36 / 49
第36話 裁判の布石と決定
王都の空は、いつにも増して重苦しかった。
空気が湿り、風が止まり、遠くで鐘の音が微かに鳴っている。
神殿の塔の上から見下ろせば、民衆の集まる広場にはもうざわめきが広がっていた。
誰もが、何かが起こると知っている。それでもその【何か】の正体を、はっきりとは知らない。
けれど、それはすでに始まっている。
聖女裁断の儀――誰が神に選ばれし者か、民の前で問う最後の審判。
それは俺が仕掛けた【舞台装置】であり、復讐の刃のようなものだった。
姉を喪い、祈りの意味を見失った俺が唯一できること。
(……これでいい)
淡い風が衣を揺らしている中で、神官たちが王宮からの書状を手に神殿へと戻ってくる様子が見える。
王も、神殿長も、そしてこの国の民も――今や俺の仕掛けた儀式から目を逸らせなくなっていた。
ふと、塔の石段を降りようとしたところで、白銀の影が視界に入った。
視線を向けた先に居たのは、ルーカスだった。
王弟としての威厳をまとうその姿は、相変わらず感情を見せない。けれど、どこか俺の前に現れる時だけは、微かに言葉の端がやわらかくなる気がする。
「……王宮から、承認が下りた。裁断の儀は三日後。広場で、民衆の前で行われる」
そう言って、彼は俺の肩に目を落とした。そんな俺に、彼は何を見ているのだろう。
「君の勝負が、始まる……後戻りはできないぞ?」
その言葉を聞いた俺は、静かに笑いなが頷いた。
ふと、風の向こうから祈りの歌声が聞こえる――クララの声だ。
神殿の庭で、信徒たちを前に【聖女の祈り】と言うモノを続けているのだろう。声は張り詰めていた。まるで、崩れそうな塔の壁を支える支柱のように。
「……クララは、まだ自分が選ばれたと信じている。いや、信じなければ壊れるのだろうな」
ルーカスがぼそりと呟いた。
その返事に対し、俺は返事をしなかった。
ただ、その祈りの音を聞きながら、胸の奥に一つの感情が渦を巻く。
――哀れみ、ではない。
彼女がどんな思いであの夜、リリスの名を踏みにじったかを俺は知っている。
だからこそ、裁きを。だからこそ、真実を。
「君は何も言わないな」
ルーカスの声が低く響いた。
「本当に……あの日から、変わった」
「……わたしは、舞台に立つ役目を引き受けただけです」
その言葉に、ルーカスがわずかに唇を歪めた。
「役者にはなりたくないと言っていた君が、それを言うか」
「……今は、そうでもしないと立っていられないから」
静かな沈黙が流れる。
風がやみ、空気がぴたりと止まった。遠くで鳥の羽音すらしない。時間だけが、二人の間を淡く引き延ばしていく。
その中で、彼は俺の隣に立ち、ぽつりと呟いた。
「――これが君の舞台だ。最後まで演じきれ、ヨシュア」
――……。
一瞬、心臓が音を立てるのがわかった。
思わず、呼吸を止めた。
俺の、名前。この胸の奥に隠していた、俺の本当の名を……彼が、今、呼んだ。
咄嗟に顔を上げた。
思わず目を見開く。
思考がついてこない。言葉が、浮かばない。
その瞳の奥で瞬きさえ忘れて彼を見つめてしまっていた。
彼は、何も言わなかった。ただ、ゆっくりと私を見返していた。
――確かにその目は、アリスではなく、ヨシュアを見ていた。
その事実に、胸の奥がかすかに軋んだ。
ふと。ルーカスが一歩だけ、俺のほうへ歩み寄る。
「……っ」
戸惑いに体がわずかに揺れた、その瞬間だった。
彼の手が、俺の頬にそっと触れる。そしてそのままあたたかな指先が触れた。
そして、何の前触れもなく、唇が触れる。
それはほんの一瞬、まるで花びらが頬に落ちたような、軽い口づけ。
けれど、それがどれほどの重みを持っていたか。それを知っているのは、たぶん、俺と彼だけだった。
「――……」
返す言葉が、出ず、そして目の奥が、熱を帯びていく。
けれど涙は出ない。泣いてはいけない。まだ、何も終わっていないのだから。
ルーカスは、それ以上何もせず、手を離した。
ただひとつ、低く囁くように言う。
「……君は、もう誰かの代わりじゃない。君自身のために立て、ヨシュア」
その声が、胸に深く、深く突き刺さり、そのまま俺は小さく息を吸った。
顔を背けるように、塔の階段を下り始める。風が再び吹き始めていた。
(――あの夜の祈りが、報われなかったとしても……この手で、終わらせる。リリスの物語を、私の手で)
背後の彼に何も言わず、私は足音を響かせてその場を離れた。
心の中に、まだ熱の残る唇の感触を、ひた隠しながら――。
(リリス……必ず俺は、あなたの名を、あなたの祈りを、この手で取り戻す)
神殿の奥で、鐘の音が響いた。
裁きの刻が、すぐそこまで来ている。
空気が湿り、風が止まり、遠くで鐘の音が微かに鳴っている。
神殿の塔の上から見下ろせば、民衆の集まる広場にはもうざわめきが広がっていた。
