7 / 100
第七話「雨」
しおりを挟む
それから十日が過ぎた。
俺はすっかりこのゴブリンたちの生活に馴染んでいた。彼らの集落での生活は、思っていたよりも快適で、むしろ俺のほうが文明に頼りすぎていたことを思い知らされる毎日だ。
今朝も、いつものように罠の確認をするため、森の中へと足を運ぶ。
仕掛けた罠に、茶色いウサギがかかっていた。縄に絡まったまま、ピクリとも動かない。
「すまんな……」
ウサギの首元に手を添え、石のナイフで素早くしめる。まだこの行為に対する抵抗は完全に消えたわけではないが、それでも最初の頃に比べれば、だいぶ慣れてきた。生きるために食べる。それだけのことだ。
血抜きのため、足を縛り、近くの木の枝に吊るす。手際も以前よりスムーズだ。
すると、遠くから低い咆哮が聞こえてきた。
顔を上げて空を見上げる。
そこには、黒いドラゴンの姿があった。
「おおー……!!」
思わず、息を呑む。
男なら誰でも好きだろう、ドラゴン。実際にこの目で見るたびに、心の奥底から興奮が湧き上がってくる。
今日はいつもより高度が低い。そのせいか、細部までしっかりとその姿が見えた。
鋭くとがった顔に、一対の長い角。
全身を覆う黒い鱗。
翼とは別に、しっかりとした腕まである。
「やっぱ火とか吐くのかな……」
そんなことを考えながら、しばらくその姿を見送った。
ドラゴンが視界から消えると、俺は再び罠にかかったウサギの処理を済ませ、急流の岩場へと向かった。
今日は一人だ。メイコやゴンタたちは集落で別の作業をしている。
俺はここで、魔法の訓練をしてみるつもりだった。
岩の上に腰を下ろし、葉っぱを敷く。
「うーん……なんとなくホワンとしたものが体の中にあるのはわかるようになったけど……これをどうすればいいのかがわからないな」
魔石を飲んだ時に感じた、あの独特な感覚。
体の中に流れるエネルギーのようなものが、確かに存在しているのはわかる。
だが、それをどう扱えばいいのかがわからない。
肉体を強化する魔法とか、空を飛ぶ魔法とか、色々とあるんだろうが、如何せんどうにも先に進めないのが現状だった。
「メイコが教えてくれればいいんだけど……言葉がわからないからなあ」
彼らの言葉は、かなり理解できるようになった。
日常生活に必要な会話なら、もうほぼ問題なくなっている。
しかし、魔法に関しては話が別だ。
魔法の理論や概念を、どうやって伝えればいいのかがわからない。俺の言葉も、彼らには通じない部分がまだまだ多い。
「今日はここまでにしておくか……」
一時間ほど瞑想を続けたが、何も進展はなかった。
諦めて立ち上がる。
その瞬間、頬に冷たいものが落ちてきた。
「……雨か?」
ポツリ、ポツリと、次々に小さな雫が肌を濡らす。
岩の上に斑点がどんどん増えていっている。
遠くで雷鳴が響いた。
「まずいな、早く戻らないと……」
空を見上げると、すでに黒い雲が広がり始めている。
俺は急いで集落へと向かって走り出した。
雨はすぐにスコールのような土砂降りになった。
瞬く間に空は灰色に染まり、大粒の雨が容赦なく降り注ぐ。風も強く、木々の枝が激しく揺れては、葉が舞い散る。まるで嵐の真っただ中に放り込まれたような感覚だった。
俺は体を濡らしながら、なんとか集落へと戻ろうとした。
道はぬかるみ、足を取られるたびに何度も転びそうになる。全身が雨に打たれ、衣服が肌に張り付いて気持ちが悪い。視界も悪く、前がよく見えない。
その時、かすかに俺を呼ぶ声が聞こえた。
「ケイスケー!」
顔を上げると、雨の中を必死に駆け寄ってくるゴンタの姿が見えた。
「ゴンタ! 探しに来てくれたのか!」
ゴンタは荒い息をつきながら、俺の前に立った。
「ソウ、デモマズイ、ミンナ、ニゲタ」
どうやら、集落のみんなはすでに避難しているらしい。
それほど、この嵐が危険だということなのだろう。
「カワ、カワル、アブナイ」
ゴンタの言葉に、俺ははっとした。
雨による増水で川が氾濫し、流れが変わる可能性があるというのか。
