妹を殺された兄が、偽りの聖女候補になって王弟に溺愛されるまで~妹を殺した奴らに、ハッピーエンドなど与えない~

桜塚あお華

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第09話 偽りの聖女候補、宮廷へ

 王宮の玉座の間には、冷えた金と石の匂いが満ちていた。
 それはただの建材の匂いではない。権力という名の虚構が積み重ねられ、その裏にどれだけの血が流されたかを語る、沈黙の香りだ。
 空虚なほどの広さは、人間の感情すら吸い取っていく。
 天井近くの高窓から差し込む陽光は祝福というより、審問のように感じながらも、光の筋は罪を暴く刃のように床を斬り裂き、純白の装束に身を包んだ聖女候補アリスの足元に、静かな影を落としていた。
 その少女の仮面の下に潜むのは、【ヨシュア】という名の亡霊。
 かつて妹を愛し、守り、そして失った男。今や彼は、この場に立つ誰よりも冷静だった。

(……この空気、懐かしいな)

 幼き日に何度か訪れた王宮の記憶はもう遠い。
 だが、故郷の砦で剣を握っていた日々よりも、こうした冷たさのほうが、俺にはしっくりくる。
 王命によりこの場に招かれた今――ヨシュアの心は、静寂と殺意の狭間にあった。
 心臓の鼓動すら制御下に置かれている。それは、復讐の幕が上がる寸前の、研ぎ澄まされた静けさだった。
 王の前に跪き、形式的な祈りの言葉を紡ぐ。
 その声は女のものにしか聞こえないほど柔らかく、けれど芯に、鋼を通していた。
 俺は祈ってなどいない、これは、誓いだ。
 復讐の誓約を、この最も神聖で欺瞞に満ちた舞台で、堂々と、王の眼前で立てているのだ。

 ――この中の誰かが、妹を殺した。

 その真実を暴き、この歪んだ世界そのものを破壊するために、俺は笑顔に仮面を被りながら、この場に立っている。
 ベールの奥で、そして魂の奥で、俺は彼らの表情を、心の揺れを、罪の兆しを、すべて暴くつもりだった。

「……其方の滞在にあたり、諸々の護衛と侍従を任せよう」

 玉座に座する王の声が、玉響くように広間に響く。
 威厳と伝統に彩られたその声音は、今の俺にはただの“舞台の定型句”にしか聞こえなかった。
 その直後、重厚な扉が無音で開く。
 現れたのは――四人の男たち。
 妹を取り巻いていた、そして今、俺に近づこうとする者たち。
 俺の仇かもしれない者たち――彼らは気づかない。この舞台に自ら上がり、自ら首を差し出したことに。

   ▽ ▽ ▽

 一人目は、金色の髪を持ち、光の中でそれを輝かせる若き王太子――ユディス=ロレンツォ。
 完璧な顔立ちと、貴族的な優雅さを纏った男。
 微笑みは精緻に磨かれており、その奥に、政治家らしい計算と冷たさが透けていた。

「ようこそ、アリス様。貴女の到着を心から歓迎します。このユディスが、滞在中のすべてをお守りしましょう」

 流れるような所作、一分の隙もない挨拶。
 まるで舞台の主演俳優のように、セリフすら美しい。
 その裏にあるのは、ただ一つ――利用価値の計算。
 彼は、王という座の継承者でありながら、最も感情を欠いた【役者】のように。
 この男の手に掛かれば、聖女の力さえ、政権闘争の駒にされるだろう。

 二人目は、銀の髪を肩まで垂らした青年――騎士団長、ユリウス=ハルトグレン。
 その瞳には、過去の業を背負う者特有の鈍い色が灯っていた。
 鎧の肩章が、王直属であることを物語っている。

「……リリス……いや……聖女様……」

 かすれた声。躊躇いと悔恨の入り混じった目線。
 一瞬だけ、心がざらつく。
 その声には、確かに痛みがあった。
 だが、それは守れなかった者のモノなのか、それとも殺した者のモノか――判断はつかない。
 彼の言葉一つ、仕草一つが、いずれ俺の刃になるだろう。

 三人目は、金髪を整え、柔和な笑みを絶やさない神官――大神官、セドリック=ヴァレンツィア。
 その白く細い指が胸に触れ、過剰なほどの敬意を示す。

「聖女候補一人のご降臨、我ら神官一同、歓喜の極みにございます。どうか、この身も祈りも、貴女のために」

 言葉は甘く、響きは美しい。
 だが、その優雅さの下には、濃密な欺瞞がある。
 この男の【祈り】は、純粋ではない。
 クララの物語を築くため、記録を塗り替え、真実を覆い隠した――その中心にいるのは、間違いなく彼だ。
 祈りという名の毒。その声に宿る黒は、誰よりも深い。

 最後の一人は、遅れてふらりと現れた。
 無精髭、乱れた服装、だが、その瞳だけが異様に研ぎ澄まされている。
 宮廷画家、エミリオ=レイモンドーーそして、狂気を帯びた芸術家。
 視線は、まるで俺の肉体を分解するかのように隅々まで貪欲に舐めた。

「……これは、素晴らしい……ベール越しでも、その瞳は……なんて美しい……アリス様、お願いだ。ベールを外してほしい。どうか、その目を、私の絵に閉じ込めさせてくれ……」

 狂った芸術家の狂った愛。彼の眼差しは、信仰ではなく執着。敬意ではなく所有欲。
 リリスに対して、どれだけ歪んだ感情を抱いていたのか……その爪痕は、今も残っているかもしれない。

 俺は、ただ微笑んだ。
 完璧に整えられた仮面の笑み。
 誰からも愛され、疑われない【聖女】として、悠然と。
 だがその裏では、獣のように感情がうごめいている。
 この男たちは、いずれ網にかかる。
 誰が真の敵で、誰が無知な傍観者か。
 それを見極め、裁き、焼き尽くすのは――俺だ。
 滑稽なほどに、彼らは己の罪に気づかない。
 舞台は整った。仮面は貼られた。
 この世界のクララ【物語】を、俺の手で塗り替える――その始まりに過ぎない。
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