79 / 100
第七十九話「マデレイネ司教」
しおりを挟む
朝の空気は冷たく澄んでいて、肌に触れるたびに心が引き締まるようだった。俺は、目的地である教会へと足を速める。目指すは、助祭のヘズンさんだ。
「今日は捕まえるからな……」
俺の気合は十分。
昨日、イテルさんのお腹の子どもの話を聞いてから、俺の頭にはずっと命の精霊と、回復魔法のことが引っかかっていた。命の精霊に働きかけて何かできないか。そのために、今の俺には、より深く魔法を知る必要がある。
だが――。
「いない……だと……?」
教会の扉をそっと開いて中を覗き込むと、そこにいたのは見知らぬ助祭だった。ヘズンさんの姿は、どこにもない。
「これから朝の祈りの時間ですが、ご一緒にどうですか?」
助祭の誘いに、俺は思わず反射的に頷いてしまった。断る理由もなかったし、他の礼拝者たちも集まりつつあって、ここで一人だけ抜けるのも妙に目立ちそうだった。
それにしても、来る時間、間違えたな……。
『そういえば、今日は土木作業をするんじゃなかったっけー?』
「あー。でも依頼を受けたわけじゃないからな。予定変更だよ」
『了解ー』
リラとこっそり会話しながら長椅子に腰掛けると、やがて祭壇の奥から、ひときわ目を引く女性が現れた。長い茶色の髪に艶やかな肌、垂れた目元には穏やかな光が宿り、その瞳がまっすぐ前を見据えている。
マデレイネ司教だ。
彼女の声は柔らかく、それでいてしっかりと響く。
「天にまします我らが神アポロよ、願わくばみ名をあがめさせたまえ。御世を来らせたまえ。こころの天になるごとく、地にもなさせたまえ……」
その祈りの言葉に、礼拝者たちが静かに耳を傾ける。最後の文言が印象的だった。
「……御身とわれらは生まれ出でるより前より繋がり、死してもなおも御身とともに――『ワラーモス』」
『ワラーモス』
皆が斉唱するこの一言が、なぜか耳に残った。
キリスト今日のアーメンみたいな感じだな。意味はなんだろう?
ふと、そんな考えが浮かぶ。ここではありふれた祈りの言葉かもしれないが、俺にとってはどこか懐かしさを感じる響きだった。
礼拝が終わり、周囲の人々が立ち上がる中、俺は少しだけ腰を落としたまま、祭壇の方を眺めていた。すると、見覚えのある白い髪が視界の隅に入る。ティマだ。
祭壇の片づけをしている彼女を見て、思わず声をかけた。
「ティマ!」
「……え?」
ティマが、ぱっとこちらを振り向く。その顔には一瞬だけ緊張の色が浮かんだが、俺の姿を見て、すぐにほぐれた。
「……ケイスケ?」
彼女の周囲には、今日も変わらずキラキラと光の粒が舞っていた。まるで、彼女自身が光を引き寄せているようだ。
俺はティマにヘズンさんの所在を聞くが。
「……ヘズン助祭はいない、よ」
「まじかあ……。出直すかな……」
肩を落とした俺に、ティマがそっと言葉をかけてきた。
「……何か、聞きたいことでも、ある?」
彼女が忙しくないことを確認して、俺はヘズンさんを訪ねた理由を話す。胎児の死産を防ぐために、回復魔法をもっと深く学びたいのだと。
「……そう、なんだ」
「そうなんだよ。回復魔法が、知りたいんだ」
「……私が、使えるのは、あれだけ」
しょんぼりと肩を落とすティマ。その様子がなんとも申し訳なくて、「いや、十分すごいから」と言いかけたところで――。
「どうしました?」
その声に振り向くと、さきほどのマデレイネ司教が立っていた。ティマはすかさず両手の平を胸に当てて礼をしている。思わず俺もティマの動作を真似て、両手の平を胸に当てて礼をした。
「ふふふ、その礼をとるなんて、ケイスケさんも助祭のようですよ」
あ……これ、普通の礼拝者がやる礼じゃなかったのか。確かに周囲の人はしてなかったような……。
「それで? どうしたのです?」
ティマが口を開き、拙いながらも俺の状況を一生懸命に説明してくれる。途中、マデレイネ様の相槌や、俺の補足も入りつつ、なんとか話は伝わったようだった。
