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第11話 聖なる欺瞞
次に俺が接触したのは、大神官セドリック=ヴァレンツィアだった。
神殿の奥にある彼の執務室は、昼間であるにもかかわらず薄暗く、窓からの光すら届かない。
香炉から立ち上る甘い香りが部屋中に漂っており、それはまるで――腐臭を覆い隠すための過剰な香水のようだった。
俺が部屋に入るがセドリックは椅子から動かず、細く白い指先を軽く持ち上げ、歓迎の意を示した。
その指は、祈りを捧げるためのものではない。遠く離れた場所から、まるで人形の糸を操る操り師の手に見えた。
「アリス様。ようこそ……まさか貴女から直接お声がけいただけるとは光栄の極みでございます」
声音も言葉も、完璧に整えられた芝居のような台詞。そして仮面のような微笑み――だが、その瞳の奥に宿るのは、冷たい打算と鑑定眼。
彼は、俺を【聖女】として見ていない。
器の価値を計る商人のように、その目は値踏みしていた。
「……こんにちは、セドリック様」
とりあえず俺は一礼し、案内された場所に座った後、すぐさま口を開いた。
「……セドリック殿。単刀直入にお伺いします。あなたは様がリリスを……ねえさまを【導いた】のですか?」
聖女候補としての柔らかな微笑みを浮かべたまま、俺はその名を刃にして突き立てた。
その瞬間、セドリックの笑みが――ほんの一瞬だけ、硬直するが、それもすぐに仮面の奥へと沈んだ。
……揺らいだ。
この男は、この件について嘘を抱えている。
「……ああ、リリス様……ええ、私も彼女に神の教えを説きました。ですが――彼女は神の選定を乗り越えることができなかった。残念なことです」
「神の……選定、ですか」
その言葉に、胸の奥で怒りが音を立てて燃え上がるのを感じてくる。
妹の死を、あまりにも冷たく、あっさりと語る。まるでそれが、自然淘汰であったかのように。
「神は時に、聖女候補に苛烈な試練をお与えになります。そして……それを乗り越えられなかった者は、【選ばれし者】ではない――ただ、それだけの事ですよ」
正当化された死――語る声には一片の感情もなく、教義と理性に包まれ、冷たい【毒】だけが残っていた。
リリスの死は、偶然ではない。
この男は神の名を使って、妹を【見捨てた】のだ。
「――ですが、貴女様は違います」
セドリックが静かに立ち上がる。
ローブの裾が音もなく揺れ、彼は俺が座っている椅子に近づき、ゆっくりと俺の前に跪いた
そして、白く長い指が俺のドレスの裾を優しくなぞる。
その動作には敬意の形が込められていた――だが、その奥にある【意図】に、俺は肌の内側が冷たくなるのを感じた。
「アリス様……あなたの内に、私は濁りなき神の光を見ました。クララ様よりも遥かに純粋で、崇高で……ああ、これこそ神が真に望まれた器です。リリス様がそれを持ちえなかったのは、悲しむべき事実ではありますが……それもまた、選定の結果にすぎません」
言葉のすべてが、妹を切り捨て、俺を持ち上げる選民思想の肯定。
セドリックの手が、そっと俺の手を取った。そしてその指先に、躊躇いもなく口づけを落とす。
その唇は氷のように冷たく、まるで死者の【接吻】だった。
――この男にとって、聖女という存在は、ただの【器】だ。
祈りを捧げる者でも、導きを与える者でもない。ただ【神の力】という名の火を注ぎ込むための、形ばかりの容れ物。中身が清らかである必要も、感情を持つ必要もない。
求められるのは――完成された機能だけ。
その基準を満たさなければ、価値はない。
役割を果たせなければ、ただの欠陥品として【処分】される。
選ばれなかったことにすら理由は不要で、それは神の選定という都合のいい言葉で塗りつぶされる。それが、この男にとっての信仰――そして、権力だった。
もしかしたら、リリスは不完全な【器】だったのかもしれない。