誰もが、何かが起こると知っている。それでもその【何か】の正体を、はっきりとは知らない。
けれど、それはすでに始まっている。
聖女裁断の儀――誰が神に選ばれし者か、民の前で問う最後の審判。
それは俺が仕掛けた【舞台装置】であり、復讐の刃のようなものだった。
姉を喪い、祈りの意味を見失った俺が唯一できること。
(……これでいい)
淡い風が衣を揺らしている中で、神官たちが王宮からの書状を手に神殿へと戻ってくる様子が見える。
王も、神殿長も、そしてこの国の民も――今や俺の仕掛けた儀式から目を逸らせなくなっていた。
ふと、塔の石段を降りようとしたところで、白銀の影が視界に入った。
視線を向けた先に居たのは、ルーカスだった。
王弟としての威厳をまとうその姿は、相変わらず感情を見せない。けれど、どこか俺の前に現れる時だけは、微かに言葉の端がやわらかくなる気がする。
「……王宮から、承認が下りた。裁断の儀は三日後。広場で、民衆の前で行われる」
そう言って、彼は俺の肩に目を落とした。そんな俺に、彼は何を見ているのだろう。
「君の勝負が、始まる……後戻りはできないぞ?」
その言葉を聞いた俺は、静かに笑いなが頷いた。
ふと、風の向こうから祈りの歌声が聞こえる――クララの声だ。
神殿の庭で、信徒たちを前に【聖女の祈り】と言うモノを続けているのだろう。声は張り詰めていた。まるで、崩れそうな塔の壁を支える支柱のように。
「……クララは、まだ自分が選ばれたと信じている。いや、信じなければ壊れるのだろうな」
ルーカスがぼそりと呟いた。
その返事に対し、俺は返事をしなかった。
ただ、その祈りの音を聞きながら、胸の奥に一つの感情が渦を巻く。
――哀れみ、ではない。
彼女がどんな思いであの夜、リリスの名を踏みにじったかを俺は知っている。
だからこそ、裁きを。だからこそ、真実を。
「君は何も言わないな」
ルーカスの声が低く響いた。
「本当に……あの日から、変わった」
「……わたしは、舞台に立つ役目を引き受けただけです」
その言葉に、ルーカスがわずかに唇を歪めた。
「役者にはなりたくないと言っていた君が、それを言うか」
「……今は、そうでもしないと立っていられないから」
静かな沈黙が流れる。
風がやみ、空気がぴたりと止まった。遠くで鳥の羽音すらしない。時間だけが、二人の間を淡く引き延ばしていく。
その中で、彼は俺の隣に立ち、ぽつりと呟いた。
「――これが君の舞台だ。最後まで演じきれ、ヨシュア」
――……。
一瞬、心臓が音を立てるのがわかった。
思わず、呼吸を止めた。
俺の、名前。この胸の奥に隠していた、俺の本当の名を……彼が、今、呼んだ。
咄嗟に顔を上げた。
思わず目を見開く。
思考がついてこない。言葉が、浮かばない。
その瞳の奥で瞬きさえ忘れて彼を見つめてしまっていた。
彼は、何も言わなかった。ただ、ゆっくりと私を見返していた。
――確かにその目は、アリスではなく、ヨシュアを見ていた。
その事実に、胸の奥がかすかに軋んだ。
ふと。ルーカスが一歩だけ、俺のほうへ歩み寄る。
「……っ」
戸惑いに体がわずかに揺れた、その瞬間だった。
彼の手が、俺の頬にそっと触れる。そしてそのままあたたかな指先が触れた。
そして、何の前触れもなく、唇が触れる。
それはほんの一瞬、まるで花びらが頬に落ちたような、軽い口づけ。
けれど、それがどれほどの重みを持っていたか。それを知っているのは、たぶん、俺と彼だけだった。
「――……」
返す言葉が、出ず、そして目の奥が、熱を帯びていく。
けれど涙は出ない。泣いてはいけない。まだ、何も終わっていないのだから。
ルーカスは、それ以上何もせず、手を離した。
ただひとつ、低く囁くように言う。
「……君は、もう誰かの代わりじゃない。君自身のために立て、ヨシュア」
その声が、胸に深く、深く突き刺さり、そのまま俺は小さく息を吸った。
顔を背けるように、塔の階段を下り始める。風が再び吹き始めていた。
(――あの夜の祈りが、報われなかったとしても……この手で、終わらせる。リリスの物語を、私の手で)
背後の彼に何も言わず、私は足音を響かせてその場を離れた。
心の中に、まだ熱の残る唇の感触を、ひた隠しながら――。
(リリス……必ず俺は、あなたの名を、あなたの祈りを、この手で取り戻す)
神殿の奥で、鐘の音が響いた。
裁きの刻が、すぐそこまで来ている。
あなたにおすすめの小説
私を断罪するのが神のお告げですって?なら、本人を呼んでみましょうか
あーもんど
恋愛
聖女のオリアナが神に祈りを捧げている最中、ある女性が現れ、こう言う。
「貴方には、これから裁きを受けてもらうわ!」
突然の宣言に驚きつつも、オリアナはワケを聞く。
すると、出てくるのはただの言い掛かりに過ぎない言い分ばかり。
オリアナは何とか理解してもらおうとするものの、相手は聞く耳持たずで……?
