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Side 直哉 ~記憶再生~
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◇ ◇ ◇
スポーツタイプの車から降り立つと、強い日差しがジリジリと肌を焼く。
それでも、抜けるような青空の下、都内のネバつくような不快感とは違った暑さが心地いい。
28歳になった柏木直哉は、婚約破棄の手続きを弁護士に丸投げして、傷心旅行の名目で無理やり休みをもぎ取り沖縄に来たのだ。
だが、傷心旅行と言っても、婚約相手に対して特別な感情があったわけではなかった。
特に結婚する気も無く、付き合っている人がいるわけではなかった直哉は会社のためになるならと、親から勧められるがまま縁談を受けたのだった。
お見合いをした取引先の令嬢の印象は、華やかなタイプ。釣書には大学卒業は、家事手伝いと書いてあったが、どれだけ家事スキルがあるのか、綺麗にネイルされた長い爪を見た限りでは怪しく思えた。
もともと、両親の離婚、再婚という複雑な家庭環境で育った直哉は結婚に対して良い印象は無い。
婚約したところで、結婚に対してどう期待したらいいのかさえイメージがわかなかった。
ただ、政略結婚といえども、ある程度の線引きが必要だと思った。
そこで、結婚するなら夫婦である以上、最低限のラインとして「浮気をしないこと」にした。もしも貞操観念の無い相手だと、見ず知らずの男の子供を托卵されてしまう可能性があるからだ。
興信所使い調査を入れると、結果はクロ。婚約相手には、他にも付き合っている男が居たのだ。
元々、気の乗らない縁談。向こうの過失で破談になったのは助かったが、自分にはドラマで見るような穏やかな家庭など一生望めそうにない。そんな後ろ向きな気持ちになった。
なので、あながち傷心旅行というのもウソでない。
ふう、と息を細く吐き出した。
沖縄に来たのだから、嫌な事は忘れのんびり過ごそうと、直哉は青い空を仰いだ。
すると、花ブロックの向こうから、誰かがこちらに走って来る気配がした。
「城間別邸にようこそお越しくださいました」
息を弾ませ、明るい声がする。
そこには、20代半ばぐらい、沖縄らしい少しエキゾチックな顔立ちの女性が立っていた。
黒目がちの瞳が印象的で、真っ直ぐな黒い髪がとても綺麗だ。
海からの風が爽やかに吹き抜ける。
ひとめぼれ。
そんな言葉が直哉の脳裏を過る。
そんなのは、小説やドラマの設定ぐらいにしか思っていなかったのに、真っ直ぐ向けられる邪気のない瞳に魅せられてしまう。
「滞在時間中お手伝いさせていただきます、安里遥香と申します。よろしくお願いいたします」
邸内に入り、施設内の様子を一生懸命に説明している彼女ばかりに意識が向いてしまう。
あまり見過ぎては、失礼にも程があると直哉は、庭にあるプールへ視線を外した。
それでも、意識はキッチンでコーヒー入れてくれている遥香の方へと向けられていた。
「お待たせいたしました」
目の前のローテーブルにコトリとコーヒーが置かれる。
前屈みになった遥香の黒髪がサラリと動き、甘い花の香りがふわりと漂う。
それだけで、直哉は思春期の少年のように胸が高鳴る。
遥香の黒い瞳が、直哉へと向けられた。
「今日のご予定はお決まりですか? 近隣のレストランのご予約や観光などサポートさせていただきます」
出来る事なら、一緒に居てもらいたい。このチャンスを逃したくないと直哉は思案する。
「沖縄の北部は水族館ぐらいしか知らないんだ。この建物が気になって来てしまったんだけど、周辺の案内を頼んでもいいかな?」
「あ、こちらに周辺の案内図がございますので……」
遥香は、地図を取り出し説明しようとした。
真面目だな。と思い、直哉はクスリと笑う。
Kロジスティクスの御曹司の直哉のまわりには、その地位を目当てに近づく人が多い。特に女性となれば、女を武器に御曹司の妻の座をねらって擦り寄ってくるのだ。
遥香の一歩引いた態度は、従業員としては当然の振る舞いだったが、直哉の目には新鮮に映った。
