37 / 49
第37話 前夜祭 ― それぞれの沈黙【後半・クララ視点】
【前半:ヨシュア視点】
朝から、王都はざわめいていた。
誰もが口々に囁いている――それはきっと、【聖女裁断の儀】のことだろう。
王宮前広場には、すでに人の波が押し寄せ、広場を囲む街道では露天が並び始めている。そして冷たい空気の中に、肉を焼く香り、焼き栗の匂い、子供の笑い声と大人たちの噂話が混ざっているのが聞こえてきた。
――まるで祭りのようだった。
(いいや……これは、祭りなんかじゃない)
これは、ある意味でひとつの【処刑】のようなものだ。
神と民と王の前で、誰かを突き落とす――それだけの【祭壇】に過ぎない。
俺は神殿の奥の私室で、一枚の衣を広げていた。
白地に、銀糸の刺繍がほどこされた祈祷衣。これはリリスが生前に最後に身につけていた正式な祈りの装束――と、ルーカスがそのように言いながら、それを渡してくれた。
今では倉庫のような場所に押し込まれていたが、どうしても、これだけは取り戻したかった。
指先で布を撫でる。
ほつれも、血の跡もない。
「……リリス、俺はこれを着るぞ、良いな?」
たとえ誰が否定しようと。
この国が、姉を忘れようと。
俺は、リリスの【祈り】を、この身で証明してみせる。
そんな事を考えていると、その時、扉の外に誰かの気配を感じた。振り返ると、ほんの一瞬だけ、廊下の先にルーカスの姿が見えた。
黒い外套を翻し、足を止めることもなく、こちらを見ずに歩き去っていく。
――彼は、何も言わなかった。
でも、知っている。あの背は、俺のの覚悟を見ていたのかもしれない。
だからこそ何も言わず、背を向けたのだろう。
俺たちは、もう互いに言葉を交わす段階を超えている。
今はただ、舞台に立つだけだ。
この衣を身に纏い、姉の祈りを、真実として告げるために。
▽ ▽ ▽
夜――部屋の中は、肌を刺すように冷たかった。
窓には厚手の布をかけた。
隙間という隙間には綿を詰め、扉の下には毛皮を押し当てた。
それでも、止められなかった。風がどこからか吹き込み、床を撫で、足元を通り過ぎていく。
(おかしいわ……暖炉は、使っていないのに)
そう思った瞬間、私は口を閉ざした。
使っていないのではない。使えないのだ――あの赤い光が怖くて、手を伸ばすことができない。
炎、それは、全てを照らすものではなく――全てを思い出させるものだった。
静かに再度ベッドに潜り込む。
布団に包まって、両腕で自分の体を抱く。
寒さは、きっと幻だ。そう、きっと……心の奥にあるものが、外に染み出してきているだけ。
(大丈夫と、私は聖女。選ばれた存在。……神に、愛された者)
そう、何度も心の中で唱える。
だが、その言葉は、慰めではなかった。
それは呪文だ――それを唱えなければ、正気を保てないと、自分自身が知っていた。
なのに、繰り返すたびに、なぜか苦しくなる。
まるでそれが、嘘だからだと、どこかで分かっているかのように。
静かに目を閉じる。
瞼の裏に、光が差し込む。
――違う、それは光ではない。
――それは、炎だった。
オレンジと紅の濃淡が、じわじわと天蓋を焼き崩していく。
木材のはぜる音。誰かの叫び声、煙の匂いが、肺を満たしていく。
『……クララ様……見ていたでしょ?』
ひゅっと、喉が狭まる。
『見ていましたよね?あの時、私が落ちていくの……手を伸ばしたのに、あなたは――』
「やめて……!」
悲鳴のように吐き出す。でも、誰も止めてくれない。
部屋には私しかいない。祈りを捧げるはずの神像すら、今夜はどこか遠くに見える。
目を開けてみるが、炎は消えていなかった。
……いや、違う。瞼の裏に焼きついたその光景が、消えてくれないのだ。
それは夢じゃない。
あの夜、たしかに私の目の前で起きた事、そしてリリスがこちらに手を伸ばして、必死に呼んでいたこと。
私は自分の手の甲を見た。
白い皮膚に、赤く爪の跡が残っており、そして気づかないうちに、強く、強く握りしめていたのだ。
血が滲んでいた。
でも、痛みは――なかった。
それどころか、少しだけ安心する自分がいた。
(あれは幻。あれは、そう、夢……そう、リリスは死んだの。私の代わりに)
そうだ。
神は私を選んだ。
私を、救った。
私を、生かした。
――それなのに、なぜ?
