君に恋したあの頃の夏

友利奈緒

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第四章 噂という名の盤外戦

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 翌朝。

 正直、寝不足だった。

 春奈ちゃんとのあの夜の会話が、頭から離れなかったからだ。

 「おはよ」

 いつも通りの声。

 振り向くと、春奈ちゃんが普通に立っている。

 いつも通りの笑顔。

 でも、目が合った瞬間――

 ほんの少しだけ、昨日の夜の続きみたいな空気が流れた。

 「おはよ」

 僕もできるだけ平静を装う。

 だがそのとき。

 「……なあ」

 クラスの男子の一人が、ニヤついた顔で近づいてきた。

 「昨日さ、お前さ、望月と一緒に帰ってたよな?」

 一瞬で教室の空気が変わる。

 誰かが小声で言う。

 「やっぱそうだよな」

 「てか昨日、春奈の家の前で男子見たって聞いたけど」

 背筋が冷える。

 誰かに見られていた?

 「……たまたまだよ」

 そう言ったが、説得力はゼロだ。

 「へぇー? たまたまで女子の家行くんだ?」

 笑い声が上がる。

 そのときだった。

 「行ったよ」

 教室が静まり返る。

 声の主は、春奈ちゃん。

 まっすぐ前を向いたまま、はっきりと言った。

 「将棋教えてもらったの。私がお願いしたの」

 教室がざわつく。

 「将棋?」

 「は? なんで?」

 春奈ちゃんは一歩前に出る。

 「私、女流棋士目指すって決めたから」

 教室の空気が、一段階変わった。

 笑いから、戸惑いへ。

 「本気だよ」

 彼女の声は静かだった。

 でも、揺れていない。

 男子の一人が、鼻で笑う。

 「望月が? 将棋? 無理だろ」

 次の瞬間――

 ガタン、と机が鳴った。

 自分でも驚いた。

 立ち上がっていたのは、僕だった。

 「無理かどうかは、お前が決めることじゃない」

 教室が凍る。

 視線が、一斉に僕に集まる。

 心臓がうるさい。

 でも、止まれない。

 「昨日の一局、俺は本気で驚いた。センスあるよ」

 春奈ちゃんの目が、少し見開かれる。

 「だから、笑うな」

 沈黙。

 数秒が、やけに長い。

 やがて、誰かが舌打ちする。

 「……ちっ。お熱いことで」

 小さな笑いが戻る。

 けれど、さっきまでの空気とは違う。

 完全な嘲笑じゃない。

 “様子見”の空気。

 チャイムが鳴る。

 その音で、なんとか場が解散した。

 ◇

 授業中。

 小さな紙が、そっと机の上に置かれる。

 『ありがとう』

 振り向くと、春奈ちゃんが少しだけ照れた顔で笑っていた。

 僕は小さく息を吐く。

 「序盤だな」

 小声で言う。

 彼女がくすっと笑う。

 「うん。まだ始まったばかり」

 でも、その序盤はもう甘いだけじゃない。

 学校という盤面には、観客がいて、外野がいて、噂がある。

 将棋よりも厄介な盤外戦。

 放課後、体育館へ向かうと、先輩がニヤつく。

 「お前ら、噂すごいぞ」

 「……勘弁してくださいよ」

 「まあでも」

 先輩はボールを投げながら言った。

 「本気で守る覚悟あるなら、強くなれよ」

 その言葉は軽いけど、重かった。

 強くなる。

 バスケでも、将棋でも。

 そして――

 隣に立つ覚悟も。

 ベンチから春奈ちゃんの視線を感じる。

 昨日とは少し違う。

 甘さだけじゃない。

 同じ戦場に立つ者の目。

 僕は3ポイントラインへ下がる。

 跳ぶ。

 空中で、世界が静止する。

 リングを見つめながら思う。

 これはもう、ただの将棋講習じゃない。

 これは、共闘だ。

 ボールがネットを揺らす。

 スパッ。

 体育館に音が響く。

 そして僕は決める。

 この盤面、最後まで打つ。

 彼女と一緒に。

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