妹を殺された兄が、偽りの聖女候補になって王弟に溺愛されるまで~妹を殺した奴らに、ハッピーエンドなど与えない~

桜塚あお華

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第21話 ヒロインは私なのに!?【クララ視点】

 図書室は、まるで死んだように静かだった。
 書架が幾重にも連なるその空間には、時間さえ入り込むことを拒んでいるような、ひどく密閉された沈黙が満ちていた。
 誰もが忘れた王城の奥、埃をかぶった本と使われなくなった椅子と、かすれた蝋燭の香り。
 そういうものだけが、黙って生き残っている。
 その中に、一つだけ異物がいた。

 ――アリス。

 私は、書架の陰から彼女を見ていた。
 息を潜め、音を立てないように、心臓の鼓動すら殺して。
 遠目からでも、あの女が誰よりも【浮いて】いるのが分かる。
 あまりにも美しすぎて、完璧すぎて。そこにあるだけで、まるで異界から召喚された幻影のように見える。
 けれど私は知ってる。あの完璧さは偽物だ――あの髪も、繊細な指先も、柔らかな微笑みも、全部、誰かを騙すために貼りつけた仮面にすぎない。

(……そう、アリス……あなたは……おかしいのよ)

 彼女は静かに本を捲っていた。慎重に、けれど熱を孕んで。
 まるで文字の中にだけ自分の居場所があるかのように。普通の貴族令嬢なら、そんなふうに文字を漁ったりしない。聖女候補なら尚更だ。
 誰かに美しく見られること、誰かに愛されること、それだけが私たちの価値だと、みんな知っているのに――彼女は違う。欲望を装いもせず、愛されることにも興味がない。
 その背は、美しくもあり、怖ろしくもあった。
 得体の知れない闇を背負っているようで……それが、私にはどうしようもなく、許せなかった。

(おかしい、おかしい、おかしい……)

 アリス――そんなキャラ、この物語には存在しない。

 私は全部覚えてる。
 この世界は乙女ゲーム。
 攻略対象は四人、ヒロインは私、ユリウス様、セドリック様、エミリオ様、ユディス様……私の選んだルートで、物語は進む。
 誰がどこで何を言って、どんなエンディングに辿り着くのか、全部、決まってる。

 だって私は――そう、 【プレイヤー】だったから。

 この世界に転生して、気づいたときにはもう、ゲームの中にいた。
 そして、私は気づいたのよ。この物語の主人公が、私に変わっていたって。

 でも――彼女は違う。

 私が知らない台詞を言い、知らない場所に現れ、知らない感情で男たちの心を動かす。まるで、物語そのものを書き換える異物みたいに。

(あなたのせいで、全部がおかしくなった)

 王子様は、私を見ない。
 神官様は、私に祈らない。
 画家様は、私を描かない。
 騎士様は、私を守らない。

 彼らは皆、【聖女】であるはずの私を差し置いて……なぜ、あんな異物を選ぶの?
 わたしの世界だったのに。
 わたしの舞台だったのに。
 わたしが愛され、祝福され、守られるはずの物語だったのに。

「返して……私の、物語を……」

 小さくつぶやいた声に、自分でゾクリとした。
 その声は、私のものじゃなかった。
 どこか壊れたお人形のような、感情のない響きがあった。

 ……ふと、視界が揺れた。
 思い出すのは、仮面舞踏会の夜――私は見たの。アリスの仮面が、ふとずれた瞬間。

 ――赤黒い火傷。

 右目の下に走る、醜くただれた皮膚。
 一瞬だった。けれど、私はそれをはっきりと見た。
 そして、記憶の底に――封じられていた誰かの顔が、蘇った。

「……ヨシュア……?」

 リリスには、兄がいた。確かそんな名前だった。でも、顔は出てこなかった設定だけの存在。
 どのルートにも現れない、ただの脇役。けれど私は、どこかで見ていた。あの目を、あの傷を。
 ……今、彼女アリスの右目にあったものと、まったく同じものを。
 私の中で、何かが一つにつながった。

(あの女は、リリスじゃない。アリスでもない)

 ――リリスの兄、ヨシュアが彼女の顔で、この世界に紛れている。
 それは、まるで恐ろしい夢のような仮説だった。けれど、それ以外に説明がつかない。
 そして、その仮面の奥を見抜こうとしているのが――ルーカス様。

 彼は、聖女という存在に異様なほどの執着を持っていた。そしてそれは、【私】に向くはずだった。
 でも今は違う。彼はその執着を、あの【アリス】に向け始めている。彼女の仮面を剥ごうとしている。
 もし、その奥にあるのが、【ヨシュア】だと知ったら……彼は何を思うのだろう?何を、失うのだろう?

「だめ……だめ、だめ、だめだめだめっ……!」

 胸の中で、何かが壊れた音がした。
 私の物語が、誰かの手で書き換えられていく。
 私が知らない結末へ進んでいく。
 わたしがヒロインじゃない物語なんて……意味がない。
 許さない。
 許せない。
 許されるはずがない。
 私はこの世界の主人公なのに。
 なのに、どうして誰も私を見てくれないの……?
 私はまだ、そこに立っていたいのに。
 全部が壊れていく。

「返してよ……全部、私のものだったのに……」

 つぶやいた言葉は、誰にも届かない
 この静寂の中、嘲るように反響して、私自身に突き刺さる。
 この世界は、私が知っていた物語じゃない。
 この世界は……もう私のものじゃない。
 私は、ふらふらと歩き出す。足音を殺して。
 図書室の重たい扉を開けて、そこを抜け出す。
 誰にも気づかれず、誰にも知られず。

 その手には――歪んだ記憶と、焼け付くような怒りを、ぎゅっと握りしめていた。
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