婚約破棄されたので公爵令嬢やめます〜私を見下した殿下と元婚約者が膝をつく頃、愛を囁くのは冷酷公爵でした〜

nacat

文字の大きさ
7 / 28

第7話 契約の指輪

しおりを挟む
それは、雪がやみ、久しぶりに青空が覗いた日のことだった。  
朝日が白銀の庭を照らし、エルシャルト邸の石壁を金色に染め上げる。  
長い冬のあいだ凍てついていた世界が、ほんのひととき息を吹き返したようだった。  

リリアナは中庭のベンチに腰を下ろし、手のひらの上の紅茶の湯気を見つめていた。  
この地に来てからすでに二週間。  
落ち着いた生活を送っているものの、王都から持ち込んだ心の痛みはまだ消えていない。  

彼女の耳に、雪を踏む軽やかな足音が近づいた。  
振り向くと、銀の髪を風に揺らしてセドリックが立っていた。  
いつもの黒い外套ではなく、今日は深緑の上着を羽織り、手には封筒を持っている。  

「公爵様……おはようございます。」  
「おはよう。少し話がある。」  

その声には、昨日までと少し違う響きがあった。  
無機質な冷たさではなく、何かを決意した者の静けさ。  
リリアナは姿勢を正した。  

セドリックはベンチの隣に腰を下ろすと、手にした封筒を差し出した。  
「これは王都から届いた公式文書だ。」  
受け取って開けば、そこには見慣れた紋章――アルベルト王太子の署名が押されていた。  

『リリアナ・フォン・アーデルハイトの国外永住を認める。帰還を希望する場合、王家の許可を必要とする。』  

つまり、名誉ある貴族から名を失い、“国外人”として扱われる通達。  
どれほどの屈辱か、リリアナにはすぐに理解できた。  
胸の奥が痛みで軋む。  

「……つまり、私はもう王国の人間ではないということですね。」  
「そういうことになる。」  
セドリックの声は淡々としているが、その瞳にはかすかな怒りが漂っていた。  

「しかし、君が王都で何をした? 罪も明らかでないのに、一方的な破棄と国外追放。あれは不当だ。」  
「けれど、王族の決定には逆らえませんわ。」  
「ならば、俺が逆らう。」  
その一言にリリアナは目を見張った。  

「え……?」  
セドリックは彼女を真っ直ぐに見据え、静かに言葉を継いだ。  

「エルシャルト領は王国の属国ではあるが、内政においては独立の権。俺が望めば、君を〈客人〉ではなく〈庇護民〉として迎えることができる。」  
「庇護……民?」  
「そうだ。ここで暮らす限り、王国は君に一切の干渉ができなくなる。」  
リリアナは言葉を失った。  
それは救いの申し出に近い。だが同時に、彼女にとって新たな決断でもある。  

「でも……私などのために、そこまでのことを?」  
「俺には利もある。」  
セドリックは懐から小さな箱を取り出した。  
黒革張りの細工箱。指の間で軽く開くと、中には銀の指輪が光っていた。  

「これは……?」  
「契約印だ。庇護民として登録するためには、形式上、私の名のもとに〈契約〉を結ぶ必要がある。婚姻ではないが、それに近い保護の印となる。」  
リリアナは息を詰めた。  
銀の細工は繊細で美しい。それがまるで冷たい鎖のようにも見える。  

「つまり、この指輪を受け取れば、私は貴方の庇護下に……?」  
「そうだ。形式だけのものだ。君の自由は奪わない。だが、それでも嫌なら拒んでもいい。」  

静かな沈黙が二人の間に流れた。  
外の雪解け水が静かに流れ、陽光が彼の横顔を照らす。  
その顔は真剣で、偽りがない。  

リリアナは拳を握り、ゆっくり息を吸った。  
「公爵様。ひとつ、お訊ねしてもよろしいですか。」  
「なんだ。」  
「なぜ……そこまでしてくださるのですか。私を救っても、貴方には何の得もないはず。」  

セドリックは目を細め、しばし考えるように間を置いた。  
「……俺は、かつて誰も救えなかったからだ。」  

その声は途切れ途切れだった。  
リリアナは息を呑む。  

「十年前、この国は戦乱に巻き込まれた。俺は当時まだ若く、軍の指揮官を務めていた。だが判断を誤り、村を一つ失った。民も仲間も死んだ。俺の命令ひとつで。」  
「……そんな……。」  
「それ以来、俺は“命を守る”ことを誓った。どんな理不尽にも、目を逸らさぬと。君の姿を見て、昔の子供たちを思い出した。だから、放っておけなかった。」  

