39 / 40
雪菜の想い
しおりを挟む
私は会場の『親戚控室』で、一人にしてもらった。
* * *
彼はいつも、私のことを「咲坂」と呼んでいた……
本当は「雪菜」と呼んでほしかった。
名前で呼ばれたかったのに、その願いは胸の奥にしまい込んだまま、口に出せなかった。
それでも――
彼の声で呼ばれる「咲坂」という響きが、いつの間にか、とても大切な言葉になっていた。
彼に出会ってすぐの頃、一度だけ……「雪菜」と名前で呼ばれたことがある。
私が彼にはじめて LINE を送った時、少しだけ距離を縮めたくて「雪菜です」と書いて送った。
彼はすぐにそれを見透かして、「雪菜ちゃん」と……からかうように、けれどどこか照れた声音で言ってくれた。
その一言がくすぐったくて。
私は恥ずかしさに耐えきれず、わざと気づかないふりをしてしまった。
ハハ……
あの小さなやりとりを思いだしただけで、また視界が滲む。
昨晩から、いったい何度、大学時代の彼との思い出を辿っては、涙をこぼしただろう。
“ここ”に来てから私はずっと泣いてばかりいる。
彼のご両親だって、それどころではないはずなのに。
それでも私に気を遣ってくれて、この部屋で一人にしてくれた。
だから今、私は部屋に籠り、過去の記憶だけを抱きしめて──
一人きりで泣き続けている。
彼は、私がどれだけ「仮面」を被って自分を偽ろうとしても、あっさり見破ってしまう人だった。
偽った顔なんて、彼の前では意味をなさない。
びっくりするほど簡単に、私の本音を拾い上げてしまう。
仕事場で無理をして被っていた「仮面」も……
彼の前ではいつの間にか外れていた。
そして――
仮面の下にある私が醜と思い込んでいた本当の自分をどれだけ曝け出しても……
彼はそれを当たり前のように受け入れてくれた。
それが、何よりも嬉しかった。
だからこそ……
私は彼に会って、すぐに――どうしようもなく、彼のことが好きになってしまった。
彼にはじめて会ったのは、最初の田尻先生の講義だった。
彼は、そっと気配を消すように三列目に座っていた。
田尻先生の講義を心待ちにする生徒なんていない――
そう思いこんでいた私の前で、彼だけは目を輝かせて講義を待っていた。
その横顔を見た瞬間、胸の奥がひどくざわついた。
無邪気で、まっすぐな目。
たぶん、あの時すでに……私は彼に魅かれていた。
だから私は、偶然を装って彼の隣に座った。
本当は、ただ隣がいい――それだけだったのに。
これが、彼との最初の出会い。
* * *
彼は、いつも私の考えを読み取ってしまう人だった。
だから私の”彼への想い”なんて、とっくに気づかれていると思っていた。
私の彼を想う気持ちばかりが先に走って……空回りして……
不安ばかり大きくなっていった。
さらに彼は、なぜか周りの女性から好意を寄せられてしまう。
近寄りがたい存在の上條社長でさえ、初対面で彼を気に入り……MISAKIだって、彼を意識していた。
だから――
彼が告白してくれた瞬間、胸が張り裂けそうなほど嬉しかった。
嬉しすぎて、思わず泣き出してしまったけれど。
それでも私ばかりが好きすぎて悔しかったから、強がってしまった。
「知ってた」
なんて。
本当はまったく確信がもてなくて、ずっと怖かったくせに。
……ああ、ダメだ。
また涙がにじむ。
もう時間だ。
そろそろ、この部屋を出なければならない。
その時だった。
父が、遠慮がちにドアを少しだけ開けて入ってきた。
私の泣きはらした顔を見た瞬間……父の表情が崩れる。
「お父さん、そんな顔しないで……」
「お前のそんな顔見たら……」
そこで父は言葉を失い、堪えきれずに涙を落とした。
「咲坂」
彼の口からそう呼ばれることはもうない──
父と部屋を出ると、会場にいた人たちが静かにこちらを見た。
私の泣きはらした顔に、反射するように涙をぬぐう人もいた。
彼は「友だちは少ないよ」と言っていたのに、多くの人が集まっていた。
私はゆっくりと、彼の“いる場所”へ向かった。
彼がいた。
穏やかな表情のまま、動かない。
ただ、閉じた唇だけが静かにそこにあった。
その唇を見て、また胸が熱くなり、涙があふれた。
その涙は……ただただ止まらずに、落ちていた。
ふいに、ほんのわずかに気配が動いた。
閉じられていた唇が、かすかに開く。
薄い呼吸のような、声のような……
その境目にあるような音で、
「……咲坂?」
* * *
彼はいつも、私のことを「咲坂」と呼んでいた……
本当は「雪菜」と呼んでほしかった。
名前で呼ばれたかったのに、その願いは胸の奥にしまい込んだまま、口に出せなかった。
それでも――
彼の声で呼ばれる「咲坂」という響きが、いつの間にか、とても大切な言葉になっていた。
彼に出会ってすぐの頃、一度だけ……「雪菜」と名前で呼ばれたことがある。
私が彼にはじめて LINE を送った時、少しだけ距離を縮めたくて「雪菜です」と書いて送った。
彼はすぐにそれを見透かして、「雪菜ちゃん」と……からかうように、けれどどこか照れた声音で言ってくれた。
その一言がくすぐったくて。
私は恥ずかしさに耐えきれず、わざと気づかないふりをしてしまった。
ハハ……
あの小さなやりとりを思いだしただけで、また視界が滲む。
昨晩から、いったい何度、大学時代の彼との思い出を辿っては、涙をこぼしただろう。
“ここ”に来てから私はずっと泣いてばかりいる。
彼のご両親だって、それどころではないはずなのに。
それでも私に気を遣ってくれて、この部屋で一人にしてくれた。
だから今、私は部屋に籠り、過去の記憶だけを抱きしめて──
一人きりで泣き続けている。
彼は、私がどれだけ「仮面」を被って自分を偽ろうとしても、あっさり見破ってしまう人だった。
偽った顔なんて、彼の前では意味をなさない。
びっくりするほど簡単に、私の本音を拾い上げてしまう。
仕事場で無理をして被っていた「仮面」も……
彼の前ではいつの間にか外れていた。
そして――
仮面の下にある私が醜と思い込んでいた本当の自分をどれだけ曝け出しても……
彼はそれを当たり前のように受け入れてくれた。
それが、何よりも嬉しかった。
だからこそ……
私は彼に会って、すぐに――どうしようもなく、彼のことが好きになってしまった。
彼にはじめて会ったのは、最初の田尻先生の講義だった。
彼は、そっと気配を消すように三列目に座っていた。
田尻先生の講義を心待ちにする生徒なんていない――
そう思いこんでいた私の前で、彼だけは目を輝かせて講義を待っていた。
その横顔を見た瞬間、胸の奥がひどくざわついた。
無邪気で、まっすぐな目。
たぶん、あの時すでに……私は彼に魅かれていた。
だから私は、偶然を装って彼の隣に座った。
本当は、ただ隣がいい――それだけだったのに。
これが、彼との最初の出会い。
* * *
彼は、いつも私の考えを読み取ってしまう人だった。
だから私の”彼への想い”なんて、とっくに気づかれていると思っていた。
私の彼を想う気持ちばかりが先に走って……空回りして……
不安ばかり大きくなっていった。
さらに彼は、なぜか周りの女性から好意を寄せられてしまう。
近寄りがたい存在の上條社長でさえ、初対面で彼を気に入り……MISAKIだって、彼を意識していた。
だから――
彼が告白してくれた瞬間、胸が張り裂けそうなほど嬉しかった。
嬉しすぎて、思わず泣き出してしまったけれど。
それでも私ばかりが好きすぎて悔しかったから、強がってしまった。
「知ってた」
なんて。
本当はまったく確信がもてなくて、ずっと怖かったくせに。
……ああ、ダメだ。
また涙がにじむ。
もう時間だ。
そろそろ、この部屋を出なければならない。
その時だった。
父が、遠慮がちにドアを少しだけ開けて入ってきた。
私の泣きはらした顔を見た瞬間……父の表情が崩れる。
「お父さん、そんな顔しないで……」
「お前のそんな顔見たら……」
そこで父は言葉を失い、堪えきれずに涙を落とした。
「咲坂」
彼の口からそう呼ばれることはもうない──
父と部屋を出ると、会場にいた人たちが静かにこちらを見た。
私の泣きはらした顔に、反射するように涙をぬぐう人もいた。
彼は「友だちは少ないよ」と言っていたのに、多くの人が集まっていた。
私はゆっくりと、彼の“いる場所”へ向かった。
彼がいた。
穏やかな表情のまま、動かない。
ただ、閉じた唇だけが静かにそこにあった。
その唇を見て、また胸が熱くなり、涙があふれた。
その涙は……ただただ止まらずに、落ちていた。
ふいに、ほんのわずかに気配が動いた。
閉じられていた唇が、かすかに開く。
薄い呼吸のような、声のような……
その境目にあるような音で、
「……咲坂?」
0
あなたにおすすめの小説
陰キャ幼馴染に振られた負けヒロインは俺がいる限り絶対に勝つ!