確かに治水もなにもない自然の川だ。季節ごとに川の形が変わるというのは十分あり得る話だった。
「コッチ!」
ゴンタは俺の腕を引き、どこかへと急ぐ。
足元はすでにくるぶしまで水に浸かっていた。雨水が地面を流れ、道が川のようになっている。
俺はゴンタに従い、なんとか上り坂へと辿り着いた。
ここなら少しは安全かもしれない。
「みんながどこにいるのかわかるのか?」
「ワカラナイ、デモ、ダイジョウブ」
その自信はどこから来るのか……。
だが、今はゴンタを信じるしかない。
幸いにも雨風をしのげる岩場の陰を見つけ、そこに腰を下ろした。
「はぁ……」
俺は深く息をつき、ずぶ濡れの体を抱える。
雨はまだ止まないが、少しでも暖を取らなければ危険だ。
しかし、火を起こすには薪が必要だった。
「この豪雨の中、使える薪なんて見つかるのか……」
俺は深いため息をつき、周囲を見回す。
ゴンタもじっと俺を見ていた。
「タブン、コノママ、ズットフル」
ゴンタの言葉に、俺は空を見上げた。
灰色の雲は厚く、どこまでも続いている。
このまま雨が降り続けるならば、何かしらの対策を考えなければならない。
俺はもう一度立ち上がり、薪を探し始めた。
生き延びるために、できることをしなくてはならない。
そして、この嵐が過ぎ去った後、俺たちはまた新たな試練に直面するのかもしれない――。
俺はすっかりこのゴブリンたちの生活に馴染んでいた。彼らの集落での生活は、思っていたよりも快適で、むしろ俺のほうが文明に頼りすぎていたことを思い知らされる毎日だ。
今朝も、いつものように罠の確認をするため、森の中へと足を運ぶ。
仕掛けた罠に、茶色いウサギがかかっていた。縄に絡まったまま、ピクリとも動かない。
「すまんな……」
ウサギの首元に手を添え、石のナイフで素早くしめる。まだこの行為に対する抵抗は完全に消えたわけではないが、それでも最初の頃に比べれば、だいぶ慣れてきた。生きるために食べる。それだけのことだ。
血抜きのため、足を縛り、近くの木の枝に吊るす。手際も以前よりスムーズだ。
すると、遠くから低い咆哮が聞こえてきた。
顔を上げて空を見上げる。
そこには、黒いドラゴンの姿があった。
「おおー……!!」
思わず、息を呑む。
男なら誰でも好きだろう、ドラゴン。実際にこの目で見るたびに、心の奥底から興奮が湧き上がってくる。
今日はいつもより高度が低い。そのせいか、細部までしっかりとその姿が見えた。
鋭くとがった顔に、一対の長い角。
全身を覆う黒い鱗。
翼とは別に、しっかりとした腕まである。
「やっぱ火とか吐くのかな……」
そんなことを考えながら、しばらくその姿を見送った。
ドラゴンが視界から消えると、俺は再び罠にかかったウサギの処理を済ませ、急流の岩場へと向かった。
今日は一人だ。メイコやゴンタたちは集落で別の作業をしている。
俺はここで、魔法の訓練をしてみるつもりだった。
岩の上に腰を下ろし、葉っぱを敷く。
「うーん……なんとなくホワンとしたものが体の中にあるのはわかるようになったけど……これをどうすればいいのかがわからないな」
魔石を飲んだ時に感じた、あの独特な感覚。
体の中に流れるエネルギーのようなものが、確かに存在しているのはわかる。
だが、それをどう扱えばいいのかがわからない。
肉体を強化する魔法とか、空を飛ぶ魔法とか、色々とあるんだろうが、如何せんどうにも先に進めないのが現状だった。
「メイコが教えてくれればいいんだけど……言葉がわからないからなあ」
彼らの言葉は、かなり理解できるようになった。
日常生活に必要な会話なら、もうほぼ問題なくなっている。
しかし、魔法に関しては話が別だ。
魔法の理論や概念を、どうやって伝えればいいのかがわからない。俺の言葉も、彼らには通じない部分がまだまだ多い。
「今日はここまでにしておくか……」
一時間ほど瞑想を続けたが、何も進展はなかった。
諦めて立ち上がる。
その瞬間、頬に冷たいものが落ちてきた。
「……雨か?」
ポツリ、ポツリと、次々に小さな雫が肌を濡らす。
岩の上に斑点がどんどん増えていっている。
遠くで雷鳴が響いた。
「まずいな、早く戻らないと……」
空を見上げると、すでに黒い雲が広がり始めている。
俺は急いで集落へと向かって走り出した。
雨はすぐにスコールのような土砂降りになった。
瞬く間に空は灰色に染まり、大粒の雨が容赦なく降り注ぐ。風も強く、木々の枝が激しく揺れては、葉が舞い散る。まるで嵐の真っただ中に放り込まれたような感覚だった。
俺は体を濡らしながら、なんとか集落へと戻ろうとした。
道はぬかるみ、足を取られるたびに何度も転びそうになる。全身が雨に打たれ、衣服が肌に張り付いて気持ちが悪い。視界も悪く、前がよく見えない。
その時、かすかに俺を呼ぶ声が聞こえた。
「ケイスケー!」
顔を上げると、雨の中を必死に駆け寄ってくるゴンタの姿が見えた。
「ゴンタ! 探しに来てくれたのか!」
ゴンタは荒い息をつきながら、俺の前に立った。
「ソウ、デモマズイ、ミンナ、ニゲタ」
どうやら、集落のみんなはすでに避難しているらしい。
それほど、この嵐が危険だということなのだろう。
「カワ、カワル、アブナイ」
ゴンタの言葉に、俺ははっとした。
雨による増水で川が氾濫し、流れが変わる可能性があるというのか。
確かに治水もなにもない自然の川だ。季節ごとに川の形が変わるというのは十分あり得る話だった。
「コッチ!」
ゴンタは俺の腕を引き、どこかへと急ぐ。
足元はすでにくるぶしまで水に浸かっていた。雨水が地面を流れ、道が川のようになっている。
俺はゴンタに従い、なんとか上り坂へと辿り着いた。
ここなら少しは安全かもしれない。
「みんながどこにいるのかわかるのか?」
「ワカラナイ、デモ、ダイジョウブ」
その自信はどこから来るのか……。
だが、今はゴンタを信じるしかない。
幸いにも雨風をしのげる岩場の陰を見つけ、そこに腰を下ろした。
「はぁ……」
俺は深く息をつき、ずぶ濡れの体を抱える。
雨はまだ止まないが、少しでも暖を取らなければ危険だ。
しかし、火を起こすには薪が必要だった。
「この豪雨の中、使える薪なんて見つかるのか……」
俺は深いため息をつき、周囲を見回す。
ゴンタもじっと俺を見ていた。
「タブン、コノママ、ズットフル」
ゴンタの言葉に、俺は空を見上げた。
灰色の雲は厚く、どこまでも続いている。
このまま雨が降り続けるならば、何かしらの対策を考えなければならない。
俺はもう一度立ち上がり、薪を探し始めた。
生き延びるために、できることをしなくてはならない。
そして、この嵐が過ぎ去った後、俺たちはまた新たな試練に直面するのかもしれない――。
20
あなたにおすすめの小説
異世界翻訳者の想定外な日々 ~静かに読書生活を送る筈が何故か家がハーレム化し金持ちになったあげく黒覆面の最強怪傑となってしまった~
於田縫紀
ファンタジー
図書館の奥である本に出合った時、俺は思い出す。『そうだ、俺はかつて日本人だった』と。
その本をつい翻訳してしまった事がきっかけで俺の人生設計は狂い始める。気がつけば美少女3人に囲まれつつ仕事に追われる毎日。そして時々俺は悩む。本当に俺はこんな暮らしをしてていいのだろうかと。ハーレム状態なのだろうか。単に便利に使われているだけなのだろうかと。
ウォーキング・オブ・ザ・ヒーロー!ウォークゲーマーの僕は今日もゲーム(スキル)の為に異世界を歩く
まったりー
ファンタジー
主人公はウォークゲームを楽しむ高校生、ある時学校の教室で異世界召喚され、クラス全員が異世界に行ってしまいます。
国王様が魔王を倒してくれと頼んできてステータスを確認しますが、主人公はウォーク人という良く分からない職業で、スキルもウォークスキルと記され国王は分からず、いらないと判定します、何が出来るのかと聞かれた主人公は、ポイントで交換できるアイテムを出そうとしますが、交換しようとしたのがパンだった為、またまた要らないと言われてしまい、今度は城からも追い出されます。
主人公は気にせず、ウォークスキルをゲームと同列だと考え異世界で旅をします。
