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第3話 裏切りの真実は、静かに眠る
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リディアがアルガナの町に来てから一年が経った。険しい冬も、灼けるような夏も越して、町の人々は彼女を「リナ先生」と呼ぶようになった。魔道具の修理だけでなく、傷病者への治癒術、災害時の防御魔法など、彼女の技術は辺境の暮らしを支えていた。
そんなある日、リディアのもとに奇妙な依頼が届く。王国北部の交易路にある古代遺跡の修復に協力してほしいというものだった。依頼主は王国魔術院──つまり、彼女を断罪したあの王家直轄機関だった。
封書を見つめたまま、リディアは長く沈黙した。
王国の紋章の刻まれた赤い封蝋。それは過去から差し出された鎖のように重かった。
夕刻、ゼノが彼女の工房を訪ねてくる。久しぶりに鎧姿の彼を見て、リディアは微かに微笑んだ。
「また旅に出るのかと思いましたわ。」
「おまえの傍にいると決めた。旅をやめただけさ。」
「騎士さまの言葉は信用なりませんわね。」
からかうような声音にゼノは目を細める。
しかし彼の表情はすぐに真剣なものに変わった。
「王国の連中がおまえを探している。何か掴んだのかもしれない。」
「掴んだ?」
「おまえの断罪、あれには裏がある。実際の証拠を握る者が、この辺境にも逃げてきたと噂だ。」
リディアは短く息を呑む。
断罪の日、あの場で笑っていた面々の顔が脳裏を掠める。誰が、何のために裏を仕組んだのか。当時は感情よりも生き延びることに必死で、深く考える余裕もなかった。
「その者は、まだ生きているのね。」
「噂ではな。だが王国の追っ手も動いている。早く動かないと消される。」
翌日、リディアとゼノはアルガナを離れ、交易路沿いの山岳地帯へと向かった。風が肌を刺す。彼女はフードを被り、腰の魔導書をしっかりと抱えた。夜明けを前に、峠の宿場町に着くころ、空が白く染まり始めていた。
「この先に、かつて王立魔術院の研究員だったという男が住んでいるらしい。」
ゼノが地図を指す。
「研究員ということは、私の罪とされた“聖女候補の襲撃事件”の関係者……」
「そうかもしれない。」
古びた塔のような建物が山裾に見えた。そこだけ時間が止まっているような静けさがあった。扉を叩くと、痩せた中年の男が現れた。髭は伸び放題で、目の下に濃い隈がある。
「……誰だ。」
「旅の魔導師です。この地域で古い魔導書に詳しい方を探していまして。」
男は一瞬リディアの顔を覗き込み、瞠目した。
「その瞳……まさか、リディア嬢か?」
「そう呼ぶのは、もうやめてくださいませ。」
男──シオルと名乗った彼は、王都魔術院でリディアの家が支援していた研究部門の一員だった。ただの学者ではなく、王家直属の“監査官”でもあったという。
「お嬢さん、あの事件の真実を知りたいのだろう?」
「ええ。」
「では聞きなさい。あの日、陛下と王太子が即座に断罪を決めたのは、単なる嫉妬や誤解ではない。宗教勢力への資金流入を誤魔化すため、あなたの名義で偽帳簿を作らせた。聖女エミリアは利用されたに過ぎん。」
「……なんですって?」
「お嬢さんの家が財務局を統べていたからこそ、あなたに罪をかぶせるのが一番都合がよかったんだ。」
言葉を失ったリディアの胸が、怒りと絶望で張り裂けそうになった。
つまり、断罪は政治取引の完成のための“儀式”だったのだ。王太子の愛や信頼など、初めから存在していなかった。
「……その証拠は?」
「ここに。」
シオルは机の隅から古い書簡束を取り出した。王印の入った封書。資金流入の記録、エミリアの聖女任命に至る裏交渉。
リディアは震える指でそれらを追った。目の奥に熱いものがこみ上げてくる。だが涙は落とさなかった。
「あなたはどうして、今まで黙っていたの?」
「王国の手が怖かった。だが、もう長くはないんだ。最近は妙な訪問者が多い……あんたも、気をつけろ。」
