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D-84:人的資源のメンテナンス――冷徹の公爵との朝食
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朝六時。
私の朝は、生物学的アセット――つまり「私自身の肉体」のステータス確認から始まる。
鏡の前で顔色をチェックし、昨夜の睡眠時間(四時間。目標値に一時間不足)による脳内パフォーマンスの低下を予測する。
前世のブラック企業時代、レッドブルとコンビニおにぎりで凌いでいた頃に比べれば、今の私は驚くほど健康だ。
だが、国外脱出という巨大プロジェクトを完遂するためには、一分の隙もあってはならない。
「……おはようございます、お嬢様。本日のメンテナンス・メニューです」
マルタが運んできたのは、私が考案した「高効率朝食(ハイスペック・スープ)」だ。
鶏の胸肉、数種類の野菜、魔力回復効果のある薬草をじっくり煮込み、栄養価を最大化しつつ消化コストを最小限に抑えた一品。
味付けは塩のみ。
食事は「楽しみ」ではなく、稼働のための「燃料補給」だと割り切っている。
私が食堂の椅子に座り、スプーンを手にしたその時だった。
「……随分と、彩りに欠ける朝食だな」
予定より五分早く、冷徹の公爵ゼノスが食堂に現れた。
仕立てのいい軍服を完璧に着こなし、朝から隙のない美貌を振り撒いている。
彼は私の向かいに当然のように座ると、私のスープをじっと見つめた。
「閣下、おはようございます。予定では、閣下の朝食は五分後のはずですが」
「君の『効率化』を学ぶと言っただろう。まずは基本となる自己管理から見せてもらう」
ゼノスはそう言うと、私のスプーンを奪い、スープを一口口にした。
……間接、いや、そんな感傷的なコストを払っている暇はない。
私は彼の反応を観察した。
「……味がしないな」
「余計な塩分は浮腫(むくみ)を招き、糖分はインスリンの急上昇による午後の睡魔を誘発します。これは最も生産性の高い燃料ですわ」
「燃料、か。君は自分をただの『機械』だと思っているのか?」
ゼノスの瞳が、スッと細められた。冷たい冬の湖のようなその眼差しに、わずかな苛立ちと、それ以上に深い「何か」が宿る。
「君という国家資産が、情緒を失い、ただの歯車として磨り減ることを、私は推奨しない」
「情緒でプロジェクトは進みませんわ、閣下。私は九十日後に――いえ、常に最高のパフォーマンスを出したいだけです」
私は新しいスプーンを用意し、事務的に食事を再開した。
会話は咀嚼のテンポを乱すが、この「外部監査人」を納得させない限り、私の朝のルーチンはさらに乱される。
「閣下こそ、公務はよろしいのですか?私のような小娘の食事に付き合うのは、時間対効果(ROI)が低すぎるのでは?」
「……いいや。君を観察し、その『欠落』を埋めることは、今の私にとって最も投資価値が高い」
ゼノスは身を乗り出し、私の顔を覗き込んできた。
長い睫毛の影が、彼の白い肌に落ちる。
「ひどいクマだな。昨夜も遅くまで帳簿を……あるいは『計画書』を書いていたのだろう?これ以上の過労(オーバーワーク)は認めない。明日から、君の献立は私の専属料理人が監修する」
「……は?それは困ります。私の計算が狂いますわ」
「狂わせるのが私の仕事だ。……それと、今日の昼食は共に摂る。拒否は『監査拒否』とみなし、屋敷の全物流を一時凍結させる」
物流の凍結(ロックアップ)!?
私は持っていたスプーンを落としそうになった。
それは脱出計画における致命的な遅延を意味する。
「……分かりました。昼食の十五分、閣下に差し上げます」
「一時間だ。ゆっくりと『味』を楽しむ時間を、君のスケジュールに無理やりねじ込んでやろう」
ゼノスは満足げに唇を吊り上げると、優雅に席を立った。
彼が去った後、静まり返った食堂で私は一人、ガントチャートを脳内で修正する。
(……最悪。昼食でマイナス四十五分のロス。ゼノスという『予測不能な変数』が、私の最適化をことごとく破壊してくる……!)