パワハラで会社を辞めた俺、スキル【万能造船】で自由な船旅に出る~現代知識とチート船で水上交易してたら、いつの間にか国家予算レベルの大金を稼い
☆ほしい
ファンタジー
過労とパワハラで心身ともに限界だった俺、佐伯湊(さえきみなと)は、ある日異世界に転移してしまった。神様から与えられたのは【万能造船】というユニークスキル。それは、設計図さえあれば、どんな船でも素材を消費して作り出せるという能力だった。
「もう誰にも縛られない、自由な生活を送るんだ」
そう決意した俺は、手始めに小さな川舟を作り、水上での生活をスタートさせる。前世の知識を活かして、この世界にはない調味料や保存食、便利な日用品を自作して港町で売ってみると、これがまさかの大当たり。
スキルで船をどんどん豪華客船並みに拡張し、快適な船上生活を送りながら、行く先々の港町で特産品を仕入れては別の町で売る。そんな気ままな水上交易を続けているうちに、俺の資産はいつの間にか小国の国家予算を軽く超えていた。
これは、社畜だった俺が、チートな船でのんびりスローライフを送りながら、世界一の商人になるまでの物語。
異世界へ行って帰って来た
バルサック
ファンタジー
ダンジョンの出現した日本で、じいさんの形見となった指輪で異世界へ行ってしまった。
そして帰って来た。2つの世界を往来できる力で様々な体験をする神須勇だった。
そんなに妹が好きなら死んであげます。
克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。
『思い詰めて毒を飲んだら周りが動き出しました』
フィアル公爵家の長女オードリーは、父や母、弟や妹に苛め抜かれていた。
それどころか婚約者であるはずのジェイムズ第一王子や国王王妃にも邪魔者扱いにされていた。
そもそもオードリーはフィアル公爵家の娘ではない。
イルフランド王国を救った大恩人、大賢者ルーパスの娘だ。
異世界に逃げた大魔王を追って勇者と共にこの世界を去った大賢者ルーパス。
何の音沙汰もない勇者達が死んだと思った王達は……
はずれスキル『本日一粒万倍日』で金も魔法も作物もなんでも一万倍 ~はぐれサラリーマンのスキル頼みな異世界満喫日記~
緋色優希
ファンタジー
勇者召喚に巻き込まれて異世界へやってきたサラリーマン麦野一穂(むぎのかずほ)。得たスキルは屑(ランクレス)スキルの『本日一粒万倍日』。あまりの内容に爆笑され、同じように召喚に巻き込まれてきた連中にも馬鹿にされ、一人だけ何一つ持たされず荒城にそのまま置き去りにされた。ある物と言えば、水の樽といくらかの焼き締めパン。どうする事もできずに途方に暮れたが、スキルを唱えたら水樽が一万個に増えてしまった。また城で見つけた、たった一枚の銀貨も、なんと銀貨一万枚になった。どうやら、あれこれと一万倍にしてくれる不思議なスキルらしい。こんな世界で王様の助けもなく、たった一人どうやって生きたらいいのか。だが開き直った彼は『住めば都』とばかりに、スキル頼みでこの異世界での生活を思いっきり楽しむ事に決めたのだった。
無尽蔵の魔力で世界を救います~現実世界からやって来た俺は神より魔力が多いらしい~
甲賀流
ファンタジー
なんの特徴もない高校生の高橋 春陽はある時、異世界への繋がるダンジョンに迷い込んだ。なんだ……空気中に星屑みたいなのがキラキラしてるけど?これが全て魔力だって?
そしてダンジョンを突破した先には広大な異世界があり、この世界全ての魔力を行使して神や魔族に挑んでいく。
俺の伯爵家大掃除
satomi
ファンタジー
伯爵夫人が亡くなり、後妻が連れ子を連れて伯爵家に来た。俺、コーは連れ子も可愛い弟として受け入れていた。しかし、伯爵が亡くなると後妻が大きい顔をするようになった。さらに俺も虐げられるようになったし、可愛がっていた連れ子すら大きな顔をするようになった。
弟は本当に俺と血がつながっているのだろうか?など、学園で同学年にいらっしゃる殿下に相談してみると…
というお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる