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第十五話 あぶく恋
①藤木と瑠璃はパーティーの席で初めて出逢った
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藤木浩二、二十八歳、小説家。大学四回生の春に文芸誌に発表した処女作が高名な作家に激賞されてデビューし、二作目が新人賞と芥川賞を受賞して文壇に躍り出た。以来六年間、常に社会現象や青春の生き様を鋭く切り取る作品を次々と世に送り出して、今や押しも押されもせぬ人気流行作家であった。
藤木は燃えに燃えていた。新刊の小説は当りに当って売れに売れていたし、文芸誌からの執筆注文は引きを切らさなかった。それに彼は、ふとした縁で知り合った女性と男と女の関係になったばかりだった。彼女の名は江波瑠璃、二十五歳の独身。藤木が彼女と逢うのはいつも午後六時過ぎ。その六時に合わせて一心不乱に彼は仕事を熟した。そして、五時半になるとぴたりと執筆を止め、髭を剃り、髪を整えてスーツを羽織り、仕事場のマンションを飛び出した。待ち合せはいつも近くの喫茶店だった。逢えば必ず晩飯を食べ、それからホテルのバーへ行き、適度に呑んで、リザーブして置いた部屋に入った。其処で朝まで二人で過ごすのが常だった。二人とも若かったし、藤木は何事にも自信満々だった。だが、彼には学生時代に知り合って彼女の卒業と同時に結婚した妻が居た。二人の間には既に四歳になる娘もいる。妻と新しい恋人との間を往き来しながら藤木は気軽に愉しく過ごして居た。
藤木と瑠璃はパーティーの席で初めて出逢った。
自作の小説が映画化される折に、映画会社とタイアップした商社のパーティーへ藤木は原作者として招待された。来客の殆どは商社関係のサラリーマンで、彼は話し相手も無く独り片隅でワインを啜っていた。その時、にこやかに話し掛けて来たのが江波瑠璃だった。彼女は臙脂のカクテルドレスを着ていたので、藤木はコンパニオンの一人かと思ったが、それにしては身のこなしが何処と無く優雅に見えた。彼女は商社の社長と同じ姓を名乗った。まさかと思った藤木が訊ねると彼女は姪だった。
「はい、社長の妹の娘なんです、わたし」
二年前に芥川賞を取った若い売れっ子作家のファンだと言う彼女は頻りに文壇のことを藤木に訊ね、彼は退屈凌ぎにオフレコになっているゴシップを語った。
初体面の時から気が合った二人は、別れた後も余韻が尾を引いていた。
翌日、瑠璃から藤木の仕事場へ電話が入り、その翌日は藤木が瑠璃に連絡を入れた。
二日とも瑠璃はビビッドな真紅のビートルを駆って藤木の前に現れた。ビートルは独フォルクスワーゲン製のコンパクトカーで、丸いヘッドライトや丸味の在るシルエットなど角の取れたデザインが愛くるしく、又、レトロな雰囲気も在る洒落た車だった。内装も車のキャラクターに似合ったクルっと丸いデザインが基調で、ボディと揃いのカラーで仕上げたダッシュパッドがアクセント、乗るだけで気分が上がる上質のインテリア空間だった。
藤木の愛車は国産の人気ハイブリッドカー、プリウスだったが、彼は極端な運動不足の上に何かにつけて酒を飲む機会が繁多だったので、仕事以外には殆ど車には乗らなかった。彼は専らタクシーと電車を利用して移動した。
二日続けて逢った二人は、それから数回食事を共にした後、男と女の仲になった。
何方が先に誘ったのか?瑠璃の運転する赤いビートルで横浜へドライブした帰りに、ホテルで二人は初めて抱き合った。二十五歳で独身だと言う瑠璃の躰は、かなり遊び慣れているようだった。
それから、三カ月が経過した。
その間、藤木は憧れにも似た感情を抱いて瑠璃に夢中だった。三カ月と言う短い時間の間に、彼は、舶来のブラウスはおろか、金のネックレスからレディースゴルフセットまでプレゼントしたし、逢う度に高級和食は言うに及ばず、フランスからポリネシアに至るまで、世界中の料理のフルコースを奢った。
執筆中の作品が半ばほどまで進んだ頃、瑠璃から藤木に電話が入った。二人は数日間逢っていなかった。
「相談したいことが有るの。夕方、友達のマンションまで来て頂けないかしら?」
瑠璃の声は何時に無く固い口調だった。
瑠璃が教えた友達のマンションは千駄ヶ谷の裏通りに在った。四階建ての小奇麗な建物で、表に真紅のビートルが停まっていた。
待って居た瑠璃に促されて部屋に入ると、二人の女友達が居た。一人は部屋の住人で、もう一人は瑠璃と同じ葉山から来たと言う。何れも大学の同級生とのことだったが、三人とも客を迎える表情では無かった。何処と無く張り詰めた空気が漂っていた。
「何の話?」
藤木は改めて瑠璃に訊いた。
住人の女性が無言で一枚の書類をテーブルに置いた。
眼を落した途端、藤木は全身に鳥肌が立つのを覚えた。それは藤木の戸籍謄本だった。
いつの間に取り寄せたのか?・・・
住人の女性が藤木を見詰めて言った。
「あなたには、奥様と娘さんが居らっしゃるんですね」
「ええ・・・」
藤木は不信に思いながら頷いた。
「何故、彼女に隠したんですか?」
「隠す?」
藤木は苦笑しながら答えた。
「とんでもない。彼女には最初から言ってありますよ」
住人の女性ともう一人の友達が瑠璃に問うように視線を投げた。
「いいえ」
瑠璃は真顔で言った。
「あなたは独身だと言ったわ。だから、わたし・・・」
