悠久の放浪者

神田哲也(鉄骨)

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第七話「雨」

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 それから十日が過ぎた。

 俺はすっかりこのゴブリンたちの生活に馴染んでいた。彼らの集落での生活は、思っていたよりも快適で、むしろ俺のほうが文明に頼りすぎていたことを思い知らされる毎日だ。
 今朝も、いつものように罠の確認をするため、森の中へと足を運ぶ。
 仕掛けた罠に、茶色いウサギがかかっていた。縄に絡まったまま、ピクリとも動かない。

「すまんな……」

 ウサギの首元に手を添え、石のナイフで素早くしめる。まだこの行為に対する抵抗は完全に消えたわけではないが、それでも最初の頃に比べれば、だいぶ慣れてきた。生きるために食べる。それだけのことだ。
 血抜きのため、足を縛り、近くの木の枝に吊るす。手際も以前よりスムーズだ。

 すると、遠くから低い咆哮が聞こえてきた。
 顔を上げて空を見上げる。
 そこには、黒いドラゴンの姿があった。

「おおー……!!」

 思わず、息を呑む。
 男なら誰でも好きだろう、ドラゴン。実際にこの目で見るたびに、心の奥底から興奮が湧き上がってくる。
 今日はいつもより高度が低い。そのせいか、細部までしっかりとその姿が見えた。

 鋭くとがった顔に、一対の長い角。
 全身を覆う黒い鱗。
 翼とは別に、しっかりとした腕まである。

「やっぱ火とか吐くのかな……」

 そんなことを考えながら、しばらくその姿を見送った。
 ドラゴンが視界から消えると、俺は再び罠にかかったウサギの処理を済ませ、急流の岩場へと向かった。
 今日は一人だ。メイコやゴンタたちは集落で別の作業をしている。
 俺はここで、魔法の訓練をしてみるつもりだった。

 岩の上に腰を下ろし、葉っぱを敷く。

「うーん……なんとなくホワンとしたものが体の中にあるのはわかるようになったけど……これをどうすればいいのかがわからないな」

 魔石を飲んだ時に感じた、あの独特な感覚。
 体の中に流れるエネルギーのようなものが、確かに存在しているのはわかる。
 だが、それをどう扱えばいいのかがわからない。
 肉体を強化する魔法とか、空を飛ぶ魔法とか、色々とあるんだろうが、如何せんどうにも先に進めないのが現状だった。

「メイコが教えてくれればいいんだけど……言葉がわからないからなあ」

 彼らの言葉は、かなり理解できるようになった。
 日常生活に必要な会話なら、もうほぼ問題なくなっている。
 しかし、魔法に関しては話が別だ。
 魔法の理論や概念を、どうやって伝えればいいのかがわからない。俺の言葉も、彼らには通じない部分がまだまだ多い。

「今日はここまでにしておくか……」

 一時間ほど瞑想を続けたが、何も進展はなかった。
 諦めて立ち上がる。
 その瞬間、頬に冷たいものが落ちてきた。

「……雨か?」

 ポツリ、ポツリと、次々に小さな雫が肌を濡らす。
 岩の上に斑点がどんどん増えていっている。
 遠くで雷鳴が響いた。

「まずいな、早く戻らないと……」

 空を見上げると、すでに黒い雲が広がり始めている。
 俺は急いで集落へと向かって走り出した。

 雨はすぐにスコールのような土砂降りになった。
 瞬く間に空は灰色に染まり、大粒の雨が容赦なく降り注ぐ。風も強く、木々の枝が激しく揺れては、葉が舞い散る。まるで嵐の真っただ中に放り込まれたような感覚だった。

 俺は体を濡らしながら、なんとか集落へと戻ろうとした。
 道はぬかるみ、足を取られるたびに何度も転びそうになる。全身が雨に打たれ、衣服が肌に張り付いて気持ちが悪い。視界も悪く、前がよく見えない。

 その時、かすかに俺を呼ぶ声が聞こえた。

「ケイスケー!」

 顔を上げると、雨の中を必死に駆け寄ってくるゴンタの姿が見えた。

「ゴンタ! 探しに来てくれたのか!」

 ゴンタは荒い息をつきながら、俺の前に立った。

「ソウ、デモマズイ、ミンナ、ニゲタ」

 どうやら、集落のみんなはすでに避難しているらしい。
 それほど、この嵐が危険だということなのだろう。

「カワ、カワル、アブナイ」

 ゴンタの言葉に、俺ははっとした。
 雨による増水で川が氾濫し、流れが変わる可能性があるというのか。
 確かに治水もなにもない自然の川だ。季節ごとに川の形が変わるというのは十分あり得る話だった。

「コッチ!」

 ゴンタは俺の腕を引き、どこかへと急ぐ。
 足元はすでにくるぶしまで水に浸かっていた。雨水が地面を流れ、道が川のようになっている。
 俺はゴンタに従い、なんとか上り坂へと辿り着いた。
 ここなら少しは安全かもしれない。

「みんながどこにいるのかわかるのか?」
「ワカラナイ、デモ、ダイジョウブ」

 その自信はどこから来るのか……。
 だが、今はゴンタを信じるしかない。

 幸いにも雨風をしのげる岩場の陰を見つけ、そこに腰を下ろした。

「はぁ……」

 俺は深く息をつき、ずぶ濡れの体を抱える。
 雨はまだ止まないが、少しでも暖を取らなければ危険だ。

 しかし、火を起こすには薪が必要だった。

「この豪雨の中、使える薪なんて見つかるのか……」

 俺は深いため息をつき、周囲を見回す。
 ゴンタもじっと俺を見ていた。

「タブン、コノママ、ズットフル」

 ゴンタの言葉に、俺は空を見上げた。
 灰色の雲は厚く、どこまでも続いている。

 このまま雨が降り続けるならば、何かしらの対策を考えなければならない。
 俺はもう一度立ち上がり、薪を探し始めた。

 生き延びるために、できることをしなくてはならない。

 そして、この嵐が過ぎ去った後、俺たちはまた新たな試練に直面するのかもしれない――。
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