胸の奥が、冷たい。
鼓動がゆっくりになっていく。
まるで、時間だけが凍りついているかのように。
その時だった。
はっきりと、【視線】を感じた。
誰もいない部屋の中。
天井の梁の隙間から、ベッドの脚元から、壁の裏から――どこかから、確かに誰かがこちらを見ている。
いや、違う。
誰かじゃない。
あれは、【私】なのだ。
あの夜、火の向こうから、手を伸ばしてきたもう一人の私。
リリスーー私とは違う【本物の聖女】。
「……違う……私は……私は間違っていない……」
震える声で呟く。
言葉にならない嗚咽が喉を塞ぎ、祈りの形にならない。
――ああ、神よ。
なぜ、あなたの名を呼ぶことさえ、私はできないのですか。
以前は、ただ祈ればすべてが許されると思っていた。
でも、今はもう違う。神の名前を口にするたび、あの子の目が脳裏に浮かぶ。
どこからか、鐘の音が響く。それはゆっくりと、重く、じわじわと空気に染み込んでくるような音。
それは王都に告げていた。
【聖女裁断の儀】、開幕まで、残り一日――その瞬間、心臓が跳ねた。
私は布団の中に身を丸める。
ひたすら、呼吸を小さくして、気配を殺す。
けれど、ダメだった。
あの視線は、布団の中まで追いかけてきた。
焼けただれた天蓋の向こうから、リリスが――私の罪が――静かに、手を伸ばしてくる。
今夜だけは、どうか……どうか夢に来ないで。
今夜だけは、【彼女】に会いたくない。
……そう、神に祈ろうとした、その瞬間。
『祈っても、無駄ですよ、クララ様』
耳元で囁いた声は、たしかに【あの子】のものだった。
それを聞いた瞬間、私は――もう、眠れなかった。
朝から、王都はざわめいていた。
誰もが口々に囁いている――それはきっと、【聖女裁断の儀】のことだろう。
王宮前広場には、すでに人の波が押し寄せ、広場を囲む街道では露天が並び始めている。そして冷たい空気の中に、肉を焼く香り、焼き栗の匂い、子供の笑い声と大人たちの噂話が混ざっているのが聞こえてきた。
――まるで祭りのようだった。
(いいや……これは、祭りなんかじゃない)
これは、ある意味でひとつの【処刑】のようなものだ。
神と民と王の前で、誰かを突き落とす――それだけの【祭壇】に過ぎない。
俺は神殿の奥の私室で、一枚の衣を広げていた。
白地に、銀糸の刺繍がほどこされた祈祷衣。これはリリスが生前に最後に身につけていた正式な祈りの装束――と、ルーカスがそのように言いながら、それを渡してくれた。
今では倉庫のような場所に押し込まれていたが、どうしても、これだけは取り戻したかった。
指先で布を撫でる。
ほつれも、血の跡もない。
「……リリス、俺はこれを着るぞ、良いな?」
たとえ誰が否定しようと。
この国が、姉を忘れようと。
俺は、リリスの【祈り】を、この身で証明してみせる。
そんな事を考えていると、その時、扉の外に誰かの気配を感じた。振り返ると、ほんの一瞬だけ、廊下の先にルーカスの姿が見えた。
黒い外套を翻し、足を止めることもなく、こちらを見ずに歩き去っていく。
――彼は、何も言わなかった。
でも、知っている。あの背は、俺のの覚悟を見ていたのかもしれない。
だからこそ何も言わず、背を向けたのだろう。
俺たちは、もう互いに言葉を交わす段階を超えている。
今はただ、舞台に立つだけだ。
この衣を身に纏い、姉の祈りを、真実として告げるために。
▽ ▽ ▽
夜――部屋の中は、肌を刺すように冷たかった。
窓には厚手の布をかけた。
隙間という隙間には綿を詰め、扉の下には毛皮を押し当てた。
それでも、止められなかった。風がどこからか吹き込み、床を撫で、足元を通り過ぎていく。
(おかしいわ……暖炉は、使っていないのに)
そう思った瞬間、私は口を閉ざした。
使っていないのではない。使えないのだ――あの赤い光が怖くて、手を伸ばすことができない。
炎、それは、全てを照らすものではなく――全てを思い出させるものだった。
静かに再度ベッドに潜り込む。
