青空の彼方にて

鈴原りんと

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第三章:青空のその向こうへ

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「――卒業証書、東屋優芽」

 改まった夕凪の声と共に、どこからか小さなピアノの音が聞こえてきた。旅立ちを彷彿させる切ないメロディに、鼻の奥がつんとした。

「貴方が天明高等学校の全過程を修了したことをここに証します。……いつも私とお茶してくれたり、一緒に絵を描いたりしてくれてありがとう。卒業おめでとう、東屋さん」
「……こちらこそありがとう、こころちゃん」

 優しい声でお礼を言いながら、あずが卒業証書を受け取った。丁寧に礼をし一歩下がると、彼女は一度目元を拭ってから舞台を下りた。卒業証書に書かれた名前を見つめて微笑むと、あずは席に着いた。

「北原さん」
「よし! ……なんか、緊張するなぁ」

 柄にもなく緊張した様子の北原が、壇上にあがっていく。緊張している割には、意外にもしっかりとした所作で夕凪の前に立った。

「卒業証書、北原雅。貴方が天明高等学校の全過程を修了したことをここに証します。いつも元気な貴方がいてくれて、本当に楽しかったわ。またいつか、一緒にスポーツしましょう。それから、貴方のピアノ演奏も聞けたらいいな。卒業おめでとう、北原さん」
「へへっ、なんか照れくさいな。アタシもまたこころとバスケしたいな! ピアノだったら喜んで弾くから、いつでも聞きに来いよ!」

 得意げに言った北原が卒業証書を受け取り、晴れやかな顔でこちらへと戻ってくる。
 次は俺の番だなと立ち上がろうとすれば、隣に座る一吹に服を引っ張られた。

「なぁ、繋は最後にしねぇ?」
「出席番号順にしようって言ったのは一吹じゃん」
「まぁまぁ。繋はリーダーだし、最後の方がなんかしっくりくるじゃん!」
「そうかな……?」
「いいよな、こころ?」
「えぇ。いいわよ」
「夕凪まで……」
「ということで、次はオレ!」

 流れで俺が最後になってしまった。急になんか緊張して、背筋が伸びる。
 一吹はまだ夕凪に呼ばれていないのに、立ち上がっていた。

「一吹くん」
「おう!」

 元気満々に返事をし、一吹は堂々とした足取りで舞台に上がった。

「卒業証書、南雲一吹。貴方が天明高等学校の全過程を修了したことをここに証します。あなたがいると、皆が笑顔になって嬉しかった。この世界に疑問を抱いてくれたことも、諦めずに最後まで頑張ってくれたことにも感謝してる。ありがとう、一吹くん。そして、卒業おめでとう」
「いいってことよ。すっげぇ楽しかったぜ、こころ。最後にとびっきりの思い出が出来た。……ありがとな」

 一吹が卒業証書を受け取ると、涙を堪えたような様子で席に戻ってきた。

「……繋くん」

 夕凪がしっとりと落ち着いた声で俺を呼ぶ。
 終わりが迫っていた。
 あの卒業証書を受け取れば、楽しかった学校生活が終わってしまう。死後の世界で過ごした少し不思議な学生生活。
 俺は、この世界に来られて本当に幸せだった。

「ほら、行って来いよ」

 ゆっくりと立ち上がった俺の背を、一吹が押す。不器用に微笑んで頷き、俺は夕凪が待つ演台の前へと進んだ。
 一歩一歩進むたびに、天明高校での思い出が脳裏をよぎった。それこそ、走馬灯みたいに。
 初めて夕凪と出会った日のこと。転校初日で一吹と仲良くなり、次の日には北原とあずと打ち解けていたこと。街の外れでキャンプをしたことや、全力でぶつかりあった体育祭。一日中笑っていた文化祭に、一吹の家で行ったクリスマスパーティ。願いを込めた初詣。
 たった一年だったけれど、俺にはこんなにもたくさんの大切な思い出が出来た。

