王人

神田哲也(鉄骨)

文字の大きさ
表紙へ
17 / 114
2巻

2-1

しおりを挟む

 第一章



 俺がアラン・ファー・レイナルとしてこの異世界に転生し、十五歳になった春先のある日。
 俺は、レイナル城内にある父・ヤンの執務室の入り口に立っていた。
 レイナル城は俺達家族が暮らす城で、父はレイナル領の領主なのだ。
 執務室の中では父が、警備隊隊長のヴィルホさんと話し合っている。

「盗賊?」
「ああ、最近頻繁ひんぱんに出るらしい。このレイナル領と首都ダオスタを結ぶ、谷間の山道にな。あの辺りはレイナル領じゃなく隣のドンバン領になるんだが、狙われているのはダオスタへ運ばれる『虹石にじいし』だ。それに、どうやらゴブリンなんかも出没するようになってるらしい。無視できる問題じゃねえし、一度ダオスタへの物資輸送隊に同行する必要があるんじゃねえかと思ってよ」
「なるほどな……」

 俺は立ったまま、長引きそうな二人の話を聞いていた。ちなみに虹石というのは虹のようにカラフルで美しい鉱石のことだ。もともとは俺が領内のとある洞窟で偶然見つけたものを、ネックレスにして妹のフィアスに誕生日プレゼントとして贈ったのだが、その美しさに魅了された貴族達の間で大変な人気となり、今ではレイナル領が誇る名産品になっている。

「それで、被害は?」

 父がヴィルホさんに聞く。

「ダオスタ側の輸送隊にけっこう出てるようだ。虹石もかなり奪われちまってるらしい。レイナル領側の輸送隊には、今のところ被害はない。ま、盗賊が出没する地点は、レイナル領輸送隊からダオスタ輸送隊に物資を引き渡した後だから当たり前だが」
「そうか……。確かに、一度我々が同行したほうがいいかもしれんな」
「ああ」
「次の虹石の輸送はいつだ?」
「……十日後だ」
「よし、その時に俺達も輸送隊に加わろう」
「わかった。……だがよ、襲撃してくる盗賊どもを撃退することはできるだろうが、おそらく捕まえるのは無理だぞ」

 ヴィルホさんの言葉に、父が間を置かず答える。

「別働隊がいれば、話は別だ」
「別働隊?」
「そうだ。襲撃される地点は決まってるんだろ? だったら別働隊を配備して挟み撃ちにすりゃいい。……で、盗賊の人数はわかってるのか?」
「二十人前後だと聞いてる。だがその別働隊、誰が率いるんだ?」
「そうだな……」

 所在なく立っていた俺に、父が視線を向ける。

「アラン」
「はい」

 真剣な雰囲気だったので、つい固い声で返事をしてしまう。
 そんな俺に父は告げた。

「お前ももう大人だ。手伝ってもらうぞ」


   †


 ――輸送隊出発の日。
 俺は革製の防具を身に着け、背には長剣を負っている。
 厚い革を何枚か重ねて作られた胸当てと籠手こてひざまであるブーツ、腰には薬草とラスを呼ぶ犬笛、それに五本のスローイングナイフを下げていた。巨狼のラスは大きくて目立ちすぎるから連れていくことはできないが、念のため犬笛だけは持っていくことにした。
 腰丈のマントのフードを被れば、俺はどこぞの暗殺者といった風体ふうていである。
 それもそのはず、俺に与えられた任務は別働隊を率いて、輸送隊を狙っている盗賊を背後から奇襲することだからだ。敵に気づかれないよう、目立たず、かつ身軽な装備でなければならない。
 そろそろ出発の時間だ。
 俺が率いる別働隊は、父とヴィルホさんが護衛する輸送隊より少し先にレイナル城を発つことになっていた。輸送隊を待ち伏せているであろう盗賊達を見つけ、監視して、いつでも奇襲できるよう備えておくためだ。
 隊員は猫人ねこびと犬人いぬびと、計二十名。皆、俺と同じような装備である。
 今回の任務では整備された道ではなく山や森の獣道けものみちをひたすら進むことになるため、一般的な人間に比べて身体能力が高く、五感のすぐれている者が選ばれた。
 猫人部隊のリーダーはダーナさん、そして犬人部隊のリーダーはペトリさんだ。
 ペトリさんは大きな垂れ耳とふさふさの尻尾を持つ犬人の男性で、顔立ちは人間とほとんど変わらない。
 三十歳の彼は最近子供が生まれ、毎日とても充実しているそうだ。この任務を終えたらしばらく妻子とゆっくり過ごしたいと言っていたが、俺にはそれが死亡フラグな気がしてならず、握手ついでに俺の能力――触れた相手の力を強化する特殊能力――を使っておいた。
 犬人にはコボルト族と犬人族がいる。小柄で顔がまんま犬なのがコボルト族で、人間に似た外見ながらも耳だけ犬の垂れ耳を持つのが犬人族。いずれも男性種族である。
 一昨年おととし結婚したダーナさんは、居残り組である夫の元近衛騎士団兵・セアドさんと熱い抱擁ほうようを交わしているところだ。二人とも、周囲からのからかいの声にもまったく動じていない。結婚当初は手をつないでいるところを皆にからかわれるだけで動揺していたのに……変われば変わるものである。

