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第十三話 贖罪
③「私たちは既に、殺したことが有るのよ」
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七月の下旬になると、気温は急激に上昇し、連日、温度計は三十度を超えた。秀夫は照りつける烈日の下を、毎日、汗と埃に塗れて、百科事典編纂の為の執筆依頼と原稿集めに歩き回わり、そして、理沙からの連絡を待った。が、理沙からは何の消息も入らなかった。
秀夫はそれまで理沙の意思を尊重して憚っていた理沙の勤め先に電話を架けた。理沙は唯、簡単に「解かった、会うわ」と答えた。
「それは一体どういうことなんだ?」
低く抑えた心算だったが、秀夫の声は高くなって、手に持っていた食後のコーヒーが大きく揺れた。理沙は視線を斜めにずらして固い表情を崩さない。秀夫はコーヒーカップを置くと、改めて声を抑えて続けた。
「もう会わないと言うのか?俺には解らない。ああいう夢を見たと言うのは、君がそういう夢を見たという、唯それだけのことだろう」
「そうじゃないわ。私たちは殺したのよ」
「殺した?一体何が言いたいんだ?俺にはさっぱり解らないよ。なあ理沙、直ぐに一緒にならなくても良い。会うのだけは会い続けよう。俺が嫌でなかったら」
「あなたが嫌だなんて、そんな・・・でも駄目なのよ。私が夢を見たのは偶然じゃないわ。そうよ、偶然なんかじゃないのよ、全て起こるべくして起こったんだわ。私達、一緒に居れば殺すのよ。たとえ、今まで殺して居なくても、将来、殺すことになるわ。たとえ、身体は殺さなくても心を殺すわ。そうよ、わたし達は殺すのよ」
「君は何を言おうとしているんだ?俺には全く解からないよ」
秀夫は理沙の心を図りかねて独り言のように呟いた。
「大事なことなんだ、二人にとって。何で俺たちが自分たちの心に従って二人で居ると、誰かを殺すことになるんだ?」
「ねえ、お願い、解って欲しいの。この間の晩、夢を見た後の私は少し興奮していたしヒステリックだったかも知れない。でも、今は違うの。よく考えて、考え抜いた上で言っているの。あなたと一緒に居たこと、怖い夢を見たこと、夢の後であんなに不安を感じたこと、それら全てを考え尽くした上で言っているのよ。ねえ、私たちは一緒に居てはいけないの。私たちは別れなければいけないのよ」
理沙は抗おうとする秀夫を抑えつけるように見つめて、続けた。
「私があの晩、あなたの傍でどんなに幸せだったか、あなたには解らない。私は唯、黙ってあなたの話を聴いていたわ。そして、話を聴きながら、私は幸せなんだなあ、って思っていた。唯それだけを思って、それ以外のことは何も思わなかった。こんな幸せな時間が持てるのだったら、もう何を捨てても良い、と・・・」
理沙は言葉を切って少し躊躇った。
「でも、それなのに、あんな恐ろしい夢を見てしまって・・・あんな怖い恐れが私の心の中に在ったんだわ。私が夢を見たのは偶然じゃないのよ。それは、私たちが一緒になれば、殺すって、私の心が思っていたからなの。そして、私の心のその恐れは間違っていないのよ。お願い、解らないかも知れないけど、それはそうなのだから、もう聞かないで」
「そうなのだろうか?君の心の恐れが間違っていないと何故言えるんだ?人の心はいつでも様々なことを思い迷う。だが、真実に望むものを手に入れようとすれば、じっと待って、心が進む方向を見極めなければいけないのではないのか?」
「私の心はあなたとの幸せを何時も願っているわ。私はあんな昔から、あんな小娘の頃からずう~っと願って来たのよ。でも、私がそれをあまりにも願い過ぎたから、許される範囲を超えてまで願ったから・・・でも、どんなに幸せでも、全てを忘れ、もうこれで良い、これで良い、と思える幸せでも、それが世間から隠れなければならない幸せだとしたら、そうした幸せの中で一生を生きて行くことは、人間には、否、私には出来ない」
「何故俺たちが隠れなければならないことが有るんだ?俺たちは自由である筈だ。人は唯、自分の願いに従って生きれば良いんだ」
「私たちは自由なんかじゃないわ」
「何故だ?何が俺たちを自由でなくすると言うんだ?俺たちはただ心に願うことに従って生きれば良いんだ。それ以外に生きて行く方法なんて有りはしない」
「私たち、一緒になったら幸せになるかも知れない。否、きっと幸せになるわ。でも、その幸せは許されないのよ、悪なのよ。あの夢の告げた通りなのよ」
「何故それが悪になるんだ?」
