愛の裏切り

相良武有

文字の大きさ
上 下
20 / 104
第十三話 冗談か?真実か?

①「あたしをラブホテルに連れて行ってくれない?」

しおりを挟む
 結婚前・・・
最初、二十五歳の渡辺啓司と二十二歳の大学生である桜井瑠偉は星空の下でプラトニックに清らかに愛し合っていた。
 そもそもの始まりは夏のバカンスの或る一日、太陽輝く大海原での麗しい邂逅だった。
啓司は瑠偉を綺麗だと思った。明るい陽光にビキニの裸身を晒して歩く姿も艶やかで、大海原を背景にして浜辺を通り過ぎて行くこのバラ色の女性を美しいと思った。青い波濤と無限の大空から成る額縁の中で、啓司はその黒髪のたおやかな瑠偉を一目で愛したのである。啓司は初めて瑠偉に逢ったその日から、毎日、毎日、朝から晩まで彼女の前に姿を現して声を懸け続けた。彼は塩辛い強烈な空気が自分の魂と心と血管に目覚めさせたそこはかとない根強い感動を、また、光と波に満ちた雄大な風景を、この熟れ始めた女性が自分の内に発生させた情感だと錯覚したのだった。 
瑠偉もまた啓司を愛した。若くて凛々しくて金持の息子である啓司が瑠偉に求愛したのを機に彼女は彼を愛した。甘い言葉を架けてくれる若い男を愛することは、若い娘にとって自然の成り行きであったので、彼女は彼を愛したのである。
 かくして、一カ月の間、啓司と瑠偉は肩と肩を並べ、眼と眼を見合わせて、手に手を取って毎日逢った。朝、新しい日の清涼な空気の中で挨拶を交わし、夜、星空の静かな砂浜で別れの挨拶を交わした。二人は未だ唇さえ触れ合わせていなかったにも関わらず、低く、低く囁き合う朝夕の挨拶には接吻の味が籠っていた。二人は、時には、互いに眠っているのだと思い、時には、互いに目覚めているのだと考えた。そうして、二人の全魂で、全肉体で、互いに呼び合い、互いに求め合っていた。
 夏休みが終わって東京へ帰ってからも、啓司は時に触れ折に触れて、何かにつけて瑠偉を誘い出した。レストランの個室で食事を共にし、仄灯りのクラブやバーで酒を舐め、連れ立ってピクニックやドライブに出かけ、大ホールの特別席でコンサートに耳を傾けた。
 
 結婚後・・・
啓司と瑠偉は熱愛し合った。最初の頃は疲れ知らずの肉欲的激情だったが、継いで、それは熱情的な愛情となった。それは、早くも直ぐにも上手くなった性の愛技で出来ている、卑猥な創意工夫で出来ている、そんな愛情だった。二人の眼差しは何か淫靡なものを意味し、彼等のあらゆる挙措は夜の熱い睦まじさを想起させた。
 
 さて、七年後の今日この頃では・・・
自らそれと知ること無しに、互いに告白することも無しに、そろそろ互いに飽きが来ていた。勿論、二人は互いに愛し合っていた。ただ、最早、彼等には互いに発見すべき何物も無かった。為すべきことは無かったし、互いに学ぶべきことも無かった。新しい愛の言葉も、予想外の飛躍も、陳腐な言葉を火と燃やす口説も、最早、何一つ無かったのである。
 それでも二人は、新婚当初の抱擁の、既に衰えた情火を掻き立てるべく努力した。毎日のように恋の妙手を策し、素朴な或いは手の込んだ悪戯を考え出した。あの相思相愛の日の沈め難い熱情を己が心の中に再生すべく、また、新婚当初の情火をその血管の中に甦らせるべく、絶望的な試みを次々と実践した。時には、二人は己が欲情を鞭撻した甲斐有って、人工的淫乱の一時間を見出すことはあった、が、直ぐに又、味気ない倦怠へと戻って行った。青白い月の光も、優しい夕暮れの木陰のそぞろ歩きも、夕靄に包まれた浜辺の詩情も、饗宴の歓喜も、どれもこれも既に体験済みであった。
 
 或る晩、瑠偉が啓司に言った。
「ねえ、あたしをラブホテルに連れて行ってくれない?」
「ああ、良いよ」
「あなたの知っているホテルよ」
「良いよ、解かっている」
啓司は、瑠偉が何か企んでいるらしい、と思って、眼付きで彼女に問いかけながら、じっとその貌を見守った。
瑠偉が言った。
「ほら、在るでしょ、特別室なんかが在る・・・」
啓司は微笑んだ。
「うん、解ったよ、高級ラブホテルなんだろう?」
「そうよ。でも、あなたの馴染みの、前にあなたが使ったことのあるホテルよ。そのホテルであたし・・・つまり、其処であなたと・・・いや、あたし、こんなこと、とても口では言えないわ」
「何だ?どうしたんだよ?」
「其処で、あたし、あなたと・・・」
「はっきり言いなよ。俺たちの間で、何でも無いことじゃないか。二人にはこれっぽちも秘密は無いんだろう?」
「いや、とても駄目、言えないわ、あたし・・・」
「さあ、恥ずかしがらずにはっきり言わなきゃ、な」
「じゃあ、思い切って言うわ・・・あたし、其処で、あなたに抱かれたいの・・・隠れて忍び逢う人目を憚る淫靡な場所で我を忘れて奔放に乱れる、そんな体験をしてみたいの、あなたのその思い出の場所で、一時間くらい・・・。そうすると、あたし、きっと、もっと自由大胆になれると思うの、もっとあなたを悦ばせて上げられると思うのよ。随分と卑猥なことだけど、でも、あたし、したいわ、それを・・・いや、そんなに見ないで、恥ずかしいわ。考えても見てよ。毎晩のように男と女が愛し合っているあるまじき場所で、心も躰も淫して乱れて・・・想像するだけで真実に頭に血が上ることだけれど、あたし、やってみたいの、あなたと・・・いや、もう、見ないでよ、顔が真っ赤になったわ」
啓司は酷く面白がって笑っていたが、徐に答えた。
「よし、今から行こう。とても気の利いたホテルを知っているから」
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

〖完結〗あなたの愛は偽りだった……

恋愛 / 完結 24h.ポイント:312pt お気に入り:3,021

私は貴方から逃げたかっただけ

jun
恋愛 / 連載中 24h.ポイント:198pt お気に入り:2,414

王妃となったアンゼリカ

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:129,540pt お気に入り:7,871

あなたの重すぎる愛は私が受け止めます

恋愛 / 完結 24h.ポイント:404pt お気に入り:1,244

妹がいらないと言った婚約者は最高でした

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:489pt お気に入り:5,328

【完結】 嘘と後悔、そして愛

恋愛 / 完結 24h.ポイント:31,062pt お気に入り:301

処理中です...