布団に包まって、両腕で自分の体を抱く。
寒さは、きっと幻だ。そう、きっと……心の奥にあるものが、外に染み出してきているだけ。
(大丈夫と、私は聖女。選ばれた存在。……神に、愛された者)
そう、何度も心の中で唱える。
だが、その言葉は、慰めではなかった。
それは呪文だ――それを唱えなければ、正気を保てないと、自分自身が知っていた。
なのに、繰り返すたびに、なぜか苦しくなる。
まるでそれが、嘘だからだと、どこかで分かっているかのように。
静かに目を閉じる。
瞼の裏に、光が差し込む。
――違う、それは光ではない。
――それは、炎だった。
オレンジと紅の濃淡が、じわじわと天蓋を焼き崩していく。
木材のはぜる音。誰かの叫び声、煙の匂いが、肺を満たしていく。
『……クララ様……見ていたでしょ?』
ひゅっと、喉が狭まる。
『見ていましたよね?あの時、私が落ちていくの……手を伸ばしたのに、あなたは――』
「やめて……!」
悲鳴のように吐き出す。でも、誰も止めてくれない。
部屋には私しかいない。祈りを捧げるはずの神像すら、今夜はどこか遠くに見える。
目を開けてみるが、炎は消えていなかった。
……いや、違う。瞼の裏に焼きついたその光景が、消えてくれないのだ。
それは夢じゃない。
あの夜、たしかに私の目の前で起きた事、そしてリリスがこちらに手を伸ばして、必死に呼んでいたこと。
私は自分の手の甲を見た。
白い皮膚に、赤く爪の跡が残っており、そして気づかないうちに、強く、強く握りしめていたのだ。
血が滲んでいた。
でも、痛みは――なかった。
それどころか、少しだけ安心する自分がいた。
(あれは幻。あれは、そう、夢……そう、リリスは死んだの。私の代わりに)
そうだ。
神は私を選んだ。
私を、救った。
私を、生かした。
――それなのに、なぜ?
胸の奥が、冷たい。
鼓動がゆっくりになっていく。
まるで、時間だけが凍りついているかのように。
その時だった。
はっきりと、【視線】を感じた。
誰もいない部屋の中。
天井の梁の隙間から、ベッドの脚元から、壁の裏から――どこかから、確かに誰かがこちらを見ている。
いや、違う。
誰かじゃない。
あれは、【私】なのだ。
あの夜、火の向こうから、手を伸ばしてきたもう一人の私。
リリスーー私とは違う【本物の聖女】。
「……違う……私は……私は間違っていない……」
震える声で呟く。
言葉にならない嗚咽が喉を塞ぎ、祈りの形にならない。
――ああ、神よ。
なぜ、あなたの名を呼ぶことさえ、私はできないのですか。
以前は、ただ祈ればすべてが許されると思っていた。
でも、今はもう違う。神の名前を口にするたび、あの子の目が脳裏に浮かぶ。
どこからか、鐘の音が響く。それはゆっくりと、重く、じわじわと空気に染み込んでくるような音。
それは王都に告げていた。
【聖女裁断の儀】、開幕まで、残り一日――その瞬間、心臓が跳ねた。
私は布団の中に身を丸める。
ひたすら、呼吸を小さくして、気配を殺す。
けれど、ダメだった。
あの視線は、布団の中まで追いかけてきた。
焼けただれた天蓋の向こうから、リリスが――私の罪が――静かに、手を伸ばしてくる。
今夜だけは、どうか……どうか夢に来ないで。
今夜だけは、【彼女】に会いたくない。
……そう、神に祈ろうとした、その瞬間。
『祈っても、無駄ですよ、クララ様』
耳元で囁いた声は、たしかに【あの子】のものだった。
それを聞いた瞬間、私は――もう、眠れなかった。
あなたにおすすめの小説
私を断罪するのが神のお告げですって?なら、本人を呼んでみましょうか
あーもんど
恋愛
聖女のオリアナが神に祈りを捧げている最中、ある女性が現れ、こう言う。
「貴方には、これから裁きを受けてもらうわ!」
突然の宣言に驚きつつも、オリアナはワケを聞く。
すると、出てくるのはただの言い掛かりに過ぎない言い分ばかり。
オリアナは何とか理解してもらおうとするものの、相手は聞く耳持たずで……?
