没落令息は、元許嫁の護衛騎士に買われ所有物になりました。

桜塚あお華

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第21話 知らない所で何かが動いている

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 昼下がりの陽光が、薄曇りの窓越しに沈んでいる。
 屋敷の応接間には微かな紅茶の香りと、紙をめくる音だけが響いている。

 ユリウスはカインの隣で書類を整理していた。
 穏やかな日常のはずなのだが、ユリウスにとって数日前の出来事が忘れられない。
 あれから何事もないのだが、それでも不安だけが募る。
 もしかしたら――と、考えていたその時だった。
 扉が、二度叩かれた。

「――失礼いたします」

 老執事グレアムの声と共に、姿を見せてくる。

「……ヴァルド商会の方が、お見えです」

 その名を聞いた瞬間、ユリウスの表情が強張った。

「……まさか、本当にまた来たのか?」

 カインの顔が少しだけ歪んだかのように見え、同時に彼の瞳が、一瞬だけ氷のように冷えた。
 入ってきたのは、あの借金取り――ヴァルド。
 相変わらず油の匂いがするような笑みを浮かべ、厚手の封筒を机に置く。

「数日ぶりです、ユリウス様」
「……」

 声の端々に、嘲りが滲んでいた。
 それ以上に何も言えないユリウスは黙りながら、目の前の男を静かに睨みつける。
 そんなユリウスの前に出たカインが、静かに声を出した。

「要件を聞こうか」

 カインの声が低く響く。
 ヴァルドは笑みを深め、封筒の中から数枚の書類を取り出した。
 それを机の上に広げる。

「実は……少々、確認していただきたい書類がございまして」
「確認?」
「はい。こちら――『借用書』でございます」

 その言葉に、ユリウスの指が止まった。

「借用書、だと?そんなはずはない。屋敷も領地も処分した時点で、すべて清算されたはずだ」
「いえいえ。こちらをご覧ください」

 ヴァルドは、まるで舞台俳優のように誇らしげに紙を差し出す。
 ユリウスが手に取ると、そこには見覚えのある家紋と署名。

 ――ユリウス・グランフェル

 だが、その筆跡は、確かに自分のものとは違っていた。

「……これは」
「あなたを競売にかけたのは、『補填の一部』にすぎませんでした。残額はこちらの通り」

 ヴァルドが数字を指で叩く。
 その金額に、ユリウスは息を呑んだ。

「馬鹿な……この金額は、当時の三倍近いぞ!」
「どうやら、利息が上乗せされておりまして」

 軽い調子で笑うその顔に、ユリウスは怒りを抑えきれなかった。

「ふざけるな! そんなもの、誰が――!」

 ユリウスが椅子を軋ませて立ち上がる。
 目の前に突きつけられた一枚の書類。
 それは彼の家に多額の借金が存在したことを証明する、“公式な証”だという。

(こんなもの、また持ち出して……!)

 声を荒げかけたその時――隣にいたカインが、何も言わずに静かに書類を手に取った。

「……カイン?」

 ユリウスが呼びかけるよりも早く、カインの視線は鋭く紙面をなぞる。
 それと同時に、空気が変わった。
 普段と変わらぬ冷静さの奥に、張りつめた緊張が走る。
 その目が、ある一点で止まった。
 静かに眉が寄せられ、そして。

「……この署名」

 掠れるような低音。
 その一言に、ユリウスは胸の奥がざわつくのを感じた。

「はい?」

 隣に立っていたヴァルドが、とぼけたように問い返す。
 しかしカインは、そのまま静かに言った。

「――偽造だ」

 まるで刃を振り下ろすかのような、はっきりとした断言――次の瞬間、室内の空気が一変した。
 ユリウスが息を呑む。
 サロンに差し込む夕陽が、淡い金色から鈍い赤に変わるような錯覚すらあった。
 テーブルの向こうにいるヴァルドの顔から、ほんの一瞬――笑みが消えた。

「……っ」

 それは、ごく短い、しかし確かな『素顔』の露出。
 だが、商人はすぐに表情を作り直し、ニヤリと唇を歪め肩をすくめて笑ってみせる。

「おやおや、これは困りましたな。偽造だなんて……物騒なお言葉ですよ?」

 あくまで余裕を崩さずに応じるその態度が、逆に不気味だった。
 ユリウスは無意識に、カインの背へと一歩近づく。

「こちらには、ちゃんと王都の印章も押されております。そちらが『本物』である以上書類としては有効かと?」

 そう言いながら、指で書面の端をとんとんと叩く。
 だが、カインは微動だにしなかった。
 その声は落ち着き払っていたが――目は、氷のように冷たく光っている。

「……印章が本物でも、署名が偽物ならそれは『無効』になる」

 カインは静かに、だがはっきりと告げる。
 低く、確信に満ちた声であり、同時に間違いなく彼の声は怒りに震えている。
 ヴァルドの笑みが、わずかに引きつる。
 しかし彼は、あくまで平然とした顔で、すぐに話をすり替えた。

「そうおっしゃるのであれば、どうぞご自由に調べてください……ただし、「誰がこれを作らせたか」までは――私も存じませんよ?」

 そう言って笑った口元に、明らかな悪意が滲む。
 知っているかのように、知らないと言う素振りを見せる目の前の男は笑うのみ。

「貴族社会は恐ろしいものですなあ。誰が味方で、誰が敵か……実に複雑で」

 視線をカインに滑らせ、最後にユリウスをちらりと見る。

「ねぇ――ユリウス様?」

 ぞくり、と背筋を冷たいものが走った。

 その言葉に込められた侮辱と、過去の悪夢。
 ユリウスは喉奥が詰まり、言葉が出てこなかった。
 だが次の瞬間、カインが一歩、前に出た。

「――勝手にユリウスの名を呼ぶな」

 言葉よりも低く、鋭い一喝。
 その声音に、ユリウスですら一瞬息を詰めるほどだった。
 ヴァルドは肩をすくめて「これは失礼」と笑ったが、カインの目は一瞬も笑っていなかった。
 見えない火花が散るような空気。
 書斎の空気は、明らかに戦場へと変わっていた。

「……つまり誰かが俺をまだ利用している、と言う事ですか?」

 ユリウスの声が低く沈む。
 ヴァルドはにやりと笑った。

「さて、どうでしょうな。ですが『あなたの名前』がまだこの王都のどこかで使われていることは――確かですよ」

 その言葉を残し、彼は深々と頭を下げ、退室していった。

 重い沈黙――カインは、手の中の書類をじっと見つめたまま動かない。
 視線の先にあるのは、精密に偽造された署名と印章。

「……誰かが、お前の名を意図的に利用している」
「まさか、まだ俺を金に変えるつもり、なのか……?」

 頭を抱えるようにしながら、ユリウスの喉がかすかに鳴る。
 怒りとも恐怖ともつかない感情が胸を締めつけた。

「……俺たちの知らないところで、まだ何かが動いているな」
「……勘弁してくれ」

 カインの低い声が、静かに響き、ユリウスは自分の運命を呪ったのだった。
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