咲坂(SAKISAKA)という、誰の目にも留まるほど美しい女性は――俺にだけ“心の闇”を見せた。

里見 亮和

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俺は咲坂雪菜を守ると宣言した

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咲坂は、不安な表情を残したまま、撮影のため社長室を出て行った。

残されたのは、俺と上條社長だけだった。

「さて、どこ行こうか?」

「二人で話すだけなら、ここで話せばいいのでは?」

できれば早めにこのプレッシャーから逃れたい俺はそう提案した。

「せっかく綺麗な社長からの食事の誘いだ。断るものではない」

なんか理不尽な大人の理屈を押し付けられただけのような気もするが、この人が言うと妙に説得力があるから抗えない。

普通学生の分際で芸能スタジオの社長と食事ってハードル高すぎやしないか?

ほんと早く開放してほしい……

しかし俺の逡巡もむなしく上條社長はもう立ち上がって出かける支度をはじめてしまっていた。

「1Fのスタジオを通ると、みんなの憶測が面倒だから、裏階段から出ましょう」

そう言って、有無を言わせぬまま部屋を出て行く。

俺も慌ててそのあとを追った。

――。

裏階段に入ると、ここだけ途端に空気が違う。

昼間なのに、やけに暗い。

照明もまばらで、壁の色さえ灰色がかって見える。

誰もいない階段に、二人の足音だけが乾いて響いた。

俺と上條社長は、スタッフに見つからないように裏口から道玄坂の路地へ出た。

「櫻井君、何か食べたいものはあるか? 遠慮しなくていいぞ?」

そう言った上條社長は妙に上機嫌だ。

「ありがとうございます。でも軽いもので」

「なんだ、せっかくの機会だしガッツリ食べればいいじゃないか? 若いんだから」

「いや、社長と一緒でガッツリ食べる自信はないですよ」

「アハハ、そんな身構えないでくれよ。少し世間話をするだけだ」

――世間話なわけあるかい。

俺は心の中で渾身のツッコミを入れた。

そんな調子で軽口を交わしながら二百メートルほど歩くと、オシャレな洋食店が見えた。

上條社長は俺に確認することもなく、慣れた様子でその店に入っていく。

抗うことはできず、俺もそのあとを追った。

昼時なのに、店内は意外と空いていた。

窓際の四人掛けの席に通され、俺は出されたメニューを見て仰天した。

値段。

なんじゃこりゃ?

下手に注文したら、一か月の食費が吹っ飛ぶレベルじゃないか。

――ランチにこんなお金かけるとか、どんな世界だよ。

「好きなもの頼んでいいからな? 若いんだから、たくさん食べな」

さっきから“若い、若い”って何回言うんだこの人。

年齢コンプでもあんのか?

俺が軽めのパスタを頼もうとした瞬間、上條社長は最上級のフルコースを二人分、注文していた。

――うわぁ、俺の一か月分の食費、確定で飛んだ。

社長様、ごちになります。

「さてと……」

注文を終えると同時に、上條社長の表情がふっと変わった。

さっきまでの軽い調子が嘘のように、空気がピンと張りつめる。

――ほら来た。

俺の中で、全身のセンサーが警報を鳴らした。

Jアラート級の“これは来るぞ”の予感。

「食事の前に言っておくが、YUKINAの問題は君の手には負えない。だから中途半端に関わるのはやめなさい。私が言いたいのはそれだけ。素直に聞き入れてくれれば、話はそれでおしまい」

突然の冷たい口調に、背筋が凍った。

ここに来るまで、あれほど優しい言葉で安心させておきながら――急転直下の圧。

その落差で一気に精神のバランスを崩しそうになる。

これ意図的にやっただろこの人。

まったく、学生相手に本気を出さないでくれよ……。

――でも学生を説得するくらい簡単なはずなのに、こんな芝居めいたことまでしてくるということは、俺という存在を、少なからず警戒しているということか。

俺は、あえて軽い調子で口を開いた。

「社長、学生相手にやめましょうよ」

「どういう意味だ?」

表情は穏やかだが、目が笑っていない。

視線が刃のように鋭い。

「俺ごときになんでそんなにムキになるかなと」

「私がいつムキになったというのだ? ずっと優しく問いかけていたではないか」

――よく言うよ。

まあ、面倒だから出たとこ勝負でいこう。

「はっきり言います。学生相手に心理戦とかやめてほしいと思ったもので。できればそういうのは、社長と取引する企業相手だけにしてもらえませんかね」

ほんの少しだけ挑発を混ぜた。

上條は、薄く笑って目を細めた。

「フフフ、なるほどな。分かってると言いたいわけか、私の意図を」

だ、だから怖いんだってこの人。

そんな顔で見つめられたら、心臓に悪い。

「では、駆け引きなしに、もう一度丁寧に言ってやろう。YUKINAは君と同じ学生だが、Kスタジオでは大切なモデルだ。そして君が気づいた通り、人間関係で彼女は苦しんでいる。YUKINAから言わせると、君は彼女の助けになるかもしれないらしい。でもそんな話を私は易々と信じるわけにはいかない。今ここで、彼女の周囲に男の影が見えるのは迷惑なんだよ。だからもう一度言う――中途半端にYUKINAに関わるのはやめなさい」

なるほど、正論だな。

理屈で返すことは厳しそうだ。

この人はたぶん、並々ならぬ苦労をしてこの地位に立った。

そもそも俺みたいな学生が敵う相手じゃない。

――でも。

俺は思った。

この人が何度も俺に使ってきた「若い」ということを思い出させてあげますよ。

「若さ」ってやつには、年齢では測れない暴力的なエネルギーがあるんですよ、上條さん。

あなたの気にする“若さ”の攻撃を、今からお見せします。

若者は浅い。

経験もない。

だけど、その分だけ“余計な恐れ”を知らない。

理屈を飛び越えて突き進める強みがある。

俺は、勢いのまま言った。

「僕は中途半端に関わる気なんて毛頭ありません。僕は咲坂に告白して、真剣に付き合います。僕がこのスタジオから咲坂を守ってみせます!」

――どうだ!