だから、不要とされ、捨てられた。
そして今――より優れた器として現れた俺を、彼は満面の笑みで歓迎している。
その言葉の裏には、妹という存在の否定がはっきりと刻まれる。
死んだことを悼むどころか、彼女の不完全さを当然の結果として受け入れ、処理し、すでに忘れている。神の名の元に、それを【正義】だと言い切る姿に――俺は吐き気を覚えた。
ぞっとするほど滑らかで、そして、嫌悪すら通り越して寒気を感じる狂信の論理――そこにあるのは、熱でも情でもない。ただ、冷徹に設計された信仰という名の殺意。
それを本人は、自覚していない。
いや――自覚していないふりをしている。
神の御心に責任を預け、自らの判断を一切排除することで、彼は己の罪を無にしているのだ。
それが、何よりも――許せなかった。
「……セドリック殿。ありがとうございます。そのお言葉、胸に深く響きましたわ」
俺は、静かに笑う――慈愛に満ちた聖女候補の顔を崩さず、優雅に、完璧に。
けれどその仮面の内側では、怒りと憎悪の火が、音もなく燃え上がっていた。
赤々と、黒々と――無言のまま魂を灼く、復讐の焰。
この男は、俺の敵だ。
ただの敵ではない。
剣で切り捨てられるような単純な仇ではない。
リリスの命を意味のある犠牲にすり替えた者。
【神】という最大の権威を盾にして、一人の死を、最も美しく、最も偽善的に否定した者。
その微笑みと敬礼は、世界が用意した最大の欺瞞に他ならない。
だからこそ――この男は俺の復讐において、最も厄介で、最も根深い【敵】になるだろう。
神の名を借りて語られる正義。
神の名を冠して下された選定。
そして――神の名を以て、妹の死が【正しかった】と語られる現実。
その全てが、俺にとっては赦されざる毒だ。
赦すつもりなど、最初からなかった。
神でも、この男でも、この世界でもない。
妹の死に理由を与え、意味を与え、そして納得させようとする全てを――俺は決して、赦さない。
神殿の奥にある彼の執務室は、昼間であるにもかかわらず薄暗く、窓からの光すら届かない。
香炉から立ち上る甘い香りが部屋中に漂っており、それはまるで――腐臭を覆い隠すための過剰な香水のようだった。
俺が部屋に入るがセドリックは椅子から動かず、細く白い指先を軽く持ち上げ、歓迎の意を示した。
その指は、祈りを捧げるためのものではない。遠く離れた場所から、まるで人形の糸を操る操り師の手に見えた。
「アリス様。ようこそ……まさか貴女から直接お声がけいただけるとは光栄の極みでございます」
声音も言葉も、完璧に整えられた芝居のような台詞。そして仮面のような微笑み――だが、その瞳の奥に宿るのは、冷たい打算と鑑定眼。
彼は、俺を【聖女】として見ていない。
器の価値を計る商人のように、その目は値踏みしていた。
「……こんにちは、セドリック様」
とりあえず俺は一礼し、案内された場所に座った後、すぐさま口を開いた。
「……セドリック殿。単刀直入にお伺いします。あなたは様がリリスを……ねえさまを【導いた】のですか?」
聖女候補としての柔らかな微笑みを浮かべたまま、俺はその名を刃にして突き立てた。
その瞬間、セドリックの笑みが――ほんの一瞬だけ、硬直するが、それもすぐに仮面の奥へと沈んだ。
……揺らいだ。
この男は、この件について嘘を抱えている。
「……ああ、リリス様……ええ、私も彼女に神の教えを説きました。ですが――彼女は神の選定を乗り越えることができなかった。残念なことです」
「神の……選定、ですか」
その言葉に、胸の奥で怒りが音を立てて燃え上がるのを感じてくる。
妹の死を、あまりにも冷たく、あっさりと語る。まるでそれが、自然淘汰であったかのように。
「神は時に、聖女候補に苛烈な試練をお与えになります。そして……それを乗り越えられなかった者は、【選ばれし者】ではない――ただ、それだけの事ですよ」
