妹を殺された兄が、偽りの聖女候補になって王弟に溺愛されるまで~妹を殺した奴らに、ハッピーエンドなど与えない~

桜塚あお華

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第36話 裁判の布石と決定

 王都の空は、いつにも増して重苦しかった。
 空気が湿り、風が止まり、遠くで鐘の音が微かに鳴っている。
 神殿の塔の上から見下ろせば、民衆の集まる広場にはもうざわめきが広がっていた。
 誰もが、何かが起こると知っている。それでもその【何か】の正体を、はっきりとは知らない。

 けれど、それはすでに始まっている。

 聖女裁断の儀――誰が神に選ばれし者か、民の前で問う最後の審判。

 それは俺が仕掛けた【舞台装置】であり、復讐の刃のようなものだった。
 姉を喪い、祈りの意味を見失った俺が唯一できること。

(……これでいい)

 淡い風が衣を揺らしている中で、神官たちが王宮からの書状を手に神殿へと戻ってくる様子が見える。
 王も、神殿長も、そしてこの国の民も――今や俺の仕掛けた儀式から目を逸らせなくなっていた。
 ふと、塔の石段を降りようとしたところで、白銀の影が視界に入った。
 視線を向けた先に居たのは、ルーカスだった。
 王弟としての威厳をまとうその姿は、相変わらず感情を見せない。けれど、どこか俺の前に現れる時だけは、微かに言葉の端がやわらかくなる気がする。

「……王宮から、承認が下りた。裁断の儀は三日後。広場で、民衆の前で行われる」

 そう言って、彼は俺の肩に目を落とした。そんな俺に、彼は何を見ているのだろう。

「君の勝負が、始まる……後戻りはできないぞ?」

 その言葉を聞いた俺は、静かに笑いなが頷いた。

 ふと、風の向こうから祈りの歌声が聞こえる――クララの声だ。
 神殿の庭で、信徒たちを前に【聖女の祈り】と言うモノを続けているのだろう。声は張り詰めていた。まるで、崩れそうな塔の壁を支える支柱のように。

「……クララは、まだ自分が選ばれたと信じている。いや、信じなければ壊れるのだろうな」

 ルーカスがぼそりと呟いた。
 その返事に対し、俺は返事をしなかった。
 ただ、その祈りの音を聞きながら、胸の奥に一つの感情が渦を巻く。

 ――哀れみ、ではない。

 彼女がどんな思いであの夜、リリスの名を踏みにじったかを俺は知っている。
 だからこそ、裁きを。だからこそ、真実を。

「君は何も言わないな」

 ルーカスの声が低く響いた。

「本当に……あの日から、変わった」
「……わたしは、舞台に立つ役目を引き受けただけです」

 その言葉に、ルーカスがわずかに唇を歪めた。

「役者にはなりたくないと言っていた君が、それを言うか」
「……今は、そうでもしないと立っていられないから」

 静かな沈黙が流れる。
 風がやみ、空気がぴたりと止まった。遠くで鳥の羽音すらしない。時間だけが、二人の間を淡く引き延ばしていく。
 その中で、彼は俺の隣に立ち、ぽつりと呟いた。

「――これが君の舞台だ。最後まで演じきれ、ヨシュア」

 ――……。

 一瞬、心臓が音を立てるのがわかった。
 思わず、呼吸を止めた。
 俺の、名前。この胸の奥に隠していた、俺の本当の名を……彼が、今、呼んだ。
 咄嗟に顔を上げた。
 思わず目を見開く。
 思考がついてこない。言葉が、浮かばない。
 その瞳の奥で瞬きさえ忘れて彼を見つめてしまっていた。
 彼は、何も言わなかった。ただ、ゆっくりと私を見返していた。

 ――確かにその目は、アリスではなく、ヨシュアを見ていた。

 その事実に、胸の奥がかすかに軋んだ。

 ふと。ルーカスが一歩だけ、俺のほうへ歩み寄る。

「……っ」

 戸惑いに体がわずかに揺れた、その瞬間だった。
 彼の手が、俺の頬にそっと触れる。そしてそのままあたたかな指先が触れた。
 そして、何の前触れもなく、唇が触れる。
 それはほんの一瞬、まるで花びらが頬に落ちたような、軽い口づけ。
 けれど、それがどれほどの重みを持っていたか。それを知っているのは、たぶん、俺と彼だけだった。

「――……」

 返す言葉が、出ず、そして目の奥が、熱を帯びていく。
 けれど涙は出ない。泣いてはいけない。まだ、何も終わっていないのだから。
 ルーカスは、それ以上何もせず、手を離した。
 ただひとつ、低く囁くように言う。

「……君は、もう誰かの代わりじゃない。君自身のために立て、ヨシュア」

 その声が、胸に深く、深く突き刺さり、そのまま俺は小さく息を吸った。
 顔を背けるように、塔の階段を下り始める。風が再び吹き始めていた。

(――あの夜の祈りが、報われなかったとしても……この手で、終わらせる。リリスの物語を、私の手で)

 背後の彼に何も言わず、私は足音を響かせてその場を離れた。
 心の中に、まだ熱の残る唇の感触を、ひた隠しながら――。
 
(リリス……必ず俺は、あなたの名を、あなたの祈りを、この手で取り戻す)

 神殿の奥で、鐘の音が響いた。
 裁きの刻が、すぐそこまで来ている。
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