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第三章:青空のその向こうへ
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「私は、臆病で最低な人間よ」と、夕凪は髪を留める蝶に触れながらそう零した。
「……どうして?」
「皆に疑われるような行動をしているからかしらね。私なりに頑張っているのだけど、きっと私は自分が可愛いだけね」
夕凪は膝の上で手を握って俯いた。
「そんないきなり……何かあった?」
夕凪は今まで弱音を吐いたりしなかった。だから俺は、彼女は何事も自分で解決できる人間だと思っていた。
でも、そんなことはなかった。
彼女は弱音を吐かないのではない。吐くことが出来なかったのだ。
「……記憶を取り戻した影響だとでも言っておこうかしら」
「え……?」
俺は目を見開いた。
記憶を取り戻した?
夕凪はもう、大切な記憶を取り戻しているのか。
「私がとっくに記憶を取り戻しているって言ったら、繋くんは信じる?」
彼女はきれいに微笑んだ。
「なんてね、冗談よ」
俺が返答に悩んでいれば、夕凪がいつものように笑いながら髪の毛を耳にかけた。
「ごめんなさい、変なこと言って。こんな風だから疑われたりするのよね」と自嘲気味に苦笑した。その顔は、ひどく苦しそうに見えた。
「……夕凪、大丈夫?」
彼女は相当無理をしているように見える。脆くて儚い、そんな言葉が似合うほどに。
俺が声をかければ、彼女は視線を手元に落とした。
「……さっきも言ったみたいに、私は全てが壊れてしまいそうで怖い。秘密ってどんな形のものであろうと、知ったら何かが変わってしまうのよ。世界の秘密を知って、誰かが居なくなってしまったら、友達という関係が崩れてしまったとしたら。……そんなことばかり、考えてしまうのよ」
夕凪は絞り出すように言った。
彼女はそんな不安を抱えて、俺たちと同じように調査をしていたのか。俺は夕凪の心に触れて、ようやく彼女のことが少しだけ理解できたような気がした。
「……大丈夫だよ、夕凪」
俺は彼女の手にそっと触れて微笑む。
「俺達は簡単に居なくなったりしないし、何があってもずっと友達だ」
約束する。
そう言って俺は、夕凪と目を合わせた。不安そうな瞳が大きく揺れ、澄み切った光がその中に宿る。
「……その言葉、信じていいの?」
顔をゆるりと上げた夕凪は、迷子の子供みたいにあどけない表情で訊ねてきた。
「もちろん。夕凪は俺を信じてくれているんでしょ? なら、俺も夕凪を信じるよ」
たとえ、夕凪が俺たちに重要な隠し事をしていたとしても。
俺は彼女を信じている。
……そう強く思える何かがあるのだ。
「ありがとう、繋くん」
夕凪が静かに礼を言って立ち上がる。どういたしましてと、いつもの調子を少しは取り戻した様子の彼女に笑って立ち上がれば、夕凪がふらりとよろめくようにこちらに倒れこんできた。突然のことに驚きつつ、俺より少し背の低い彼女が確かめるように抱きしめてきたのを受け止めた。
「ゆ、夕凪……?」
仄かに甘い香りが弾けた。サラリとした艶やかな髪が肩にかかってくすぐったい。
俺は緊張でどうにかなりそうだった。状況が状況でなければ、今頃だらしなくにやけているか、真っ赤になってテンパっているに違いない。
けれど俺は、らしくもない彼女の行動にただ不思議がるだけだった。
「……人って、こんなにも温かいのね」
俺の背に手を回し、愛おしそうにそう言った。
まるで、温もりを忘れてしまっていたかのように。夕凪は切なそうに呟いた。
小さな子供が親に甘えるように、夕凪は俺を抱きしめたまましばらく動かなかった。少し冷えた体温を感じながら、俺は彼女の気が済むまでその場で立ち尽くす。
――繋くんって、温かいね。
「――っ⁉」
声にならない叫びを上げそうになった。一瞬俺を刺した頭痛。思わず夕凪の肩を掴み、やんわりと彼女を遠ざけてしまった。
「……繋くん?」
夕凪が心配そうに俺を見つめてくる。その眼差しが、知らない誰かと重なった。
あの夢に出てきた少女にそっくりだ。少女の顔を見ていないが、本能的にそう感じた。
でも、夕凪があの少女であるわけがない。もしそうなら、俺はとっくに記憶を取り戻しているだろう。
それに、俺が死亡していたという真偽の分からない事。彼女が俺の知り合いならその件について知っていそうだし、何も言ってこないということは、俺が死んでいないか、彼女が俺と知り合いでないかのどちらかだ。
「大丈夫?」
「……ごめん、何でもない」
あと少しなのに、思考はまとまらないし、思い出せない。俺はぎこちなく微笑んで答えた。
「ごめんなさい、いろいろお話して疲れちゃったかしら?」
「そうじゃないよ。なんか、いろいろ混乱しててさ」
「……そう、よね。ここ数日でいろんな事があったもの」
「あと少しで分かりそうだから、頑張らなくちゃ」
「無理はしないでね」
「うん、分かってる」
未だ心配そうな眼差しを向ける夕凪にそう答えた。
真実を知るまで、きっとあと少しだ。
俺は記憶の中の少女を追いかけながら、窓の外の青空の向こうを見つめた。
空は、一瞬だけ夢の中の夕焼けを映したような気がした。
「……どうして?」
「皆に疑われるような行動をしているからかしらね。私なりに頑張っているのだけど、きっと私は自分が可愛いだけね」
夕凪は膝の上で手を握って俯いた。
「そんないきなり……何かあった?」
夕凪は今まで弱音を吐いたりしなかった。だから俺は、彼女は何事も自分で解決できる人間だと思っていた。
でも、そんなことはなかった。
彼女は弱音を吐かないのではない。吐くことが出来なかったのだ。
「……記憶を取り戻した影響だとでも言っておこうかしら」
「え……?」
俺は目を見開いた。
記憶を取り戻した?
