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第15話 嫉妬の炎と誤解
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王都からの使者が去って三日、エルシャルト邸には重苦しい空気が漂っていた。
雪は絶え間なく降り、白銀の庭園は墓標のような静けさに包まれている。
セドリックは執務に戻ったものの、日中はほとんど席を立たない。
部下への指令は増え、門を固める警備は倍に。
まるで、嵐の前触れを悟っているかのようだった。
そんな中、リリアナは自室で筆を握っていた。
机の上には白紙の手紙。
どんな言葉であっても、王都へ宛てるべきか迷っている。
「私が沈黙すれば、公爵様が非難される。
でも、私が答えれば、再びあの世界に引き戻されてしまう。」
その板挟みが胸を締めつける。
雪片が窓を叩くたびに、過去の嘲笑が蘇る。
――愛を知らぬ令嬢。
その言葉がまた、王都で囁かれている。
愛を与えたのに、返されなかったのは誰のせいだったのか。
確かめようもない。
「リリアナ様?」
ノックとともに入ってきたのはエミリアだった。
彼女の手には銀盆に載せた紅茶があり、香りがほのかに部屋を満たす。
「少し休まれた方がよいですよ。……閣下も心配しておられます。」
「公爵様が?」
「ええ。この数日、食も乱れておられませんでしたから。」
リリアナは頷き、微笑もうとした。
だが唇の端はわずかに震える。
「……私のせいですね。」
「そんなことはありません。むしろ、閣下は“あなたのためなら”と言って、どんな圧力にも屈さないお方です。」
「……そうですか。」
囁く声が、少しだけ弱かった。
***
その夜、廊下でばったりとセドリックと出会った。
彼はいつも通り無表情だったが、目の下には薄い疲労が刻まれている。
「どうした。こんな時間まで起きて。」
「考えごとをしていたら、眠れなくなってしまいました。」
「……そうか。」
ほんの一瞬、沈黙。
風が窓を揺らし、ふたりの距離の間に冷たい音を残す。
「王都へ手紙を書こうと思いました。」
リリアナの言葉に、セドリックの瞳がわずかに細められる。
「何のために。」
「……争いを避けたいのです。公爵様に刃が向けられる前に。」
「刃なら構わん。」
即答。冷たく聞こえたが、言葉の奥に押し殺した熱がある。
「俺は王家のために生きているのではない。君を護るために生きている。」
「でも、それでは……領民まで巻き込んでしまうかもしれません。」
「それが恐いのか?」
「貴方に傷ついてほしくないのです!」
言い終えた瞬間、二人の間に沈黙が落ちた。
顔を上げると、セドリックの目に驚きが浮かんでいた。
「……そうか。」
短く息を吐く。
「俺も同じだ。君が傷つくことを、一番恐れている。」
互いに視線を逸らせずにいた。
時間がねじれたように、何もかもが止まる。
声を出せば壊れそうな距離。
だが、不意に遠くの扉が開き、足音が二人の間を裂いた。
ロイが駆け込んでくる。
「閣下、緊急の報告が!」
その瞬間、現実が戻った。
セドリックは咳払いし、声を引き締めた。
「どうした。」
「西の村に騎馬の影が。おそらく王都からの偵察兵です。指令書を持っていたようで、門前で捕らえました。」
空気が一気に冷たくなる。
外の雪が風に舞い上がり、窓硝子を叩く。
「……探りに来たか。やはり動いたな。」
「どうされますか?」
「俺が会う。」
「お待ちください、公爵様!」リリアナは思わず声を上げた。
「貴方が出れば、向こうは戦いの口実を得ます。ここは……」
「見逃せば、次は命を狙われる。奴らのやり口は知っている。」
そのまま歩きだそうとするセドリックの腕を掴む。
「行かないでください。」
手の中の温度が、氷と炎のように混ざり合う。
セドリックは立ち止まり、低く彼女の名を呼んだ。
「リリアナ。」
名前を呼ばれたその瞬間、指先が震え、離せなくなる。
「……大丈夫だ。」
短い言葉。しかし、その声は確かで、深く、揺るがなかった。
「俺を信じろ。」
残されたリリアナは、ただその背中を見送るしかなかった。
黒い外套が廊下を抜けていく。
足音が消えるまで、涙が落ちる音だけが響いた。
***
深夜。