「私たちがその幸せに相応しくないからよ。私たちが罪を持っているから・・・私たちは既に、殺したことが有るから・・・あなたがそれを知らないだけなの」
理沙はそれを一気に、決定的に言った。
秀夫の心に、あっ!と叫ぶものが有った。
二人の間を石のような沈黙が遮った。
秀夫はそれまで理沙の意思を尊重して憚っていた理沙の勤め先に電話を架けた。理沙は唯、簡単に「解かった、会うわ」と答えた。
「それは一体どういうことなんだ?」
低く抑えた心算だったが、秀夫の声は高くなって、手に持っていた食後のコーヒーが大きく揺れた。理沙は視線を斜めにずらして固い表情を崩さない。秀夫はコーヒーカップを置くと、改めて声を抑えて続けた。
「もう会わないと言うのか?俺には解らない。ああいう夢を見たと言うのは、君がそういう夢を見たという、唯それだけのことだろう」
「そうじゃないわ。私たちは殺したのよ」
「殺した?一体何が言いたいんだ?俺にはさっぱり解らないよ。なあ理沙、直ぐに一緒にならなくても良い。会うのだけは会い続けよう。俺が嫌でなかったら」
「あなたが嫌だなんて、そんな・・・でも駄目なのよ。私が夢を見たのは偶然じゃないわ。そうよ、偶然なんかじゃないのよ、全て起こるべくして起こったんだわ。私達、一緒に居れば殺すのよ。たとえ、今まで殺して居なくても、将来、殺すことになるわ。たとえ、身体は殺さなくても心を殺すわ。そうよ、わたし達は殺すのよ」
「君は何を言おうとしているんだ?俺には全く解からないよ」
秀夫は理沙の心を図りかねて独り言のように呟いた。
「大事なことなんだ、二人にとって。何で俺たちが自分たちの心に従って二人で居ると、誰かを殺すことになるんだ?」
「ねえ、お願い、解って欲しいの。この間の晩、夢を見た後の私は少し興奮していたしヒステリックだったかも知れない。でも、今は違うの。よく考えて、考え抜いた上で言っているの。あなたと一緒に居たこと、怖い夢を見たこと、夢の後であんなに不安を感じたこと、それら全てを考え尽くした上で言っているのよ。ねえ、私たちは一緒に居てはいけないの。私たちは別れなければいけないのよ」
理沙は抗おうとする秀夫を抑えつけるように見つめて、続けた。
「私があの晩、あなたの傍でどんなに幸せだったか、あなたには解らない。私は唯、黙ってあなたの話を聴いていたわ。そして、話を聴きながら、私は幸せなんだなあ、って思っていた。唯それだけを思って、それ以外のことは何も思わなかった。こんな幸せな時間が持てるのだったら、もう何を捨てても良い、と・・・」
理沙は言葉を切って少し躊躇った。
「でも、それなのに、あんな恐ろしい夢を見てしまって・・・あんな怖い恐れが私の心の中に在ったんだわ。私が夢を見たのは偶然じゃないのよ。それは、私たちが一緒になれば、殺すって、私の心が思っていたからなの。そして、私の心のその恐れは間違っていないのよ。お願い、解らないかも知れないけど、それはそうなのだから、もう聞かないで」
「そうなのだろうか?君の心の恐れが間違っていないと何故言えるんだ?人の心はいつでも様々なことを思い迷う。だが、真実に望むものを手に入れようとすれば、じっと待って、心が進む方向を見極めなければいけないのではないのか?」
「私の心はあなたとの幸せを何時も願っているわ。私はあんな昔から、あんな小娘の頃からずう~っと願って来たのよ。でも、私がそれをあまりにも願い過ぎたから、許される範囲を超えてまで願ったから・・・でも、どんなに幸せでも、全てを忘れ、もうこれで良い、これで良い、と思える幸せでも、それが世間から隠れなければならない幸せだとしたら、そうした幸せの中で一生を生きて行くことは、人間には、否、私には出来ない」
「何故俺たちが隠れなければならないことが有るんだ?俺たちは自由である筈だ。人は唯、自分の願いに従って生きれば良いんだ」
「私たちは自由なんかじゃないわ」
「何故だ?何が俺たちを自由でなくすると言うんだ?俺たちはただ心に願うことに従って生きれば良いんだ。それ以外に生きて行く方法なんて有りはしない」
「私たち、一緒になったら幸せになるかも知れない。否、きっと幸せになるわ。でも、その幸せは許されないのよ、悪なのよ。あの夢の告げた通りなのよ」
「何故それが悪になるんだ?」
「私たちがその幸せに相応しくないからよ。私たちが罪を持っているから・・・私たちは既に、殺したことが有るから・・・あなたがそれを知らないだけなの」
理沙はそれを一気に、決定的に言った。
秀夫の心に、あっ!と叫ぶものが有った。
二人の間を石のような沈黙が遮った。
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