翻る社旗の下で

相良武有

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第一章 悔恨

第21話 嶋、麗子の遺影の前で咽び泣く

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 数日後、一台のタクシーが佐々木の家の前で止り、中から嶋が降り立った。嶋の腕には大きな白い花束が抱えられていた。
 嶋は髪の毛の半白になった引き締まった身体に、品格のある黒いトレンチコートを着ていた。靴が黒く艶光りしている。通りにちょっと顔を上げて、それから戸口に近づいて行った。彼は中に入って通された居間で、ご仏前の忌袋を差し出した後、緊張した面差しで恭しく麗子の霊前に額ずいた。
 部屋は暖房が効いて暖かかったが、嶋の心の中には冷たい夜気に頬を撫でられる思いが充満していた。
 仏壇には亡くなった麗子の写真が飾られていた。遺影の麗子は歳相応に老いてはいたが、嶋の知らない面影ではなかった。若き日の知的で魅惑的な麗子が嶋の胸に彷彿と蘇えった。
線香を上げチーンと鐘を叩く嶋の後ろで佐々木も一緒に手を合わせた。無量の感が嶋の胸を覆った。
 焼香を終えた嶋の背中が不意に震え出した。嶋は咽び泣いた。
佐々木は自分より長身の嶋の左の背中に自身の右手を置いて、誰も居ない周りを憚るように小声で話した。
佐々木に背を向けたまま天井を仰いだ嶋の背中が未だ小刻みに震えている。佐々木は喋り続け、嶋は親指と人差し指で自分の鼻を摘み、ゆっくりと頭を左右に振った。
佐々木が嶋に身を寄せて、元気付けるように彼の肩をぽんぽんと軽く叩いた。
二人は嘗て共に愛した麗子の為に泣きながら、暫しその場を動かなかった。
 
 やがて、二人は一緒に戸口前の道路に出て来てタクシーを呼び止め、開いたドアから乗り込んだ嶋に佐々木がくぐもった声で言った。
「じゃ、君も身体を大事に、な。わざわざ来てくれて有難う」
走り出したタクシーが通りを左折するのを見送ってから、佐々木はハンカチで顔をぬぐい、家の中へと急ぎ足で戻って行った。
 嶋は走る車の中で思っていた。
お前たち、もう良いんだよ。もう過ぎてしまったことだ。三十年も昔の遠い彼方の、お互いに忘れてしまっても良い、戻りはしない夢の中の話だ。もう俺から解き放たれて心の重しを下ろしてくれよ、な。
 残酷にも五十二歳の若さで、膵臓癌と闘って早逝した麗子への哀悼と愛惜の溢れる思いが、追憶の涙が、嶋の心に溢れかえった。嶋は今一度、心の中で合唱した。
 決して詫び切れることでは無いし、償い切れることでも無いけれども、これから生涯かけて、心から二人に詫びて償い続けることを責務として嶋は己に課したのだった。
長年の愛憎と恩讐を越えて、心のつかえを下ろせるのは何時のことだろうか、と嶋は思った。
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