まっすぐな言葉。  
その無骨な告白に、リリアナの胸が強く震えた。  

王太子に嘲られ、愛という名の裏切りを受けた彼女にとって――これほど正直な言葉を聞くのは初めてだった。  

「……公爵様。」  
気づけば、リリアナの声が震えていた。  

「私……もう誰の支えも信じられないと思っていたのです。でも貴方の言葉を聞いて……もう一度、生きてみたいと思いました。」  

静かに差し出されたその手のひらへ、セドリックは指輪を置いた。  
「それが君の答えか。」  
「はい。この指輪――お受けいたします。」  

彼は小さく頷き、リリアナの左手の薬指に指輪をはめた。  
冷たい金属が肌を撫で、次の瞬間、まるでそれが体温を吸い込むようにじんわりと温もる。  

「これで、君は正式にこの国の人間だ。」  
「……ありがとうございます。」  
言葉の代わりに、涙がひとすじ頬を伝った。  

セドリックはその涙に何も言わず、ただハンカチを差し出した。  
「泣くな。泣けばせっかくの誓いが曇る。」  
「……でも、うれしくて。」  
「なら、泣くのも悪くない。」  

ふと笑う彼の表情が、これまで見たどんな表情より穏やかだった。  
その微笑が、夜明けのように優しかった。  

***

その後、リリアナは屋敷の書斎で簡単な署名手続きを終え、正式に“庇護民”として登録された。  
身分欄には「エルシャルト公爵家従属」と記されている。  
文字を見た瞬間、少しだけ心が落ち着いた。  

「これで、王都の誰も貴方に手出しできません。」とロイが言った。  
「はい……。けれど、少し不思議です。自由を得たはずなのに、まるでどこかへ帰ってきたような気がします。」  

その日の夜、リリアナは寝台に身を横たえながら左手を見つめた。  
小指の横で銀の指輪が淡く光っている。  
それは契約の証であり、同時に彼女を再びこの世界へつなぎ止める絆でもあった。  

――もう、逃げなくていい。  
――もう、過去に縛られなくていい。  

胸に響くのは、彼の声。  
「強く生きろ。」  
あの日言われた言葉が、今ようやく意味を持つ気がした。  

窓の外では、長く閉ざされていた雲が流れ、星がひとつ顔を出す。  
その光を見上げながら、リリアナはそっと微笑んだ。  
これが再生のはじまりであることを、彼女はまだ知らない。  

続く
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろう、カクヨムにも掲載中です)

婚約破棄されたので、前世の知識で無双しますね?

ほーみ
恋愛
「……よって、君との婚約は破棄させてもらう!」  華やかな舞踏会の最中、婚約者である王太子アルベルト様が高らかに宣言した。  目の前には、涙ぐみながら私を見つめる金髪碧眼の美しい令嬢。確か侯爵家の三女、リリア・フォン・クラウゼルだったかしら。  ──あら、デジャヴ? 「……なるほど」

白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』

鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」 公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。 だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。 ――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの? 何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。 しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。 それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。 そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。 温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。 そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。 「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」 「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」 離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。 そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。

【完結】氷の令嬢は愛を請わない - 捨て子の『義妹』に愛も家族も奪われたマリーローズの逆襲

恋せよ恋
恋愛
銀髪紫眼の美貌の侯爵令嬢、マリーローズ。 完璧な淑女に育った彼女だったが、母は捨て子ジュリエットを寵愛。 婚約者の公爵家嫡男アレックスも、友人も、次々に奪われる――。 家族に裏切られ、すべてを失った彼女が下した決断は、 家族を見かぎり、国を捨て、自らの人生を取り戻すこと。 理不尽な悲恋を力に変え、運命をひっくり返す令嬢の逆転劇! 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

