捨てられた公爵令嬢は氷の宰相に愛されすぎて困っています 〜婚約破棄の果てに見つけた真実の愛〜

nacat

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第2話 笑う元婚約者、涙を隠した令嬢

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雪原を抜けて三日、馬車は王都から遠く離れた森の中を進んでいた。窓の外には白一色の世界。木々は雪をかぶり、静寂だけが支配していた。リリアーナは毛布に包まりながら、窓の外をぼんやりと見つめていた。  
ユリウスの顔が脳裏をかすめるたび、胸の奥がじくりと痛んだ。忘れたいのに、瞼を閉じれば彼の嘲る声や、周囲の笑い声が蘇る。何度も吐き気をこらえるように深呼吸を繰り返した。

向かいの席で、アラン・グレイスは黙って書類を眺めていた。王都でも屈指の冷徹な宰相。彼がなぜ自分を拾ったのか、いまだに理解できない。

「……宰相閣下は、わたくしをどこへ連れていかれるのですか。」  
リリアーナがおそるおそる尋ねると、アランは手元の書類から視線を上げた。  
「グレイス領。王都より南にある私の統治地だ。」  
「なぜ……私をそこに?」  
「静養が必要だと判断した。王都での件は……異常だ。」  

淡々とした声。感情の起伏が読めない。けれど、その言葉の端に、ほんのわずかな苛立ちと、憐れみのようなものが滲んでいた。  
「……あの場にいたのですね。」  
リリアーナが思わず呟くと、アランは短くうなずいた。  
「ああ。陛下の傍にいた。婚約破棄を宣告する場で、王太子がどれほど浅はかな行為に出たかは、目の当たりにした。」  
「でしたら……どうして止めてくださらなかったのです。」  
掠れる声で問いかける。自分でも驚くほど、感情がそのままににじみ出ていた。  
アランは瞳の色を変えず、ただ静かに答えた。  
「王族の決定に他の臣下が口を出すことは許されない。だが、私はあの瞬間に思った――あの男は長くは持たぬと。」  

リリアーナは息を呑んだ。冷徹な声なのに、根底には冷静な怒りがあった。  
「……ユリウス様が、間違っていたと?」  
「愚かだった。愛や情にかまけて己の立場を忘れるとは。」  
アランは視線を窓の外へ逸らした。雪の森に沈むように、小さく呟く。  
「君がどう弁明したとしても、あの場に理性は存在しなかった。」  

馬車の中に、再び沈黙が落ちた。  
微かにきしむ音と、外の吹雪の気配だけが時間を刻んでいた。  
ただ、その沈黙は冷たくはなかった。言葉よりも静かな慰めのように、リリアーナの心を少しずつ包んでいった。

やがて馬車は小高い丘を越え、遠くに壮麗な屋敷が見えてきた。  
白を基調とした石造りの壁に、深緑の屋根。吹雪の中でも凛とした佇まいで、まるで冬の城のようだった。  
「……ここが、宰相閣下の邸ですか?」  
「正確には、領主館だ。」  
アランは立ち上がると、外套を手に取った。「君の部屋を用意してある。到着後は温かいものを食べ、今夜は休むといい。」

港湾都市グレイス。雪深いこの地は、かつて反乱を鎮めたアランの統治で繁栄した場所だと聞いていた。  
リリアーナは、使用人たちが慌ただしく出迎える様子を見ながらも、どこか遠い夢の中にいるような心地だった。

玄関ホールに入ると、暖炉の炎が静かに揺れ、香ばしい木の香りが漂う。  
侍女の一人が跪いて挨拶する。  
「リリアーナ様、お部屋の準備は整っております。どうぞこちらへ。」  
「リリアーナ様……」  
誰かにそう呼ばれるのは、いつ以来だろう。王都ではもう“罪人”のように扱われていたというのに。

案内された客間は広すぎるほどだった。白いカーテン、清潔な寝具、温かい湯気の立つ洗面器。  
リリアーナは鏡の前に立ち、自分の顔を見つめた。  
雪道を旅してやつれ、頬は青ざめている。目の下には濃い影。けれど――それでも、涙の跡だけはもうなかった。

「……わたし、泣いてばかりではいられませんね。」  
唇にかすかな笑みを浮かべた瞬間、扉がノックされた。  
「入っていいか。」低く響く声。  
「はい……宰相閣下。」  
アランが入ってきた。彼は新しい書状を手にしていた。封蝋には王家の紋章。  
「王都からの通達だ。……内容は、想像がつくだろう。」  

封を切ると、そこには予想通りの文字が並んでいた。  
『リリアーナ・エヴァンス、王都入城禁止。王家および貴族社会への関与を永久に禁ずる。』  

紙を見つめながら、リリアーナは浅く息を吐いた。胸が痛んだが、涙はもう出なかった。  
「やはり、そうなりましたか。」  
「だが、君にはまだ行き場所がある。」  
アランは静かに言った。「私の領で必要なものがあれば、すべて用意させよう。住まいも、身の安全も保証する。」  
「……なぜ、そこまでしてくださるんですか。私は何も持たないただの失脚者です。」  

アランの瞳が一瞬だけ揺れた。  
「……君のように理不尽に切り捨てられた者を、見過ごせないのかもしれない。」  
「宰相閣下にも、そのような経験が?」  
「どうだろうな。」  
短く答えたその横顔には、冷たい仮面のような静けさと、過去の影がわずかに差していた。  

やがてアランは立ち上がり、部屋の扉に向かって歩きながら言った。  
「明日、屋敷の案内をさせる。君ができることを探せばいい。休め、リリアーナ。」  

彼が去ったあと、リリアーナはベッドに腰掛け、胸に手を当てた。  
“助けたわけではない。必要だから拾った”――馬車の中で彼が言った言葉が、繰り返し頭をよぎる。  

自分は彼に“必要”だという。だが、それが何を意味するのか。  
その答えを知るのは、まだ少し先のことなのだろう。

夜が更ける。屋敷の外で雪が降り続け、暖炉の炎が壁に揺れていた。  
火の明かりに照らされたリリアーナの瞳には、かすかな決意の光が宿っていた。  
もう誰にも踏みにじられたくない。今度こそ、自分の足で歩いていく。  

その夜の夢の中、ユリウスがセラと笑う光景が浮かんだ。  
けれど、不思議ともう胸は痛くなかった。  
彼女は微笑みながら、静かにその幻を見送った。  

(続く)
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