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四話 物語は終わった
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晴れてリゼッタとヴァシリの恋物語から用済みとなった僕は、秘かな楽しみを見つけた。
「イライお坊ちゃま……本当に今日もいくんですか?」
「大丈夫さ、安心してくれ。じゃ、いってくる」
執事から心配されながらも、僕は馬車を降りた。
身に纏っているのはサスペンダー付きの簡素なシャツにズボン。
平民としてのお忍び衣装だ。
最近の僕は平民の振りをして酒場をめぐるのを趣味にしていた。
「せっかくの独身としての自由時間だ。機会が来るまでは楽しむさ」
なんてもっともらしいことを周りには言っている。
両親や使用人たちも「婚約者を失って傷心なのだ」として、特に強く止めたりはしなかった。
僕はまずは馴染みの酒場の扉を開け、店主に「いつもの」と言った。
貴族では味わえない出来たてで温かい食事を、マナーなど忘れてかぶり付く。
そしてジョッキに入ったビールを煽る。
前世では飲んでは吐いていた下戸であったが、イライとしての体は酒に強いらしい。
今世でようやく知った酒の美味さに舌鼓をうち、料理を楽しんだ。
「いい食いっぷりだな、お兄さん」
頭上から声がかけられる。
声の方を見ると大柄な男がいた。
肌の白い人間が多いこの国には珍しく、男の肌は艶やかな褐色で、顔にはそれよりも白い傷痕があった。
短く切ったチョコレートに似た茶色の髪をして、榛色の目は艶やかに輝いている。
男はニカッと笑いながら僕の椅子の背を掴む。
「俺、この店は初めてなんだ。アンタのおすすめ、教えてくれねえか?」
「ん……いいですよ。まずはこのあぶり肉! ビールとの相性は最高なんですよ?」
「ほう、なあ店主! 俺にもこのお兄さんのと同じのくれ!」
男はそう言って手を上げて注文をした。
その動きで、微かに甘い麝香の香りがした。
(癖の強い香水……結構な遊び人だな)
酒が入っているせいかいつもより社交的になって、こういった輩ともすぐに打ち解ける。
僕らは下らない話をしながら、隣り合って酒を酌み交わした。
彼は聞き上手で、話していて楽しかった。
だからだろう。リゼッタとのことを話したくなった。
でもそのまま「婚約者が皇帝の運命の番だったので献上した」と言うわけにもいかず、嘘を交えて話した。
「ほう。妹が嫁に行ったのか」
「そう。お互い一目惚れでね……運命的な出会いだったんだ」
「よかったじゃねえか。じゃ、お祝いさせてくれよ。次の店は俺が奢る」
「へえ? いいのかい?」
「いいっていいって。おすすめ教えてくれた礼さ」
そうして僕と男はふらふらと、男の勧める店に向かった。
その店は裏通りにあったが、規模が大きく、二階に宿のある酒場だった。
吟遊詩人たちの演奏に耳を傾けながら、僕らは席に着いた。
「ここの茹で海老は絶品だぜ。おすすめはワインだ」
「ワイン! いいね! じゃあそれで!」
男の言う通り、ぷりぷりとした身の厚い海老は、噛むほどに旨味のエキスが溢れ出した。
さっぱりとした酸味の白ワインとの相性は抜群で、どんどん酒が進んでいく。
それからどれほど経っただろうか。
客もまばらになって、店員は閉店準備をし始めていた。
「お兄さん。大丈夫かい?」
「らいりょうぶりゃよ」
「ダメっぽいな」
当時の僕は気づいていないが僕の呂律は完全に回らなくなっていた。
そんな僕の肩を支えながら起こし、店員に硬貨を渡していた。
「部屋を頼む。あと水も持って来てくれ」
そういって僕らは二階に行った。
部屋は簡素な作りだった。
最小限のものを置く机。椅子。服を置くハンガー。
そして大き目のベッド。
何を目的にしてるか、はっきりと理解できた。
(前世で言う連れ込み宿って感じかな)
なんてことを考えていると、男は僕をベッドに寝かせた。
僕は礼を言おうとしたがその前に彼は、自分の顔を寄せてきた。
いつの間にか彼もベッドに乗り、僕に伸し掛かっていたのだ。
「警戒心なさすぎじゃねえか? お兄さん」
「ふえ……」
「男で、Ωじゃねえからなにもされない。そう思ってねえか?」
男の顔が、更に近づく。
そのすっと通った鼻先が僕の顔に触れる。
麝香の匂いが更に強くなる。
香水なんて、前世から使ってないし今もやってない。
でも、その匂いに、僕はどうしようもなく惹かれていた。
そして目の前に美味しい料理があるのを我慢できないように、僕は自分から彼に近づいた。
そうすることで互いの唇が触れてしまった。
人生で初めてのキスは、度数の濃い酒の味がした。
男は暫くして僕から体を離すと、その榛色の目を鋭く光らせた。
「……後悔すんなよ」
そうして再び、男の顔が近づいた。
僕の視界は男の姿に覆われて真っ暗になった。
※
そして次の日の早朝。