「なるほど、回復魔法を知りたいんですね? それなら、私が教えてあげることができると思うわ」
「え? マデレイネ様が、ですか?」
思わずそう言ってしまった俺に、マデレイネ様が微妙に不満げな顔をする。
「……なんですか? 私ではご不満ですか?」
「いやいやいや! そんなことはありません!」
マデレイネ様は大分偉そうな人だ。だからただただ恐れ多いだけです。
「そうですか……私なら色んな回復魔法を教えてあげられるんですけどね……。昨日、お話ししましょうって約束したはずなんですけどね……。およよよよよ……」
マデレイネ様は袖で目元を隠して、泣きまねを始めた。わざとらしいにもほどがある演技だったが、見事なまでに茶目っ気たっぷりだ。
……あ、これ完全にからかわれてるな。
そう察した俺は、恥をかなぐり捨ててノってやることにした。
「あー、是非ともマデレイネ様に教えてもらいたいなー! 美人で優しそうなマデレイネ様に、回復魔法を教わりたいなー! お話したいなー!」
明後日の方向を見ながらそう言うと、今度は横でティマが慌て始めた。
「……え? ……あの!? ……あう」
「ティマもマデレイネ様に教わりたいよなー?」
「……え!?」
そして唐突のパス。ティマは予想通り、固まった。
「そうなのか……、ティマはマデレイネ様に教わりたくないのか……?」
大げさに眉尻を下げて言うと、さらにティマが狼狽える。
そして、とどめとばかりに――。
「ティマは、私には教わりたくないというのですね……。悲しいです。およよよよよ」
――また泣きまねを始めるマデレイネ様。なんだこの人、絶対楽しい人だ。
でも、こんな人が司教なんて……いや、むしろ、こんな風に人の心に近い存在だからこそ、信仰が集まるのかもしれない。
でもさすがにティマの様子がいっぱいいっぱいでやばそうなので、この辺にしておこう。
「じゃあ、お願いします。俺に回復魔法、教えてください」
「はい、喜んで」
マデレイネ様が、にこりと笑った。
その笑顔は、祈りのときの威厳ある姿とはまた違って、どこか母性すら感じさせる柔らかさだった。
こうして、俺とティマは、マデレイネ様から直接、回復魔法を学ぶことになった。
目指すのは――新しい命を守るための、希望の魔法だ。
「今日は捕まえるからな……」
俺の気合は十分。
昨日、イテルさんのお腹の子どもの話を聞いてから、俺の頭にはずっと命の精霊と、回復魔法のことが引っかかっていた。命の精霊に働きかけて何かできないか。そのために、今の俺には、より深く魔法を知る必要がある。
だが――。
「いない……だと……?」
教会の扉をそっと開いて中を覗き込むと、そこにいたのは見知らぬ助祭だった。ヘズンさんの姿は、どこにもない。
「これから朝の祈りの時間ですが、ご一緒にどうですか?」
助祭の誘いに、俺は思わず反射的に頷いてしまった。断る理由もなかったし、他の礼拝者たちも集まりつつあって、ここで一人だけ抜けるのも妙に目立ちそうだった。
それにしても、来る時間、間違えたな……。
『そういえば、今日は土木作業をするんじゃなかったっけー?』
「あー。でも依頼を受けたわけじゃないからな。予定変更だよ」
『了解ー』
リラとこっそり会話しながら長椅子に腰掛けると、やがて祭壇の奥から、ひときわ目を引く女性が現れた。長い茶色の髪に艶やかな肌、垂れた目元には穏やかな光が宿り、その瞳がまっすぐ前を見据えている。
マデレイネ司教だ。
彼女の声は柔らかく、それでいてしっかりと響く。
「天にまします我らが神アポロよ、願わくばみ名をあがめさせたまえ。御世を来らせたまえ。こころの天になるごとく、地にもなさせたまえ……」
その祈りの言葉に、礼拝者たちが静かに耳を傾ける。最後の文言が印象的だった。
「……御身とわれらは生まれ出でるより前より繋がり、死してもなおも御身とともに――『ワラーモス』」
『ワラーモス』
皆が斉唱するこの一言が、なぜか耳に残った。
キリスト今日のアーメンみたいな感じだな。意味はなんだろう?
ふと、そんな考えが浮かぶ。ここではありふれた祈りの言葉かもしれないが、俺にとってはどこか懐かしさを感じる響きだった。
礼拝が終わり、周囲の人々が立ち上がる中、俺は少しだけ腰を落としたまま、祭壇の方を眺めていた。すると、見覚えのある白い髪が視界の隅に入る。ティマだ。
祭壇の片づけをしている彼女を見て、思わず声をかけた。
「ティマ!」
「……え?」
ティマが、ぱっとこちらを振り向く。その顔には一瞬だけ緊張の色が浮かんだが、俺の姿を見て、すぐにほぐれた。
「……ケイスケ?」
彼女の周囲には、今日も変わらずキラキラと光の粒が舞っていた。まるで、彼女自身が光を引き寄せているようだ。
俺はティマにヘズンさんの所在を聞くが。
「……ヘズン助祭はいない、よ」
「まじかあ……。出直すかな……」
肩を落とした俺に、ティマがそっと言葉をかけてきた。
「……何か、聞きたいことでも、ある?」
彼女が忙しくないことを確認して、俺はヘズンさんを訪ねた理由を話す。胎児の死産を防ぐために、回復魔法をもっと深く学びたいのだと。
「……そう、なんだ」
「そうなんだよ。回復魔法が、知りたいんだ」
「……私が、使えるのは、あれだけ」
しょんぼりと肩を落とすティマ。その様子がなんとも申し訳なくて、「いや、十分すごいから」と言いかけたところで――。
「どうしました?」
その声に振り向くと、さきほどのマデレイネ司教が立っていた。ティマはすかさず両手の平を胸に当てて礼をしている。思わず俺もティマの動作を真似て、両手の平を胸に当てて礼をした。
「ふふふ、その礼をとるなんて、ケイスケさんも助祭のようですよ」
あ……これ、普通の礼拝者がやる礼じゃなかったのか。確かに周囲の人はしてなかったような……。
「それで? どうしたのです?」
ティマが口を開き、拙いながらも俺の状況を一生懸命に説明してくれる。途中、マデレイネ様の相槌や、俺の補足も入りつつ、なんとか話は伝わったようだった。
「なるほど、回復魔法を知りたいんですね? それなら、私が教えてあげることができると思うわ」
「え? マデレイネ様が、ですか?」
思わずそう言ってしまった俺に、マデレイネ様が微妙に不満げな顔をする。
「……なんですか? 私ではご不満ですか?」
「いやいやいや! そんなことはありません!」
マデレイネ様は大分偉そうな人だ。だからただただ恐れ多いだけです。
「そうですか……私なら色んな回復魔法を教えてあげられるんですけどね……。昨日、お話ししましょうって約束したはずなんですけどね……。およよよよよ……」
マデレイネ様は袖で目元を隠して、泣きまねを始めた。わざとらしいにもほどがある演技だったが、見事なまでに茶目っ気たっぷりだ。
……あ、これ完全にからかわれてるな。
そう察した俺は、恥をかなぐり捨ててノってやることにした。
「あー、是非ともマデレイネ様に教えてもらいたいなー! 美人で優しそうなマデレイネ様に、回復魔法を教わりたいなー! お話したいなー!」
明後日の方向を見ながらそう言うと、今度は横でティマが慌て始めた。
「……え? ……あの!? ……あう」
「ティマもマデレイネ様に教わりたいよなー?」
「……え!?」
そして唐突のパス。ティマは予想通り、固まった。
「そうなのか……、ティマはマデレイネ様に教わりたくないのか……?」
大げさに眉尻を下げて言うと、さらにティマが狼狽える。
そして、とどめとばかりに――。
「ティマは、私には教わりたくないというのですね……。悲しいです。およよよよよ」
――また泣きまねを始めるマデレイネ様。なんだこの人、絶対楽しい人だ。
でも、こんな人が司教なんて……いや、むしろ、こんな風に人の心に近い存在だからこそ、信仰が集まるのかもしれない。
でもさすがにティマの様子がいっぱいいっぱいでやばそうなので、この辺にしておこう。
「じゃあ、お願いします。俺に回復魔法、教えてください」
「はい、喜んで」
マデレイネ様が、にこりと笑った。
その笑顔は、祈りのときの威厳ある姿とはまた違って、どこか母性すら感じさせる柔らかさだった。
こうして、俺とティマは、マデレイネ様から直接、回復魔法を学ぶことになった。
目指すのは――新しい命を守るための、希望の魔法だ。
0
あなたにおすすめの小説
異世界翻訳者の想定外な日々 ~静かに読書生活を送る筈が何故か家がハーレム化し金持ちになったあげく黒覆面の最強怪傑となってしまった~
於田縫紀
ファンタジー
図書館の奥である本に出合った時、俺は思い出す。『そうだ、俺はかつて日本人だった』と。
その本をつい翻訳してしまった事がきっかけで俺の人生設計は狂い始める。気がつけば美少女3人に囲まれつつ仕事に追われる毎日。そして時々俺は悩む。本当に俺はこんな暮らしをしてていいのだろうかと。ハーレム状態なのだろうか。単に便利に使われているだけなのだろうかと。
ウォーキング・オブ・ザ・ヒーロー!ウォークゲーマーの僕は今日もゲーム(スキル)の為に異世界を歩く
まったりー
ファンタジー
主人公はウォークゲームを楽しむ高校生、ある時学校の教室で異世界召喚され、クラス全員が異世界に行ってしまいます。
国王様が魔王を倒してくれと頼んできてステータスを確認しますが、主人公はウォーク人という良く分からない職業で、スキルもウォークスキルと記され国王は分からず、いらないと判定します、何が出来るのかと聞かれた主人公は、ポイントで交換できるアイテムを出そうとしますが、交換しようとしたのがパンだった為、またまた要らないと言われてしまい、今度は城からも追い出されます。
主人公は気にせず、ウォークスキルをゲームと同列だと考え異世界で旅をします。
パワハラで会社を辞めた俺、スキル【万能造船】で自由な船旅に出る~現代知識とチート船で水上交易してたら、いつの間にか国家予算レベルの大金を稼い
☆ほしい
ファンタジー
過労とパワハラで心身ともに限界だった俺、佐伯湊(さえきみなと)は、ある日異世界に転移してしまった。神様から与えられたのは【万能造船】というユニークスキル。それは、設計図さえあれば、どんな船でも素材を消費して作り出せるという能力だった。
「もう誰にも縛られない、自由な生活を送るんだ」
そう決意した俺は、手始めに小さな川舟を作り、水上での生活をスタートさせる。前世の知識を活かして、この世界にはない調味料や保存食、便利な日用品を自作して港町で売ってみると、これがまさかの大当たり。
スキルで船をどんどん豪華客船並みに拡張し、快適な船上生活を送りながら、行く先々の港町で特産品を仕入れては別の町で売る。そんな気ままな水上交易を続けているうちに、俺の資産はいつの間にか小国の国家予算を軽く超えていた。
これは、社畜だった俺が、チートな船でのんびりスローライフを送りながら、世界一の商人になるまでの物語。
異世界へ行って帰って来た
バルサック
ファンタジー
ダンジョンの出現した日本で、じいさんの形見となった指輪で異世界へ行ってしまった。
そして帰って来た。2つの世界を往来できる力で様々な体験をする神須勇だった。
そんなに妹が好きなら死んであげます。
克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。
『思い詰めて毒を飲んだら周りが動き出しました』
フィアル公爵家の長女オードリーは、父や母、弟や妹に苛め抜かれていた。
それどころか婚約者であるはずのジェイムズ第一王子や国王王妃にも邪魔者扱いにされていた。
そもそもオードリーはフィアル公爵家の娘ではない。
イルフランド王国を救った大恩人、大賢者ルーパスの娘だ。
異世界に逃げた大魔王を追って勇者と共にこの世界を去った大賢者ルーパス。
何の音沙汰もない勇者達が死んだと思った王達は……
はずれスキル『本日一粒万倍日』で金も魔法も作物もなんでも一万倍 ~はぐれサラリーマンのスキル頼みな異世界満喫日記~
緋色優希
ファンタジー
勇者召喚に巻き込まれて異世界へやってきたサラリーマン麦野一穂(むぎのかずほ)。得たスキルは屑(ランクレス)スキルの『本日一粒万倍日』。あまりの内容に爆笑され、同じように召喚に巻き込まれてきた連中にも馬鹿にされ、一人だけ何一つ持たされず荒城にそのまま置き去りにされた。ある物と言えば、水の樽といくらかの焼き締めパン。どうする事もできずに途方に暮れたが、スキルを唱えたら水樽が一万個に増えてしまった。また城で見つけた、たった一枚の銀貨も、なんと銀貨一万枚になった。どうやら、あれこれと一万倍にしてくれる不思議なスキルらしい。こんな世界で王様の助けもなく、たった一人どうやって生きたらいいのか。だが開き直った彼は『住めば都』とばかりに、スキル頼みでこの異世界での生活を思いっきり楽しむ事に決めたのだった。
無尽蔵の魔力で世界を救います~現実世界からやって来た俺は神より魔力が多いらしい~
甲賀流
ファンタジー
なんの特徴もない高校生の高橋 春陽はある時、異世界への繋がるダンジョンに迷い込んだ。なんだ……空気中に星屑みたいなのがキラキラしてるけど?これが全て魔力だって?
そしてダンジョンを突破した先には広大な異世界があり、この世界全ての魔力を行使して神や魔族に挑んでいく。
俺の伯爵家大掃除
satomi
ファンタジー
伯爵夫人が亡くなり、後妻が連れ子を連れて伯爵家に来た。俺、コーは連れ子も可愛い弟として受け入れていた。しかし、伯爵が亡くなると後妻が大きい顔をするようになった。さらに俺も虐げられるようになったし、可愛がっていた連れ子すら大きな顔をするようになった。
弟は本当に俺と血がつながっているのだろうか?など、学園で同学年にいらっしゃる殿下に相談してみると…
というお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる