捨てられた公爵令嬢は氷の宰相に愛されすぎて困っています 〜婚約破棄の果てに見つけた真実の愛〜

nacat

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第8話 あなたの護る価値があると言われて

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黒い馬車が通り過ぎたという知らせから二日。  
王都へ向かう道中の空はどこまでも低く、嵐の前のように風がざわめいていた。  
リリアーナを乗せた馬車は峠道を進んでいたが、遠方に小さな町の灯が見え始めたころ、御者が不意に手綱を強く引いた。  

「どうした?」アランが窓を開け、外をうかがう。  
「……道をふさいでおります。荷馬車が横転して。」  
アランの表情が一瞬で変わった。「不自然だな。」  
リリアーナも身を乗り出して見ると、雪道の先に荷馬車が倒れ、数人の男たちが荷を抱えて立っている。旅人にしては装いが荒く、背負う荷の形も妙に整っていた。  
「アラン様……」  
「座っていろ。何があっても外に出るな。」  

アランは扉を開けて外へ出た。  
灰色の外套の裾を雪が打つ。くすんだ空の下で、彼の姿は剣のように鋭く見えた。  

男の一人が前に出て嘲笑する。  
「宰相殿ともあろうお方が、こんな雪道にとは。ずいぶんとご苦労なこった。」  
「道を塞ぐ理由は?」  
「ただの事故でさぁ。けどまあ――通るのにひと仕事、ってやつで。」  
アランの瞳が冷たく光る。「その“ひと仕事”の報酬は王太子からか?」  
男の顔がひきつる。「な、なんの話を――」  

その瞬間、アランの体が動いた。  
外套の下から抜かれた短剣が雪の反射を浴び、風を切る音が響く。  
一瞬で、男の手から刃物が弾き飛ばされた。  
「貴様ら、素性を明かせ。今なら許す。」  
「ふざけんな!」  
残りの三人が一斉に飛びかかる。雪の上で音だけが鋭く交錯した。  
アランの動きは見えないほど速く、男たちは次々と倒れた。剣の振りよりも、冷たい声の方が残酷に響いた。  
「生きて帰りたければ、王都に戻るな。王太子の名を借りて罪を重ねれば、次は命ごと斬る。」  

リリアーナは馬車の中で両手を胸に当て、無意識に祈るようにしていた。  
外の気配が静まると、アランが扉を開ける。  
袖口から雪が滴り落ちているが、眉一つ動かしていない。  
「……ケガは?」  
「ありません。でも、アラン様こそ……!」  
「かすり傷だ。問題ない。」  
いつもの無表情で座席に戻り、手袋を外して短剣を拭った。だが、リリアーナにはわかった。彼の手の甲がかすかに血で濡れている。  

「その手……!やはりケガをされています!」  
「放っておけ。大したことはない。」  
「放ってなどおけません!」  
リリアーナは急いで薬草包を開き、彼の手を取って布を巻いた。  
その細い指が震えていたのは、寒さのせいか、それとも恐怖のせいか。  
アランは黙っていたが、やがてため息のような声で言った。  
「……君は不思議な人だな。」  
「どうしてですか?」  
「人は私を『氷』と呼ぶ。血の一滴にも心を動かさないと言う。なのに君は、そんな私の手を迷わず取る。」  
「氷は冷たいけれど、触れなければ温められません。だから、私は怖くないんです。」  
アランがその言葉に一瞬だけ微笑んだ。  
「……もし君が他の誰かだったら、今ので落ちていたかもしれない。」  
「でも、わたしは他の誰かではありません。」  
「……そうだな。」  

ふたりの間に沈黙が落ちた。だけどその沈黙は温かく、外の雪の音さえ優しく感じられた。  

峠を越えてしばらく進むと、遠くに小さな教会が見えてきた。  
急ごしらえの避難所のようでもあり、馬たちを休ませるには格好の場所だった。  
「ここで一晩明かす。」  
「はい。」  

教会の中は人の気配がなく、古い木の香りがした。  
リリアーナは暖を取るため、火を灯した燭台を持って祭壇の前に寄る。  
アランは扉の前に腰を下ろし、外を警戒していた。  

「ずっと戦ってこられたんですね。」  
「……そうだな。仕える王のため、国のため、理のために。」  
「それでもなお、誰かを守ろうとするのは、なぜですか。」  
アランは腕を組み、少し目を閉じた。  
「守る価値のある存在を、自ら選びたいと思うようになったからだ。」  
「守る価値、ですか。」  
「ああ。たとえば、君のようにな。」  
思いも寄らない言葉に、リリアーナの胸が跳ねた。  
「わたし……?」  
「君は、王都で全てを奪われても、誰も恨まず、自分を責めもせず、ただ前に進もうとした。その姿を見たとき、私は――護る価値があると思った。」  

息が止まった。周囲の空気が揺れる。  
「……そんなふうに言ってくださるなんて。」  
「感情ではない。判断だ。」  
「それでも構いません。わたしは嬉しいです。」  
リリアーナが微笑むと、アランの瞳がかすかに揺れた。  
「……君は危険だな。」  
「危険?」  
「心を溶かす、という意味でだ。」  
そう言いながらも視線を逸らし、彼は外の風に耳を傾けた。  

夜が更ける。  
焚かれた火が静かに弾け、影が壁を揺らしていた。  
リリアーナは眠れず、寝袋の中で目を開けていた。  
隣にはアランが背を向けて座っている。  
ずっと守るように、入り口を監視したまま微動だにしない。  

「……眠らないのですか。」  
「寝れば、君を守れない。」  
「そんなに張り詰めていては、倒れてしまいます。」  
「この身は、誰かを守るためにある。倒れるわけがない。」  
リリアーナはその言葉に胸が痛んだ。彼がどれほど自分を犠牲にしてきたのか、少しだけ理解できる気がした。  

「アラン様。」  
「何だ。」  
「わたしも……誰かの役に立ちたいです。守られるばかりではなく、支える側になりたい。」  
アランは少しだけ振り向いた。火の光が彼の横顔を照らす。  
「それが、君の望みか。」  
「はい。あなたに守る価値があると思ってもらえたなら、今度はわたしが証明します。」  
静寂。だが、そのあとわずかに笑う声が聞こえた。  
「……君にそう言われるのは悪くない。」  

その言葉の余韻の中で、リリアーナはまぶたを閉じた。  
しばらくすると、アランの足音が近づき、彼の外套がそっと肩にかけられる。  
「おやすみ。ここは安全だ。」  
遠くで風が雪を撫でている。その音を聞きながら、リリアーナは穏やかに眠りへ落ちていった。  

外では、空を切り裂くようにまた一台の黒い馬車が丘を越えていた。  
その行き先は、アランとリリアーナが向かう王都――運命の渦の中心。  
彼らの知らぬところで、すでに新しい一幕の幕が上がりかけていた。  

(続く)
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