悪役令嬢は婚約破棄の後、氷の騎士に溺愛される〜裏切られた令嬢の逆転劇〜

nacat

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第5話 追放令嬢の決意

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夜が明けきらぬ薄闇の中、王都へ向かう街道を一台の馬車が静かに進んでいた。荷台に積まれているのは最低限の衣類と書類、そして古びた革製の本箱。クラリスはその中に、かつて母から譲り受けた詩集と領地の記録書類を入れていた。伯爵家を出て二日。けれど、まだ心の底では実感が追いついていなかった。  

屋敷を離れる瞬間、父は黙って背を向けたままだった。無理もない。伯爵として家を守るためには、娘を切り捨てる残酷さをも選ばねばならないのだ。クラリスはその冷たい現実を恨むことができなかった。  
──けれど、神に委ねるつもりもなかった。  
彼女は自らの力で奪われた誇りを取り返すと決めていた。

「お嬢様、本当に王都へ戻られますのか?」  
御者台からシェイドの声がした。  
「はい。私が戻らなくては真実は掴めません。王子殿下が誰に操られているのか、その根を断たなければ終わらない」  
「しかし、監査官の命令では王都入りも制限されています。見つかれば……」  
「それでも構いません。私は“追放された令嬢”ですもの。怖れるものなど、もうありません」  

その凜とした声に、シェイドは言葉を失う。  
彼の胸には仕えてきた年月の重みと、主を失う恐れがせり上がっていた。それでもクラリスの横顔に迷いがないのを見て、ただ手綱を握り直した。  

目的地は王都北東にある古い修道院跡地。そこは今、荒れ果てた書庫として王立魔術院の研究員が資料を保存している。オルフェンからの密書に記されていた。  
──リリアーヌに関する資料、魔術院旧記録部署にて確認せよ。記録を守る修道士アドリスを訪ねること。  

霧が立ちこめる早朝、馬車は静かに止まった。石造りの修道院は蔦に覆われ、扉の錆が時間の長さを物語っている。クラリスはマントのフードを深く被り、シェイドと共に中へ入った。  

薄暗い内部には漂うように埃が舞い、古い羊皮紙の匂いが充満していた。書棚が並ぶ通路の奥で、ロウソクの明かりが小さく揺れている。  
「……アドリス師?」  
呼びかけに答えるように、白いローブの老人が現れた。  
「その声、あなたがクラリス嬢か。噂は届いておりますよ」  
「私の噂を……?」  
「王城は賑やかですな。無実の令嬢が“嫉妬に狂い王子を呪った”などという馬鹿げた話まで流されている」  
クラリスの眉が僅かに動く。「やはり、そこまで……」  
「だが私は信じておる。本を愛する者は、嘘の匂いに敏いからな。さて、件の資料だが……」  

アドリスは低く溜息をつき、一冊の古ぼけた台帳を抱えてきた。  
「リリアーヌという名の少女。確かに奨学生の名簿には載っているが、登録番号が他と異なる。前後の記録が空白なのだ」  
「空白?」  
「存在を後から加えた痕跡だ。筆跡も違う。だが誰が手を加えたのかまでは分からん」  
「つまり、入学そのものが偽装された可能性があるんですね」  
「その通り。そしてもう一つ、奇妙なことがある」  

アドリスは隣の棚から薄い巻物を取り出した。封蝋はすでに剥がされていた。  
「彼女の魔力系統を示す試験報告だ。“未知系統”とだけ記されておる。学術的にも異例だ。だが、それを理由に王子が惹かれたとすれば――」  
「魔術による魅了の可能性がある、ということですね」  
クラリスの言葉に、老修道士は黙って頷いた。  

その瞬間、背後で音がした。紙が崩れる乾いた音。  
「誰か……?」  
クラリスが振り向くと、廊下の奥に黒い影が走った。シェイドが迷いなくその後を追う。  
「待ちなさい!」  
古い石段を駆け上がる足音が響く。外に通じる通路の扉が開け放たれ、冷たい風が吹き込んだ。  

「捕まえました!」  
シェイドが影を押さえ込み、フードを乱暴に剥ぐ。現れたのは黒衣の若い男だった。頬には薄い傷跡があり、目は怯えている。  
「俺は……何も知らない! 王子様の命で、ただ記録を焼けと――」  
「王子の命令と聞こえましたけれど?」  
クラリスが静かに問うと、青年は息をのんだ。  
「ち、違う! 本当はリリアーヌ様のお付きの……!」  
そこまで言った瞬間、突然彼の首元が青く光った。まるで見えない鎖に捕らえられたように体が痙攣し、そのまま力なく地面に倒れ込む。  
「まさか……自己崩壊の呪具?」  
「口封じですな」アドリスが急いで祈祷を唱えるが、男の呼吸はすでに途絶えていた。  

沈黙が落ちる。クラリスは唇を噛んだ。  
「リリアーヌ……あなたはいったい何者なの」  
しかし答えは風にさらわれるばかりだった。  

老人が立ち上がり、そっとクラリスに囁く。  
「この台帳を持っていきなさい。もし殿下が彼女の背後を知らぬなら、これが唯一の糸口になる」  
「ありがとうございます、師匠」  
「孫のようなお前を見捨てるほど、老いぼれちゃいないさ。善人も悪人も、本の中では平等だ。おぬしもそのことを忘れるな」  

馬車に戻ると、シェイドは重い沈黙のまま手綱を取った。遠くで鐘が鳴る。夜がまた明けようとしていた。  
クラリスは膝の上に置いた古い帳簿を見下ろす。墨痕の滲んだ文字が、闇に隠されようとする誰かの意志のように見えた。  
「追放されたと言われても、私は屈しない。必ず暴くわ、偽りの光を」  
低くつぶやいた声は、まるで氷の剣が鳴る音のようだった。  

王都の塔が遠くに見え始めたころ、馬車の前方から別の影が現れた。黒い軍馬に跨る一人の男。その姿を見た瞬間、クラリスの心が震えた。  
「オルフェン様……!」  
彼は手綱を引き、馬車の横に並ぶ。冷たい風を受けながら、その青い瞳がまっすぐクラリスを見据えた。  
「馬車を止めろ、シェイド」  
「……副団長殿、この道を通るのは危険です。王都には監査官が待ち構えております」  
「知っている。だが彼女を一人で行かせることの方が危険だ」  

馬上のオルフェンは鋭くクラリスに問う。  
「君は手紙を送った。“関わらないでくれ”と。あれは本心か?」  
一瞬、クラリスは言葉を失った。  
「……あれは、あなたを守るために」  
「俺は守られたくない。守る立場だ。君を犠牲にして安穏を保つくらいなら、騎士である意味がない」  
その厳しい声音の奥には微かな熱があった。  
クラリスは唇を噛みしめ、やがて微笑んだ。  
「では……どうか、共に来てください。私はもう逃げません。真実を見つけるために、どんな危険でも進みます」  
「それでこそだ」  
オルフェンの瞳がわずかに緩む。  

二人の馬車が朝焼けを背にして王都へと向かう。地平線の赤が夜を切り裂くように濃く染まり、その光の中でクラリスの瞳だけが確かに輝いていた。  
追放令嬢としての彼女の物語は、ここから始まる。  

(続く)
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