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D-83:機動力の確保――ハイスペックは隠密性を殺す
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国外脱出プロジェクトにおいて、最も重要な「設備投資」は何か。
それは、国境を越え、追っ手を振り切り、目的地まで物資と私自身を運ぶための足。すなわち――
脱出用馬車の確保である。
私は現在、王都の端、スラムに近い場所にある「バレット馬車工房」の前に立っていた。
ここを選んだ理由は三つ。
第一に、店主が金の亡者で口が堅いこと。
第二に、中古商用馬車の改装を得意としていること。
そして第三に、王宮の騎士団がまず立ち寄らない「死角」にあることだ。
今日の私は、目立たない茶色のローブに身を包んでいる。
完璧なステルス(隠密)仕様のはずだった。
……だが。
「……閣下。その格好、本気ですか?」
「何がだ。私も極力、目立たぬよう配慮したつもりだが」
隣に立つゼノスを見上げ、私は深いため息をついた。
彼は確かに高級な軍服を脱ぎ、平民風の外套を羽織っている。
しかし、隠しきれない長身、整いすぎた彫刻のような横顔、そして歩くたびに周囲を威圧する――強者のオーラ。
彼が横にいるだけで、周囲の浮浪者たちがモーゼの十戒のごとく道を空けていく。
(ステルス性能がマイナス振り切れているわ……)
「監査役の同行は拒否できない契約(約束)でしたわね。いいですわ、話は私が進めます。閣下は置物だと思って黙っていてください」
「善処しよう」
工房の奥から、油汚れにまみれた店主バレットが出てきた。
私は事前に用意した「要件定義書」を突きつける。
「これ。頑丈で、外見はありふれた中型の商用馬車。ただし、車軸には防振魔法を、床下には二重底の隠しスペースを設置すること。予算はこれくらいでどうかしら」
バレットが提示した金額の三倍の金貨を見せると、彼は汚い顔を歪めて笑った。
「へへっ、いい客だ。あそこにある中古の三号機なら、ご希望通りに……」
「待て。話にならん」
置物(ゼノス)が、低く鋭い声で介入してきた。
彼は鑑定士のような冷徹な眼差しで、バレットが指差した馬車を一瞥した。
「車軸の魔法抵抗値が低すぎる。これでは魔物が出る荒野を全速で走れば、三時間で金属疲労を起こすぞ。それにこの積載量……。重心の設計が甘いな。これでは旋回時のロスタイムが大きすぎる」
「は、はあ?あんた、何者だ……?」
「物流の安全基準を監査する者だ」
ゼノスはバレットを無視し、工房の最奥に置かれた「製作中」の特注品を指差した。
「あれを出すんだ。最新の軍用サスペンションに、耐魔銀の補強を施した黒耀(こくよう)だ。それに引かせるのは、隣国の魔導軍馬……。それも最上位種を用意しろ。私の名(サイン)で、軍の厩舎から一頭徴収してきてもいい」
「……閣下!?私はそんなハイスペックなものは頼んでいませんわ!」
私は慌ててゼノスの袖を引いた。
逃亡における最大の武器は「地味さ」だ。
そんな軍用グレードの最高級馬車で国境へ向かったら、「私は今から極秘任務で逃げます」と看板を掲げているようなものだ。
「アニエス。物流の基本は『速度』と『安全性』だろう。君という希少な知能を運ぶのに、そんなボロ布のような馬車をあてがうなど、経営者(公爵)として認められない」
「逃げる時には地味さが――」
「地味さより、追っ手を物理的に突き放す速度を優先すべきだ。計算してみろ。この馬車と魔導軍馬を組み合わせれば、君が当初予定していた移動時間を40%も削減できる。積載効率も1.5倍だ」
1.5倍。
その甘美な数字に、私の効率厨な脳がほんの一瞬だけ、グラリと揺れた。
移動時間が40%も減る?
それはつまり、追っ手とのリードタイムを圧倒的に稼げるということ……。
「……っ、ダメですわ!目立ってしまったら、途中の検問で捕まって終わりです」
「検問?……ああ、心配いらん。この馬車の紋章を私の魔力で偽装(カモフラージュ)しておけば、私の息がかかった検問所はすべてノンストップで通過できる。実質的に、君の専用グリーンライン(優先路)が完成するわけだ」
ゼノスは勝ち誇ったように唇を吊り上げ、バレットに私の金貨の十倍はあろうかという支払い証を手渡した。
(……終わったわ。私のステルス逃亡計画が、超高級車の弾丸旅行に書き換えられる)
私は頭を抱えた。
性能は最高だ。
効率も完璧。
だが、この馬車にはゼノスの「加護」という名の特大の呪いが掛かっている。
「アニエス、喜べ。この馬車には私の魔力を直接登録しておいた」
「……はい?」
「君がこの馬車に乗って移動すれば、私の元にある水晶体にその位置が投影される。君がどこにいても、私が一瞬で駆けつけられるというわけだ。……どうだ、これ以上ない安全な『物流』だろう?」
――それ、物流管理じゃなくて、ただのGPS(追跡装置)じゃないの!!
デッドラインまで、あと八十二日。
最高速の足を手に入れた代わりに、私はゼノスという名の「監視衛星」から逃げられなくなったことに気づき、ガントチャートに新たな緊急タスクを書き込んだ。
【タスク:馬車の魔力追跡機能のハッキング、および塗装による偽装。優先度:最高】
「……ゼ、ゼノス様。ありがとうございます。私、この馬車で、どこまでも遠くへ行けそうですわ」
「ああ。どこへ行こうと、私の手の内(システム)からは逃がさないがな」
微笑み合う私たちの視線が、火花を散らす。
こうなったら、このハイスペック馬車を使いこなして、彼の予想を上回る速度で、逃げ切ってやる!
それは、国境を越え、追っ手を振り切り、目的地まで物資と私自身を運ぶための足。すなわち――
脱出用馬車の確保である。
私は現在、王都の端、スラムに近い場所にある「バレット馬車工房」の前に立っていた。
ここを選んだ理由は三つ。
第一に、店主が金の亡者で口が堅いこと。
第二に、中古商用馬車の改装を得意としていること。
そして第三に、王宮の騎士団がまず立ち寄らない「死角」にあることだ。
今日の私は、目立たない茶色のローブに身を包んでいる。
完璧なステルス(隠密)仕様のはずだった。
……だが。
「……閣下。その格好、本気ですか?」
「何がだ。私も極力、目立たぬよう配慮したつもりだが」
隣に立つゼノスを見上げ、私は深いため息をついた。
彼は確かに高級な軍服を脱ぎ、平民風の外套を羽織っている。
しかし、隠しきれない長身、整いすぎた彫刻のような横顔、そして歩くたびに周囲を威圧する――強者のオーラ。
彼が横にいるだけで、周囲の浮浪者たちがモーゼの十戒のごとく道を空けていく。
(ステルス性能がマイナス振り切れているわ……)
「監査役の同行は拒否できない契約(約束)でしたわね。いいですわ、話は私が進めます。閣下は置物だと思って黙っていてください」
「善処しよう」
工房の奥から、油汚れにまみれた店主バレットが出てきた。
私は事前に用意した「要件定義書」を突きつける。
「これ。頑丈で、外見はありふれた中型の商用馬車。ただし、車軸には防振魔法を、床下には二重底の隠しスペースを設置すること。予算はこれくらいでどうかしら」
バレットが提示した金額の三倍の金貨を見せると、彼は汚い顔を歪めて笑った。
「へへっ、いい客だ。あそこにある中古の三号機なら、ご希望通りに……」
「待て。話にならん」
置物(ゼノス)が、低く鋭い声で介入してきた。
彼は鑑定士のような冷徹な眼差しで、バレットが指差した馬車を一瞥した。
「車軸の魔法抵抗値が低すぎる。これでは魔物が出る荒野を全速で走れば、三時間で金属疲労を起こすぞ。それにこの積載量……。重心の設計が甘いな。これでは旋回時のロスタイムが大きすぎる」
「は、はあ?あんた、何者だ……?」
「物流の安全基準を監査する者だ」
ゼノスはバレットを無視し、工房の最奥に置かれた「製作中」の特注品を指差した。
「あれを出すんだ。最新の軍用サスペンションに、耐魔銀の補強を施した黒耀(こくよう)だ。それに引かせるのは、隣国の魔導軍馬……。それも最上位種を用意しろ。私の名(サイン)で、軍の厩舎から一頭徴収してきてもいい」
「……閣下!?私はそんなハイスペックなものは頼んでいませんわ!」
私は慌ててゼノスの袖を引いた。
逃亡における最大の武器は「地味さ」だ。
そんな軍用グレードの最高級馬車で国境へ向かったら、「私は今から極秘任務で逃げます」と看板を掲げているようなものだ。
「アニエス。物流の基本は『速度』と『安全性』だろう。君という希少な知能を運ぶのに、そんなボロ布のような馬車をあてがうなど、経営者(公爵)として認められない」
「逃げる時には地味さが――」
「地味さより、追っ手を物理的に突き放す速度を優先すべきだ。計算してみろ。この馬車と魔導軍馬を組み合わせれば、君が当初予定していた移動時間を40%も削減できる。積載効率も1.5倍だ」
1.5倍。
その甘美な数字に、私の効率厨な脳がほんの一瞬だけ、グラリと揺れた。
移動時間が40%も減る?
それはつまり、追っ手とのリードタイムを圧倒的に稼げるということ……。
「……っ、ダメですわ!目立ってしまったら、途中の検問で捕まって終わりです」
「検問?……ああ、心配いらん。この馬車の紋章を私の魔力で偽装(カモフラージュ)しておけば、私の息がかかった検問所はすべてノンストップで通過できる。実質的に、君の専用グリーンライン(優先路)が完成するわけだ」
ゼノスは勝ち誇ったように唇を吊り上げ、バレットに私の金貨の十倍はあろうかという支払い証を手渡した。
(……終わったわ。私のステルス逃亡計画が、超高級車の弾丸旅行に書き換えられる)
私は頭を抱えた。
性能は最高だ。
効率も完璧。
だが、この馬車にはゼノスの「加護」という名の特大の呪いが掛かっている。
「アニエス、喜べ。この馬車には私の魔力を直接登録しておいた」
「……はい?」
「君がこの馬車に乗って移動すれば、私の元にある水晶体にその位置が投影される。君がどこにいても、私が一瞬で駆けつけられるというわけだ。……どうだ、これ以上ない安全な『物流』だろう?」
――それ、物流管理じゃなくて、ただのGPS(追跡装置)じゃないの!!
デッドラインまで、あと八十二日。
最高速の足を手に入れた代わりに、私はゼノスという名の「監視衛星」から逃げられなくなったことに気づき、ガントチャートに新たな緊急タスクを書き込んだ。
【タスク:馬車の魔力追跡機能のハッキング、および塗装による偽装。優先度:最高】
「……ゼ、ゼノス様。ありがとうございます。私、この馬車で、どこまでも遠くへ行けそうですわ」
「ああ。どこへ行こうと、私の手の内(システム)からは逃がさないがな」
微笑み合う私たちの視線が、火花を散らす。
こうなったら、このハイスペック馬車を使いこなして、彼の予想を上回る速度で、逃げ切ってやる!
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