「安里さん、君に案内してもらいたいんだ。それに、一人で食事をするのも味気ない。お願いできないだろうか?」
「え? 私ですか?」
驚いたように目を見開く遥香のクリクリと動く瞳が可愛らしく思える。
直哉は、完全に恋に落ちていた。
どうにかして、一緒に居たいと必死だ。
「そう、素敵な女性に案内してもらって、一緒に食事をしてもらったら料理も一層美味しく感じると思うんだ。行ってみたいレストランがあるんだけど、ニ名からでないと予約もできない。付き合ってもらえると助かる」
ちょっと、自分でもヤバないな。と、直哉は苦く笑う。
でも、こうでも言わなければ、真面目そうな遥香は応じてくれそうにない。
やはり引かれてしまっただろうか……。と直哉が、あきらめかけた時、ゆっくりと遥香がうなづいた。
少しは脈があるのでは?と、直哉は期待感を膨らませ車の助手席のドアを「どうぞ」と開く。
助手席に乗り込む、遥香との近い距離を意識してしまう。
そんな、思いを隠しつつ声を掛ける。
「どこか、おすすめある?」
「おすすめですか? ドライブなら古宇利島や瀬底島が有名ですが、穴場ならウッパマビーチとか何もなくって素敵ですよ。後は一風変わったプランですが、少し下って鍾乳洞に泡盛を預けるなんてどうですか?」
「鍾乳洞にお酒を預ける?」
「はい、泡盛を鍾乳洞で保管してもらえるサービスがあるんです。5年後10年後に訪れたときに家族が増えていたり、ご自身の環境が変わっていたりいろいろな思い出が加わって、素敵だと思いませんか?」
「また、沖縄に来る口実にもなるわけだ。いいね。気に入った。そこに行こう」
旅行パンフレットに載っていないような地元ならではのオススメスポットを目当てに車を走らせる。
その間もその土地にまつわる話を耳心地の良い声で聴かせてくれて、その心遣いを直哉は嬉しく思った。
高速道路を降りて少しするとお目当ての鍾乳洞にたどり着く。
緑の木々に囲まれた静かな金武観音寺の境内、その一角にある鍾乳洞のゴツゴツとした岩の割れ目をくぐり抜け、狭い下りの階段に差し掛かる。
「安里さん、大丈夫?」
チャンスとばかりに手を差し出すと、遥香がおずおずと手を重ねる。柔らかい手の感触、きれいに整えられた指先。控えめな色のネイルに彼女の誠実な人柄が現れているようだ。
階段を降り切り、手を放すときは少し寂しく感じてしまった。
薄明りに照らされた幻想的な鍾乳洞の中、1万3000本もの泡盛に思い思いのラベルが張られ熟成の時を待っている。
「柏木様はラベルにどんなメッセージを入れますか?」
その言葉の答えに直哉は詰まる。
何せ、婚約破棄をしたばかり、5年後の自分が誰かと居るとは考えづらかった。
「5年後へのメッセージか……。想像もつかないな。穏やかに暮らせて美味しい食事と美味しいお酒があればいいかな」
目の前にいる遥香に心惹かれていても、まだ出会ったばかり、直哉には温かい家庭とかも想像でない。きっと、この旅が終わったらまた仕事漬けの日々を送るのだろう。
「酒造会社から泡盛の通知が5年後に御自宅に届くそうです」
という遥香の言葉を聞きながら、5年後にまた一緒に受け取りに来れたら……。
そのためには、何としても滞在中に近い存在になって、出来れば、穏やかな瞳の遥香とこの先ずっと一緒に過ごせたなら、と直哉は思ってしまう。
出会ったばかり遥香相手に直哉の頭の中では妄想が繰り広げられていた。
自分でも本当におかしいという自覚はある。
それでも、恋の病は確実に体に浸潤していく。
結局、メッセージカードに何を書いていいのか、考えあぐね自分の名前だけ記入して、泡盛を預けた。
車に戻り、ドライブを続ける。行きは高速道路を使ったが帰りは一般道で、沖縄の東海岸を北上していく。
時折、車窓から見えるコバルトブルーの海がきらめいていた。
「この辺りは観光地化がされていないから静かでいい」
「そうですね。途中にあるビーチは人がいなくて、プライベートビーチ感覚で楽しめることもよくあるんです」
「じゃあ、少し散歩してもいい?」
手書きでビーチとだけ書かれた素朴な看板に惹かれ、ハンドルを切り、小道に入る。
