9 / 49
第09話 偽りの聖女候補、宮廷へ
王宮の玉座の間には、冷えた金と石の匂いが満ちていた。
それはただの建材の匂いではない。権力という名の虚構が積み重ねられ、その裏にどれだけの血が流されたかを語る、沈黙の香りだ。
空虚なほどの広さは、人間の感情すら吸い取っていく。
天井近くの高窓から差し込む陽光は祝福というより、審問のように感じながらも、光の筋は罪を暴く刃のように床を斬り裂き、純白の装束に身を包んだ聖女候補の足元に、静かな影を落としていた。
その少女の仮面の下に潜むのは、【ヨシュア】という名の亡霊。
かつて妹を愛し、守り、そして失った男。今や彼は、この場に立つ誰よりも冷静だった。
(……この空気、懐かしいな)
幼き日に何度か訪れた王宮の記憶はもう遠い。
だが、故郷の砦で剣を握っていた日々よりも、こうした冷たさのほうが、俺にはしっくりくる。
王命によりこの場に招かれた今――ヨシュアの心は、静寂と殺意の狭間にあった。
心臓の鼓動すら制御下に置かれている。それは、復讐の幕が上がる寸前の、研ぎ澄まされた静けさだった。
王の前に跪き、形式的な祈りの言葉を紡ぐ。
その声は女のものにしか聞こえないほど柔らかく、けれど芯に、鋼を通していた。
俺は祈ってなどいない、これは、誓いだ。
復讐の誓約を、この最も神聖で欺瞞に満ちた舞台で、堂々と、王の眼前で立てているのだ。
――この中の誰かが、妹を殺した。
その真実を暴き、この歪んだ世界そのものを破壊するために、俺は笑顔に仮面を被りながら、この場に立っている。
ベールの奥で、そして魂の奥で、俺は彼らの表情を、心の揺れを、罪の兆しを、すべて暴くつもりだった。
「……其方の滞在にあたり、諸々の護衛と侍従を任せよう」
玉座に座する王の声が、玉響くように広間に響く。
威厳と伝統に彩られたその声音は、今の俺にはただの“舞台の定型句”にしか聞こえなかった。
その直後、重厚な扉が無音で開く。
現れたのは――四人の男たち。
妹を取り巻いていた、そして今、俺に近づこうとする者たち。
俺の仇かもしれない者たち――彼らは気づかない。この舞台に自ら上がり、自ら首を差し出したことに。
▽ ▽ ▽
一人目は、金色の髪を持ち、光の中でそれを輝かせる若き王太子――ユディス=ロレンツォ。
完璧な顔立ちと、貴族的な優雅さを纏った男。
微笑みは精緻に磨かれており、その奥に、政治家らしい計算と冷たさが透けていた。
「ようこそ、アリス様。貴女の到着を心から歓迎します。このユディスが、滞在中のすべてをお守りしましょう」
流れるような所作、一分の隙もない挨拶。
まるで舞台の主演俳優のように、セリフすら美しい。
その裏にあるのは、ただ一つ――利用価値の計算。
彼は、王という座の継承者でありながら、最も感情を欠いた【役者】のように。
この男の手に掛かれば、聖女の力さえ、政権闘争の駒にされるだろう。
二人目は、銀の髪を肩まで垂らした青年――騎士団長、ユリウス=ハルトグレン。
その瞳には、過去の業を背負う者特有の鈍い色が灯っていた。
鎧の肩章が、王直属であることを物語っている。
「……リリス……いや……聖女様……」
かすれた声。躊躇いと悔恨の入り混じった目線。
一瞬だけ、心がざらつく。
その声には、確かに痛みがあった。
だが、それは守れなかった者のモノなのか、それとも殺した者のモノか――判断はつかない。
彼の言葉一つ、仕草一つが、いずれ俺の刃になるだろう。
三人目は、金髪を整え、柔和な笑みを絶やさない神官――大神官、セドリック=ヴァレンツィア。
その白く細い指が胸に触れ、過剰なほどの敬意を示す。
「聖女候補一人のご降臨、我ら神官一同、歓喜の極みにございます。どうか、この身も祈りも、貴女のために」
言葉は甘く、響きは美しい。
だが、その優雅さの下には、濃密な欺瞞がある。
この男の【祈り】は、純粋ではない。
クララの物語を築くため、記録を塗り替え、真実を覆い隠した――その中心にいるのは、間違いなく彼だ。
祈りという名の毒。その声に宿る黒は、誰よりも深い。
最後の一人は、遅れてふらりと現れた。
無精髭、乱れた服装、だが、その瞳だけが異様に研ぎ澄まされている。
宮廷画家、エミリオ=レイモンドーーそして、狂気を帯びた芸術家。
視線は、まるで俺の肉体を分解するかのように隅々まで貪欲に舐めた。
「……これは、素晴らしい……ベール越しでも、その瞳は……なんて美しい……アリス様、お願いだ。ベールを外してほしい。どうか、その目を、私の絵に閉じ込めさせてくれ……」
狂った芸術家の狂った愛。彼の眼差しは、信仰ではなく執着。敬意ではなく所有欲。
リリスに対して、どれだけ歪んだ感情を抱いていたのか……その爪痕は、今も残っているかもしれない。
俺は、ただ微笑んだ。
完璧に整えられた仮面の笑み。
誰からも愛され、疑われない【聖女】として、悠然と。
だがその裏では、獣のように感情がうごめいている。
この男たちは、いずれ網にかかる。
誰が真の敵で、誰が無知な傍観者か。
それを見極め、裁き、焼き尽くすのは――俺だ。
滑稽なほどに、彼らは己の罪に気づかない。
舞台は整った。仮面は貼られた。
この世界の【物語】を、俺の手で塗り替える――その始まりに過ぎない。
それはただの建材の匂いではない。権力という名の虚構が積み重ねられ、その裏にどれだけの血が流されたかを語る、沈黙の香りだ。
空虚なほどの広さは、人間の感情すら吸い取っていく。
天井近くの高窓から差し込む陽光は祝福というより、審問のように感じながらも、光の筋は罪を暴く刃のように床を斬り裂き、純白の装束に身を包んだ聖女候補の足元に、静かな影を落としていた。
その少女の仮面の下に潜むのは、【ヨシュア】という名の亡霊。
かつて妹を愛し、守り、そして失った男。今や彼は、この場に立つ誰よりも冷静だった。
(……この空気、懐かしいな)
幼き日に何度か訪れた王宮の記憶はもう遠い。
だが、故郷の砦で剣を握っていた日々よりも、こうした冷たさのほうが、俺にはしっくりくる。
王命によりこの場に招かれた今――ヨシュアの心は、静寂と殺意の狭間にあった。
心臓の鼓動すら制御下に置かれている。それは、復讐の幕が上がる寸前の、研ぎ澄まされた静けさだった。
王の前に跪き、形式的な祈りの言葉を紡ぐ。
その声は女のものにしか聞こえないほど柔らかく、けれど芯に、鋼を通していた。
俺は祈ってなどいない、これは、誓いだ。
復讐の誓約を、この最も神聖で欺瞞に満ちた舞台で、堂々と、王の眼前で立てているのだ。
――この中の誰かが、妹を殺した。
その真実を暴き、この歪んだ世界そのものを破壊するために、俺は笑顔に仮面を被りながら、この場に立っている。
ベールの奥で、そして魂の奥で、俺は彼らの表情を、心の揺れを、罪の兆しを、すべて暴くつもりだった。
「……其方の滞在にあたり、諸々の護衛と侍従を任せよう」
玉座に座する王の声が、玉響くように広間に響く。
威厳と伝統に彩られたその声音は、今の俺にはただの“舞台の定型句”にしか聞こえなかった。
その直後、重厚な扉が無音で開く。
現れたのは――四人の男たち。
妹を取り巻いていた、そして今、俺に近づこうとする者たち。
俺の仇かもしれない者たち――彼らは気づかない。この舞台に自ら上がり、自ら首を差し出したことに。
▽ ▽ ▽
一人目は、金色の髪を持ち、光の中でそれを輝かせる若き王太子――ユディス=ロレンツォ。
完璧な顔立ちと、貴族的な優雅さを纏った男。
微笑みは精緻に磨かれており、その奥に、政治家らしい計算と冷たさが透けていた。
「ようこそ、アリス様。貴女の到着を心から歓迎します。このユディスが、滞在中のすべてをお守りしましょう」
流れるような所作、一分の隙もない挨拶。
まるで舞台の主演俳優のように、セリフすら美しい。
その裏にあるのは、ただ一つ――利用価値の計算。
彼は、王という座の継承者でありながら、最も感情を欠いた【役者】のように。
この男の手に掛かれば、聖女の力さえ、政権闘争の駒にされるだろう。
二人目は、銀の髪を肩まで垂らした青年――騎士団長、ユリウス=ハルトグレン。
その瞳には、過去の業を背負う者特有の鈍い色が灯っていた。
鎧の肩章が、王直属であることを物語っている。
「……リリス……いや……聖女様……」
かすれた声。躊躇いと悔恨の入り混じった目線。
一瞬だけ、心がざらつく。
その声には、確かに痛みがあった。
だが、それは守れなかった者のモノなのか、それとも殺した者のモノか――判断はつかない。
彼の言葉一つ、仕草一つが、いずれ俺の刃になるだろう。
三人目は、金髪を整え、柔和な笑みを絶やさない神官――大神官、セドリック=ヴァレンツィア。
その白く細い指が胸に触れ、過剰なほどの敬意を示す。
「聖女候補一人のご降臨、我ら神官一同、歓喜の極みにございます。どうか、この身も祈りも、貴女のために」
言葉は甘く、響きは美しい。
だが、その優雅さの下には、濃密な欺瞞がある。
この男の【祈り】は、純粋ではない。
クララの物語を築くため、記録を塗り替え、真実を覆い隠した――その中心にいるのは、間違いなく彼だ。
祈りという名の毒。その声に宿る黒は、誰よりも深い。
最後の一人は、遅れてふらりと現れた。
無精髭、乱れた服装、だが、その瞳だけが異様に研ぎ澄まされている。
宮廷画家、エミリオ=レイモンドーーそして、狂気を帯びた芸術家。
視線は、まるで俺の肉体を分解するかのように隅々まで貪欲に舐めた。
「……これは、素晴らしい……ベール越しでも、その瞳は……なんて美しい……アリス様、お願いだ。ベールを外してほしい。どうか、その目を、私の絵に閉じ込めさせてくれ……」
狂った芸術家の狂った愛。彼の眼差しは、信仰ではなく執着。敬意ではなく所有欲。
リリスに対して、どれだけ歪んだ感情を抱いていたのか……その爪痕は、今も残っているかもしれない。
俺は、ただ微笑んだ。
完璧に整えられた仮面の笑み。
誰からも愛され、疑われない【聖女】として、悠然と。
だがその裏では、獣のように感情がうごめいている。
この男たちは、いずれ網にかかる。
誰が真の敵で、誰が無知な傍観者か。
それを見極め、裁き、焼き尽くすのは――俺だ。
滑稽なほどに、彼らは己の罪に気づかない。
舞台は整った。仮面は貼られた。
この世界の【物語】を、俺の手で塗り替える――その始まりに過ぎない。
あなたにおすすめの小説
ドジで惨殺されそうな悪役の僕、平穏と領地を守ろうとしたら暴虐だったはずの領主様に迫られている気がする……僕がいらないなら詰め寄らないでくれ!