「よし! それでは行こう!」

 セアドさんとの抱擁を終えたダーナさんが号令をかけたが、実はダーナさん待ちだったことは皆黙っていた。


   †


「明日は山に入りますね」

 出発して二日目の夜、一緒に焚火たきびを囲んでいたペトリさんが言った。

「そうですね、あの山を越えたらドンバン領です。そこからは獣のサポートもないから、ゆっくり過ごせる夜もこれで終わりかな。それに、明日からはこうして火を起こすこともできませんから」
「そうだニャ。アランのお蔭で今も獣が見張ってくれてるが、明日からはそうはいかニャいんだろうニャ」
「父達の輸送隊も今はゆっくり過ごしているみたいです。あと、明日は少しペースを上げたほうがいいかもしれません」

 俺は手元にある小さな紙片を見ながら二人に伝えた。
 俺の左肩にはその紙片を運んできてくれた真紅のオウムが止まっている。こいつの名前はポータだ。
 このポータ、以前俺が能力を使った鳥で、人の声を完璧に再現できる特技を持っている。いつの間にか鳥の弱点である鳥目を克服していて、今では普通に闇夜の中を飛び回ることができ、俺達家族の伝達役を一手に引き受けてくれているのだ。少々忘れっぽいのが玉にきずだが。
 周囲を見渡す。
 小さなうさぎは耳を立てて辺りの音を探り、狼は鼻をヒクヒク動かして匂いを嗅ぎとっていた。頭上には蝙蝠こうもりが飛んでいる。おそらく超音波で周辺に異常がないか確認しているのだろう。また、少し離れた茂みでは、蛇が温度を感知して警戒を行っていた。皆、俺達のために働いてくれている。
 彼らは皆、かつて俺が能力を使った獣達だ。
 明日はいよいよレイナル領の外に出る。そうなると、危険も増えるだろう。
 盗賊だけでなく、ゴブリンも出没するという話だ。他にも、もしかしたらオークなんかも出てくるかもしれない。
 俺が頼めば、獣達はきっとレイナル領の外にもついてきてくれる。だがこの先の危険な旅に、彼らを巻き込みたくなかった。

「それにしても、アラン様は不思議な方ですね。こんなにも獣に好かれるなんて。そのうえ、剣や法術にも精通しているとか、すごすぎですよ」
「うん。さすが、あのヤン様とマリア様の子供だニャ」
「あはは。そう言ってもらえるのはありがたいんですが、俺なんか両親には遠く及ばないですよ」

 これは本当のことだ。俺は武芸や法術において、まだまだ両親には及ばない。
 剣や体術では、父に軽くあしらわれている。先日も手合わせをしたのだが、父を疲れさせることすらできなかった。終わった後、俺は汗だくで倒れてしまったのに、だ。
 法術では母の知識にまったく追いつけない。法術の話をしても、母が何を言っているのかわからないことが多々ある。
 いや、俺も努力はしているんだ。
 剣術も法術も、毎日欠かさずに磨いている。
 それにもかかわらず、両親に追いつく自分がイメージできない。
 俺の力によって、二人の能力が引き上げられているせいなんだろうけどね……。

「いやいや、我々だってアラン様には及びませんよ」
「む? そうか? 私やセアドは、アランと結構いい勝負するぞ?」
「あんた達はな。俺からすりゃ、あんたやセアドさんだって大概ですよ、まったく」

 ダーナさんが言ったように、俺、ダーナさん、そしてセアドさんの実力は優劣つけがたい。
 スピード型のダーナさん。パワー型のセアドさん。そしてバランス型の俺。
 三人で訓練すると、お互いの長所、短所を認識しやすい。効果的なのだ。
 だが俺達は普通の兵士と比べて実力が突出しているわけではない。俺達の強さはまだ常識の範囲内だ。