婚約破棄されたので頑張るのをやめました 〜昼寝と紅茶だけの公爵令嬢なのに、なぜか全部うまくいきます〜あ

鍛高譚
恋愛
王太子から婚約破棄された衝撃で階段から落ちた公爵令嬢シャル・ド・ネ・アルベール。 目覚めた彼女は、なんと前世の記憶——ブラック企業で働き詰めだったOL・佐伯ゆかりとしての人生を思い出してしまう。 無理して働いた末に過労死した前世の反省から、シャルは決意する。 「もう頑張らない。今度の人生は“好き”と“昼寝”だけで満たしますわ!」 貴族としての特権をフル活用し、ワイン造りやスイーツ作りなど“趣味”の延長でゆるゆる領地改革。 気づけば国王にも称賛され、周囲の評価はうなぎのぼり!? 一方、彼女を見下していた王太子と“真実の愛()”の令嬢は社交界で大炎上。 誰もざまぁされろなんて言ってないのに……勝手に転がり落ちていく元関係者たち。 本人はただ紅茶とスコーンを楽しんでいるだけなのに―― そんな“努力しない系”令嬢が、理想の白い結婚相手と出会い、 甘くてふわふわ、そしてちょっぴり痛快な自由ライフを満喫する ざまぁ(他力本願)×スローライフ×ちょっと恋愛な物語です♪

【完結】愛され公爵令嬢は穏やかに微笑む

綾雅(りょうが)要らない悪役令嬢
恋愛
「シモーニ公爵令嬢、ジェラルディーナ! 私はお前との婚約を破棄する。この宣言は覆らぬと思え!!」 婚約者である王太子殿下ヴァレンテ様からの突然の拒絶に、立ち尽くすしかありませんでした。王妃になるべく育てられた私の、存在価値を否定するお言葉です。あまりの衝撃に意識を手放した私は、もう生きる意味も分からなくなっていました。 婚約破棄されたシモーニ公爵令嬢ジェラルディーナ、彼女のその後の人生は思わぬ方向へ転がり続ける。優しい彼女の功績に助けられた人々による、恩返しが始まった。まるで童話のように、受け身の公爵令嬢は次々と幸運を手にしていく。 ハッピーエンド確定 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2022/10/01  FUNGUILD、Webtoon原作シナリオ大賞、二次選考通過 2022/07/29  FUNGUILD、Webtoon原作シナリオ大賞、一次選考通過 2022/02/15  小説家になろう 異世界恋愛(日間)71位 2022/02/12  完結 2021/11/30  小説家になろう 異世界恋愛(日間)26位 2021/11/29  アルファポリス HOT2位 2021/12/03  カクヨム 恋愛(週間)6位

白い結婚で結構ですわ。殿下より、私の自由のほうが大事ですので

鍛高譚
恋愛
「第二王子との婚約? でも殿下には平民の恋人がいるらしいんですけど? ――なら、私たち“白い結婚”で結構ですわ。お好きになさってくださいな、殿下」 自由気ままに読書とお茶を楽しむのがモットーの侯爵令嬢・ルージュ。 ある日、突然“第二王子リオネルとの政略結婚”を押しつけられてしまう。 ところが当の殿下は平民の恋人に夢中で、 「形式上の夫婦だから干渉しないでほしい」などと言い出す始末。 むしろ好都合とばかりに、ルージュは優雅な“独身気分”を満喫するはずが…… いつしか、リナという愛人と妙に仲良くなり、 彼女を巡る宮廷スキャンダルに巻き込まれ、 しまいには婚約が白紙になってしまって――!? けれどこれは、ルージュが本当の幸せを掴む始まりにすぎなかった。 自分を心から大切にしてくれる“新しい旦那様”候補が現れて、 さあ、思い切り自由に愛されましょう! ……そして、かの王子様の結末は“ざまぁ”なのか“自業自得”なのか? 自由気ままな侯爵令嬢が切り開く、 “白い結婚破談”からの痛快ざまぁ&本当の恋愛譚、はじまります。

愛せないですか。それなら別れましょう

黒木 楓
恋愛
「俺はお前を愛せないが、王妃にはしてやろう」  婚約者バラド王子の発言に、 侯爵令嬢フロンは唖然としてしまう。  バラド王子は、フロンよりも平民のラミカを愛している。  そしてフロンはこれから王妃となり、側妃となるラミカに従わなければならない。  王子の命令を聞き、フロンは我慢の限界がきた。 「愛せないですか。それなら別れましょう」  この時バラド王子は、ラミカの本性を知らなかった。

処理中です...