デッドラインまで、あと八十三日。
私の心臓が、少しだけいつもより早く脈打っているのは、計算外の事態への焦燥なのか、それとも。
「マルタ。……明日の朝食、隠し味に少しだけハチミツを入れなさい。脳の栄養補給として承認するわ」
私は自分への言い訳を口にしながら、逃げ切るための新しい経路を必死に検索し始めた。
私の朝は、生物学的アセット――つまり「私自身の肉体」のステータス確認から始まる。
鏡の前で顔色をチェックし、昨夜の睡眠時間(四時間。目標値に一時間不足)による脳内パフォーマンスの低下を予測する。
前世のブラック企業時代、レッドブルとコンビニおにぎりで凌いでいた頃に比べれば、今の私は驚くほど健康だ。
だが、国外脱出という巨大プロジェクトを完遂するためには、一分の隙もあってはならない。
「……おはようございます、お嬢様。本日のメンテナンス・メニューです」
マルタが運んできたのは、私が考案した「高効率朝食(ハイスペック・スープ)」だ。
鶏の胸肉、数種類の野菜、魔力回復効果のある薬草をじっくり煮込み、栄養価を最大化しつつ消化コストを最小限に抑えた一品。
味付けは塩のみ。
食事は「楽しみ」ではなく、稼働のための「燃料補給」だと割り切っている。
私が食堂の椅子に座り、スプーンを手にしたその時だった。
「……随分と、彩りに欠ける朝食だな」
予定より五分早く、冷徹の公爵ゼノスが食堂に現れた。
仕立てのいい軍服を完璧に着こなし、朝から隙のない美貌を振り撒いている。
彼は私の向かいに当然のように座ると、私のスープをじっと見つめた。
「閣下、おはようございます。予定では、閣下の朝食は五分後のはずですが」
「君の『効率化』を学ぶと言っただろう。まずは基本となる自己管理から見せてもらう」
ゼノスはそう言うと、私のスプーンを奪い、スープを一口口にした。
……間接、いや、そんな感傷的なコストを払っている暇はない。
私は彼の反応を観察した。
「……味がしないな」
「余計な塩分は浮腫(むくみ)を招き、糖分はインスリンの急上昇による午後の睡魔を誘発します。これは最も生産性の高い燃料ですわ」
「燃料、か。君は自分をただの『機械』だと思っているのか?」
ゼノスの瞳が、スッと細められた。冷たい冬の湖のようなその眼差しに、わずかな苛立ちと、それ以上に深い「何か」が宿る。
「君という国家資産が、情緒を失い、ただの歯車として磨り減ることを、私は推奨しない」
「情緒でプロジェクトは進みませんわ、閣下。私は九十日後に――いえ、常に最高のパフォーマンスを出したいだけです」
私は新しいスプーンを用意し、事務的に食事を再開した。
会話は咀嚼のテンポを乱すが、この「外部監査人」を納得させない限り、私の朝のルーチンはさらに乱される。
「閣下こそ、公務はよろしいのですか?私のような小娘の食事に付き合うのは、時間対効果(ROI)が低すぎるのでは?」
「……いいや。君を観察し、その『欠落』を埋めることは、今の私にとって最も投資価値が高い」
ゼノスは身を乗り出し、私の顔を覗き込んできた。
長い睫毛の影が、彼の白い肌に落ちる。
「ひどいクマだな。昨夜も遅くまで帳簿を……あるいは『計画書』を書いていたのだろう?これ以上の過労(オーバーワーク)は認めない。明日から、君の献立は私の専属料理人が監修する」
「……は?それは困ります。私の計算が狂いますわ」
「狂わせるのが私の仕事だ。……それと、今日の昼食は共に摂る。拒否は『監査拒否』とみなし、屋敷の全物流を一時凍結させる」
物流の凍結(ロックアップ)!?
私は持っていたスプーンを落としそうになった。
それは脱出計画における致命的な遅延を意味する。
「……分かりました。昼食の十五分、閣下に差し上げます」
「一時間だ。ゆっくりと『味』を楽しむ時間を、君のスケジュールに無理やりねじ込んでやろう」
ゼノスは満足げに唇を吊り上げると、優雅に席を立った。
彼が去った後、静まり返った食堂で私は一人、ガントチャートを脳内で修正する。
(……最悪。昼食でマイナス四十五分のロス。ゼノスという『予測不能な変数』が、私の最適化をことごとく破壊してくる……!)
デッドラインまで、あと八十三日。
私の心臓が、少しだけいつもより早く脈打っているのは、計算外の事態への焦燥なのか、それとも。
「マルタ。……明日の朝食、隠し味に少しだけハチミツを入れなさい。脳の栄養補給として承認するわ」
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