「……夕凪」

 彼女の前に立ち、いつものように微笑んだ彼女を呼んだ。こくりと頷き、彼女は卒業証書を手に取った。

「卒業証書、西条繋。貴方が天明高等学校の全過程を修了したことをここに証します。……貴方とここで会った日から、全てが始まったのよね」
「……そうだね」
「貴方はいつでも私の手を引いてくれた。迷い込んだ学生たちと一線を引いていた私を、貴方は簡単に皆の輪へと連れてきてくれた。貴方がいなければ、私はきっと今もまだ一人で世界から目を背けていたかもしれない」
「そんなことないさ。夕凪は強いから、俺がいなくても前を向けたよ。……俺の方こそ、夕凪がいてくれてよかった。ここで夕凪に会えたから、俺はこうして真実と向き合うことができたよ。ありがとう、夕凪」

 俺は証書を受け取って笑った。
 彼女が、知らずのうちに俺に勇気を与えてくれていた。いつだって俺を信じてくれていたから、俺は世界の秘密に辿り着くことができたし、自分の死も認めることができた。

「……本当にありがとう、繋くん。卒業おめでとう」

 もう一度礼を言って、俺は丁寧にお辞儀をした。流れていた音楽が余韻を残して消え去っていく。
 体育館の姿も、少しずつ薄れつつあった。

「……これで終わりね。形だけの短い式だけど、付き合ってくれてありがとう」

 夕凪が俺と舞台の下で待機している三人にそう言った。

「皆はもう校門をくぐれば、その先へ行けるわ」
「あー……とうとうかぁ」
「名残惜しいね」
「お別れ、だね……」

 一吹たち三人が卒業証書を片手に、寂しそうに言った。

「卒業証書を筒に入れたら、先に外に出てていいわ。私は、この世界にお別れを告げてから行く。……卒業式は、以上で終了よ。お疲れさま、みんな」

 夕凪はそう言って、俺達に卒業証書を入れるための筒をくれた。

「お! 高校の卒業式といえばこれだよな!」
「密かに憧れてたんだよね~!」

 一吹と北原が小学生みたいに無邪気にはしゃいだ。その気持ちは分かる、と心の中で思っておきながら、俺は演台の前から去ろうとしている夕凪を引き止めた。

「待って、夕凪」
「なにかしら」
「まだ卒業式は終わってないよ」

 俺は筒を演台の横に置いて言った。

「私のことはいいわよ?どうせ、皆より後でここを出ていくのだから」
「そんな寂しいこと言わないでよ。全員でここを出て行こう。短い間だけど、ここで過ごした仲間だから」

 俺が立ち去ろうとする夕凪に言えば、いつの間にか一吹たちが壇上に上がってきていた。皆も同じ考えのようで、にこりと笑みを湛えて頷いた。
「ほら、早く!」と北原が夕凪の背を押して演台の正面に連れて行く。

「こころちゃんも、せっかくの卒業式だからね」
「そうそう! お前だけ卒業証書授与やらねぇの寂しいし!」

 あずと一吹が夕凪の背を押す。夕凪は目を丸くしたまま瞬きを繰り返していた。
 俺は夕凪が立っていた場所に行き、最後に残された卒業証書を手に取った。夕凪はそれを見ると、ふと微笑んで一歩こちらに進んだ。

「卒業証書、夕凪こころ。貴方が天明高等学校の全過程を修了したことをここに証する。卒業おめでとう、夕凪」
「……ありがとう、繋くん」

 俺が少しぎこちなく読み上げれば、夕凪は笑って素直に卒業証書を受け取った。彼女は慣れているようで、綺麗な所作で卒業証書を受け取ってみせた。

「……私、いつも見送る側だったから変な気持ち」
「寂しいけど、悪くはないでしょ?」

 俺が訊ねれば、夕凪は頷いて笑った。

「んじゃ、皆で校門向かうか!」

 一吹の声を筆頭に、俺たちは五人でのんびりと歩きながら校門へと向かった。
 体育館を出る時に、名残惜しくて一度振り返る。そこには、もういるはずのない『皆』の姿が見えたような気がした。
 俺たちの青春を彩ってくれたクラスメイトたち、先生、委員会の後輩。それから、母さんや父さん、近所の人たち。彼らはデータのような存在だったけれど、確かにこの世界での俺の人生を楽しい物に作り上げてくれた大事な人たちだ。

 ありがとう。
 溢れそうな涙を堪えて、俺は体育館を後にした。
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