みずがめ
恋愛
★講談社ラノベ文庫新人賞佳作を受賞しました!
杉藤千夏はツンデレ少女である。
そんな彼女は誤解から好意を抱いていた幼馴染に軽蔑されてしまう。その場面を偶然目撃した佐野将隆は絶好のチャンスだと立ち上がった。
千夏に好意を寄せていた将隆だったが、彼女には生まれた頃から幼馴染の男子がいた。半ば諦めていたのに突然転がり込んできた好機。それを逃すことなく、将隆は千夏の弱った心に容赦なくつけ込んでいくのであった。
徐々に解されていく千夏の心。いつしか彼女は将隆なしではいられなくなっていく…。口うるさいツンデレ女子が優しい美少女幼馴染だと気づいても、今さらもう遅い!
※他サイトにも投稿しています。
※表紙絵イラストはおしつじさん、ロゴはあっきコタロウさんに作っていただきました。
春から一緒に暮らすことになったいとこたちは露出癖があるせいで僕に色々と見せてくる
釧路太郎
キャラ文芸
僕には露出狂のいとこが三人いる。
他の人にはわからないように僕だけに下着をチラ見せしてくるのだが、他の人はその秘密を誰も知らない。
そんな三人のいとこたちとの共同生活が始まるのだが、僕は何事もなく生活していくことが出来るのか。
三姉妹の長女前田沙緒莉は大学一年生。次女の前田陽香は高校一年生。三女の前田真弓は中学一年生。
新生活に向けたスタートは始まったばかりなのだ。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」にも投稿しています。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
再婚相手の連れ子は、僕が恋したレンタル彼女。――完璧な義妹は、深夜の自室で「練習」を強いてくる
まさき
恋愛
「初めまして、お兄さん。これからよろしくお願いしますね」
父の再婚によって現れた義理の妹・水瀬 凛(みなせ りん)。
清楚なワンピースを纏い、非の打ち所がない笑顔で挨拶をする彼女を見て、僕は息が止まるかと思った。
なぜなら彼女は、僕が貯金を叩いて一度だけレンタルし、その圧倒的なプロ意識と可憐さに――本気で恋をしてしまった人気No.1レンタル彼女だったから。
学校では誰もが憧れる高嶺の花。
家では親も感心するほど「理想の妹」を演じる彼女。
しかし、二人きりになった深夜のキッチンで、彼女は冷たい瞳で僕を射抜く。
「……私の仕事のこと、親に言ったらタダじゃおかないから」
秘密を共有したことで始まった、一つ屋根の下の奇妙な生活。
彼女は「さらなるスキルアップ」を名目に、僕の部屋を訪れるようになる。
「ねえ、もっと本気で抱きしめて。……そんなんじゃ、次のデートの練習にならないでしょ?」
これは、仕事(レンタル)か、演技(家族)か、それとも――。
完璧すぎる義妹に翻弄され、理性が溶けていく10日間の物語。
『著者より』
もしこの話が合えば、マイページに他の作品も置いてあります。
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/658724858
陰キャの俺が学園のアイドルがびしょびしょに濡れているのを見てしまった件
暁ノ鳥
キャラ文芸
陰キャの俺は見てしまった。雨の日、校舎裏で制服を濡らし恍惚とする学園アイドルの姿を。「見ちゃったのね」――その日から俺は彼女の“秘密の共犯者”に!? 特殊な性癖を持つ彼女の無茶な「実験」に振り回され、身も心も支配される日々の始まり。二人の禁断の関係の行方は?。二人の禁断の関係が今、始まる!
優しい雨が降る夜は
葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン
無自覚にモテる地味子に
余裕もなく翻弄されるイケメン
二人の恋は一筋縄ではいかなくて……
雨降る夜に心に届いた
優しい恋の物語
⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡
風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格
雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる