妹を殺された兄が、偽りの聖女候補になって王弟に溺愛されるまで~妹を殺した奴らに、ハッピーエンドなど与えない~

桜塚あお華

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第15話 王弟の執着

 王宮での夜会は、社交という名の化け物だった。
 きらびやかな光、絢爛な衣装。祝福の仮面を被った、毒の香り。貴族たちの笑い声は甘く――だが、吐き気を催すほど粘ついていた。
 それは、人間の欲望を煮詰めて香水にしたような匂い――グラスの氷がカランと鳴り、軽薄な讃美の囁きが耳を撫でる。
 遠くから聞こえるワルツの旋律――その全てが、俺の心を静かに、冷たく、無機質に染めていく。
 俺はその中心で、聖女候補の一人、【アリス】として、完璧な微笑を浮かべていた。
 身に纏う純白のドレスは、穢れなき聖性の象徴――だがそれは、最も巧妙な偽装だ。
 完璧なほどに作り込まれたその姿が、俺自身の内側をどこまでも冷たく、孤独にしていく。
 ユリウス、セドリック、ユディス、そしてエミリオ――彼らは順に、俺のもとへと歩み寄ってきた。
 言葉、視線、仕草、そのすべてが、俺にとっては復讐の材料に過ぎない。
 ユリウスは、今にも俺の足元に跪きそうなほど肩を落とし、後悔の色を滲ませていた。
 騎士としての誇りよりも、護れなかったという罪悪感が、彼の背骨を蝕んでいる。
 その揺れる瞳を、俺は冷徹に観察した。
 セドリックは、甘い声で信仰を語る。
 だがその言葉には、よく調合された毒が混ざっていた。
 彼の口から紡がれるのは、俺の存在を【神の選抜】として肯定しながら――同時に【リリスではなかった】事を優しく、そして容赦なく突きつけてくる台詞だった。
 最も悪辣な毒は、いつだって【善意】の顔をして迫るものだ。
 ユディスは冷徹だった。
 打算を隠そうともせず、聖女を王族に迎える【意味】を淡々と語る。
 その目に映るのは、俺ではない。国家、数字、血統といった【価値】のみ。まるで俺が、一枚の証書か何かであるかのようだった。
 そして、エミリオ。
 彼の視線だけは、生理的な嫌悪を覚えるほど、ねっとりとしていた。
 俺の右目を貪るように見つめ、そこにリリスの幻影を重ねている。
 その眼差しは、哀悼ではなく――執着だ。彼の【愛】は死者を抱き続ける者の、それに近い呪いだ。
 彼らの言葉は丁寧で、立ち居振る舞いも貴族として完璧だった。
 だが、その奥にある本性は、誰一人として隠せてはいなかった。
 彼らは“聖女”という器に語りかけているだけで、【俺】という個人には誰も興味を持っていない。

 皮肉なことに――この場にいない【本物の聖女】であるクララこそ、彼らが最も注意を向けるべき存在だったはずだ。

 聖女クララ――この国で最も聖女らしい容姿と血筋、そして伝説に語られるような【物語】を備えた女。
 神託を受け、聖なる光に選ばれし者として讃えられてきた少女。
 誰もが彼女こそが正統なる聖女と信じて疑わず、王都に祝福をもたらす存在だと期待していたはずだった。

 だが今、彼女はこの夜会にすら姿を現していない。

 まるで脇役のように、社交の輪から押し出され、誰からも言及されることなく静かに姿を消している。

(哀れな女だ。だが――同情などしない)

 なぜなら俺の妹リリスの座を奪い、彼女の存在を書き換えたのは――紛れもなく、クララだからだ。

(俺が【アリス】を演じているのも、お前のせいなんだぞ)

 冷たく確かな怒りが、胸の奥に灯っており、そしてクララはまだ牙を剥いていない。
 だが、いつか必ず気づく。自分の物語が奪われたことに。
 そしてその時、彼女は――暴れる。俺は、それすらも計算に入れた上でここに立っている。

 ――だが、その中に、ひときわ異質な男がいた。

 王弟である男、ルーカス。

 彼は、俺に近づく事もなく、言葉をかけることもない。
 ただ、遠くから俺を見つめていた。崇拝でも、欲望でもない。
 その視線は、まるで――俺の【本質】を見抜こうとしていた。

(……何を見ている? あの男は――)

 俺は今でもあの男だけは理解できない。

 すると夜会が終わり控室へ戻ろうとした時、彼は唐突に声をかけてきた。

「今宵の装いも見事だった、聖女殿アリス……ただ、君の中にある仮面の奥は、今夜も見せてはくれなかったようだ」

 【仮面】――それが装飾のことではなく、【アリス】という人格そのものを指しているのは明白だった。

「……光栄です」

 俺は、冷笑を押し隠し、完璧な聖女の微笑を返す。
 ルーカスは一歩、静かに間合いを詰めてきた。

「君のことを……もっと知っておきたい」

 その囁きには、優しさの欠片すらない。
 それは、支配の予兆だった。

「フフ……わたしのことを知って、どうなさるおつもりですか?」

 問いかけた声は柔らかく、だが静かに挑む。
 ルーカスは、笑わなかったが、ただ、淡々と答えた。

「そうでなければ、どこまでが真実で、どこからが嘘か判断がつかない。この国の命運が君に委ねられているのなら、なおさらだ」

 ――正論、だがその下には、より原始的な執着が潜んでいることを俺は見抜いていた。

 彼が欲しているのは真実でも、神でも、国家の安定でもない。

 ――ただ、【俺】という異物を、掌の中に閉じ込めたいだけだ。

「それで、私の周囲に護衛を? 王弟殿の私兵が、廊下という廊下に並んでおりましたが」

 皮肉を込めた一言にも、彼はまったく動じない。

「君の安全のためだ」

 そして、わずかに口角を上げ、続けた。

「……それともう一つ。目を離したくない。君が何を見て、誰に触れて、どんな夢を見るのか――君が呼吸するその音まで、確かめてみたくなる」

 声音に狂気はなかった――けれど、その理性的な声の奥にあるものは、確かに【病的】なものだった。
 俺は、その瞬間にリリスの姿を重ねていた。
 この男は、他人を【所有物】として囲う。理解ではなく、共有ではなく――支配。
 俺は、一礼をしてその場を離れた。これ以上、あの男の傍にいてはいけないと、本能が告げていた。

  ▽ ▽ ▽

 部屋に戻った瞬間、異変に気づく。

 扉の前には、王弟直属の近衛兵。
 部屋の空気には、人の気配が満ちていた。
 廊下、窓辺、天井――背中に刺さるような視線。
 呼吸すら、重たく感じる。
 これは護衛ではない。これは――檻だ。
 俺は鏡の前に立ち、微笑む。
 【アリス】の仮面ではない。
 【復讐者】の【ヨシュア】としての、冷たい笑み。

「……いいだろう。望むなら――近づいてくるがいい」

 なぜなら、この男もまた、自ら進んで俺の舞台に上がった。
 俺の復讐の劇に、最も危険な男が――役者として加わったのだから。
 そしてその事実は俺を怯えさせると同時に、確かに――喜ばせてもいた。
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