たどり着いたのは、誰もいない静かな海岸。
芝生が敷かれた休憩スペースには琉球瓦の東屋もある。そして何よりその先にある白い砂浜と青い海が貸し切りだ。
「ここの砂浜は潮が引くと1キロほども歩いて行ける遠浅の浜で、シュノーケリングやダイビングではクマノミなども見れるらしいです」
その言葉に直哉はうなづく。カレンダーや絵葉書で見るような光景が貸し切りだなんて最高の気分だった。
手を高く伸ばし、大きく息を吸い込む。
「やっぱり沖縄の海はいいなぁ。海の青さも透明度も違う。ましてや、貸し切りの海なんて贅沢極まりない。宿から水着を持ってこなかったのは失敗だったね」
観光客としては、一般論を言ったつもりだったのに遥香がキョトンと目を丸くしている。
「日中、泳いでいるのは観光客だけですよ。地元の人は日焼けの恐ろしさを知っていますから夕方にしか泳ぎません。それに私は水着になんてなりませんよ」
"水着になんてなりません"なんて宣言された。
直哉は、アプローチしすぎて警戒させてしまったのだろうか。遥香は、逆毛を立てた子猫のよう。
そんな、彼女も可愛らしく思えてしまう。会ったばかりなのに直哉は重篤な恋の罹患者だ。
そんな自分がおかしくなりプッと吹き出してしまう。
「残念、安里さんの水着姿見れないんだ」
その言葉にアワアワしている遥香の様子が可愛くて、もう少し困らせたくなった。
「今日は、水着の代わりに裸足になってもらおうかな? 潮の引いた砂浜に足跡をつけたいんだ」
そんな提案に彼女は瞳を丸くする。
「えっ⁉ 私もですか?」
驚いた顔を見せた遥香だったけど、意外にも「ちょっと、待っててください」と言って、木の陰に隠れてゴソゴソとし始めた。
このまま、この場に居たら覗き見しているみたいで、さすがにそれは、ヤバイ奴決定になってしまう。
直哉は、先に素足になってビーチへ繰り出した。
途中、打ち上げられた珊瑚や太陽に焼かれた砂がかなりの難所で、素足は無謀だったかと、後悔しながら波打ち際までとたどり着く。
波打ち際の白い砂は、想像していたよりもきめ細かく、海水を含んだ砂がふかふかで今まで体験したことのない心地よさだ。
歩くたびに足が砂の中にふわりと沈みこむ。
やっぱり、裸足で正解だ。
足元から視線を上げた直哉の瞳に裸足になった遥香の姿が映る。
「おいで」と手招くと、危なっかしい足取りで直哉の方へ歩いてくる。
ホント、可愛い子猫のようだなっと、直哉から笑みがこぼれる。
すると、焦っているのか小走りで来た遥香がグラリとバランスを崩した。
危ない!
と思って慌てて、直哉は手を差し伸べた。
その腕の中へ、遥香が「キャー」と悲鳴を上げながら飛び込んで来る。
腕の中に抱き留めた彼女の髪から、シャンプーの甘い香りが漂う。
細い腰を支えた腕に自然と力がこもる。
できる事ならこのまま胸の中に抱きしめて、柔らかそうなピンクの唇の感触を味わいたくなる。
直哉は、頭の中の理性をかき集め、グッと我慢をした。
けれど、彼女から伝わる体温を間近で感じてドキドキと心臓が跳ねる。
「ご、ごめんなさい」
腕の中で、顔を上げた遥香の顔がすぐ近くにある。黒目がちのきれいな瞳が直哉を見つめていた。
「大丈夫?」
遥香の耳に自分の胸の高鳴りが聞こえてしまうのでは!? と、自覚するほど直哉の鼓動が早く大きく跳ねていた。
「はい、助かりました」
熱い太陽の日差しに焼かれ、遥香の首筋に流れる一筋の汗にさえも嫉妬してしまう。
「怪我していないよね?」
暴走しそうな自分の心をなだめすかす。
「はい……。ありがとうございます」
そう言って、顔をあげた遥香と絡んだ視線を、直哉は離せ無なかった。
熱い太陽にジリジリと焼かれ、足元に波が押し寄せる。
遥香が身じろぎ、ハッと直哉は我に返った。
このままだと客という立場を利用したセクハラになってしまいそうだと、やっとの思いで遥香を支えていた腕を解いた。
ふたりの間に海風が通り過ぎ、熱を攫っていく。それを寂しく思った。
「少し歩こうか」
手を差し出せば、遥香がふわりと微笑み柔らかな手が重なる。そっと繋いだ手の熱を感じながら歩き出した。
波打ち際の砂浜にふたりの足跡が並び、それを寄せては返す波が攫っていく。
恋をしているんだ。と直哉は心の中でつぶやいた。
スポーツタイプの車から降り立つと、強い日差しがジリジリと肌を焼く。
それでも、抜けるような青空の下、都内のネバつくような不快感とは違った暑さが心地いい。
28歳になった柏木直哉は、婚約破棄の手続きを弁護士に丸投げして、傷心旅行の名目で無理やり休みをもぎ取り沖縄に来たのだ。
だが、傷心旅行と言っても、婚約相手に対して特別な感情があったわけではなかった。
特に結婚する気も無く、付き合っている人がいるわけではなかった直哉は会社のためになるならと、親から勧められるがまま縁談を受けたのだった。
お見合いをした取引先の令嬢の印象は、華やかなタイプ。釣書には大学卒業は、家事手伝いと書いてあったが、どれだけ家事スキルがあるのか、綺麗にネイルされた長い爪を見た限りでは怪しく思えた。
もともと、両親の離婚、再婚という複雑な家庭環境で育った直哉は結婚に対して良い印象は無い。
婚約したところで、結婚に対してどう期待したらいいのかさえイメージがわかなかった。
ただ、政略結婚といえども、ある程度の線引きが必要だと思った。
そこで、結婚するなら夫婦である以上、最低限のラインとして「浮気をしないこと」にした。もしも貞操観念の無い相手だと、見ず知らずの男の子供を托卵されてしまう可能性があるからだ。
興信所使い調査を入れると、結果はクロ。婚約相手には、他にも付き合っている男が居たのだ。
元々、気の乗らない縁談。向こうの過失で破談になったのは助かったが、自分にはドラマで見るような穏やかな家庭など一生望めそうにない。そんな後ろ向きな気持ちになった。
なので、あながち傷心旅行というのもウソでない。
ふう、と息を細く吐き出した。
沖縄に来たのだから、嫌な事は忘れのんびり過ごそうと、直哉は青い空を仰いだ。
すると、花ブロックの向こうから、誰かがこちらに走って来る気配がした。
「城間別邸にようこそお越しくださいました」
息を弾ませ、明るい声がする。
そこには、20代半ばぐらい、沖縄らしい少しエキゾチックな顔立ちの女性が立っていた。
黒目がちの瞳が印象的で、真っ直ぐな黒い髪がとても綺麗だ。
海からの風が爽やかに吹き抜ける。
ひとめぼれ。
そんな言葉が直哉の脳裏を過る。
そんなのは、小説やドラマの設定ぐらいにしか思っていなかったのに、真っ直ぐ向けられる邪気のない瞳に魅せられてしまう。
「滞在時間中お手伝いさせていただきます、安里遥香と申します。よろしくお願いいたします」
邸内に入り、施設内の様子を一生懸命に説明している彼女ばかりに意識が向いてしまう。
あまり見過ぎては、失礼にも程があると直哉は、庭にあるプールへ視線を外した。
それでも、意識はキッチンでコーヒー入れてくれている遥香の方へと向けられていた。
「お待たせいたしました」
目の前のローテーブルにコトリとコーヒーが置かれる。
前屈みになった遥香の黒髪がサラリと動き、甘い花の香りがふわりと漂う。
それだけで、直哉は思春期の少年のように胸が高鳴る。
遥香の黒い瞳が、直哉へと向けられた。
「今日のご予定はお決まりですか? 近隣のレストランのご予約や観光などサポートさせていただきます」
出来る事なら、一緒に居てもらいたい。このチャンスを逃したくないと直哉は思案する。
「沖縄の北部は水族館ぐらいしか知らないんだ。この建物が気になって来てしまったんだけど、周辺の案内を頼んでもいいかな?」
「あ、こちらに周辺の案内図がございますので……」
遥香は、地図を取り出し説明しようとした。
真面目だな。と思い、直哉はクスリと笑う。
Kロジスティクスの御曹司の直哉のまわりには、その地位を目当てに近づく人が多い。特に女性となれば、女を武器に御曹司の妻の座をねらって擦り寄ってくるのだ。
遥香の一歩引いた態度は、従業員としては当然の振る舞いだったが、直哉の目には新鮮に映った。
「安里さん、君に案内してもらいたいんだ。それに、一人で食事をするのも味気ない。お願いできないだろうか?」
「え? 私ですか?」
驚いたように目を見開く遥香のクリクリと動く瞳が可愛らしく思える。
