妹を殺された兄が、偽りの聖女候補になって王弟に溺愛されるまで~妹を殺した奴らに、ハッピーエンドなど与えない~

桜塚あお華

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第16話 嘘の重さと、本音の軽さ

 ――この城では、どこにいても、視線を感じる。

 廊下を歩けば侍女たちが顔を伏せてひそひそと囁き、庭を散歩すれば遠くの窓辺から貴族たちが好奇の目を向けてくる。
 それは、聖女候補という【特別な存在】である事の代償――表向きには、そう見えるのだろう。
 けれど、俺が感じているのは、そんな無邪気な好奇心ではない。
 背中に常に突き刺さるような気配がある。呼吸の隙間すら覗かれるような、冷え冷えとした監視の目。
 その視線には熱も感情もなく、ただ淡々と、俺の行動をなぞってくる。
 それは、まるで――生き物を観察する実験者のようだ。
 きっとそれは、ルーカスが【護衛】と称して配置した配下たち。
 彼らは、俺がどこへ行こうと、誰と話そうと、その一挙手一投足を記録して、そして報告している。

 ――【護衛】などという言葉は、ただの飾りに過ぎない。

 朝、窓を開ければ、庭の茂みに隠れた兵の姿がある。
 夜、寝台に身を横たえれば、扉の向こうから気配が滲んでくる。
 この城の中に、逃げ場はない。
 光を纏った【顔】をした、檻の中に閉じ込められている。
 まるで、綺麗に磨かれた鳥籠の中で自由を与えられたふりをして生きる鳥のように。

 ――俺は、その息苦しさに、もう慣れてしまっていた。

 いや、慣れるしかなかった。
 けれど、沈黙に耐えるたび、心はゆっくりと削れていく。
 信じられるものなど、この城にはない。

 ユリウスは、妹を護れなかった罪を胸に抱いている。
 その罪悪感は、利用できる【弱点】だ。
 セドリックは、偽りの信仰を甘く囁き続ける。
 その聖職者としての顔は、ただの仮面に過ぎない。
 ユディスは冷徹な計算で俺に近づき、エミリオは、死んだはずの妹に執着する狂気を、瞳の奥に宿していた。
 彼らが見ているのは、俺の作り上げた【アリス】という幻想。禁術を使って【妹の姿】をなぞった器に過ぎない存在――そこにしか彼らの興味はない。
 その奥にある、俺という人間、【ヨシュア】を見ようとする者は誰もいない。
 皆、それぞれの欲望や感情という分かりやすい鎖に縛られている。
 それで、良いはずだったのに――ふと視線を上げると、庭の片隅に、苔むした噴水が見えた。
 忘れ去られたように静かに水を吐き続ける、古い石像。
 昔、リリスと一緒にこの場所を訪れた記憶がある。その時の柔らかく笑い合った光景が――冷たい城の空気の中で、鮮やかに蘇った。
 無意識のうちに、その名を呼んでいた。

「……こんな時、リリスなら……どうしただろうな……」

 誰にも聞かれていないと思っていた。
 だが――背後に、気配があることに遅れて気づく。
 視線ではなく、【空気】が変わる。存在そのモノが質量を持って、背後を静かに支配していた。

「……リリス、か」

 低く静かな声――振り返らずとも、誰の声かは分かる。
 音もなく、気配すら殺して近づいてくるその様は、まるで獣のようだった。
 それなのに、俺は気づかなかった。
 その事実に、背筋が冷たくなる。
 目の前に立っていたので、静かに笑っていた男――ルーカスの姿だった。

「彼女は、君にとって――とても、大切な存在だったんだな」

 言葉が出ない、返せば、問いはもっと深くなるだろう。
 問いの形をしていながら、彼はすでに答えを知っている顔をしていた。
 だが、ルーカスは沈黙を許さなかった。俺の心を見透かすような目で、言葉を続ける。
 その声には、理屈では説明できない――個人的な探求心と、獲物を見つけた狩人のような熱が混ざっていた。

「君は……君でいい」

 その言葉を聞いた瞬間、心の奥に、石を落とされたような衝撃が走った。
 波紋のように、静かに、だが確かに広がっていく。

 ――君は、君でいい。

 それは、俺がずっと渇望しながら、誰からも与えられなかった言葉だった。
 ヨシュアであることも、アリスであることも、どちらも否定せずに全てを含んで肯定するような――甘くて、危うくて、だからこそ凶器にもなり得る言葉。
 俺は、ほんのわずかに息を飲んだ。

「……それは、何の冗談だ?」

 【アリス】と言う仮面を捨てて、静かにルーカスにそのように口を開いた。
 低く問うと、ルーカスはすぐには答えず、わずかに首を傾げた。

「冗談ではないさ。私は、最初からずっと……君自身を見ている」
「【君自身】なんて、どこにある?」

 俺は笑みすら浮かべずに返す。
 声にはわずかに棘が混じっていた。
 ルーカスの視線は揺らがない。
 その目は、俺の言葉にも、葛藤にも、一切動じていなかった。

「仮面の奥にある想い――それを隠そうとすること自体が、【君らしさ】だと俺は思うぞ?」
「……なぜ、そこまでして【俺】を理解しようとする?【俺】は……」

 自分でも驚くほど、声は静かだった。
 それ以上、何を言えばいいのかわからない。
 しかし、ルーカスは笑ったままだ。

「理解なんてできないさm完全にはね……だが、【知りたい】とは思う……君の【本質】を」
「……滑稽だな。俺は、お前にとって都合の悪い存在かもしれないんだぞ?」
「それでもすぐに斬るような人間に、私は見えないんだろう?」
「……だから、お前は甘い。俺のやっている事は正しさなんかじゃない。何かを救うためでも守るためでもない。ただ……俺だけの理由だ」
「それでも構わない。理由はどうあれ【選んだ】という事実だけで、それは力になる」
「……力、か」

 わずかに笑みが漏れる。

「その【力】を……お前は利用するつもりなんだろう?ルーカス様……俺の中にある、衝動や、決意や――名前のない熱を」

 ルーカスは肩を竦める。

「利用することと、信じることは、矛盾しない。君が何を選ぼうと、その過程を――【変化】を、見届けたいと思ったんだ。君という【異物】が、この国にどんな影響をもたらすのか」
「だから言ったのか。【私は、君を見ている】……と」
「そうだ」

 ルーカスはゆっくりと頷く。

 「君がどんな決断をしても、それが偽りでも、本当でも、私には関係ない。ただ、見たいんだ。君が、何を選び、どこへ行ってどう終わるのか」
「……好奇心で火に飛び込むような真似をするのか?」
「それが、この国の未来に繋がるのなら――火の中も悪くない」

 その声には、燃えるような熱と、氷のような冷静さが同時にあった。
 理性と狂気の境目に立つ、獣のような呼吸。
 しばらくの沈黙のあと、俺は呟く。

「……ルーカス様」

 俺は、ゆっくりと【アリス】の仮面を作る。

「【私】はあなたみたいな男が、一番怖いです……あなたの目は、まるで【獣】です」
「それは、誉め言葉として受け取っておこう【アリス】」

 ルーカスはわずかに口元を緩めた。
 だが、それは決して【優しい】笑みではない。彼自身もまた、仮面を被っている――そのことを、俺ははっきりと感じていた。
 彼は、味方ではない。
 だが、敵でもない。

 きっと――それ以上の、【何か】なのかもしれないと感じたのだった。
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