最終的には「神のお告げよ!」とまで言われ、さすがのオリアナも反抗を決意!
「私を断罪するのが神のお告げですって?なら、本人を呼んでみましょうか」
さて、聖女オリアナを怒らせた彼らの末路は?
◆小説家になろう様でも掲載中◆
→短編形式で投稿したため、こちらなら一気に最後まで読めます
宮廷から追放された聖女の回復魔法は最強でした。後から戻って来いと言われても今更遅いです
ダイナイ
ファンタジー
「お前が聖女だな、お前はいらないからクビだ」
宮廷に派遣されていた聖女メアリーは、お金の無駄だお前の代わりはいくらでもいるから、と宮廷を追放されてしまった。
聖国から王国に派遣されていた聖女は、この先どうしようか迷ってしまう。とりあえず、冒険者が集まる都市に行って仕事をしようと考えた。
しかし聖女は自分の回復魔法が異常であることを知らなかった。
冒険者都市に行った聖女は、自分の回復魔法が周囲に知られて大変なことになってしまう。
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。
渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
魔物が棲む森に捨てられた私を拾ったのは、私を捨てた王子がいる国の騎士様だった件について。
imu
ファンタジー
病院の帰り道、歩くのもやっとな状態の私、花宮 凛羽 21歳。
今にも倒れそうな体に鞭を打ち、家まで15分の道を歩いていた。
あぁ、タクシーにすればよかったと、後悔し始めた時。
「—っ⁉︎」
私の体は、眩い光に包まれた。
次に目覚めた時、そこは、
「どこ…、ここ……。」
何故かずぶ濡れな私と、きらびやかな人達がいる世界でした。
『王都の神童』と呼ばれた俺、職業選定でまさかの【遊び人】三連発で追放される。……が、実は「全職業のスキル」を合算して重ねがけできる唯一のバグ
よっしぃ
ファンタジー
王都で「神童」の名をほしいままにしていた少年、ディラン・アークライト(17歳)。
剣を握れば騎士団長を唸らせ、魔法を学べば賢者を凌駕する。誰もが彼を「次代の勇者」と信じて疑わなかった。
しかし、運命の職業選定で彼が得たのは――【遊び人】。
それも、三つの職業スロットすべてが【遊び人】で埋まるという、前代未聞の怪現象だった。
「期待外れだ」
「国の恥晒しめ」
掌を返した周囲によって、ディランは着の身着のままで街を追放される。 だが、かつて神童と呼ばれた彼の「分析力」は死んでいなかった。
『……Lv1なのに、ステータスが異常に高い? それに経験値が分散せず、すべて加算されている……?』
彼だけが気づいた真実。
それは【遊び人】という名に偽装された、この世界の管理者権限(Free-Hander)であり、全職業のスキルを制限なく使用・強化できるバグ技(デバッグモード)への入り口だったのだ。
これは、理不尽に捨てられた元・神童が、その頭脳とバグ能力で世界を「攻略」し、同じく不遇な扱いを受けていた美少女騎士(中身は脳筋)と共に、誰よりも自由に成り上がる物語。
【著者プロフィール】アルファポリスより『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』を出版、オリコンライトノベル部門18位を記録。本作は2月に2巻刊行予定。
【完】姉の仇討ちのハズだったのに(改)全7話
325号室の住人
BL
姉が婚約破棄された。
僕は、姉の仇討ちのつもりで姉の元婚約者に会いに行ったのに……
初出 2021/10/27
2023/12/31 お直し投稿
以前投稿したことのあるBLのお話です。
完結→非公開→公開 のため、以前お気に入り登録していただいた方々がそのままお気に入り登録状態になってしまっております。
紛らわしく、申し訳ありません。
2025/04/22追記↓
☆本文に記載ありませんが、主人公の姉は婚約破棄された時、主人公の学園卒業時に実家の爵位が国に返上されるよう、手続きをしていた…という設定アリ。