迷路を跳ぶ狐
BL
いつもドジで、今日もお仕えする領主様に怒鳴られていた僕。自分が、ゲームの世界に悪役として転生していることに気づいた。このままだと、この領地は惨事が起こる。けれど、選択肢を間違えば、領地は助かっても王国が潰れる。そんな未来が怖くて動き出した僕だけど、すでに領地も王城も策略だらけ。その上、冷酷だったはずの領主様は、やけに僕との距離が近くて……僕は平穏が欲しいだけなのに! 僕のこと、いらないんじゃなかったの!? 惨劇が怖いので先に城を守りましょう!
義理の家族に虐げられている伯爵令息ですが、気にしてないので平気です。王子にも興味はありません。
竜鳴躍
BL
性格の悪い傲慢な王太子のどこが素敵なのか分かりません。王妃なんて一番めんどくさいポジションだと思います。僕は一応伯爵令息ですが、子どもの頃に両親が亡くなって叔父家族が伯爵家を相続したので、居候のようなものです。
あれこれめんどくさいです。
学校も身づくろいも適当でいいんです。僕は、僕の才能を使いたい人のために使います。
冴えない取り柄もないと思っていた主人公が、実は…。
主人公は虐げる人の知らないところで輝いています。
全てを知って後悔するのは…。
☆2022年6月29日 BL 1位ありがとうございます!一瞬でも嬉しいです!
☆2,022年7月7日 実は子どもが主人公の話を始めてます。
囚われの親指王子が瀕死の騎士を助けたら、王子さまでした。https://www.alphapolis.co.jp/novel/355043923/237646317
結婚間近だったのに、殿下の皇太子妃に選ばれたのは僕だった
釦
BL
皇太子妃を輩出する家系に産まれた主人公は半ば政略的な結婚を控えていた。
にも関わらず、皇太子が皇妃に選んだのは皇太子妃争いに参加していない見目のよくない五男の主人公だった、というお話。
かわいそうな看守は囚人を犯さなければならない。
紫藤なゆ
BL
好色な王は忠実な臣下エメラードに命じる。敗戦者スクを上手に犯して見せるように。
苦悩する騎士エメラードと、命があればそれでいいスクは、看守と囚人として毎日を過ごす。
同室のアイツが俺のシャワータイムを侵略してくるんだが
カシナシ
BL
聞いてくれ。
騎士科学年一位のアイツと、二位の俺は同じ部屋。これまでトラブルなく同居人として、良きライバルとして切磋琢磨してきたのに。
最近のアイツ、俺のシャワー中に絶対入ってくるんだ。しかも振り向けば目も合う。それとなく先に用を済ませるよう言ったり対策もしてみたが、何も効かない。
とうとう直接指摘することにしたけど……?
距離の詰め方おかしい攻め × 女の子が好きなはず?の受け
短編ラブコメです。ふわふわにライトです。
頭空っぽにしてお楽しみください。
【完】姉の仇討ちのハズだったのに(改)全7話
325号室の住人
BL
姉が婚約破棄された。
僕は、姉の仇討ちのつもりで姉の元婚約者に会いに行ったのに……
初出 2021/10/27
2023/12/31 お直し投稿
以前投稿したことのあるBLのお話です。
完結→非公開→公開 のため、以前お気に入り登録していただいた方々がそのままお気に入り登録状態になってしまっております。
紛らわしく、申し訳ありません。
2025/04/22追記↓
☆本文に記載ありませんが、主人公の姉は婚約破棄された時、主人公の学園卒業時に実家の爵位が国に返上されるよう、手続きをしていた…という設定アリ。
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。