全身キスマークと噛み痕だらけになってしまった僕は、全裸で昨日会ったばかりの男とベッドで寝ている状況に、声なき叫びを漏らすのであった。
「イライお坊ちゃま……本当に今日もいくんですか?」
「大丈夫さ、安心してくれ。じゃ、いってくる」
執事から心配されながらも、僕は馬車を降りた。
身に纏っているのはサスペンダー付きの簡素なシャツにズボン。
平民としてのお忍び衣装だ。
最近の僕は平民の振りをして酒場をめぐるのを趣味にしていた。
「せっかくの独身としての自由時間だ。機会が来るまでは楽しむさ」
なんてもっともらしいことを周りには言っている。
両親や使用人たちも「婚約者を失って傷心なのだ」として、特に強く止めたりはしなかった。
僕はまずは馴染みの酒場の扉を開け、店主に「いつもの」と言った。
貴族では味わえない出来たてで温かい食事を、マナーなど忘れてかぶり付く。
そしてジョッキに入ったビールを煽る。
前世では飲んでは吐いていた下戸であったが、イライとしての体は酒に強いらしい。
今世でようやく知った酒の美味さに舌鼓をうち、料理を楽しんだ。
「いい食いっぷりだな、お兄さん」
頭上から声がかけられる。
声の方を見ると大柄な男がいた。
肌の白い人間が多いこの国には珍しく、男の肌は艶やかな褐色で、顔にはそれよりも白い傷痕があった。
短く切ったチョコレートに似た茶色の髪をして、榛色の目は艶やかに輝いている。
男はニカッと笑いながら僕の椅子の背を掴む。
「俺、この店は初めてなんだ。アンタのおすすめ、教えてくれねえか?」
「ん……いいですよ。まずはこのあぶり肉! ビールとの相性は最高なんですよ?」
「ほう、なあ店主! 俺にもこのお兄さんのと同じのくれ!」
男はそう言って手を上げて注文をした。
その動きで、微かに甘い麝香の香りがした。
(癖の強い香水……結構な遊び人だな)
酒が入っているせいかいつもより社交的になって、こういった輩ともすぐに打ち解ける。
僕らは下らない話をしながら、隣り合って酒を酌み交わした。
彼は聞き上手で、話していて楽しかった。
だからだろう。リゼッタとのことを話したくなった。
でもそのまま「婚約者が皇帝の運命の番だったので献上した」と言うわけにもいかず、嘘を交えて話した。
「ほう。妹が嫁に行ったのか」
「そう。お互い一目惚れでね……運命的な出会いだったんだ」
「よかったじゃねえか。じゃ、お祝いさせてくれよ。次の店は俺が奢る」
「へえ? いいのかい?」
「いいっていいって。おすすめ教えてくれた礼さ」
そうして僕と男はふらふらと、男の勧める店に向かった。
その店は裏通りにあったが、規模が大きく、二階に宿のある酒場だった。
吟遊詩人たちの演奏に耳を傾けながら、僕らは席に着いた。
「ここの茹で海老は絶品だぜ。おすすめはワインだ」
「ワイン! いいね! じゃあそれで!」
男の言う通り、ぷりぷりとした身の厚い海老は、噛むほどに旨味のエキスが溢れ出した。
さっぱりとした酸味の白ワインとの相性は抜群で、どんどん酒が進んでいく。
それからどれほど経っただろうか。
客もまばらになって、店員は閉店準備をし始めていた。
「お兄さん。大丈夫かい?」
「らいりょうぶりゃよ」
「ダメっぽいな」
当時の僕は気づいていないが僕の呂律は完全に回らなくなっていた。
そんな僕の肩を支えながら起こし、店員に硬貨を渡していた。
「部屋を頼む。あと水も持って来てくれ」
そういって僕らは二階に行った。
部屋は簡素な作りだった。
最小限のものを置く机。椅子。服を置くハンガー。
そして大き目のベッド。
何を目的にしてるか、はっきりと理解できた。
(前世で言う連れ込み宿って感じかな)
なんてことを考えていると、男は僕をベッドに寝かせた。
僕は礼を言おうとしたがその前に彼は、自分の顔を寄せてきた。
いつの間にか彼もベッドに乗り、僕に伸し掛かっていたのだ。
「警戒心なさすぎじゃねえか? お兄さん」
「ふえ……」
「男で、Ωじゃねえからなにもされない。そう思ってねえか?」
男の顔が、更に近づく。
そのすっと通った鼻先が僕の顔に触れる。
麝香の匂いが更に強くなる。
香水なんて、前世から使ってないし今もやってない。
でも、その匂いに、僕はどうしようもなく惹かれていた。
そして目の前に美味しい料理があるのを我慢できないように、僕は自分から彼に近づいた。
そうすることで互いの唇が触れてしまった。
人生で初めてのキスは、度数の濃い酒の味がした。
男は暫くして僕から体を離すと、その榛色の目を鋭く光らせた。
「……後悔すんなよ」
そうして再び、男の顔が近づいた。
僕の視界は男の姿に覆われて真っ暗になった。
※
そして次の日の早朝。
全身キスマークと噛み痕だらけになってしまった僕は、全裸で昨日会ったばかりの男とベッドで寝ている状況に、声なき叫びを漏らすのであった。
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