夕凪はもう、大切な記憶を取り戻しているのか。
「私がとっくに記憶を取り戻しているって言ったら、繋くんは信じる?」
彼女はきれいに微笑んだ。
「なんてね、冗談よ」
俺が返答に悩んでいれば、夕凪がいつものように笑いながら髪の毛を耳にかけた。
「ごめんなさい、変なこと言って。こんな風だから疑われたりするのよね」と自嘲気味に苦笑した。その顔は、ひどく苦しそうに見えた。
「……夕凪、大丈夫?」
彼女は相当無理をしているように見える。脆くて儚い、そんな言葉が似合うほどに。
俺が声をかければ、彼女は視線を手元に落とした。
「……さっきも言ったみたいに、私は全てが壊れてしまいそうで怖い。秘密ってどんな形のものであろうと、知ったら何かが変わってしまうのよ。世界の秘密を知って、誰かが居なくなってしまったら、友達という関係が崩れてしまったとしたら。……そんなことばかり、考えてしまうのよ」
夕凪は絞り出すように言った。
彼女はそんな不安を抱えて、俺たちと同じように調査をしていたのか。俺は夕凪の心に触れて、ようやく彼女のことが少しだけ理解できたような気がした。
「……大丈夫だよ、夕凪」
俺は彼女の手にそっと触れて微笑む。
「俺達は簡単に居なくなったりしないし、何があってもずっと友達だ」
約束する。
そう言って俺は、夕凪と目を合わせた。不安そうな瞳が大きく揺れ、澄み切った光がその中に宿る。
「……その言葉、信じていいの?」
顔をゆるりと上げた夕凪は、迷子の子供みたいにあどけない表情で訊ねてきた。
「もちろん。夕凪は俺を信じてくれているんでしょ? なら、俺も夕凪を信じるよ」
たとえ、夕凪が俺たちに重要な隠し事をしていたとしても。
俺は彼女を信じている。
……そう強く思える何かがあるのだ。
「ありがとう、繋くん」
夕凪が静かに礼を言って立ち上がる。どういたしましてと、いつもの調子を少しは取り戻した様子の彼女に笑って立ち上がれば、夕凪がふらりとよろめくようにこちらに倒れこんできた。突然のことに驚きつつ、俺より少し背の低い彼女が確かめるように抱きしめてきたのを受け止めた。
「ゆ、夕凪……?」
仄かに甘い香りが弾けた。サラリとした艶やかな髪が肩にかかってくすぐったい。
俺は緊張でどうにかなりそうだった。状況が状況でなければ、今頃だらしなくにやけているか、真っ赤になってテンパっているに違いない。
けれど俺は、らしくもない彼女の行動にただ不思議がるだけだった。
「……人って、こんなにも温かいのね」
俺の背に手を回し、愛おしそうにそう言った。
まるで、温もりを忘れてしまっていたかのように。夕凪は切なそうに呟いた。
小さな子供が親に甘えるように、夕凪は俺を抱きしめたまましばらく動かなかった。少し冷えた体温を感じながら、俺は彼女の気が済むまでその場で立ち尽くす。
――繋くんって、温かいね。
「――っ⁉」
声にならない叫びを上げそうになった。一瞬俺を刺した頭痛。思わず夕凪の肩を掴み、やんわりと彼女を遠ざけてしまった。
「……繋くん?」
夕凪が心配そうに俺を見つめてくる。その眼差しが、知らない誰かと重なった。
あの夢に出てきた少女にそっくりだ。少女の顔を見ていないが、本能的にそう感じた。
でも、夕凪があの少女であるわけがない。もしそうなら、俺はとっくに記憶を取り戻しているだろう。
それに、俺が死亡していたという真偽の分からない事。彼女が俺の知り合いならその件について知っていそうだし、何も言ってこないということは、俺が死んでいないか、彼女が俺と知り合いでないかのどちらかだ。
「大丈夫?」
「……ごめん、何でもない」
あと少しなのに、思考はまとまらないし、思い出せない。俺はぎこちなく微笑んで答えた。
「ごめんなさい、いろいろお話して疲れちゃったかしら?」
「そうじゃないよ。なんか、いろいろ混乱しててさ」
「……そう、よね。ここ数日でいろんな事があったもの」
「あと少しで分かりそうだから、頑張らなくちゃ」
「無理はしないでね」
「うん、分かってる」
未だ心配そうな眼差しを向ける夕凪にそう答えた。
真実を知るまで、きっとあと少しだ。
俺は記憶の中の少女を追いかけながら、窓の外の青空の向こうを見つめた。
空は、一瞬だけ夢の中の夕焼けを映したような気がした。
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