何もかも全て諦めてしまったラスボス予定の悪役令息は、死に場所を探していた傭兵に居場所を与えてしまった件について

桜塚あお華

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第10話 前半アゼル視点・後半リリア視点

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 朝靄が王都を包むなか、王城の白い尖塔が静かに陽光を受けて輝いている。政務室の窓から差し込む光は冷たく澄んでおり、まるで王国そのものの規律と威厳を象徴するようだった。

「アゼル・ヴァルメルシュタイン、入室を許可する」

 執務官の一声と共に、扉が音もなく開く。
 黒と深紅の装束に身を包んだ男が、迷いなく一歩ずつ進み、玉座の前で静かに膝を折った。

「ご報告に参りました、殿下」

 その声には、いつも通りの感情の起伏がなかった。
 ライナルトは、手元の書簡に目を落としながら訊ねた。

「……弟君の動向に変化があったと聞いた。あれほどの魔力を抱える者が動くとなれば、対処は慎重を要する」
「はい…・…ここ数日、ハイデンは屋敷の外に出ております」

 アゼルは涼しげな表情のまま、淡々と報告を始めた。

「書物の受け取りや、街での買い出し程度にとどまってはおりますが……過去、完全に引きこもっていた頃と比べれば、明確な行動の変化です。精神的な波があると見て間違いないかと」

 隣で控えていた宰相ミランダが、眉根を寄せる。

「制御不能な魔力を抱える存在が王都を歩いているとなれば、民の動揺を招くのも時間の問題でしょうな」

 さらに、軍務長官バルデン将軍が重々しく問いかける。

「……現時点で、魔力暴走の兆候は?」
「明確な暴発は確認されておりません。ただし、感情の揺らぎによって魔力が不安定化する可能性は高く、引き続き警戒は必要です」
「ふむ……」

 ライナルト王子が低く唸る。
 その声音には苛立ちが混じり、疑念を隠していなかった。

「数年ほど沈黙していた者が、なぜ今になって動き出す?……彼は【何か】を知っているのではないか?あるいは、自分の立場を理解し動き始めたとでも?」

 ミランダが追うように言葉を重ねる。

「もしくは……彼自身が【何者か】に仕立てられた存在かもしれませんな……」

 アゼルは、その言葉にわずかにまぶたを伏せた。

 ――ハイデン・ヴァルメルシュタイン。

 自分の弟でありながら、彼はどこか常に「異質」だった。
 生まれながらにして異常な魔力量を持ち、幼い頃から誰よりも冷静で、そして――まるで自分自身の結末を知っているかのように、死を恐れなかった。

(あいつは……もはや【人間】ではない)

 アゼルの胸に、冷たい認識がじわりと広がる。
 そう――ハイデンは、もはや【弟)ではない。王都を歩くには危うすぎる【怪物】だった。

(けれど……)

 その奥に、かすかな感情がひっそりと顔を覗かせた。

 ――かつては、弟を誇りに思っていた。そして、羨ましいと思ったことも、あった。

 魔術の才。人の目を惹きつける存在感。その全てを持ちながらどこか痛ましく脆く、壊れそうな魂。
 あの幼い背中を、守ってやるべきだった。
 そう思いながら、同時に――いっそ壊れてしまえばいいと、願ったことがある。

(……その罰か?今、俺が【処理】を命じられるのは)

 その感情をすぐに打ち消すように、アゼルは顔を上げた。

「危険因子である事は否定できません……必要とあらば、私の手で処理を行います」

 ライナルトが一拍の沈黙を置いて、重く頷いた。

「その言葉、しかと聞いたぞ……ハイデン・ヴァルメルシュタイン。王国の秩序を揺るがす者となれば情に流されず――確実に排除せよ」
「御意」

 アゼルは静かに頭を垂れた。床に落ちるその影が、以前よりもずっと長く濃く伸びていた。

 ――弟はもう、ただの弟ではない。

 人の皮を被った【何か】だ。
 あれは、いつか世界を呑み込むかもしれない。

 そして、それでも尚、思ってしまう。

(どうしてだ。……どうして、胸の奥が、こんなに疼く)

 
   ▼ ▼ ▼
 

 一方そのころ、聖セントマリア学園の中庭では、午後の日差しを浴びて薄紅の薔薇が静かに揺れていた。
 風は柔らかく、花弁をひらひらと舞わせ、石造りの小道を香りで満たしてゆく。
 その中心を、リリア・セントマリアが優雅な足取りで歩いていた。白と金の制服に包まれた姿は絵画のように整っていて、通りかかる生徒たちは思わず足を止め、息を呑む。
 けれど――リリアの微笑は、どこか空虚だった。
 整った横顔に浮かぶ薄い笑みは穏やかに見えて、その奥に【異物】の気配を宿している。

「……ふふ。やっと、動き始めたのね」

 ぽつりと零れた独り言は、誰にも聞かれないように風に流れていった。
 見上げた空は、高く澄んでいた。だが、その瞳に映るのは青空ではない。

 ――【筋書き】だった。

 予知でも予言でもない。【既知】という名の記憶。リリアだけが知る、この世界の結末。
 この国の貴族たちも、王族も、教師も、誰一人として気づいていない。この世界が【舞台】である事を。
 自分たちが【登場人物】に過ぎないということを。

(でも、私は違う。私はヒロイン――【リリア】なのだから)

 この世界に降り立ったその瞬間から、彼女は理解していた。
 これはただの現実ではない。嘗てゲームとして手にした物語、その中心に自分が立っていることを。

(始まったのね……ようやく、物語が)

 その胸に広がっていくのは、高揚にも似た甘やかな昂ぶり。今までは静かに待っていた。舞台が整うのを。
 登場人物たちがそれぞれの役目を果たし、主役である自分の物語が始まる、その時を。

「――さあ、悪役令息さん」

 ゆっくりと薔薇の花に指を触れながら、リリアは囁くように続ける。

「あなたの出番よ。きちんと、ヒロインに倒される役を果たしてちょうだい?」

 その言葉に込められたのは、慈愛ではない。
 勝者の余裕と、運命の掌を握っているという確信。
 リリア・セントマリア――いや、【カナコ】の視点からすれば彼女はこの物語の唯一の主人公であり、他の誰もが【駒】に過ぎない。
 そっと微笑みながら、彼女は薔薇の小道を振り返らずに歩き出す。
 その歩みに呼応するように、物語の歯車が軋みはじめる――定められたシナリオを、少しずつ、少しずつずらしながら。

 物語はすでに歪み始めていたのである。
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