「ていうか、そんなアラン様が遠く及ばないって、ヤン様はどんな化け物なんですか」
「いや、うん……」
「……そうだニャ」
「そういえば、アラン様、ダーナ、セアドの三人対ヤン様で手合わせして、ヤン様一人に手も足も出なかったっていう噂は本当なんですか?」
「……そんなこともありましたね」
「……あったニャあ」
「……本当だったんですね」

 遠い目をして答える俺とダーナさんを見て、ペトリさんがつぶやいた。
 その後も、そんな父といい勝負するヴィルホさんもまた化け物だとか、ヤン様が世界一強くても世界一可愛いのはうちの子だとか(ペトリさん)、いや、うちの夫は世界一の働き者だとか(ダーナさん)、話はよくわからない方向に転がっていき、他のメンバーも交えつつ談笑した。
 そんななごやかな雰囲気とともに、森の夜は静かに過ぎていった。


 山を越え、レイナル領からドンバン領に入った。
 景色がいきなり変わるということはなかったが、レイナル領とは空気が違うのがすぐわかった。
 レイナル領一帯は女神めがみミミラトル様――通称ミミ様――に統治されているが、このドンバン領は管轄外だ。そのためだろうか、うまく言い表せないが、もやもやと体にまとわりつく不快なものを俺は感じていた。
 索敵の術を展開しながら慎重に谷間の道を目指す。獣達はすでに俺達のもとを去った。唯一、茶色い毛並みの狼が三匹、俺達につかず離れずついてきてくれている。俺ははじめ彼らにも引き返すよう伝えたのだが、元々行動範囲が広い彼らはドンバン領にもたびたび足を踏み入れていて慣れているようで、自発的についてきてくれた。
 狼はやはりペトリさん達犬人と相性がいいらしい。ペトリさんらが時折近づいて頭をでたりするのだが、狼は嫌がりもしない。だがこれをダーナさんがやろうとすると牙をいて威嚇いかくする。涙目で「ニャ、ニャんでニャんだ!?」と抗議するダーナさんには気の毒だが、見ていてなごむ光景だった。
 その日の昼前には、合流したダオスタ輸送隊に虹石やその他の物資が引き渡され、父とヴィルホさんはそのままダオスタ輸送隊に加わった。俺達別働隊はその光景を遠くから眺めていた。
 そこからは俺達もさらに気を引き締め、慎重に歩を進める。だが幸いゴブリンや盗賊には遭遇そうぐうしなかった。
 その夜は火もおこさず、各々おのおのが干し肉や硬いパンで空腹をしのぐ。
 睡眠は三交代制だ。
 火がないのでマントと毛布で体を温めるしかなく、日中と比べて格段に寒い夜を、身を寄せ合って過ごした。
 そして夜が明ける。
 今日は輸送隊が例の谷間の道を通過する。
 この辺りまで来ると、どこに盗賊が潜んでいるかわからないため、隠密の得意なダーナさんを先頭にして山中を進む。俺も索敵の術を展開し、警戒を怠らない。
 そして問題の場所のすぐそばまできた。
 眼下の谷には狭い道が通っている。谷の下にはさらに落ち込んだ崖があるが、どれほどの深さなのか見当もつかない。あの下には川が流れているのだと、先日ヴィルホさんは言っていた。こんな場所で襲撃されれば、輸送隊も荷を守ることは難しいだろう。
 やがて、俺の索敵の術に反応があった。
 それは谷間の道に意識を向けている、人間だった。
 数は二十一。
 ダーナさんが手を上げ、俺達は立ち止まる。
 生い茂る木々の先、谷に続く斜面の途中に、盗賊達がいるのだ。
 父とヴィルホさんが同行する輸送隊がこの谷間を通るまで、まだ時間がある。
 俺は集中して他にも盗賊の気配がないか探ってみたが、少なくとも半径五百メートル以内に反応はなかった。連絡役などを置いているものと思っていたが、違うらしい。
 それからさらに時間が経った。
 日は西に傾き始めている。

「輸送隊はまだ来ないのかな」
「……もうそろそろだと思うがニャ」

 俺達はじっとその場に待機していた。
 盗賊達は緊張感のない様子で、五十メートル近く離れたここまでもかすかに聞こえる大きな声でお喋りしている。

「奴ら、緊張感がニャいニャ」
「ええ。大した奴らではなさそうですね」

 その様子を見る限り、少なくとも訓練を積んだ軍人くずれなどではなさそうだ。
 ダーナさんと並んで、茂みの向こうにいる盗賊に意識を向け続ける。
 二十メートルほど先では、ダーナさんの部下の猫人が彼らを見張っていた。

「……! 動きがあった」

 前線の猫人がダーナさんに合図を送ってきた。
 盗賊達の動きが慌ただしくなったようだ。
 どうやら盗賊は双眼鏡で輸送隊の姿を見つけたらしい。さきほどまでと違い、急に辺りに緊張感が漂い始めた。
 やがて、谷間の道に輸送隊が現れた。
 そして盗賊達がいるすぐ下の道に差しかかる。
 荷のありかを見定めたのだろう。一人の盗賊の雄叫びのような号令で、崖の上から矢が放たれた。
 盗賊の急襲に、輸送隊の動きが止まる。その機を逃さず、盗賊達は一気に崖を駆け下りた。
 手に持つ鈍色にびいろの剣を振るうのに何の躊躇ちゅうちょもない。
 欲望が彼らを支配していた。

「行け行け行け! あの荷台だ! あれを落としちまえ!」
「オオオッ!」

 ひときわ堅牢けんろうな荷台を引く二台の馬車。
 その中に虹石があるとにらんだのだろう、盗賊達はまっすぐその二台に向かっていく。
 だが、二人の男が彼らの前に立ちはだかる。
 一人は他の兵士に比べ軽装で、厚手の服の上にすね当てや籠手、胸当てを身に着けている。左手には一般的なものよりも小ぶりの盾、右手には頑丈そうな幅広の剣。不敵な笑みを浮かべて盗賊を迎え撃つのは、わが国の英雄ヤン・ファー・レイナル――俺の父である。

「腕の一本ぐらいは覚悟しろよ!」

 父はそう言いながら剣の腹で盗賊を殴り飛ばす。
 そして盗賊の行く手を阻むもう一人の人物は、その場の誰よりも大柄な男だ。太い腕と足、厚い体を金属の鎧で包んでおり、頭には二本の角が生えたかぶとを被り、手には身の丈を超える巨大な戦斧せんぷを持っている。彼は地面に柄を勢いよく叩きつけ、盗賊に向かって叫んだ。

「オラァ! 覚悟はできてんだろうな、小僧ども!」

 その雄叫びにひるんだ盗賊は二人まとめて戦斧でぎ払われた。その巨体と装備からは考えられない早技だ。
 吹っ飛ばされた二人は背後の岩壁に激突し、その場に崩れ落ちた。
 さすが「鬼将軍」ヴィルホさんだ。
 レイナル城で普段行われている訓練の際、彼の怒声を聞くだけで兵士達は皆萎縮してしまう。今日はそこにたっぷりと殺気まで込められているのだ。あれには盗賊達だって立ちすくんでしまうだろう。
 ヴィルホさんがどっかりと陣取って二台の馬車を守り、父が積極的に切り込んで攻める。
 二人の圧倒的な強さに、盗賊の勢いは鈍化する。

「お、おいなんだよ、あいつら……」

 崖の上の射手が困惑の声をあげる。
 ほとんど一瞬で三人の仲間がやられてしまったのだ。無理もない。
 弓を射る手が止まった彼らに、一人の盗賊が叫んだ。

「てめえら、手が止まってんぞ! 奴らはどうせこの崖を上ってくるこたあできねえんだ、しっかりやれや!」

 立派な装備の大男だ。
 熊のような巨体を重装備で固めたヴィルホさんに比べるとどうしても貧相に見えてしまうが、おそらく彼が盗賊のかしらなのだろう。
 その男の声を受けて盗賊達は慌てて弓を構え直した。

「あ、ああ!」
「す、すまねえ!」
「チッ! あんなのが出張るなんて聞いてねえぞ! 楽な仕事じゃなかったのかよ!」

 盗賊頭はイライラした様子で悪態をついている。
 その視線の先には、今もまた彼の仲間を蹴散らしている二人の男の姿があった。
 盗賊の意識は完全に谷間に向いている。
 今だ。
 俺の合図で、待機していた別働隊が一斉に行動を開始した。
 矢を射っている盗賊は五人。
 猫人五人の放ったナイフは正確に盗賊の弓のつるを捉え、これを切断した。
 すでに弓を構えていた盗賊は力の行き場を失い、勢い余って矢が手から離れた。
 ちょうど弦に指をかけようとしていた盗賊は何もない空間を引っ掻いた。
 矢を取ろうと背中の矢筒に手を伸ばしていた盗賊は、弦が切れたことにすら気づかなかった。

