彼女が死んだ理由

みどり青

文字の大きさ
20 / 20

十四

しおりを挟む
舞は安川と共に会社に戻った。
休憩室の奥で、とりあえず向かい合って座る。

座った途端、肩から圧力でもかけられたように、舞の体が急に重くなった。
思えば今日は、一日ずっと緊張していた気がする。いや、それを言うなら、慎と女の子を見かけた月曜日からずっとだ。舞はここのところ、いろいろな感情に揺さぶられ、心が落ち着く時間がなかった。

コトリ、と目の前に紅茶のボトルが置かれ、舞はハッとした。どっと疲れて、少しぼうっとしてしまったようだ。
安川が自動販売機で買ってくれた紅茶に、舞は慌ててバッグを探ったが、前回の時と同じく、すぐに安川に遮られた。

「藤野さん、とりあえず飲んで。すごく疲れた顔してる。そんな時は甘い物だよ。ね?」
「……ありがとうございます。いただきます」

舞にはそれ以上、何か言う気力が残っていなかった。素直に安川の善意を受けることにした。
舞の大好きなミルクティー、それがゆっくりと口内にひろがり、喉を潤していく。
いつも買う、飲みなれた紅茶のボトルを見ていると、慎とのことを思い出した。そういえば慎も買ってくれたな、と。舞はその日の楽しかった帰り道がなんだか懐かしかった。

今日、まさか慎のあんな一面を見るとは思わなかった。いつも舞を気遣い、笑顔にしてくれる慎。見た目の印象と違い、普段の彼は礼儀正しくて、常識的なのに……。
そこで舞は、「あ……」と声を上げた。すぐに飲みかけのボトルをテーブルに置き、深々と安川に頭を下げる。

「安川さん、私の友人が酷い態度をとりまして、本当にすみませんでした」

舞の姿に、安川は苦笑して声をかける。

「ちょっと、藤野さんが悪いわけじゃないでしょ?頭あげてよ、僕は気にしてないからさ」
「でも、……はい、すみません。普段はあんな子じゃないんですが……」
「うん、そうなんだろうね」

安川がそう言って穏やかに笑ってくれたので、舞は少しだけほっとした。

それから安川は、自分のコーヒーをぐいっと一口飲むと、でもさ、と口を開いた。

「ああいう男の子は、いつ豹変するかわからないからさ。藤野さんも、気を付けた方がいいと思うよ?」
「……」
「まあ、藤野さんの友達を悪く言うのは気が引けるんだけどね。でも、初対面の相手に、あんな態度とれちゃうってのはさ、ちょっと心配だよ。今日のターゲットは僕だったようだけど、そのうち藤野さんがターゲットになるかもしれないだろ?高校生とはいえ、あっちは体も大きいし、手をあげられたりでもしたら……」

安川の言葉は当然の反応だと思った。確かに慎の態度は酷かったし、舞を心配してくれる安川には感謝の気持ちしかない。
だが、慎はそんなことをするだろうか、と舞は疑問に思う。安川に対するあれだけの態度を現実に目にしたあとでも、舞にはどうしてもその想像ができなかった。
慎が、舞に手をあげるなんて、そんな人道にもとる行為をする想像が。

それでも、安川のその言葉には素直に頷いた。安川は、本当に自分を心配しているだけなのだ。

「今後、付きまとわれたり、何かあったら、遠慮なく相談してね」
「はい。安川さん、ご心配いただきありがとうございます」

舞の返事に満足したのか、安川は姿勢を正すと、

「さて、仕事の話をしようか」

と切り出した。

「藤野さんを連れ出す口実でもあったけど、仕事の話も本当なんだよ。本当は明日にでも話そうと思っていたんだけど、ちょうどいいから今話してしまおう」

話はこうだった。
今、新しい案件のためのチームが編成されている。それは、チェーン服飾店のインターネット販売に伴うウェブサイトの開発で、そのチームに安川と共に舞が参加することになったのだ。
リーダーは山内という大ベテランで、舞は安川の指示のもとコーディングをすることになる。
コーディングとは、コードを書くこと。つまり、設計書に従って、プログラミング言語で、コンピューターへの指示を記述していくのだ。
舞にとっては初めて参加する大きな仕事だ。

「今まで通りの定時退社はもう無理だと思っておいて。水曜日も、まあ、なるべく帰れるようにはするけど、難しいだろうな」
「そんな、大丈夫です!頑張って働きますから!」
「うん、その意気」

舞は、やっと大きな案件ができる、と嬉しくてたまらなかった。また、今後も安川について働けることも安心だった。
安川には入社時からずっと面倒を見てもらっている。舞の実力をよく把握しているし、舞からしても、安川の指導は丁寧でわかりやすかった。

翌日から、舞の環境は一変した。早々にチームが発表され、さっそく仕事にとりかかることになったのだ。
安川とは今まで以上に、密に打ち合わせを重ねていった。
毎日学ぶことだらけで、残業も少しずつ増えていったが、舞は今とても充実した日々を過ごしていた。

慎とは、あの水曜日の夜にメッセージを送ったきりだった。

[これから仕事がとても忙しくなる予定で、しばらく帰りも遅くなるの。また落ち着いたら連絡します]

仕事が忙しくなるのは事実だったが、文章にしてみると、なんだか言い訳のように感じた。もしかしたら、仕事を口実に距離をおいていると誤解されるかもしれない。
そんな不安はあったが、でも、舞にはこれ以上どうしていいかわからなかった。
慎からは、了解したということと、舞の体調を心配すること、それから、連絡を待っているという内容が返ってきた。

