愛の裏切り

相良武有

文字の大きさ
13 / 99
第十三話 贖罪

③「私たちは既に、殺したことが有るのよ」 

しおりを挟む
 七月の下旬になると、気温は急激に上昇し、連日、温度計は三十度を超えた。秀夫は照りつける烈日の下を、毎日、汗と埃に塗れて、百科事典編纂の為の執筆依頼と原稿集めに歩き回わり、そして、理沙からの連絡を待った。が、理沙からは何の消息も入らなかった。
 秀夫はそれまで理沙の意思を尊重して憚っていた理沙の勤め先に電話を架けた。理沙は唯、簡単に「解かった、会うわ」と答えた。
「それは一体どういうことなんだ?」
低く抑えた心算だったが、秀夫の声は高くなって、手に持っていた食後のコーヒーが大きく揺れた。理沙は視線を斜めにずらして固い表情を崩さない。秀夫はコーヒーカップを置くと、改めて声を抑えて続けた。
「もう会わないと言うのか?俺には解らない。ああいう夢を見たと言うのは、君がそういう夢を見たという、唯それだけのことだろう」
「そうじゃないわ。私たちは殺したのよ」
「殺した?一体何が言いたいんだ?俺にはさっぱり解らないよ。なあ理沙、直ぐに一緒にならなくても良い。会うのだけは会い続けよう。俺が嫌でなかったら」
「あなたが嫌だなんて、そんな・・・でも駄目なのよ。私が夢を見たのは偶然じゃないわ。そうよ、偶然なんかじゃないのよ、全て起こるべくして起こったんだわ。私達、一緒に居れば殺すのよ。たとえ、今まで殺して居なくても、将来、殺すことになるわ。たとえ、身体は殺さなくても心を殺すわ。そうよ、わたし達は殺すのよ」
「君は何を言おうとしているんだ?俺には全く解からないよ」
秀夫は理沙の心を図りかねて独り言のように呟いた。
「大事なことなんだ、二人にとって。何で俺たちが自分たちの心に従って二人で居ると、誰かを殺すことになるんだ?」
「ねえ、お願い、解って欲しいの。この間の晩、夢を見た後の私は少し興奮していたしヒステリックだったかも知れない。でも、今は違うの。よく考えて、考え抜いた上で言っているの。あなたと一緒に居たこと、怖い夢を見たこと、夢の後であんなに不安を感じたこと、それら全てを考え尽くした上で言っているのよ。ねえ、私たちは一緒に居てはいけないの。私たちは別れなければいけないのよ」
 理沙は抗おうとする秀夫を抑えつけるように見つめて、続けた。
「私があの晩、あなたの傍でどんなに幸せだったか、あなたには解らない。私は唯、黙ってあなたの話を聴いていたわ。そして、話を聴きながら、私は幸せなんだなあ、って思っていた。唯それだけを思って、それ以外のことは何も思わなかった。こんな幸せな時間が持てるのだったら、もう何を捨てても良い、と・・・」
 理沙は言葉を切って少し躊躇った。
「でも、それなのに、あんな恐ろしい夢を見てしまって・・・あんな怖い恐れが私の心の中に在ったんだわ。私が夢を見たのは偶然じゃないのよ。それは、私たちが一緒になれば、殺すって、私の心が思っていたからなの。そして、私の心のその恐れは間違っていないのよ。お願い、解らないかも知れないけど、それはそうなのだから、もう聞かないで」
「そうなのだろうか?君の心の恐れが間違っていないと何故言えるんだ?人の心はいつでも様々なことを思い迷う。だが、真実に望むものを手に入れようとすれば、じっと待って、心が進む方向を見極めなければいけないのではないのか?」
「私の心はあなたとの幸せを何時も願っているわ。私はあんな昔から、あんな小娘の頃からずう~っと願って来たのよ。でも、私がそれをあまりにも願い過ぎたから、許される範囲を超えてまで願ったから・・・でも、どんなに幸せでも、全てを忘れ、もうこれで良い、これで良い、と思える幸せでも、それが世間から隠れなければならない幸せだとしたら、そうした幸せの中で一生を生きて行くことは、人間には、否、私には出来ない」
「何故俺たちが隠れなければならないことが有るんだ?俺たちは自由である筈だ。人は唯、自分の願いに従って生きれば良いんだ」
「私たちは自由なんかじゃないわ」
「何故だ?何が俺たちを自由でなくすると言うんだ?俺たちはただ心に願うことに従って生きれば良いんだ。それ以外に生きて行く方法なんて有りはしない」
「私たち、一緒になったら幸せになるかも知れない。否、きっと幸せになるわ。でも、その幸せは許されないのよ、悪なのよ。あの夢の告げた通りなのよ」
「何故それが悪になるんだ?」
「私たちがその幸せに相応しくないからよ。私たちが罪を持っているから・・・私たちは既に、殺したことが有るから・・・あなたがそれを知らないだけなの」
理沙はそれを一気に、決定的に言った。
秀夫の心に、あっ!と叫ぶものが有った。
二人の間を石のような沈黙が遮った。
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

真面目な女性教師が眼鏡を掛けて誘惑してきた

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
仲良くしていた女性達が俺にだけ見せてくれた最も可愛い瞬間のほっこり実話です

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...