4 / 5
第三章 静かな夜と、本音の距離
しおりを挟む将棋盤を片付けた頃には、時計はもう十一時を回っていた。
「こんな時間までやっちゃったね」
春奈ちゃんが笑う。
「集中すると時間忘れるんだよ」
「晴也くん、将棋してるとき、別人みたいだった」
「別人?」
「うん。普段はちょっと適当なのに」
「ひどくない?」
「でも、かっこよかったよ」
その一言で、また鼓動が速くなる。
◇
お風呂も済ませ、それぞれ部屋着に着替える。
もちろん寝る場所は別――のはずなのに。
「少しだけ、話さない?」
春奈ちゃんはベッドの端に座りながら言った。
僕は床に敷いてもらった布団の上に座る。
窓の外には、静かな夜。
部屋の明かりは少し落としてあって、柔らかい空気に包まれている。
「ねえ、晴也くんってさ」
「ん?」
「なんでそんなに強くなろうとするの?」
突然の質問だった。
バスケも、将棋も。
僕が無意識にやってきたこと。
少し考えてから、答える。
「……別に、誰かに認められたいとかじゃないよ」
「うん」
「ただ、負けるのが嫌いなだけ」
本音だった。
小さい頃から、負けるたびに悔しくて。
だから、練習した。
強くなるしかなかった。
春奈ちゃんは静かに聞いている。
「晴也くんはさ、ちゃんと“自分”を持ってるよね」
「そんなことない」
「あるよ」
真っ直ぐな声だった。
「私ね、今までずっと“望月春奈”でいることに慣れてきたの」
「……どういう意味?」
彼女は少し笑う。
「みんなの前では明るくて、誰にでも優しくて、完璧な春奈ちゃん」
その笑顔は、どこか寂しそうだった。
「でもね、ほんとはちょっと違うの」
夜の静けさの中で、彼女の声だけがはっきり響く。
「負けず嫌いで、意地っ張りで、誰よりも悔しがるし……好きな人の前だと、めちゃくちゃ不器用」
心臓が止まりそうになる。
好きな人。
その言葉が、やけに重い。
「私、晴也くんと将棋してる時が、一番自分でいられる」
視線が合う。
逃げられない。
「強いとか、かっこいいとか、そういうのもあるけど」
彼女は少し照れたように笑う。
「ただ、隣にいると安心するの」
鼓動が、はっきり聞こえる。
きっと彼女にも聞こえてる。
「……俺でいいの?」
思わず口に出た。
「なにが?」
「その、安心する相手」
春奈ちゃんは少しだけ驚いた顔をして、それから優しく笑った。
「晴也くんじゃなきゃ、嫌」
部屋の空気が一段階、熱を帯びる。
言葉が出ない。
代わりに、彼女が小さく言った。
「まだ、答えはいらないよ」
「え?」
「将棋と同じ。今はまだ、序盤だから」
そう言って、ベッドから立ち上がる。
「おやすみ、晴也くん」
電気が消える。
暗闇の中、僕は天井を見つめる。
将棋の局面よりも、ずっと複雑だ。
でも、ひとつだけわかる。
今日のこの夜は――
確実に、僕の心を一手動かした。
それはチェックメイトじゃない。
でも、もう逃げられない。
静かな夜の中、僕は初めて思った。
バスケでも将棋でもなく。
この子の隣で、勝負してみたい、と。
0
あなたにおすすめの小説
不倫妻への鎮魂歌 ―サレ夫が選んだ、最も残酷で静かな復讐―
MisakiNonagase
大衆娯楽
「サレ夫、再生。不倫妻、転落。──その代償は、あまりに重い。」
「嘘で塗り固めた20年より、真実で歩む明日がいい。」
失って初めて気づく、守られていた日々の輝き。
46歳の美香にとって、誠実な夫と二人の息子に囲まれた生活は、退屈で窮屈な「檻」だった。若い男からの甘い誘惑に、彼女は20年の歳月を投げ打って飛び込んだ。 しかし、彼女が捨てたのは「檻」ではなく「聖域」だったのだ。 不倫、発覚、離婚、そして孤独。 かつての「美しい奥様」が、厚化粧で場末のスナックのカウンターに立つまでの足取りと、傷つきながらも真実の幸福を掴み取っていく夫・徹の再生を描く。 家族とは何か、誠実さとは何か。一通の離婚届が、二人の人生を光と影に分かつ。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる