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小さな一歩
しおりを挟む朝陽が診療所の窓から差し込み、埃の舞う光の筋が床を照らしていた。正樹は、白衣の袖をまくり上げながら、リタの寝ていた部屋のドアをそっと開けた。
「リタくん、起きてるかい?」
「はい、起きています」
正樹の声に、ベッドのシーツを両手で直していたリタが小さく頷いた。銀色の髪が朝日に輝き、青い瞳が少し眠そうに瞬く。だが、その表情には衰弱した影はなく、しっかりとした意志が宿っているように見えた。
昨日、嵐の浜辺から救い出した銀髪の少年が、一晩で驚くほど元気を取り戻しているのを見て、彼の胸に安堵が広がった。
「おはようございます、マサキ先生。昨夜はよく眠れました。おかげで体が軽いです」
リタの言葉に、正樹は内心で小さく驚きながらも、穏やかに微笑んだ。
「それは良かった。医者として嬉しいよ。一晩でこんなに元気になるなんて、君は強い子だね」
「え、つ、強い、ですか?」
その言葉に、リタの頬がわずかに赤らんだ。
褒められることに慣れていないのか、彼は照れくさそうに視線を逸らし、頬を掻きながらぼそぼそと呟いた。
「そんな……ただ寝ただけです。私は……」
「いやいや、ちゃんと回復するってことは、それだけで立派なことだよ」
正樹は優しく遮り、出かかったリタの自己否定をそっと否定した。
彼の頭の中では、昨夜立てた計画が既に動き始めていた。
――この子には、自己否定させる暇がないくらい、小さな成功を積み重ねて自分を認められるようにしなくては。
「リタくん。今日は少しだけ動いてみるかい? この町のことを知る事と、リハビリを兼ねて買い物しようか」
正樹の提案に、リタは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに真剣な表情で頷いた。
「はい、ぜひやらせてください! 私にも何かできることがあれば……その、役に立ちたいんです!」
その言葉に、正樹の胸が温かくなった。
リタの瞳には、どこか切実な光が宿っていた。
彼は自分を無能だと思い込んでいる。そんなリタを少しずつでも変えるのが、医者としての自分の仕事だ。そう正樹は誓うのだった。
その日から、リタは診療所での小さな役割を担い始めた。最初は、正樹が渡した雑巾で窓枠の埃を拭くことから。ぎこちない手つきで雑巾を動かすリタを、正樹は遠くから見守っていた。
「リタくん、そこ、綺麗になったね。埃一つ残ってないよ。すごいじゃないか」
「え? すごい、ですか?」
「うんうん。僕掃除下手だから、本当に助かるよ」
「あ、ありがとうございます……」
褒められたリタは、またしても照れくさそうに目を伏せたが、その口元には小さな笑みが浮かんでいた。
正樹は内心でほくそ笑んだ。効果あり、だ。
次に、正樹はリタに買い出しを頼んだ。
近所の商店まで卵と牛乳を買ってくるという簡単な任務だ。
買い物については口頭でも告げ、メモも渡した。識字能力も普通にあるようで、リタは「わかりました」と、少し緊張した様子で診療所を出た。
十分後、買い物袋を膨らませて戻ってきた。
「マサキ先生、頼まれたものを買ってきました。卵は、この透明の箱に入ってる十二個入のもの。牛乳はこの紙の容器に入ったもの。それらを一つずつ。これで間違ってませんよね?」
正樹は袋の中を確認し、にっこりと頷いた。
言い方は独特だが、言われたものを言われた通りに買ってきている。
目線を合わせ、リタの美しい目を覗きながら正樹は彼に賛辞を贈る。
「完璧だよ、リタくん。ちゃんとやってくれたね。助かったよ、ありがとう」
「言われたことをしただけです。そんな大したことじゃ……」
「いやいや、僕一人じゃ忙しくて買い物まで手が回らないこともあるんだ。君がいてくれると、本当に心強いよ」
その言葉に、リタの青い瞳が一瞬揺れた。
照れくさそうに首を振る少年を見ながら、正樹は自分の心が軽くなるのを感じていた。その笑みを見ていると、彼まで嬉しくなっていったのだ。
夕方、リタは診療所の床を箒で掃いていた。
正樹の元に訪れた患者、というよりかは世間話をしにきた町の人間たち。そんな彼らにもにこやかに対応した。
町の人との交流は、過度に同情されかえってリタの劣等感を煽る可能性もあったが、それは正樹の杞憂に終わったようだ。
細い腕で一生懸命に箒を動かす姿は、まるで小さな騎士が剣を振るうかのようだった。保護者に冷遇されている中、独学で鍛えたのだろうか。それにしては体幹のブレも感じない。
――もしかしてこの子の保護者は、世間体的にはいいとこの血筋、なのかな。教育虐待を行ってたとか?
正樹は診察机の書類を片付けながら、そっとその様子を眺めつつそう思案した。
「リタくん、床がピカピカだよ。患者さんが来ても恥ずかしくないくらいだ。よくやってくれたね」
「本当ですか? なら、良かったです……」
リタは箒を手に持ったまま、少しはにかんだ笑顔を見せた。
その表情に、正樹は思わず目を細めた。
――褒められても否定しなくなったな。これはいい兆候だ。
人間関係に疲れ、都心を離れてこの港町に逃げてきた正樹にとって、リタとの時間は奇妙な癒しだった。
大病院の院長を父に持ち、そんな彼に寄生しようとする人間たちの顔色ばかり見てきた彼にとって、リタの純粋さは新鮮で、どこか眩しかった。
一方、リタもまた、正樹の穏やかな声と優しさに、少しずつ心を開き始めていた。
診療所の窓から見える夕陽が、二人の影を長く伸ばしていた。
出涸らしの王子と、人間不信気味の医者――奇妙な縁で結ばれた二人の日常が、静かに、しかし確かに始まっていた。
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