途端に外で音がした。木の壁が震え、馬の蹄が土を叩く音。
「追っ手だ。」
ゼノが剣を抜く。
シオルが慌てて叫ぶ。「彼奴らは俺を殺しにきた!」
扉が破られ、黒衣の男たちが雪崩れ込んでくる。王国騎士団の密使。リディアは即座に詠唱を始めた。
「〈フィル・アグニス〉!」
青い光が走り、炎の壁が室内を覆う。ゼノが盾で衝撃を受け止め、剣を振るうたびに火花が散った。
しかし敵は多い。シオルは喉を狙われ、倒れた。
「シオルさん!」
駆け寄ったリディアに、彼は最後の力で書簡の束を押し付ける。
「託す……真実は……おまえが……」
その瞬間、闇色の矢が飛び、彼の胸を貫いた。
炎のゆらめきの中、リディアの悲鳴が弾ける。怒りの魔力が膨張し、敵の一人を吹き飛ばした。青白い稲光が部屋を焼き、床が裂ける。
「ゼノ、行くわ!」
「おまえ……まさか、禁術を!」
「構いません。生き延びることが先です。」
二人は窓を蹴破り、崖下へと飛び降りた。魔力の光が一瞬だけ彼女の衣を包み、ふたりの落下を穏やかに受け止める。
夜の森に逃げ込み、息を切らしながらリディアは血塗られた封書を抱きしめた。
シオルの死が胸を刺す。彼の言葉、震える手、そして最後の眼差し。
「……殿下。あなたは王国のために、私を殺したのですね。」
その呟きが風に消える。涙が一筋だけ頬を滑ったが、すぐに拭い取る。
ゼノは焚き火の火花の向こうで、静かに剣を磨いていた。
「これを公にすれば、王国は終わる。」
「いいえ、まだです。証拠をただ突きつけるだけでは足りませんわ。私の望む“ざまぁ”は、この書状を武器にして、すべてを跪かせること。その時まで、この真実は誰にも渡さない。」
「おまえは変わったな。」
「生きるために学びましたの。誰も信じず、誰の下にもつかない。それがこの一年で得た私の答えです。」
焚き火がぱちりと音を立てた。
森の向こうには、王国の方向を示す北極星が滲んでいた。
リディアは書簡の束を胸に抱き、ゆっくりと目を閉じる。
「見ていなさい、王太子レオン。あなたの王座は砂の上に建っている。いつか、必ず崩れ落ちるわ。」
彼女の唇に、微笑とも誓いともつかぬ光が宿った。
その夜、リディア・アシュフォードという名が再び静かに目を覚ました。
(第3話 裏切りの真実は、静かに眠る 終)
そんなある日、リディアのもとに奇妙な依頼が届く。王国北部の交易路にある古代遺跡の修復に協力してほしいというものだった。依頼主は王国魔術院──つまり、彼女を断罪したあの王家直轄機関だった。
封書を見つめたまま、リディアは長く沈黙した。
王国の紋章の刻まれた赤い封蝋。それは過去から差し出された鎖のように重かった。
夕刻、ゼノが彼女の工房を訪ねてくる。久しぶりに鎧姿の彼を見て、リディアは微かに微笑んだ。
「また旅に出るのかと思いましたわ。」
「おまえの傍にいると決めた。旅をやめただけさ。」
「騎士さまの言葉は信用なりませんわね。」
からかうような声音にゼノは目を細める。
しかし彼の表情はすぐに真剣なものに変わった。
「王国の連中がおまえを探している。何か掴んだのかもしれない。」
「掴んだ?」
「おまえの断罪、あれには裏がある。実際の証拠を握る者が、この辺境にも逃げてきたと噂だ。」
リディアは短く息を呑む。
断罪の日、あの場で笑っていた面々の顔が脳裏を掠める。誰が、何のために裏を仕組んだのか。当時は感情よりも生き延びることに必死で、深く考える余裕もなかった。
「その者は、まだ生きているのね。」
「噂ではな。だが王国の追っ手も動いている。早く動かないと消される。」
翌日、リディアとゼノはアルガナを離れ、交易路沿いの山岳地帯へと向かった。風が肌を刺す。彼女はフードを被り、腰の魔導書をしっかりと抱えた。夜明けを前に、峠の宿場町に着くころ、空が白く染まり始めていた。
「この先に、かつて王立魔術院の研究員だったという男が住んでいるらしい。」
ゼノが地図を指す。
「研究員ということは、私の罪とされた“聖女候補の襲撃事件”の関係者……」
「そうかもしれない。」