「……何だっ!? ……な!?」
「な、弓がっ!? ……ぐぎゃ!」
「……ぐわっ!?」

 そこに別の猫人が素早く接近し、盗賊達を組み伏せる。
 作戦どおりだ。
 ――たとえ殺す気でかかってきても、決して相手を殺さないこと。
 今回の作戦にあたって、俺は父にそう頼んだ。
 理由を聞かれ、「盗賊達の背後関係を洗い出すため」と答えた。
 今では虹石の流通と販売は国家――グラントラム王国政府の管轄事業となっている。その管理は行き届いており、虹石一つ一つに個別の管理番号と刻印が与えられ、それらがないものは偽物と見なされる。そして偽物を扱った者は法律違反として罰せられるのだ。
 だから盗賊達が虹石を手に入れても、そう簡単に売りさばくことはできないはずなのである。
 虹石を買い取り、売りさばく。もしくは隣国に輸出する。盗賊の背後には、少なくともそうしたことができるだけの力、すなわち財力と人脈を持つ者がいる。そう考えるべきだろう。
 俺のこの考えに父もヴィルホさんも納得し、むやみに盗賊達を殺さないと約束してくれた。
 だが、「殺さないこと」に俺がこだわる本当の理由は別にある。
 この世界では、人の命は軽い。
 人が人の命を奪うという行為に対しての忌避感きひかんが希薄なのだ。
 父にしてもそうで、戦争という特殊な事情があったとはいえ、いや、だからこそかもしれないが、人を殺すということを驚くほど簡単に考えている。
 今回も、この国の法律では「盗賊は死罪」に当たるため、全員殺してしまえばいいと父は考えていた。
 だが俺は死んだ人間がどんな状態になるのかを、この目で見て、知ってしまっている。
 レイナル城裏の牢屋に留まっていた、元領主に搾取さくしゅされ殺された奴隷どれい達の霊。彼らは深い悲しみと憎しみにより、命を失った後も苦しみ続けていた。
 その苦しみがどれほどのものか、俺はそのあとミミ様に聞いた。霊体になってしまうと感覚が生前の何倍も鋭くなるらしい。そのため、頭を割られて死んだ者は頭を割られた時以上の痛みに、腹を切り裂かれた者は切り裂かれた時の何倍もの痛みに苦しむことになる。苦しんで死んだ者は、その苦しみにさいなまれ続け、成仏すらできない。終わりがないのだ。
 今回、返り討ちにって殺されたら、盗賊達もおそらくそうなってしまうだろう。
 俺は、少なくとも自分の手が届く範囲でそんな存在を生み出したくなかった。
 だから、殺さない。
 殺させない。
 そう思った。
 盗賊達は予想外の事態に対応できず、次々と無力化されていく。
 状況を冷静に把握して態勢を立て直す余裕など、彼らにはなかった。
 ――だが。

「くそがっ!」

 カンッ! と甲高い音が響いた。
 剣と剣がぶつかり合ったような音。
 あの盗賊頭の男が、猫人隊員の投げたスローイングナイフを防いだのだ。
 弓を射ていた五人の盗賊と同じように捕縛しようと盗賊頭に接近した隊員も、蹴りを食らって倒れた。
 盗賊頭は辺りを見回し、俺と目が合った。
 そして舌打ちし、こちらに向かってきたのだ。

「くっ! アラン様!」

 倒れた隊員が素早く立ち上がり、俺を守ろうと盗賊頭の前に立ちはだかった。
 だが盗賊頭は剣を鋭く突き出して牽制けんせいしながら、隊員が後ずさったすきふところから小袋を取り出し、中身を周囲にまき散らした。
 白い粉のようなものがみるみる煙となり、辺りを覆う。
 立ち込める白煙。
 俺からは盗賊頭はもちろん、前方の隊員すら見えない。
 今周囲にいるのは、俺と盗賊頭、隊員の三人を除いてダーナさんとペトリさんだけのはず。
 他の隊員達は、父やヴィルホさんに倒された盗賊を捕縛するためすでに谷間に向かってしまった。
 男が煙幕を張る直前、ダーナさんと、少し遅れてペトリさんが、盗賊頭の動きを見てこちらに駆け出すのが見えた。
 しかしこの煙では視認できない。
しおりを挟む
表紙へ
感想 5

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

いまさら謝罪など

あかね
ファンタジー
殿下。謝罪したところでもう遅いのです。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。