最終的には「神のお告げよ!」とまで言われ、さすがのオリアナも反抗を決意!
「私を断罪するのが神のお告げですって?なら、本人を呼んでみましょうか」
さて、聖女オリアナを怒らせた彼らの末路は?
◆小説家になろう様でも掲載中◆
→短編形式で投稿したため、こちらなら一気に最後まで読めます
宮廷から追放された聖女の回復魔法は最強でした。後から戻って来いと言われても今更遅いです
ダイナイ
ファンタジー
「お前が聖女だな、お前はいらないからクビだ」
宮廷に派遣されていた聖女メアリーは、お金の無駄だお前の代わりはいくらでもいるから、と宮廷を追放されてしまった。
聖国から王国に派遣されていた聖女は、この先どうしようか迷ってしまう。とりあえず、冒険者が集まる都市に行って仕事をしようと考えた。
しかし聖女は自分の回復魔法が異常であることを知らなかった。
冒険者都市に行った聖女は、自分の回復魔法が周囲に知られて大変なことになってしまう。
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。
渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
魔物が棲む森に捨てられた私を拾ったのは、私を捨てた王子がいる国の騎士様だった件について。
imu
ファンタジー
病院の帰り道、歩くのもやっとな状態の私、花宮 凛羽 21歳。
今にも倒れそうな体に鞭を打ち、家まで15分の道を歩いていた。
あぁ、タクシーにすればよかったと、後悔し始めた時。
「—っ⁉︎」
私の体は、眩い光に包まれた。
次に目覚めた時、そこは、
「どこ…、ここ……。」
何故かずぶ濡れな私と、きらびやかな人達がいる世界でした。
『王都の神童』と呼ばれた俺、職業選定でまさかの【遊び人】三連発で追放される。……が、実は「全職業のスキル」を合算して重ねがけできる唯一のバグ
よっしぃ
ファンタジー
王都で「神童」の名をほしいままにしていた少年、ディラン・アークライト(17歳)。
剣を握れば騎士団長を唸らせ、魔法を学べば賢者を凌駕する。誰もが彼を「次代の勇者」と信じて疑わなかった。
しかし、運命の職業選定で彼が得たのは――【遊び人】。
それも、三つの職業スロットすべてが【遊び人】で埋まるという、前代未聞の怪現象だった。
「期待外れだ」
「国の恥晒しめ」
掌を返した周囲によって、ディランは着の身着のままで街を追放される。 だが、かつて神童と呼ばれた彼の「分析力」は死んでいなかった。
『……Lv1なのに、ステータスが異常に高い? それに経験値が分散せず、すべて加算されている……?』
彼だけが気づいた真実。
それは【遊び人】という名に偽装された、この世界の管理者権限(Free-Hander)であり、全職業のスキルを制限なく使用・強化できるバグ技(デバッグモード)への入り口だったのだ。
これは、理不尽に捨てられた元・神童が、その頭脳とバグ能力で世界を「攻略」し、同じく不遇な扱いを受けていた美少女騎士(中身は脳筋)と共に、誰よりも自由に成り上がる物語。
【著者プロフィール】アルファポリスより『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』を出版、オリコンライトノベル部門18位を記録。本作は2月に2巻刊行予定。
【完】姉の仇討ちのハズだったのに(改)全7話
325号室の住人
BL
姉が婚約破棄された。
僕は、姉の仇討ちのつもりで姉の元婚約者に会いに行ったのに……
初出 2021/10/27
2023/12/31 お直し投稿
以前投稿したことのあるBLのお話です。
完結→非公開→公開 のため、以前お気に入り登録していただいた方々がそのままお気に入り登録状態になってしまっております。
紛らわしく、申し訳ありません。
2025/04/22追記↓
☆本文に記載ありませんが、主人公の姉は婚約破棄された時、主人公の学園卒業時に実家の爵位が国に返上されるよう、手続きをしていた…という設定アリ。