古びた塔のような建物が山裾に見えた。そこだけ時間が止まっているような静けさがあった。扉を叩くと、痩せた中年の男が現れた。髭は伸び放題で、目の下に濃い隈がある。
「……誰だ。」
「旅の魔導師です。この地域で古い魔導書に詳しい方を探していまして。」
男は一瞬リディアの顔を覗き込み、瞠目した。
「その瞳……まさか、リディア嬢か?」
「そう呼ぶのは、もうやめてくださいませ。」
男──シオルと名乗った彼は、王都魔術院でリディアの家が支援していた研究部門の一員だった。ただの学者ではなく、王家直属の“監査官”でもあったという。
「お嬢さん、あの事件の真実を知りたいのだろう?」
「ええ。」
「では聞きなさい。あの日、陛下と王太子が即座に断罪を決めたのは、単なる嫉妬や誤解ではない。宗教勢力への資金流入を誤魔化すため、あなたの名義で偽帳簿を作らせた。聖女エミリアは利用されたに過ぎん。」
「……なんですって?」
「お嬢さんの家が財務局を統べていたからこそ、あなたに罪をかぶせるのが一番都合がよかったんだ。」
言葉を失ったリディアの胸が、怒りと絶望で張り裂けそうになった。
つまり、断罪は政治取引の完成のための“儀式”だったのだ。王太子の愛や信頼など、初めから存在していなかった。
「……その証拠は?」
「ここに。」
シオルは机の隅から古い書簡束を取り出した。王印の入った封書。資金流入の記録、エミリアの聖女任命に至る裏交渉。
リディアは震える指でそれらを追った。目の奥に熱いものがこみ上げてくる。だが涙は落とさなかった。
「あなたはどうして、今まで黙っていたの?」
「王国の手が怖かった。だが、もう長くはないんだ。最近は妙な訪問者が多い……あんたも、気をつけろ。」
途端に外で音がした。木の壁が震え、馬の蹄が土を叩く音。
「追っ手だ。」
ゼノが剣を抜く。
シオルが慌てて叫ぶ。「彼奴らは俺を殺しにきた!」
扉が破られ、黒衣の男たちが雪崩れ込んでくる。王国騎士団の密使。リディアは即座に詠唱を始めた。
「〈フィル・アグニス〉!」
青い光が走り、炎の壁が室内を覆う。ゼノが盾で衝撃を受け止め、剣を振るうたびに火花が散った。
しかし敵は多い。シオルは喉を狙われ、倒れた。
「シオルさん!」
駆け寄ったリディアに、彼は最後の力で書簡の束を押し付ける。
「託す……真実は……おまえが……」
その瞬間、闇色の矢が飛び、彼の胸を貫いた。
炎のゆらめきの中、リディアの悲鳴が弾ける。怒りの魔力が膨張し、敵の一人を吹き飛ばした。青白い稲光が部屋を焼き、床が裂ける。
「ゼノ、行くわ!」
「おまえ……まさか、禁術を!」
「構いません。生き延びることが先です。」
二人は窓を蹴破り、崖下へと飛び降りた。魔力の光が一瞬だけ彼女の衣を包み、ふたりの落下を穏やかに受け止める。
夜の森に逃げ込み、息を切らしながらリディアは血塗られた封書を抱きしめた。
シオルの死が胸を刺す。彼の言葉、震える手、そして最後の眼差し。
「……殿下。あなたは王国のために、私を殺したのですね。」
その呟きが風に消える。涙が一筋だけ頬を滑ったが、すぐに拭い取る。
ゼノは焚き火の火花の向こうで、静かに剣を磨いていた。
「これを公にすれば、王国は終わる。」
「いいえ、まだです。証拠をただ突きつけるだけでは足りませんわ。私の望む“ざまぁ”は、この書状を武器にして、すべてを跪かせること。その時まで、この真実は誰にも渡さない。」
「おまえは変わったな。」
「生きるために学びましたの。誰も信じず、誰の下にもつかない。それがこの一年で得た私の答えです。」
焚き火がぱちりと音を立てた。
森の向こうには、王国の方向を示す北極星が滲んでいた。
リディアは書簡の束を胸に抱き、ゆっくりと目を閉じる。
「見ていなさい、王太子レオン。あなたの王座は砂の上に建っている。いつか、必ず崩れ落ちるわ。」
彼女の唇に、微笑とも誓いともつかぬ光が宿った。
その夜、リディア・アシュフォードという名が再び静かに目を覚ました。
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