秘技、“お姫様を救い出す気になってる青臭い学生の使命感攻撃(長い)”発動。

……たぶん、これが最後の悪あがき。

だが、上條の反応は俺の予想を軽々と裏切った。

一瞬の静寂のあと――

「あはははははっ!」

突然、上條が腹を抱えて笑い出した。

笑いが止まらないらしい。

テーブルを軽く叩きながら、「お腹痛い」と言って涙を拭っている。

あまりの展開に、俺はきょとんとするしかなかった。

なにがそんなにおかしいのか、まるで理解できない。

俺が混乱しているとようやく上條社長は口を開いた。

「ふう、久しぶりに笑った。いいわ、聞かせてもらったわ、櫻井くん」

笑いの余韻を残したまま、上條は指先で目尻の涙をぬぐった。

その仕草が妙に艶っぽくて、俺は無性に背筋が寒くなった。

「さすがだね君は」

「は?」

まったく意味がわからない。

なにがさすがなんだよ?

「そこまで先回りしてくれると助かるよ」

先回り?

どういうこと?

「あのー、ちょっと意味が分からないんですが?」

ここまでくると俺は恐る恐る尋ねるしかなかった。

「私がたどり着いてほしかった結論に、即座に君がたどり着いてくれたことに感激してるんだよ」

え?

どゆこと?

俺がいまだに混乱していると上條社長は続けた。

「醒めた態度の君のことだから、もっと煽らないと難しいかと思ってたけどね。ちゃんと告白できるじゃないか」

「も、もしかして”これ”を狙ってたんですか?」

「策士、策に溺れるってやつだ。あはは、面白い」

ナニやってんだよ俺?

勢い余ってなんで告白宣言しちゃってんの?

俺は自分のしでかしたことの重大さに気づき……顔から火が出るほどに恥ずかしくなった。

そうか……だから咲坂を遠ざけて、俺とサシで話をしたわけか。

「それにしても告白された時の真剣な眼差しは、ちょっとドキッとしたぞ?」

「あなたに告白してませんから」

だんだん腹が立ってきた。

「若いっていいわ~」

そのダメ押しの一言で、本気でイラッカチンときた。

しかしまあ――俺には到底敵わん相手だ。

マジで怖ぇな、大人って。

「さて、念のため確認するけど――さっきの“告白宣言”は売りことばに買いことばじゃないんだよな? 本気でそう思ってるんだな?」

上條は真剣な面持ちに表情を戻しつつ俺を見すえた。

「そこに二言はありませんよ。だってみんな彼女に惚れまくってるのに、俺――いや、僕が惚れない理由ないでしょ?」

「僕ってキャラじゃないだろ……“俺”でいい」

「じゃあ、以後、遠慮なく」

「フフフ。で、そのことなんだけどね」

「え?」

「彼女が惚れられまくるって話だ」

ここに来てようやく俺を受け入れてくれたのか、上條社長から本題に入ってきた。

「ああ……それですよね」

俺はうなづきながら応える。

「ライバル多くて大変だな」

「いや、ポイントそこじゃないでしょ?」

「あら、余裕あるんだな?」

「そんなもん、ある訳ないでしょ?」

「……フフ。まあ、いいわ」

上條はグラスに視線を落とした。

その一瞬、どこか哀しげにも見えた。

「あなた、心理学を勉強してるんでしょ? 何か考えられる理由とかあるの?」

「まだ、ちょっとわかりませんね」

さすがに今日の今日で、何が分かるというわけにはいかないから正直にそう応えた。

「そう……」

短い沈黙。

彼女の目が、ゆっくりと俺に戻ってくる。

「でも……いいんですか?」

俺は上條社長に尋ねることがある。

「何が?」

「俺なんかでいいのかな」

「あら、勘違いしないで? それを決めるのはYUKINAでしょ? あんたがフラれたら、また他を頼るわよ」

告白する前からフラれるとか簡単に言うなよなあ。

ホントデリカシーなさすぎ。

「もしかして、いつもこうやって社長に踊らされる若者がいるってことですか?」

「安心しな。こんなことしたのは君が初めてだ」

「そ、そうですか……」

少しほっとした。

少なくとも咲坂が頼ったのは俺が最初ということになるのか。

「YUKINAがあなたを頼ったのは事実。だからまあ、今のところはYUKINAの意向を尊重して応援してあげる」

「ありがとうございます……」

上條社長のその声にはYUKINAに対する優しさが混じっていた気がする。

「でも、さっきあなたが言ってたみたいに、彼女を辞めさせれば解決――なんて安直なことは考えないでね?」

「……はい」

「彼女はああ見えて、モデルの仕事が好きなの。だから、その気持ちまで折らないであげて」

「へ~、優しいんですね」

「当たり前でしょう? 君が心配してくれたようにKスタジオにとってYUKINAは大事な稼ぎ頭だからな……」

上條はおどけて、そして少し照れを誤魔化す様にそう言った。

「さあ、ひと仕事終わって、これでゆっくり食事できるね?……タップリ食べな! 若者!」

こんだけ精神的に揺さぶっておいて、タップリ食べろとかどんな拷問ですか?

しかし……やはり読み通り上條社長は咲坂の良き理解者だ。

この社長がいるなら咲坂の事も少しは安心なのかもしれない。

裏を返せば、これはあの社長をしても解決出来ない難問と見なければならないのだろう。

咲坂、こんなヘビーな案件、俺に頼って大丈夫か?
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