妹を殺された兄が、偽りの聖女候補になって王弟に溺愛されるまで~妹を殺した奴らに、ハッピーエンドなど与えない~

桜塚あお華

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第22話 ベールの下の焔

 天井に星を模した灯が揺れ、静かな旋律が舞踏会の空気を満たしている。
 王城の奥、限られた者しか踏み入れぬ特別な夜会――そこは、祝福などとは程遠い、甘く重い毒の香りに満ちていた。
 グラスの氷がカランと鳴る音、軽薄な讃美の囁き、そして遠くで鳴り響くワルツの旋律――そのすべてが、俺の心を冷たく、無機質に染め上げていく。

 俺は、【アリス】として、その場に立っていた。

 逃げ場など、最初からなかった。
 身に纏う純白のドレスも【聖女】という名の仮面も、全てがこの夜のために用意された舞台衣装にすぎない。
 右目にだけかぶせた白いベールは、ただの装飾ではない。妹を護ろうとして負った火傷――決して癒えぬ過去を、今も覆い隠すための布だ。
 巻かれた銀髪の奥、琥珀色の瞳で、俺は冷静に周囲を観察していた。

(……さて、誰から動く?)

 最初に近づいてきたのは、ユリウスだった。

「……アリス様、本日はお美しい。まるで月下の加護そのもののようだ」

 酷く気弱な声で声をかけてきたので振り向くと、彼は騎士としての矜持を忘れたように背を丸め、視線すら合わせてこない。
 まるで俺という存在を通して、過去の幻影――リリスを見ているかのようだ。

「ありがとうございます、ユリウス様……けれど、わたしなど、ただ選ばれただけの器にすぎません」

 俺は穏やかに微笑みながらも、彼の瞳の奥を見つめていた。
 そこにあるのは、後悔。罪悪感。そして言葉にされることのない懺悔。それら全てが俺の復讐の火種となる。
 次に現れたのは、セドリック。

「こんばんは、アリス様。今日のあなたは……まさに神々しいですね……貴女の周囲を、祝福が柔らかく包んでいるように感じます」
「ふふ、口がお上手ですねセドリック様。ありがとうございます」
「……まるで神が、貴女の存在を祝福しているようだ」

 セドリックは柔らかな微笑みをしてきたが、その奥に俺はよく知る何かを見た。
 この男は、優しさと信仰を盾にして、誰よりも巧妙に人を否定する。
 リリスを否定した、あの冷たい言葉――俺は、忘れていない。

(甘い毒……言葉で殺す男だ)

 ユディスは、一貫して冷徹だった。

「貴女が【本物の聖女】であるならば、民意も、信仰も、王政も整います」

 あくまで合理的な口調。俺の存在など、ただの計算式の変数にすぎない。
 彼にとって、聖女とは【効率】のための記号でしかなかった。

「エミリオは……変わらず気味が悪いな」

 彼は何も言わなかった。ただ、俺の目を見つめ続けている。その視線が、明らかにリリスの幻影を重ねていると気づくのに、時間はかからなかった。
 彼らは、みな分かりやすい――だからこそ、操ることも、壊すことも容易い。

 ――だが、その中に、ひときわ異質な男がいた。

 王弟、ルーカス。

 彼は俺に話しかけることも、近づくことすらしなかった。
 ただ、ひたすらに――俺を、見ていた。
 同時に、【あの行為】の事を思い出す。
 結局はあの図書室の後から顔を合わせる事はなかったのだが、それでも未だにあの男の顔を見るだけで気持ちが落ち着かない。

(……やめろ。そんな目で見るな)

 それは崇拝でも、欲望でもない。
 彼の視線は【真実】そのモノに触れようとする。
 俺の魂の奥である【ヨシュア】であることさえも――見抜こうとしていた。
 逃げるように、俺は壁際へと身を寄せるのだが、奴はそのままゆっくりと、しかし確実に歩いてくる。
 一歩、また一歩。まるで檻の扉を閉めるように、俺の心に近づいてくる。
 そして、俺の目の前に立った。

「今宵の装いも見事だった、アリス……ただ、心の仮面の奥の顔は今夜も見せてくれぬのだな」

 その言葉が、胸に突き刺さる。
 それは明確な【探り】だ。
 俺の右目の火傷、その奥にいる【誰か】――まるで、【以前の俺ヨシュア】を、見ているようだった。
 何事もないかのように俺は微笑み、首を傾げる。

「……わたしにはそんな【仮面】などございません。ただの……ベールですわ」
「ならば、そのベールの奥にあるものを、今夜は見せてほしかったな」

 ルーカスの瞳が、白いベールをなぞる。

「……それは、君がまだ【本当の名】を名乗っていないからだ」
「え……」

「――君の名前は……本当に【アリス】なのか?」

 心臓が跳ねた。気づいている。いや、知っている。
 こいつは――俺が【誰】なのかを、確信している。

「な、名などは、その……神が与えるものです。過去より、今の信仰のほうが……ずっと大切」
「……それでも、私は君の【過去】に興味がある」

 そのときだった。

「――聖女様、王弟殿下とのご歓談、いささかお疲れではないでしょうか?」

 セドリックの声が、背後から静かに割って入った。
 完璧な笑みを浮かべながら、まるで【仲裁者】のように歩み寄ってくる。
 だが、俺には見えていた。
 間違いなく、何かを考えているかのような、そんな瞳をしている。
 軽く息を吸った後、セドリックに返事を帰した。

「……セドリック様、ご心配には及びません」

 俺は慈愛の微笑みを返しながらも、内心では静かに怒りが燃え上がっていた。

 ――俺は、【物】じゃない。

 けれど彼らは、俺を【所有物】のように扱う。

 ルーカスは、セドリックの介入にも視線を逸らさなかった。
 そして、誰に聞かせるでもなく、呟くように言った。

「誰にも渡さない……そう思ったのは今夜が初めてだな」
「っ……」

 その声に、背筋がぞくりとする。
 それは、甘ったるい恋の囁きではない。
 支配者の誓い――そう聞こえた。
 俺は二人の男の間に立たされ、心の奥で警鐘を鳴らしていた。
 微かな恐怖を感じながらも、【アリス】の笑顔を崩せない。
 引きつった笑みを浮かべることしかできなかった。

「申し訳ございません、その……失礼します、お二方」

 気分が悪くなった俺は、口元を押さえ、踵を返す。
 そして、逃げるように、その場を離れたのだった。
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