没落令息は、元許嫁の護衛騎士に買われ所有物になりました。

桜塚あお華

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第23話 借用書の謎を追う

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 昼下がりの街は、雨上がりの濡れた石畳が鈍く光っていた。
 軒先には洗濯物が戻され、通りを行き交う人々の活気が戻りつつある。
 だが――街の賑わいの裏で、密かに動き始めた影があった。

「……ここか」

 カインが足を止め、古びた建物を見上げた。
 かつて銀行だったというその場所は今は使われておらず、建物の正面には無造作に『立入禁止』の札が吊るされている。
 木製のドアは打ちつけられ窓には埃がこびりつき、内部はほとんど見えなかった。

「本当にここで発行されたって……?」

 ユリウスは手に持った書類をじっと見つめる。
 それは先日訪れた男、ヴァルドが持ち込んだ『借用書』――かつてユリウスの父がエドガーの名義で交わした、というモノだった。
 しかし、そこに書かれた発行印が、この「旧オルディア銀行」のモノだったのだ。

「昔はこのあたりじゃ、大手の銀行だったんだけどねぇ」

 軽快な声が、ふいに背後から響いた。
 振り返ると、金色の髪を秋風になびかせた青年――パン屋のリオが、肩にパンの袋をぶら下げて立っていた。
 ユリウスは眉をひそめ、呆れたように小さく呟く。

「……何でパンを持って来てるんですか、あなたは」
「焼きたてでないと情報も出てこないの。これ、パン職人の流儀!」

 リオは屈託なく笑いながら、袋から香ばしい香りを漂わせた。
 まったく緊張感がない――だがその軽さが、どこか救いでもあった。
 彼はくるりと踵を返し、古びた銀行跡の外壁に手を伸ばす。

「……最近さ、この銀行の名前、ちょっとずつだけど裏の連中の間で聞くようになってる」
「裏?」

 それまで沈黙を保っていたカインが、鋭く声を挟む。
 リオは壁をなぞる手を止め、声のトーンを一段下げた。

「偽造文書だよ。ここの古い印章を使って、もっともらしい書類をねつ造する。古い借用証書、貴族の遺言書、失われた取引記録……そういう今さら調べようのない文書ばかり」

 ユリウスの表情が固くなる。

「……つまり、俺の『借用書』も?」
「限りなくクロだね」

 リオはパン袋を抱え直し、当然のように頷いた。

「だって考えてみてよ。十年以上前の借金書類が今になって出てくるなんて不自然だろ?しかも、その発行元の銀行はとっくに潰れてる。現物が出たって、記録と照合できるわけでもないし――」

 そこで、ふいに彼の声が止まった。

「……あれ、見て」

 リオが顎で扉を示す。
 ユリウスとカインもすぐに視線を向けた。
 その古びた扉の、鍵穴の縁――そこには、はっきりと誰かの手が入った痕跡があった。
 金属に刻まれた細かな傷。
 無理にこじ開けたような歪み。
 経年の錆に混ざって、ほんのわずかに新しい傷が走っている。

「……最近、開けられた跡だ」

 カインが目を細めて呟く。
 ユリウスは扉の足元に目をやり、息を飲んだ。

「これ……」

 足元には、風に舞う灰。
 黒く焦げた紙片が、まだ形をとどめるほど新しかった。
 焼き捨てられた何かの残骸――その周囲には、うっすらと靴の跡も残っている。
 ユリウスはしゃがみこみ、そっと指先で灰をすくう。
 紙の繊維がわずかに残っている。
 破り捨てて燃やしたばかりのような、かすかな湿気と温度。

「……燃やされた記録。誰かが、証拠を消しに来たんだ」

 静かな言葉に、空気が緊張を帯びる。

「中には、まだ何か残ってるかもしれない」

 カインが低く言い、扉に手をかけた。

 重く、固く、長いこと閉ざされていた扉は簡単には開かなかった。
 しかし、彼の手が少し力を込めると――ごり、ぎぃ、と音を立ててわずかに隙間が開いた。
 その隙間の奥――闇の中から、ほのかに古びた紙と焦げた煙の匂いが漂ってきた。
 リオがパンをそっと置き、小声で呟いた。

「偶然、ってわけじゃないね……誰かが、明確に動いてる」

 その『誰か』が誰なのか、口に出さずともユリウスとカインの二人には無意識に浮かんでいた。

 ――エドガー。

 空気の底に、冷たいものが流れはじめる。

 その時、シャッ、と風が吹くような気配が背後をかすめた。
 気づいたカインが即座に振り返る。
 細い裏路地に、黒い影が一瞬だけ走り抜けたのが見えた。

「……誰かいた」

 低く呟くと同時に、カインはすぐさまその後を追おうとする。
 だが、ユリウスがその袖を掴んだ。

「待って。罠かもしれない」

 カインは数秒逡巡したが、ユリウスの判断に従い足を止めた。

「……警戒はしておけ。誰かが、確実に仕掛けてきてる」

 リオが眉をひそめ、袋の中のパンをぎゅっと握りしめる。

「こわっ。パンじゃ戦えないよ、ねぇ?」
「戦えませんよ。因みに俺も非戦闘員です。めっちゃ弱いです」
「ダメじゃん!!」

 ユリウスの言葉に、リオはショックを受けながら叫ぶ。
 そしてユリウスはそのまま笑いながら、呟いた。

「……俺の過去を、引きずり出して何をしたいんだろうな……あの男」

 その言葉に、二人が彼の方を振り向く。
 カインが静かに告げる。

「エドガーの狙いは、ただの『復讐』とかではない――お前そのもの、だ」

 その言葉の意味を、ユリウスはすぐに理解した。
 奪おうとしているのは、自由でも誇りでもない。
 存在そのものだ。
 自分という『個』が、誰かの手に落ちようとしている。
 それは、かつて商品として扱われたときとは、また違う恐怖だった。

 リオが静かに呟く。

「ここからは、もう偶然じゃないよ……誰かが、はっきりと動いてる」

 ユリウスは深く息を吸った。
 そして、視線をカインに向けた。

「……行こう。放っておくわけには、いかないだろ」

 カインは、黙って頷いた。
 雨に濡れた石畳の上で、三人の足音が重なる。
 静かに動きだす――その先に、何があるのかを。
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