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約束ひとつ守れない人に謝られても、ゆるせるわけない。
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◇◇◇
沙羅は、2階にある子供部屋のドアをそっと開けた。就寝時刻を過ぎているというのに部屋の電気は明るいままだ。
部屋の主である美幸はベッドの上でゴロゴロしながら、スマートフォンをポチポチと操作している。
「もう、寝る時間よ。明日、なっちゃんに会いに行くんでしょう」
「うん、いま、なっちゃんと会うの楽しみだねって、ラインしてたの」
「でも、そろそろ寝ないと、寝不足で車酔いするわよ」
「うん、わかった」
少し不満げに口を尖らせた美幸は、それでも素直に机の上の充電器にスマートフォンを置いた。肌掛け布団をかぶると、何か言いたげな瞳を向ける。
「おやすみ、美幸。電気消すわよ」
「はぁい、おやすみなさい」
肌掛け布団から顔を覗かせた美幸から小さな声が聞こえた。
「お母さん、早くお父さんと仲直りしてね」
不意打ちのような言葉に沙羅は息を飲み込む。泣きたい気持ちを抑え、無理に笑顔を作る口元が震えた。
両親の不仲を心配した美幸が、朝から言えずにいた言葉を、沙羅は否定する事など出来ない。やっとの思いで、震えた唇を動かす。
「……そうね。おやすみ」
カチッと照明を消して、ドアを閉じた。
沙羅は、後ろ手にドアノブを握ったまま、歯を食いしばり涙を堪える。
今は、泣いている場合じゃない。
心の中で自分自身を叱咤して、顔を上げた。
沙羅は、重い足取りで階段を下り、リビングのドアを開いた。
定時で帰宅するはずだった政志は、今の時間になってやっと帰って来たのだ。
政志の疲れ切った様子は、片桐との別れ話が、進まなかったのだろうと推測できた。
「美幸は、寝たのか?」
「……ええ」
政志を避けるように、沙羅はダイニングの椅子に腰かけ、思いつめた表情で自分の手元を見つめた。
夫の不倫。
それは、信じていた政志の裏切りであり、到底許せるわけもない。
しかし、一人娘の美幸の将来を思うと自分の生活力では満足な教育も難しいだろう。
沙羅は心の中で、妻としての思いと、母親として思い、その隔たりを埋める答えを探しあぐねる。
ふたりの間に沈黙の時間が流れ、普段気にならない壁掛け時計の音が、カチカチとやけに響く。
沈黙に耐えかねた政志が、紗羅の座るダイニングテーブルの向かい側に立ち、深く頭を下げた。
「沙羅……俺が悪かった。心から反省している」
政志としては、誠心誠意の謝罪つもり。だが、沙羅の口調は、素っ気ないものだった。
「約束ひとつ守れない人に謝られても、その場しのぎで取り繕っているようにしか思えないの」
「すまない。どうしたら……」
続きの言葉を言うのをためらい、肩を落とす政志へ、沙羅は冷ややかな視線を送り、おもむろに立ち上がる。
そして、リビングの端に置かれたチェストの引き出しから、A4サイズの茶封筒を取り出した。
「政志さん、座ってください」
「ああ……」
促されるまま、政志は緊張した面持ちで、テーブルを挟み沙羅の向かい側に座る。
政志の不安気な視線は、沙羅の前に置かれた茶封筒に注がれていた。
沙羅は、細く息を吐き出してから、ゆっくりと話し出す。
「私……毎日、頑張って、家族のために形振り構わず家事をして……それがこんな形で裏切られるなんて、凄いショックでした。何よりも、政志さんの中で、私の扱いがあまりにも軽い物だったと知ったのが悲しかった」
「俺の軽率な行いで、嫌な思いをさせて、本当に悪かったと思ってる。でも、けして沙羅を軽く扱っては居ない。感謝もしているし、誰よりも大切に思っている」
「ウソつかないで、誰よりも大切に思っていたら、私を裏切ったりしないはずよ。それに、私には贈った事も無い高価なプレゼントを彼女には贈っていたじゃない」
その指摘に政志は、視線を泳がせた。
「そ、それは……」
「女として、魅力が失くなった私より、若くて可愛い彼女に価値を感じたんでしょう」
沙羅は、テーブルの上に置いた手をギュッと握り込み、今にも泣き出しそうに瞳を潤ませながら微笑む。
悲しみに満ちた微笑みを、政志は直視出来ずにいた。
「ち、違う。沙羅をそんな風に思ったわけじゃない。俺は、ただ……若い娘に言い寄られて、舞い上がってしまっただけなんだ」
「それで、バレなきゃ不倫してもいいって、思ったんだ。……それとも、バレても泣きつく実家が無い女なんて、言い包めればどうとでもなるって、思った?」
「そんな事は、思ってない!」
「じゃあ、何で不倫したのよ! 結局、政志は私の事を甘く見ているから、平気だと思って不倫したんでしょう」
叫ぶように言葉を吐き出すと、堪えきれずに涙が溢れた。
沙羅は、頬を濡らす涙を手のひらで拭い、唇を一文字に引き結ぶ。
そして、気持ちを落ち着かせるように、肩で大きく息をつくと、茶封筒に手をかけた。
その中から出された一枚の紙は、白地に緑色の縁取りがされている。
政志が恐れていた「離婚届」だ。
「沙羅……」
沙羅は、2階にある子供部屋のドアをそっと開けた。就寝時刻を過ぎているというのに部屋の電気は明るいままだ。
部屋の主である美幸はベッドの上でゴロゴロしながら、スマートフォンをポチポチと操作している。
「もう、寝る時間よ。明日、なっちゃんに会いに行くんでしょう」
「うん、いま、なっちゃんと会うの楽しみだねって、ラインしてたの」
「でも、そろそろ寝ないと、寝不足で車酔いするわよ」
「うん、わかった」
少し不満げに口を尖らせた美幸は、それでも素直に机の上の充電器にスマートフォンを置いた。肌掛け布団をかぶると、何か言いたげな瞳を向ける。
「おやすみ、美幸。電気消すわよ」
「はぁい、おやすみなさい」
肌掛け布団から顔を覗かせた美幸から小さな声が聞こえた。
「お母さん、早くお父さんと仲直りしてね」
不意打ちのような言葉に沙羅は息を飲み込む。泣きたい気持ちを抑え、無理に笑顔を作る口元が震えた。
両親の不仲を心配した美幸が、朝から言えずにいた言葉を、沙羅は否定する事など出来ない。やっとの思いで、震えた唇を動かす。
「……そうね。おやすみ」
カチッと照明を消して、ドアを閉じた。
沙羅は、後ろ手にドアノブを握ったまま、歯を食いしばり涙を堪える。
今は、泣いている場合じゃない。
心の中で自分自身を叱咤して、顔を上げた。
沙羅は、重い足取りで階段を下り、リビングのドアを開いた。
定時で帰宅するはずだった政志は、今の時間になってやっと帰って来たのだ。
政志の疲れ切った様子は、片桐との別れ話が、進まなかったのだろうと推測できた。
「美幸は、寝たのか?」
「……ええ」
政志を避けるように、沙羅はダイニングの椅子に腰かけ、思いつめた表情で自分の手元を見つめた。
夫の不倫。
それは、信じていた政志の裏切りであり、到底許せるわけもない。
しかし、一人娘の美幸の将来を思うと自分の生活力では満足な教育も難しいだろう。
沙羅は心の中で、妻としての思いと、母親として思い、その隔たりを埋める答えを探しあぐねる。
ふたりの間に沈黙の時間が流れ、普段気にならない壁掛け時計の音が、カチカチとやけに響く。
沈黙に耐えかねた政志が、紗羅の座るダイニングテーブルの向かい側に立ち、深く頭を下げた。
「沙羅……俺が悪かった。心から反省している」
政志としては、誠心誠意の謝罪つもり。だが、沙羅の口調は、素っ気ないものだった。
「約束ひとつ守れない人に謝られても、その場しのぎで取り繕っているようにしか思えないの」
「すまない。どうしたら……」
続きの言葉を言うのをためらい、肩を落とす政志へ、沙羅は冷ややかな視線を送り、おもむろに立ち上がる。
そして、リビングの端に置かれたチェストの引き出しから、A4サイズの茶封筒を取り出した。
「政志さん、座ってください」
「ああ……」
促されるまま、政志は緊張した面持ちで、テーブルを挟み沙羅の向かい側に座る。
政志の不安気な視線は、沙羅の前に置かれた茶封筒に注がれていた。
沙羅は、細く息を吐き出してから、ゆっくりと話し出す。
「私……毎日、頑張って、家族のために形振り構わず家事をして……それがこんな形で裏切られるなんて、凄いショックでした。何よりも、政志さんの中で、私の扱いがあまりにも軽い物だったと知ったのが悲しかった」
「俺の軽率な行いで、嫌な思いをさせて、本当に悪かったと思ってる。でも、けして沙羅を軽く扱っては居ない。感謝もしているし、誰よりも大切に思っている」
「ウソつかないで、誰よりも大切に思っていたら、私を裏切ったりしないはずよ。それに、私には贈った事も無い高価なプレゼントを彼女には贈っていたじゃない」
その指摘に政志は、視線を泳がせた。
「そ、それは……」
「女として、魅力が失くなった私より、若くて可愛い彼女に価値を感じたんでしょう」
沙羅は、テーブルの上に置いた手をギュッと握り込み、今にも泣き出しそうに瞳を潤ませながら微笑む。
悲しみに満ちた微笑みを、政志は直視出来ずにいた。
「ち、違う。沙羅をそんな風に思ったわけじゃない。俺は、ただ……若い娘に言い寄られて、舞い上がってしまっただけなんだ」
「それで、バレなきゃ不倫してもいいって、思ったんだ。……それとも、バレても泣きつく実家が無い女なんて、言い包めればどうとでもなるって、思った?」
「そんな事は、思ってない!」
「じゃあ、何で不倫したのよ! 結局、政志は私の事を甘く見ているから、平気だと思って不倫したんでしょう」
叫ぶように言葉を吐き出すと、堪えきれずに涙が溢れた。
沙羅は、頬を濡らす涙を手のひらで拭い、唇を一文字に引き結ぶ。
そして、気持ちを落ち着かせるように、肩で大きく息をつくと、茶封筒に手をかけた。
その中から出された一枚の紙は、白地に緑色の縁取りがされている。
政志が恐れていた「離婚届」だ。
「沙羅……」
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