「なに!」
藤木の躰に突然、怒りが込み上げて来た。
「君は僕に妻子が居るのを承知でこうなったんだろう?そんなことは気にしない、大人の交際いをしましょう、逢う度にそう言っていたじゃないか!」
だが、瑠璃はけろりとして居直っていた。
藤木は燃えに燃えていた。新刊の小説は当りに当って売れに売れていたし、文芸誌からの執筆注文は引きを切らさなかった。それに彼は、ふとした縁で知り合った女性と男と女の関係になったばかりだった。彼女の名は江波瑠璃、二十五歳の独身。藤木が彼女と逢うのはいつも午後六時過ぎ。その六時に合わせて一心不乱に彼は仕事を熟した。そして、五時半になるとぴたりと執筆を止め、髭を剃り、髪を整えてスーツを羽織り、仕事場のマンションを飛び出した。待ち合せはいつも近くの喫茶店だった。逢えば必ず晩飯を食べ、それからホテルのバーへ行き、適度に呑んで、リザーブして置いた部屋に入った。其処で朝まで二人で過ごすのが常だった。二人とも若かったし、藤木は何事にも自信満々だった。だが、彼には学生時代に知り合って彼女の卒業と同時に結婚した妻が居た。二人の間には既に四歳になる娘もいる。妻と新しい恋人との間を往き来しながら藤木は気軽に愉しく過ごして居た。
藤木と瑠璃はパーティーの席で初めて出逢った。
自作の小説が映画化される折に、映画会社とタイアップした商社のパーティーへ藤木は原作者として招待された。来客の殆どは商社関係のサラリーマンで、彼は話し相手も無く独り片隅でワインを啜っていた。その時、にこやかに話し掛けて来たのが江波瑠璃だった。彼女は臙脂のカクテルドレスを着ていたので、藤木はコンパニオンの一人かと思ったが、それにしては身のこなしが何処と無く優雅に見えた。彼女は商社の社長と同じ姓を名乗った。まさかと思った藤木が訊ねると彼女は姪だった。
「はい、社長の妹の娘なんです、わたし」
二年前に芥川賞を取った若い売れっ子作家のファンだと言う彼女は頻りに文壇のことを藤木に訊ね、彼は退屈凌ぎにオフレコになっているゴシップを語った。
初体面の時から気が合った二人は、別れた後も余韻が尾を引いていた。
翌日、瑠璃から藤木の仕事場へ電話が入り、その翌日は藤木が瑠璃に連絡を入れた。
二日とも瑠璃はビビッドな真紅のビートルを駆って藤木の前に現れた。ビートルは独フォルクスワーゲン製のコンパクトカーで、丸いヘッドライトや丸味の在るシルエットなど角の取れたデザインが愛くるしく、又、レトロな雰囲気も在る洒落た車だった。内装も車のキャラクターに似合ったクルっと丸いデザインが基調で、ボディと揃いのカラーで仕上げたダッシュパッドがアクセント、乗るだけで気分が上がる上質のインテリア空間だった。
藤木の愛車は国産の人気ハイブリッドカー、プリウスだったが、彼は極端な運動不足の上に何かにつけて酒を飲む機会が繁多だったので、仕事以外には殆ど車には乗らなかった。彼は専らタクシーと電車を利用して移動した。
二日続けて逢った二人は、それから数回食事を共にした後、男と女の仲になった。
何方が先に誘ったのか?瑠璃の運転する赤いビートルで横浜へドライブした帰りに、ホテルで二人は初めて抱き合った。二十五歳で独身だと言う瑠璃の躰は、かなり遊び慣れているようだった。
それから、三カ月が経過した。
その間、藤木は憧れにも似た感情を抱いて瑠璃に夢中だった。三カ月と言う短い時間の間に、彼は、舶来のブラウスはおろか、金のネックレスからレディースゴルフセットまでプレゼントしたし、逢う度に高級和食は言うに及ばず、フランスからポリネシアに至るまで、世界中の料理のフルコースを奢った。
執筆中の作品が半ばほどまで進んだ頃、瑠璃から藤木に電話が入った。二人は数日間逢っていなかった。
「相談したいことが有るの。夕方、友達のマンションまで来て頂けないかしら?」
瑠璃の声は何時に無く固い口調だった。
瑠璃が教えた友達のマンションは千駄ヶ谷の裏通りに在った。四階建ての小奇麗な建物で、表に真紅のビートルが停まっていた。
待って居た瑠璃に促されて部屋に入ると、二人の女友達が居た。一人は部屋の住人で、もう一人は瑠璃と同じ葉山から来たと言う。何れも大学の同級生とのことだったが、三人とも客を迎える表情では無かった。何処と無く張り詰めた空気が漂っていた。
「何の話?」
藤木は改めて瑠璃に訊いた。
住人の女性が無言で一枚の書類をテーブルに置いた。
眼を落した途端、藤木は全身に鳥肌が立つのを覚えた。それは藤木の戸籍謄本だった。
いつの間に取り寄せたのか?・・・
住人の女性が藤木を見詰めて言った。
「あなたには、奥様と娘さんが居らっしゃるんですね」
「ええ・・・」
藤木は不信に思いながら頷いた。
「何故、彼女に隠したんですか?」
「隠す?」
藤木は苦笑しながら答えた。
「とんでもない。彼女には最初から言ってありますよ」
住人の女性ともう一人の友達が瑠璃に問うように視線を投げた。
「いいえ」
瑠璃は真顔で言った。
「あなたは独身だと言ったわ。だから、わたし・・・」
「なに!」
藤木の躰に突然、怒りが込み上げて来た。
「君は僕に妻子が居るのを承知でこうなったんだろう?そんなことは気にしない、大人の交際いをしましょう、逢う度にそう言っていたじゃないか!」
だが、瑠璃はけろりとして居直っていた。
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