直哉は、完全に恋に落ちていた。
どうにかして、一緒に居たいと必死だ。
「そう、素敵な女性に案内してもらって、一緒に食事をしてもらったら料理も一層美味しく感じると思うんだ。行ってみたいレストランがあるんだけど、ニ名からでないと予約もできない。付き合ってもらえると助かる」
ちょっと、自分でもヤバないな。と、直哉は苦く笑う。
でも、こうでも言わなければ、真面目そうな遥香は応じてくれそうにない。
やはり引かれてしまっただろうか……。と直哉が、あきらめかけた時、ゆっくりと遥香がうなづいた。
少しは脈があるのでは?と、直哉は期待感を膨らませ車の助手席のドアを「どうぞ」と開く。
助手席に乗り込む、遥香との近い距離を意識してしまう。
そんな、思いを隠しつつ声を掛ける。
「どこか、おすすめある?」
「おすすめですか? ドライブなら古宇利島や瀬底島が有名ですが、穴場ならウッパマビーチとか何もなくって素敵ですよ。後は一風変わったプランですが、少し下って鍾乳洞に泡盛を預けるなんてどうですか?」
「鍾乳洞にお酒を預ける?」
「はい、泡盛を鍾乳洞で保管してもらえるサービスがあるんです。5年後10年後に訪れたときに家族が増えていたり、ご自身の環境が変わっていたりいろいろな思い出が加わって、素敵だと思いませんか?」
「また、沖縄に来る口実にもなるわけだ。いいね。気に入った。そこに行こう」
旅行パンフレットに載っていないような地元ならではのオススメスポットを目当てに車を走らせる。
その間もその土地にまつわる話を耳心地の良い声で聴かせてくれて、その心遣いを直哉は嬉しく思った。
高速道路を降りて少しするとお目当ての鍾乳洞にたどり着く。
緑の木々に囲まれた静かな金武観音寺の境内、その一角にある鍾乳洞のゴツゴツとした岩の割れ目をくぐり抜け、狭い下りの階段に差し掛かる。
「安里さん、大丈夫?」
チャンスとばかりに手を差し出すと、遥香がおずおずと手を重ねる。柔らかい手の感触、きれいに整えられた指先。控えめな色のネイルに彼女の誠実な人柄が現れているようだ。
階段を降り切り、手を放すときは少し寂しく感じてしまった。
薄明りに照らされた幻想的な鍾乳洞の中、1万3000本もの泡盛に思い思いのラベルが張られ熟成の時を待っている。
「柏木様はラベルにどんなメッセージを入れますか?」
その言葉の答えに直哉は詰まる。
何せ、婚約破棄をしたばかり、5年後の自分が誰かと居るとは考えづらかった。
「5年後へのメッセージか……。想像もつかないな。穏やかに暮らせて美味しい食事と美味しいお酒があればいいかな」
目の前にいる遥香に心惹かれていても、まだ出会ったばかり、直哉には温かい家庭とかも想像でない。きっと、この旅が終わったらまた仕事漬けの日々を送るのだろう。
「酒造会社から泡盛の通知が5年後に御自宅に届くそうです」
という遥香の言葉を聞きながら、5年後にまた一緒に受け取りに来れたら……。
そのためには、何としても滞在中に近い存在になって、出来れば、穏やかな瞳の遥香とこの先ずっと一緒に過ごせたなら、と直哉は思ってしまう。
出会ったばかり遥香相手に直哉の頭の中では妄想が繰り広げられていた。
自分でも本当におかしいという自覚はある。
それでも、恋の病は確実に体に浸潤していく。
結局、メッセージカードに何を書いていいのか、考えあぐね自分の名前だけ記入して、泡盛を預けた。
車に戻り、ドライブを続ける。行きは高速道路を使ったが帰りは一般道で、沖縄の東海岸を北上していく。
時折、車窓から見えるコバルトブルーの海がきらめいていた。
「この辺りは観光地化がされていないから静かでいい」
「そうですね。途中にあるビーチは人がいなくて、プライベートビーチ感覚で楽しめることもよくあるんです」
「じゃあ、少し散歩してもいい?」
手書きでビーチとだけ書かれた素朴な看板に惹かれ、ハンドルを切り、小道に入る。
たどり着いたのは、誰もいない静かな海岸。
芝生が敷かれた休憩スペースには琉球瓦の東屋もある。そして何よりその先にある白い砂浜と青い海が貸し切りだ。