正当化された死――語る声には一片の感情もなく、教義と理性に包まれ、冷たい【毒】だけが残っていた。
リリスの死は、偶然ではない。
この男は神の名を使って、妹を【見捨てた】のだ。
「――ですが、貴女様は違います」
セドリックが静かに立ち上がる。
ローブの裾が音もなく揺れ、彼は俺が座っている椅子に近づき、ゆっくりと俺の前に跪いた
そして、白く長い指が俺のドレスの裾を優しくなぞる。
その動作には敬意の形が込められていた――だが、その奥にある【意図】に、俺は肌の内側が冷たくなるのを感じた。
「アリス様……あなたの内に、私は濁りなき神の光を見ました。クララ様よりも遥かに純粋で、崇高で……ああ、これこそ神が真に望まれた器です。リリス様がそれを持ちえなかったのは、悲しむべき事実ではありますが……それもまた、選定の結果にすぎません」
言葉のすべてが、妹を切り捨て、俺を持ち上げる選民思想の肯定。
セドリックの手が、そっと俺の手を取った。そしてその指先に、躊躇いもなく口づけを落とす。
その唇は氷のように冷たく、まるで死者の【接吻】だった。
――この男にとって、聖女という存在は、ただの【器】だ。
祈りを捧げる者でも、導きを与える者でもない。ただ【神の力】という名の火を注ぎ込むための、形ばかりの容れ物。中身が清らかである必要も、感情を持つ必要もない。
求められるのは――完成された機能だけ。
その基準を満たさなければ、価値はない。
役割を果たせなければ、ただの欠陥品として【処分】される。
選ばれなかったことにすら理由は不要で、それは神の選定という都合のいい言葉で塗りつぶされる。それが、この男にとっての信仰――そして、権力だった。
もしかしたら、リリスは不完全な【器】だったのかもしれない。
だから、不要とされ、捨てられた。
そして今――より優れた器として現れた俺を、彼は満面の笑みで歓迎している。
その言葉の裏には、妹という存在の否定がはっきりと刻まれる。
死んだことを悼むどころか、彼女の不完全さを当然の結果として受け入れ、処理し、すでに忘れている。神の名の元に、それを【正義】だと言い切る姿に――俺は吐き気を覚えた。
ぞっとするほど滑らかで、そして、嫌悪すら通り越して寒気を感じる狂信の論理――そこにあるのは、熱でも情でもない。ただ、冷徹に設計された信仰という名の殺意。
それを本人は、自覚していない。
いや――自覚していないふりをしている。
神の御心に責任を預け、自らの判断を一切排除することで、彼は己の罪を無にしているのだ。
それが、何よりも――許せなかった。
「……セドリック殿。ありがとうございます。そのお言葉、胸に深く響きましたわ」
俺は、静かに笑う――慈愛に満ちた聖女候補の顔を崩さず、優雅に、完璧に。
けれどその仮面の内側では、怒りと憎悪の火が、音もなく燃え上がっていた。
赤々と、黒々と――無言のまま魂を灼く、復讐の焰。
この男は、俺の敵だ。
ただの敵ではない。
剣で切り捨てられるような単純な仇ではない。
リリスの命を意味のある犠牲にすり替えた者。
【神】という最大の権威を盾にして、一人の死を、最も美しく、最も偽善的に否定した者。
その微笑みと敬礼は、世界が用意した最大の欺瞞に他ならない。
だからこそ――この男は俺の復讐において、最も厄介で、最も根深い【敵】になるだろう。
神の名を借りて語られる正義。
神の名を冠して下された選定。
そして――神の名を以て、妹の死が【正しかった】と語られる現実。
その全てが、俺にとっては赦されざる毒だ。
赦すつもりなど、最初からなかった。
神でも、この男でも、この世界でもない。
妹の死に理由を与え、意味を与え、そして納得させようとする全てを――俺は決して、赦さない。
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