酬を得る、それにどれほどの意味があると言うのか?
 真実にこれで良いのだろうか?結果を集約したり繕ったりすることよりも、つまり、決算書を通じてクライアントの経営活動を見ることよりも、もっと日々の経営活動そのものに関わって行かなければいけないのではないか?そうしなければヒロタ電機(株)のような倒産を防ぐことは出来ないのではないか?経営資源の豊富な大企業は兎も角として、中小企業にはその支援が必要不可欠なのではなかろうか?会計士が真実に関わらなければならないのは、寧ろ、監査などではなく経営相談やコンサルティング業務である筈ではないのか・・・麗子はそう考えて理事長に申し出た。
「先生、私は企業の業務監査や決算書の精査よりも、経営相談やコンサルティング業務に重きを置いて仕事を進めて行きたいのですが、駄目でしょうか?」
「ほう、それは又、どうしてかね?」
「はい、先日、ヒロタ電機㈱の倒産を目の当たりにしてつくづく考えたのですが、あんな悲惨な中小企業の倒産を少しでも、仮令、一社でも少なくするには、経営活動そのもののプロセスの中で関わって行くしか方法は無いのではないか、私たち会計士なら微力ではあっても何かのお役に立てることがあるのではないか、そう思うのですが・・・」
「然し、会計士は経営者ではないぞ」
「はい、おっしゃる通りです。でも、僭越かもしれないし生意気に聞こえるかも知れませんが、潰れる会社が一社でも少なくなるとしたら、それはそれで大いに意義が有ることだと思うのです」
 大企業は一千億円を超える金額でも金融機関から融資して貰えるし、債権放棄もして貰える。社会的影響を勘案して倒産が回避されることもある。だが、中小企業は孤立無援で、徒手空拳で、下請などとして企業戦争の最前線で戦っている。資金も無く、優秀な人材も乏しい、何日潰れるかもしれない脆弱な経営基盤の上で、ただ親企業や顧客に認めて貰いたい、満足して貰いたい、その一心で己の夢とロマンと誇りだけを頼りに必死で頑張っている。そうやって大企業や国を支えている中小企業が滅びれば日本と言う国も滅びてしまうだろう。
「先生、私はこの中小企業の誇りとロマンを支えたい、たとえ微力であってもその力になりたい、経営相談やコンサルティング業務を通して、その一助になりたい、そう在りたいと思うのです。決算のチェックや監査は経営活動の結果として在るもので、それが主目的では無いと考えますが・・・」
「そうか、其処まで考えているのか、解かった。で、どうする心算なのだ?」
「はい、この監査法人や他の会計士の皆さんにご迷惑が及んでもいけませんので、独立して新たに中小企業の為の会計事務所を設立したいのですが、お許し頂けないでしょうか?」
公認会計士が監査以外の業務で収入を得ることは、外部監査の独立性が損なわれる可能性が有るということで、法律で制限されている。麗子は税理士と中小企業診断士とに登録し、新しく小さな会計事務所を設立して独立することを考えた。
 麗子が退職する日、理事長が当の監査法人のクライアントではない中堅企業を数社、口を利いて紹介してくれた。
「こんなもので君の生計費が賄える訳ではないが、後は自分でしっかり顧客を開拓するんだな。如何に自己を認めて貰って信用を獲ち得るかだ。ま、頑張り給え」
 
 公認会計士の業務には監査や経理、財務、情報技術、経営等と並んでコンサルティング業務も範疇にあったので、麗子は一通りの知識は持ち合わせていたが、実際に企業の経営相談に与るとなると生半可なコンサルティングは出来なかった。麗子は改めて基礎から猛勉強を始めた。販売、製造、技術開発、商品開発、人事労務、情報管理等々、経営管理全般に精通出来るよう寝食を惜しんで勤しんだ。そして、学んだ内容を、こう在るべきではないか、という自身の視点で「中小企業経営革新講座」として纏めた。それは、経営管理システムの整備構築、経営管理状況の自己診断、中長期経営計画の策定、部門別業績貢献度評価制度、中小企業の経営戦略、最前線管理者の任務、能力開発体系の策定、小集団活動の展開と推進など八章に亘る原稿用紙五百枚にも及ぶ膨大なものとなった。
 麗子は折角纏めた資料の内容を広く中小企業の経営者や幹部に知って貰いたいと、ビジネス書や実用書を専門に発刊する出版社に持ち込んだ。小さな出版社がその機会を与えてくれた。社長が「中小企業経営のバイブル」と表題に冠してくれて、少し売れた。そして思い掛けなくも重版になって、商工会議所や経営者協会等から講演会の講師として招かれたりもして、麗子のコンサルタントとしての名が僅かだが世間に知られることとなった。
 
 だが、麗子は、コンサルティングの基本は、「下らないアドバイスの切り売り」と揶揄され批難されるような一般論や抽象論の提供ではなく、その企業のその個別課題にだけ適応出来る、謂わば「一品一葉」の支援・助言・示唆を提示提供することに在ると信じもし念じてもいた。麗子はとことん現場に足を運び、トップや幹部を初め第一線のセールスマンや工場の作業者達と膝詰めで対話し討論 した。
「どうしてそうなのですか?」
「何故そう考えるのですか?」
「こういう発想は出来ませんか?」
「こういう風に改めてみたらどうですか?」
「一度これで試ってみませんか?」
 経営に一般論は通用しない、否、無いと言っても過言ではないかも知れない。有るのは一つ一つの課題に対する克服戦略とその執行戦術だけである。麗子のこの姿勢と行動が次第に口コミ等で知れ亘って、漸く中小企業専門の総合コンサルタントとしてその道筋が見えて来たし、新たなクライアントも徐々に増えて行った。
 麗子は又、自らの相談業務を通して体験習得したノウハウを小冊子に集約してクライアントに配布した。「中小企業勝ち残り戦略」「変革期のリーダーシップとマネジメント」「中小企業の社長業」「コンサルティング営業力の強化と実践」「コスト削減の方程式」「中小企業の作業効率化と改善の進め方」「工場幹部の為の業績管理法」等々その数は直ぐに十指を超えた。普遍を具現化し、具現を普遍化する能力を養わなければ、つまり、現場、現物、現実に原理、原則を踏まえて適応しなければ、一つの問題が解決してもまた類似問題が発生して来る、全てがもぐら叩きに終わってしまって会社も社員自身も成長は遅々として進まない、麗子はそう考えて基本的な理論付けを目指してこれらの冊子を編んだのだった。麗子は現場に足繁く通い、トップや幹部や社員たちと議論を戦わせ対話を繰り返して、やがて、漸く、これが私のライフワークだ、と自分で納得し得心出来るようになって行った。
 そうして、嘗て、嶋と二人でサイクリングをした時に麗子が語った将来の希望と願いは適えられて行ったのである。 
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