セドリックは捕らえられた偵察兵と対峙していた。
「命は助けてやる。王太子に伝えろ。」
「な、何を……?」
「“彼女に触れた瞬間、お前の王座は雪に埋もれる”と。」
その声は静かな脅威だった。
兵士は蒼白になり、もはや息をするのも恐れている。
それでいい。恐怖だけが彼らを止める。
しかしそのとき、ふと背後で気配がした。
ふり返ると、リリアナがそこにいた。
羽織だけを肩にかけ、息を乱している。
「来るなと言ったはずだ。」
「どうしても、心配で……!」
「馬鹿者。」
怒鳴りつける声は凍り付くほど冷たい。
しかし、その奥に焦りが滲んでいた。
「俺は君のために――」
「貴方は、もう十分に私のために戦ってくださっています!」
リリアナの声が震える。
「だから、これ以上自分を犠牲にしないで!」
セドリックは動けなかった。
その必死な瞳に、何も言えなくなる。
やがて静寂のなかで、ふっと笑うようにため息をついた。
「犠牲、か。……それしか生き方を知らないんだ、俺は。」
「いいえ、そんなことありません。」
リリアナは首を振る。
「貴方には優しさがあります。私を包んでくれた、その手が証拠です。」
雪混じりの風が吹き込み、髪が揺れる。
セドリックの瞳が一瞬だけ熱く光り、次の瞬間、彼は一歩踏み出していた。
「……俺はお前を見誤っていた。
庇護されるばかりの女と思っていたが、いつの間にか、お前の強さに支えられている。」
「そんな……」
「お前が俺の傍にいる限り、俺は戦える。」
その言葉のあと、言葉は沈黙に溶けた。
風に舞う雪が二人の距離を埋めるように降り注ぐ。
リリアナの視界が滲む。
それは涙ではなく、胸に広がった熱のせいだった。
「……ありがとう。」
彼女はただそれだけを言った。
それ以上は、どんな言葉も見つからなかった。
セドリックは彼女に背を向け、廊下の奥へ歩き出す。
その歩幅は迷いがなく、彼の心に新たな決意を刻んでいるようだった。
――守るだけではない。
――彼女と共に立つための戦いを。
***
夜が明けるころ、リリアナはようやく眠りについた。
窓の外では、朝日が雪を染め上げる。
その輝きは、血のように赤く、どこか不吉に見えた。
新しい一日が始まる。
だがそれは、次の嵐の前ぶれでもあった。
続く
雪は絶え間なく降り、白銀の庭園は墓標のような静けさに包まれている。
セドリックは執務に戻ったものの、日中はほとんど席を立たない。
部下への指令は増え、門を固める警備は倍に。
まるで、嵐の前触れを悟っているかのようだった。
そんな中、リリアナは自室で筆を握っていた。
机の上には白紙の手紙。
どんな言葉であっても、王都へ宛てるべきか迷っている。
「私が沈黙すれば、公爵様が非難される。
でも、私が答えれば、再びあの世界に引き戻されてしまう。」
その板挟みが胸を締めつける。
雪片が窓を叩くたびに、過去の嘲笑が蘇る。
――愛を知らぬ令嬢。
その言葉がまた、王都で囁かれている。
愛を与えたのに、返されなかったのは誰のせいだったのか。
確かめようもない。
「リリアナ様?」
ノックとともに入ってきたのはエミリアだった。
彼女の手には銀盆に載せた紅茶があり、香りがほのかに部屋を満たす。
「少し休まれた方がよいですよ。……閣下も心配しておられます。」
「公爵様が?」
「ええ。この数日、食も乱れておられませんでしたから。」
リリアナは頷き、微笑もうとした。
だが唇の端はわずかに震える。
「……私のせいですね。」
「そんなことはありません。むしろ、閣下は“あなたのためなら”と言って、どんな圧力にも屈さないお方です。」
「……そうですか。」
囁く声が、少しだけ弱かった。
***
その夜、廊下でばったりとセドリックと出会った。
彼はいつも通り無表情だったが、目の下には薄い疲労が刻まれている。
「どうした。こんな時間まで起きて。」
「考えごとをしていたら、眠れなくなってしまいました。」
「……そうか。」
ほんの一瞬、沈黙。
風が窓を揺らし、ふたりの距離の間に冷たい音を残す。
「王都へ手紙を書こうと思いました。」
リリアナの言葉に、セドリックの瞳がわずかに細められる。
「何のために。」
「……争いを避けたいのです。公爵様に刃が向けられる前に。」
「刃なら構わん。」
即答。冷たく聞こえたが、言葉の奥に押し殺した熱がある。
「俺は王家のために生きているのではない。君を護るために生きている。」
「でも、それでは……領民まで巻き込んでしまうかもしれません。」
「それが恐いのか?」
「貴方に傷ついてほしくないのです!」
言い終えた瞬間、二人の間に沈黙が落ちた。
顔を上げると、セドリックの目に驚きが浮かんでいた。
「……そうか。」
短く息を吐く。
「俺も同じだ。君が傷つくことを、一番恐れている。」
互いに視線を逸らせずにいた。
時間がねじれたように、何もかもが止まる。
声を出せば壊れそうな距離。
だが、不意に遠くの扉が開き、足音が二人の間を裂いた。
ロイが駆け込んでくる。
「閣下、緊急の報告が!」
その瞬間、現実が戻った。
セドリックは咳払いし、声を引き締めた。
「どうした。」
「西の村に騎馬の影が。おそらく王都からの偵察兵です。指令書を持っていたようで、門前で捕らえました。」
空気が一気に冷たくなる。
外の雪が風に舞い上がり、窓硝子を叩く。
「……探りに来たか。やはり動いたな。」
「どうされますか?」
「俺が会う。」
「お待ちください、公爵様!」リリアナは思わず声を上げた。
「貴方が出れば、向こうは戦いの口実を得ます。ここは……」
「見逃せば、次は命を狙われる。奴らのやり口は知っている。」
そのまま歩きだそうとするセドリックの腕を掴む。
「行かないでください。」
手の中の温度が、氷と炎のように混ざり合う。
セドリックは立ち止まり、低く彼女の名を呼んだ。
「リリアナ。」
名前を呼ばれたその瞬間、指先が震え、離せなくなる。
「……大丈夫だ。」
短い言葉。しかし、その声は確かで、深く、揺るがなかった。
「俺を信じろ。」
残されたリリアナは、ただその背中を見送るしかなかった。
黒い外套が廊下を抜けていく。
足音が消えるまで、涙が落ちる音だけが響いた。
***
深夜。
セドリックは捕らえられた偵察兵と対峙していた。
「命は助けてやる。王太子に伝えろ。」
「な、何を……?」
「“彼女に触れた瞬間、お前の王座は雪に埋もれる”と。」
その声は静かな脅威だった。
兵士は蒼白になり、もはや息をするのも恐れている。
それでいい。恐怖だけが彼らを止める。
しかしそのとき、ふと背後で気配がした。
ふり返ると、リリアナがそこにいた。
羽織だけを肩にかけ、息を乱している。
「来るなと言ったはずだ。」
「どうしても、心配で……!」
「馬鹿者。」
怒鳴りつける声は凍り付くほど冷たい。
しかし、その奥に焦りが滲んでいた。
「俺は君のために――」
「貴方は、もう十分に私のために戦ってくださっています!」
リリアナの声が震える。
「だから、これ以上自分を犠牲にしないで!」
セドリックは動けなかった。
その必死な瞳に、何も言えなくなる。
やがて静寂のなかで、ふっと笑うようにため息をついた。
「犠牲、か。……それしか生き方を知らないんだ、俺は。」
「いいえ、そんなことありません。」
リリアナは首を振る。
「貴方には優しさがあります。私を包んでくれた、その手が証拠です。」
雪混じりの風が吹き込み、髪が揺れる。
セドリックの瞳が一瞬だけ熱く光り、次の瞬間、彼は一歩踏み出していた。
「……俺はお前を見誤っていた。
庇護されるばかりの女と思っていたが、いつの間にか、お前の強さに支えられている。」
「そんな……」
「お前が俺の傍にいる限り、俺は戦える。」
その言葉のあと、言葉は沈黙に溶けた。
風に舞う雪が二人の距離を埋めるように降り注ぐ。
リリアナの視界が滲む。
それは涙ではなく、胸に広がった熱のせいだった。
「……ありがとう。」
彼女はただそれだけを言った。
それ以上は、どんな言葉も見つからなかった。
セドリックは彼女に背を向け、廊下の奥へ歩き出す。
その歩幅は迷いがなく、彼の心に新たな決意を刻んでいるようだった。
――守るだけではない。
――彼女と共に立つための戦いを。
***
夜が明けるころ、リリアナはようやく眠りについた。
窓の外では、朝日が雪を染め上げる。
その輝きは、血のように赤く、どこか不吉に見えた。
新しい一日が始まる。
だがそれは、次の嵐の前ぶれでもあった。
続く
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