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少し前の夢
しおりを挟む「魔法をまだ使えないんだって? 何をやっている。もう十歳だろう? 剣ばかり鍛えて何をしているのやら」
「シグウィン様が優秀過ぎたんじゃないのか? ほら、一度湯を淹れた茶葉に湯を淹れても同じようには並んだろ?」
「ハハハッ! つまり出涸らしか。言い得て妙だな!」
「シグウィン様が輝かんばかりの金髪なのに、どうして『アレ』が銀髪なのか謎だったがそれで納得がいった。王妃様は優れた長子を産み過ぎたのだ」
「全くだ。それなのに『アレ』を産んでお体を害されるとは、なんとも悲しい事だ」
壁を挟んで聞こえる男達の声に、リタは唇を噛み締めてる。そうしなければ震える涙腺のままに涙を流してしまいそうだった。
それからまた訓練用の木剣を手に駆けだした。
魔法で発展したロクサータ王国に置いて、王族は国随一の魔法使いであった。
日や新たな魔術の開発に勤しみ、代々国を豊かにして来た。
その中で、様々な魔法薬や魔術技術を発明した、ロクサータ王族の白眉と名高いのが、現在の王太子であるシグウィン・アンド・ロクサータである。
彼の名は王国の貴族から平民のみならず、周辺の国にも轟いていた。
そんな彼の弟が魔法が使えないという話を聞いても、誰もそれを責めることはなかった。
ある者は「シグウィン様が弟の分まで才能を吸い取ってしまったのだ」と言い、大抵の人間はそれに納得していった。故に人は第二王子、リタに何かを期待することはなかった。
リタがせめて、と体を鍛え剣技で国に役立とうとしても、皆冷ややかな目で見るだけだった。
いっそはっきりと口に出して「やめてしまえ」と言って貰えたら、どれだけよかっただろう。
――そんな目で見ないでくれ。私は、私なりに王族としての力を尽くしたいんだ!
誰にも言えないその想いを込めて、今日もリタは剣を振るった。
ある日、宮廷貴族の跡取りが追放された。
それが自分を嘲笑った二人だと気づいた時、リタは震えた。
誰がそうしたのか、わかったからだ。
金絹のような髪を腰元まで伸ばした男は、リタを背後から抱きしめながらそう言った。
「気にしなくていいんだよ、リタ」
「あに、さま」
「可愛そうなリタ。お前は何にもしなくていいんだ」
そう言って兄、シグウィンはリタの両手を握る。
無詠唱による回復魔法が施され、剣ダコと傷に塗れていたリタの手はつるりとした柔らかく滑らかな赤子のような掌に戻されていた。
自分の積み重ねた経験が、一瞬のうちになかったことにされ、リタは言葉を出すことも出来なかった。何かを言おうにも抱きしめ返す兄の腕の力は強く、呼吸さえ苦しくなる。
「ここには何でもある。何もお前を困らせないし、傷つけない。私が代わりに何でもしてあげる。だからいいんだよリタ。全部兄様に任せて……いいだろう?」
その日から、リタの心は軋むように痛んだ。兄の腕に抱きしめられながら聞こえた甘い囁き。
「何もしなくていいんだよ、私の可愛いリタ」
その言葉は優しさの仮面をかぶった鎖だった。
リタはある夜、宮殿を抜け出した。冒険者として経験を積む――それが兄の異常な愛から逃れ、自分を証明する唯一の道だと信じて。如何にも田舎からの出稼ぎというような粗末なマントに身を包み、わずかな金貨と短剣だけを手に、王都の裏門をくぐった。
「スライムくらいだったら、私一人でも倒せるはずだ。そこから経験を積んで、いずれはドラゴンを討伐しよう……そうすれば、みんなだって――」
だが、自由への道はそう甘くはなかった。
多くの港を持った大都市に辿り着いたリタは、真っすぐに冒険者登録センターへと向かった。
瞬間、髪を引かれる痛みと共に背後から荒々しい笑い声が響いた。
「おい、見ろよ! 銀髪のガキだぜ?」
「ってことは、あの『出涸らし』王子か?」
「こいつはいい! 最高の人質になるぜ!」
それは巷を騒がせている海賊だった。屈強な男たちがリタを取り囲み、抵抗する間もなく彼の腕を縛り上げた。青い瞳が恐怖に揺れたが、それでもリタは唇を噛み締めて声を上げなかった。
初心者冒険者としてなら、自分はやっていけると思った。
それなのに暴力という現実を突きつけられ、情けなくて仕方なかった。
――でも……ここで泣いたら、兄様の時と同じだ。
「アジトに着いたら王家に声明を出す。それまでは大人しくしてろよ。『出涸らし』」
「船長、空がおかしいっすよ」
「チッ。儲け話が出てきたってのに……おい! 急げ!」
海賊船に放り込まれたリタは、軋む甲板の上で嵐の到来を感じていた。空が黒く染まり、風が唸りを上げ、船が波に翻弄される。海賊たちは慌ててロープを握り、罵声を上げていたが、リタの心は奇妙な静けさに包まれていた。
――必ず、私一人で抜け出してやる。兄様の手なんか借りなくたって、私は……
ドゴォオオオオオオン!!
その時、雷鳴が轟き、巨大な波が船を襲った。大勢の男達が悲鳴を上げている。
リタの体は甲板から弾かれ、冷たい海水に叩き込まれた。銀髪が波に攫われ、青い瞳が暗闇に沈む。縛められた手足では泳ぐことが出来ず、息が詰まり、意識が遠のく中、彼は最後にこう思った。
――ああ、一度くらい、自由に生きてみたかったのに。
そして、すべてが暗転した。
※
「ん……」
目を開けると、自分の見慣れない天井がある。
それが今のリタには、心から安心できる事柄であった。
魔法のない、知らない国。
最初はここに捨てられたのかと思ったが、きっとそれは違うのだと今なら思えた。
「頑張るんだ。私は」
リタは想いを口にし、心臓のあたりで手を結ぶ。
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