「ここの砂浜は潮が引くと1キロほども歩いて行ける遠浅の浜で、シュノーケリングやダイビングではクマノミなども見れるらしいです」
その言葉に直哉はうなづく。カレンダーや絵葉書で見るような光景が貸し切りだなんて最高の気分だった。
手を高く伸ばし、大きく息を吸い込む。
「やっぱり沖縄の海はいいなぁ。海の青さも透明度も違う。ましてや、貸し切りの海なんて贅沢極まりない。宿から水着を持ってこなかったのは失敗だったね」
観光客としては、一般論を言ったつもりだったのに遥香がキョトンと目を丸くしている。
「日中、泳いでいるのは観光客だけですよ。地元の人は日焼けの恐ろしさを知っていますから夕方にしか泳ぎません。それに私は水着になんてなりませんよ」
"水着になんてなりません"なんて宣言された。
直哉は、アプローチしすぎて警戒させてしまったのだろうか。遥香は、逆毛を立てた子猫のよう。
そんな、彼女も可愛らしく思えてしまう。会ったばかりなのに直哉は重篤な恋の罹患者だ。
そんな自分がおかしくなりプッと吹き出してしまう。
「残念、安里さんの水着姿見れないんだ」
その言葉にアワアワしている遥香の様子が可愛くて、もう少し困らせたくなった。
「今日は、水着の代わりに裸足になってもらおうかな? 潮の引いた砂浜に足跡をつけたいんだ」
そんな提案に彼女は瞳を丸くする。
「えっ⁉ 私もですか?」
驚いた顔を見せた遥香だったけど、意外にも「ちょっと、待っててください」と言って、木の陰に隠れてゴソゴソとし始めた。
このまま、この場に居たら覗き見しているみたいで、さすがにそれは、ヤバイ奴決定になってしまう。
直哉は、先に素足になってビーチへ繰り出した。
途中、打ち上げられた珊瑚や太陽に焼かれた砂がかなりの難所で、素足は無謀だったかと、後悔しながら波打ち際までとたどり着く。
波打ち際の白い砂は、想像していたよりもきめ細かく、海水を含んだ砂がふかふかで今まで体験したことのない心地よさだ。
歩くたびに足が砂の中にふわりと沈みこむ。
やっぱり、裸足で正解だ。
足元から視線を上げた直哉の瞳に裸足になった遥香の姿が映る。
「おいで」と手招くと、危なっかしい足取りで直哉の方へ歩いてくる。
ホント、可愛い子猫のようだなっと、直哉から笑みがこぼれる。
すると、焦っているのか小走りで来た遥香がグラリとバランスを崩した。
危ない!
と思って慌てて、直哉は手を差し伸べた。
その腕の中へ、遥香が「キャー」と悲鳴を上げながら飛び込んで来る。
腕の中に抱き留めた彼女の髪から、シャンプーの甘い香りが漂う。
細い腰を支えた腕に自然と力がこもる。
できる事ならこのまま胸の中に抱きしめて、柔らかそうなピンクの唇の感触を味わいたくなる。
直哉は、頭の中の理性をかき集め、グッと我慢をした。
けれど、彼女から伝わる体温を間近で感じてドキドキと心臓が跳ねる。
「ご、ごめんなさい」
腕の中で、顔を上げた遥香の顔がすぐ近くにある。黒目がちのきれいな瞳が直哉を見つめていた。
「大丈夫?」
遥香の耳に自分の胸の高鳴りが聞こえてしまうのでは!? と、自覚するほど直哉の鼓動が早く大きく跳ねていた。
「はい、助かりました」
熱い太陽の日差しに焼かれ、遥香の首筋に流れる一筋の汗にさえも嫉妬してしまう。
「怪我していないよね?」
暴走しそうな自分の心をなだめすかす。
「はい……。ありがとうございます」
そう言って、顔をあげた遥香と絡んだ視線を、直哉は離せ無なかった。
熱い太陽にジリジリと焼かれ、足元に波が押し寄せる。
遥香が身じろぎ、ハッと直哉は我に返った。
このままだと客という立場を利用したセクハラになってしまいそうだと、やっとの思いで遥香を支えていた腕を解いた。
ふたりの間に海風が通り過ぎ、熱を攫っていく。それを寂しく思った。
「少し歩こうか」
手を差し出せば、遥香がふわりと微笑み柔らかな手が重なる。そっと繋いだ手の熱を感じながら歩き出した。
波打ち際の砂浜にふたりの足跡が並び、それを寄せては返す波が攫っていく。
恋をしているんだ。と直哉は心の中でつぶやいた。
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