仕事が忙しくなったことと、慎と会わなくなったこと、それ以外の舞の生活はおおむね順調だった。

変わったことといえば、仕事の話の延長で、「じゃあこのまま昼飯を」と安川に誘われることが多くなったことだ。
最初は休憩室で食べながら、午後の仕事の確認や進捗などを話していたが、そのうち、外の店にも二人で食べに行くようになった。

それまではほとんど美咲と食べていたので、たまに美咲から『寂しいメール』が飛んでくる。
でも、この仕事の話をしたときに、美咲もとても喜んでくれていたので、本当のところは理解してくれているのだ。
もちろん、舞も寂しい。たまには、美咲と二人の女子会を楽しみたいとも思っている。

だが、ずっと指導を受けている身としては、先輩の誘いを断ることはなかなか難しかった。
仕事の指示の延長で、「今のうち飯行っちゃおう」と言われれば、「そうですね」と返すしかなく、しかもたまにご馳走になったりすると、ますます次回が断りにくいのだ。

奢りはなるべく遠慮したいので、丁寧にお礼を言ったあと、今回限りでと言うのだが、それも、

「まあまあ、藤野さんが今度は後輩にご馳走してあげればいいんだよ」

と言われてしまう。

安川は、とても面倒見のいい人なのだろう。仕事の面でも細やかにサポートしてくれるし、先輩として、後輩を気遣ってくれているのがよくわかる。
なかには気分屋で、イライラしていると後輩に嫌味を言うような先輩もいるのだから、安川のように、穏やかで、優秀な人から指導を受けられる舞は、本当に幸運だと思った。

そんな忙しい日々が続いているある日、安川と二人で外にランチに出た時だった。
舞は安川にこんな提案をされた。

「いつも仕事の話ばかりだから、ランチの時は違う話をしよう」

その言葉に、舞はなんとなく違和感を覚えたが、確かにずっと仕事の話しかしないのでは息が詰まると思い、了承した。
それからは、たいした話ではないが、プライベートの話もするようになった。
安川は話題が豊富で、お互いの趣味の話などをしていると、あっという間に時間が経ってしまう。

しばらくして、社内では、まことしやかにある噂が流れ始めた。
それは、舞が仕事を口実にして安川に付きまとっている、というものだった。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

大丈夫のその先は…

水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。 新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。 バレないように、バレないように。 「大丈夫だよ」 すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m

鬼隊長は元お隣女子には敵わない~猪はひよこを愛でる~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「ひなちゃん。 俺と結婚、しよ?」 兄の結婚式で昔、お隣に住んでいた憧れのお兄ちゃん・猪狩に再会した雛乃。 昔話をしているうちに結婚を迫られ、冗談だと思ったものの。 それから猪狩の猛追撃が!? 相変わらず格好いい猪狩に次第に惹かれていく雛乃。 でも、彼のとある事情で結婚には踏み切れない。 そんな折り、雛乃の勤めている銀行で事件が……。 愛川雛乃 あいかわひなの 26 ごく普通の地方銀行員 某着せ替え人形のような見た目で可愛い おかげで女性からは恨みを買いがちなのが悩み 真面目で努力家なのに、 なぜかよくない噂を立てられる苦労人 × 岡藤猪狩 おかふじいかり 36 警察官でSIT所属のエリート 泣く子も黙る突入部隊の鬼隊長 でも、雛乃には……?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

お前が欲しくて堪らない〜年下御曹司との政略結婚

ラヴ KAZU
恋愛
忌まわしい過去から抜けられず、恋愛に臆病になっているアラフォー葉村美鈴。 五歳の時の初恋相手との結婚を願っている若き御曹司戸倉慶。 ある日美鈴の父親の会社の借金を支払う代わりに美鈴との政略結婚を申し出た慶。 年下御曹司との政略結婚に幸せを感じることが出来ず、諦めていたが、信じられない慶の愛情に困惑する美鈴。 慶に惹かれる気持ちと過去のトラウマから男性を拒否してしまう身体。 二人の恋の行方は……

肉食御曹司の独占愛で極甘懐妊しそうです

沖田弥子
恋愛
過去のトラウマから恋愛と結婚を避けて生きている、二十六歳のさやか。そんなある日、飲み会の帰り際、イケメン上司で会社の御曹司でもある久我凌河に二人きりの二次会に誘われる。ホテルの最上階にある豪華なバーで呑むことになったさやか。お酒の勢いもあって、さやかが強く抱いている『とある願望』を彼に話したところ、なんと彼と一夜を過ごすことになり、しかも恋人になってしまった!? 彼は自分を女除けとして使っているだけだ、と考えるさやかだったが、少しずつ彼に恋心を覚えるようになっていき……。肉食でイケメンな彼にとろとろに蕩かされる、極甘濃密ラブ・ロマンス!

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

兄の親友が彼氏になって、ただいちゃいちゃするだけの話

狭山雪菜
恋愛
篠田青葉はひょんなきっかけで、1コ上の兄の親友と付き合う事となった。 そんな2人のただただいちゃいちゃしているだけのお話です。 この作品は、「小説家になろう」にも掲載しています。

〜仕事も恋愛もハードモード!?〜 ON/OFF♡オフィスワーカー

i.q
恋愛
切り替えギャップ鬼上司に翻弄されちゃうオフィスラブ☆ 最悪な失恋をした主人公とONとOFFの切り替えが激しい鬼上司のオフィスラブストーリー♡ バリバリのキャリアウーマン街道一直線の爽やか属性女子【川瀬 陸】。そんな陸は突然彼氏から呼び出される。出向いた先には……彼氏と見知らぬ女が!? 酷い失恋をした陸。しかし、同じ職場の鬼課長の【榊】は失恋なんてお構いなし。傷が乾かぬうちに仕事はスーパーハードモード。その上、この鬼課長は————。 数年前に執筆して他サイトに投稿してあったお話(別タイトル。本文軽い修正あり)

処理中です...