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第1話 婚約破棄と断罪の夜
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大広間の空気は、薄い氷の膜で覆われたように張りつめていた。豪奢なシャンデリアの光が宝石のようにきらめく中、笑い声は途切れ、誰もが一点を見つめている。
広間の中央、王太子ユリウスと公爵令嬢リリアーナ・エヴァンスが立っていた。
「リリアーナ・エヴァンス。お前との婚約を、本日ここに破棄する。」
その言葉が響いた瞬間、リリアーナの世界が音を立てて崩れた。
まるで耳鳴りのように周囲のざわめきが遠のき、ただ自分だけが取り残されたようだった。
「なっ、なんてことを……! 王太子殿下、今なんと……」
ユリウスは彼女の父親である公爵を無視し、軽蔑を隠そうともしない瞳でリリアーナを見下ろした。
「お前のような女と結婚するなど、最初から間違いだった。平民上がりの成り上がりが、己の立場を忘れた結果がこれだ。」
広間の隅から、貴族令嬢たちのささやく声が聞こえた。
「聞いた?ほんとに平民の孤児だったですって」「いくら育ての家が公爵家でも、やっぱり血筋ねえ」
冷たい笑いが、肌に刺さるように痛い。
リリアーナは唇をかすかに震わせながら、それでも姿勢を崩さなかった。
「……殿下。何か誤解があるのではないでしょうか。私が、王妃教育のためにしてきたことを……」
「恥を知れ!」
ユリウスの怒声が響き、会場全体が息をのむ。
「お前は王族の名を騙り、私の愛する人を卑劣にも陥れようとした!すべて、証拠は揃っている!」
彼が手を振ると、群衆の中から一人の女性が現れた。
栗色の髪をゆるく巻いた可憐な令嬢、セラ・アルミア。
その目には、勝ち誇った光が宿っている。
「リリアーナ様……私、本当に怖かったんです。あなたが私を陰で傷つけていたなんて……」
ざわめきが膨れ上がる。
リリアーナは愕然とした。
「そんなこと、していません……!私はあなたを——」
「黙れ!」ユリウスの声が重く響く。「お前の卑劣な行いはすべて暴かれた。セラこそ真実の心を持つ女性だ。俺は、彼女と新しい婚約を結ぶ。」
頭の中が真っ白になった。
胸の奥で何かが砕け散る音さえ聞こえた気がする。
「……ユリウス様。それは、本心なのですか?」
「もちろんだ。お前との婚約など、王の命令に従っただけだ。俺が愛したことなど一度もない。」
その一言で、すべてが終わった。
涙は流れなかった。泣くより前に、心が凍りついてしまったのだ。
「——承知いたしました。では、これにて。」
リリアーナは静かに礼を取った。
背筋は伸び、表情には一片の崩れもない。
彼女の沈黙を侮辱と捉えたのか、周囲から笑いがこぼれた。
ユリウスは勝ち誇ったようにセラの手を取り、宣言する。
「リリアーナ・エヴァンス。貴族としての資格を剥奪する。今後、王都に滞在することも許されない。」
公爵の屋敷からも手紙が届いたのはその夜だった。
「我が家の名を汚した者に居場所はない」
ただ一行の冷たい文。
育ての親ですら、彼女を守ろうとはしなかった。
わずかな荷をまとめ、夜明け前の街道を歩きながら、リリアーナは自分の足音だけを頼りに進んだ。
行くあてもない。けれど――ただ立ち止まることだけはしたくなかった。
雪が降り始め、肩に落ちる。冷たさが骨まで染みたが、それももう痛みとは感じなかった。
街道の先に、一台の黒塗りの馬車が止まっていた。
ドアが静かに開き、黒の外套をまとった男が姿を見せた。長身で、漆黒の髪。冷ややかな灰色の瞳が月明かりに光る。
「——君が、リリアーナ・エヴァンス嬢か。」
穏やかで低い声。だが、その奥に鋼の刃のような冷たさがあった。
彼女は反射的に身をこわばらせた。
「ええ……でも、あなたは……どなたですか?」
「アラン・グレイス。現宰相だ。」
男は短く名乗り、視線を彼女の足元に落とす。雪に濡れた靴、震える肩。
しばしの沈黙ののち、静かに言った。
「乗れ。」
「……え?」
「王命で来たわけではない。私の意思でだ。」
なぜ、この男が自分の名を知っているのか。なぜ、手を差し伸べてくるのか。わからない。それでも、その声音には、奇妙な安心があった。
リリアーナは緊張したまま、彼の差し出した手を取る。指先が触れた瞬間、氷のような手が、微かにぬくもりを持っていた。
馬車が動き出す。
窓の外、王都の灯が遠ざかっていく。
過ぎ去った日々が、嘘のように小さくなっていく。
アランは無言のまま、向かいの席から彼女を見つめていた。
その瞳には、冷たさの奥に測り知れぬ何かが宿っている。
「……宰相閣下。なぜ、私を助けてくださるのですか。」
「助けたわけではない。必要だから拾った。」
「必要……?」
「君は、まだ気づいていないだけだ。」
何かを告げようとした彼の言葉を、車輪の音がかき消した。
雪が深く降りしきる夜、馬車は王都を離れ、南の冬領へ向けて進んでいく。
その旅の果てが、彼女の運命を大きく変えることを――リリアーナはまだ知らなかった。
(続く)
広間の中央、王太子ユリウスと公爵令嬢リリアーナ・エヴァンスが立っていた。
「リリアーナ・エヴァンス。お前との婚約を、本日ここに破棄する。」
その言葉が響いた瞬間、リリアーナの世界が音を立てて崩れた。
まるで耳鳴りのように周囲のざわめきが遠のき、ただ自分だけが取り残されたようだった。
「なっ、なんてことを……! 王太子殿下、今なんと……」
ユリウスは彼女の父親である公爵を無視し、軽蔑を隠そうともしない瞳でリリアーナを見下ろした。
「お前のような女と結婚するなど、最初から間違いだった。平民上がりの成り上がりが、己の立場を忘れた結果がこれだ。」
広間の隅から、貴族令嬢たちのささやく声が聞こえた。
「聞いた?ほんとに平民の孤児だったですって」「いくら育ての家が公爵家でも、やっぱり血筋ねえ」
冷たい笑いが、肌に刺さるように痛い。
リリアーナは唇をかすかに震わせながら、それでも姿勢を崩さなかった。
「……殿下。何か誤解があるのではないでしょうか。私が、王妃教育のためにしてきたことを……」
「恥を知れ!」
ユリウスの怒声が響き、会場全体が息をのむ。
「お前は王族の名を騙り、私の愛する人を卑劣にも陥れようとした!すべて、証拠は揃っている!」
彼が手を振ると、群衆の中から一人の女性が現れた。
栗色の髪をゆるく巻いた可憐な令嬢、セラ・アルミア。
その目には、勝ち誇った光が宿っている。
「リリアーナ様……私、本当に怖かったんです。あなたが私を陰で傷つけていたなんて……」
ざわめきが膨れ上がる。
リリアーナは愕然とした。
「そんなこと、していません……!私はあなたを——」
「黙れ!」ユリウスの声が重く響く。「お前の卑劣な行いはすべて暴かれた。セラこそ真実の心を持つ女性だ。俺は、彼女と新しい婚約を結ぶ。」
頭の中が真っ白になった。
胸の奥で何かが砕け散る音さえ聞こえた気がする。
「……ユリウス様。それは、本心なのですか?」
「もちろんだ。お前との婚約など、王の命令に従っただけだ。俺が愛したことなど一度もない。」
その一言で、すべてが終わった。
涙は流れなかった。泣くより前に、心が凍りついてしまったのだ。
「——承知いたしました。では、これにて。」
リリアーナは静かに礼を取った。
背筋は伸び、表情には一片の崩れもない。
彼女の沈黙を侮辱と捉えたのか、周囲から笑いがこぼれた。
ユリウスは勝ち誇ったようにセラの手を取り、宣言する。
「リリアーナ・エヴァンス。貴族としての資格を剥奪する。今後、王都に滞在することも許されない。」
公爵の屋敷からも手紙が届いたのはその夜だった。
「我が家の名を汚した者に居場所はない」
ただ一行の冷たい文。
育ての親ですら、彼女を守ろうとはしなかった。
わずかな荷をまとめ、夜明け前の街道を歩きながら、リリアーナは自分の足音だけを頼りに進んだ。
行くあてもない。けれど――ただ立ち止まることだけはしたくなかった。
雪が降り始め、肩に落ちる。冷たさが骨まで染みたが、それももう痛みとは感じなかった。
街道の先に、一台の黒塗りの馬車が止まっていた。
ドアが静かに開き、黒の外套をまとった男が姿を見せた。長身で、漆黒の髪。冷ややかな灰色の瞳が月明かりに光る。
「——君が、リリアーナ・エヴァンス嬢か。」
穏やかで低い声。だが、その奥に鋼の刃のような冷たさがあった。
彼女は反射的に身をこわばらせた。
「ええ……でも、あなたは……どなたですか?」
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男は短く名乗り、視線を彼女の足元に落とす。雪に濡れた靴、震える肩。
しばしの沈黙ののち、静かに言った。
「乗れ。」
「……え?」
「王命で来たわけではない。私の意思でだ。」
なぜ、この男が自分の名を知っているのか。なぜ、手を差し伸べてくるのか。わからない。それでも、その声音には、奇妙な安心があった。
リリアーナは緊張したまま、彼の差し出した手を取る。指先が触れた瞬間、氷のような手が、微かにぬくもりを持っていた。
馬車が動き出す。
窓の外、王都の灯が遠ざかっていく。
過ぎ去った日々が、嘘のように小さくなっていく。
アランは無言のまま、向かいの席から彼女を見つめていた。
その瞳には、冷たさの奥に測り知れぬ何かが宿っている。
「……宰相閣下。なぜ、私を助けてくださるのですか。」
「助けたわけではない。必要だから拾った。」
「必要……?」
「君は、まだ気づいていないだけだ。」
何かを告げようとした彼の言葉を、車輪の音がかき消した。
雪が深く降りしきる夜、馬車は王都を離れ、南の冬領へ向けて進んでいく。
その旅の果てが、彼女の運命を大きく変えることを――リリアーナはまだ知らなかった。
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