何もかも全て諦めてしまったラスボス予定の悪役令息は、死に場所を探していた傭兵に居場所を与えてしまった件について

桜塚あお華

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第34話 ノア視点

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 王城の塔に朝の鐘が鳴る。それはいつもと変わらぬ一日の始まりを告げる音でありながら、この日ばかりは空気にひりつくような緊張が混ざっていた。
 執務室に集まった宰相と王族たちの顔色は硬い。ただ一つの報告が、城内を冷たい炎のように焼きつけていた。

 ――ハイデン・ヴァルメルシュタイン、暴走。
 ――王命を帯びた拘束、失敗。
 ――アゼル・ヴァルメルシュタイン、重傷。

 整えられた言葉の羅列の奥で火種はすでに燃え上がっており、どうやら混乱は始まってしまったようだ。
 その一角に立つノアは、ただ静かに黙して報告を聞いている。眉を一つも動かさず、背筋を伸ばしたまま。やがて報告を終えた使者が退出したあと、室内には重い沈黙が残された。
 アゼルは腕に包帯を巻いたまま席に座っていたが、視線は窓の外へと逸らされている。そこにノアはその横へと歩み寄り、膝をつき、軽く頭を下げる。

「――アゼル様」
「……ノアか」

 その声に、わずかにアゼルの目が動いた。
 だが返答はない。

「……このまま、ハイデン様を切り捨てるおつもりですか?」

 ノアの問う声は静かだった。
 責める響きはなく、だが確かな問いの刃がその言葉には宿っていた。
 アゼルの肩がわずかに強張る。視線はまだ、窓の外の遠くを見ている。

「……ハイデンは、危険だ」

 ようやく絞り出されたその一言は、苦渋に濁っていた。

「ええ、存じています」

 アゼルの言葉に、ノアは静かに頷く。
 その上でもう一歩踏み込んだ。

「……確かに俺も、あの時ハイデン様の手を振り払ってしまいました。そして、酷い顔をされていたハイデン様に目を合わせずに、その後も彼の事を避け続けていました……それが、どれほどの痛みだったか今になってやっと理解しています。本当に今更ですが」
「……」
「おかげで、手を伸ばしたのですが拒否をされてしまいました。当たり前ですよね?」

 少し笑うようにしながら答えるノアの姿に、アゼルは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに元の顔を戻す。
 そして、そのままノアは話を続ける。

「……自分の忠義を、国を、理性を、正義を盾にして、彼を遠ざけたのは俺も同じです。それは十分わかっています――」
 
 ノアの拳がかすかに震える。

「けれど、それでも……本当に、このままで良いのですか?」

 ノアの言葉にアゼルは顔を伏せ、視線を動かさない。

「アゼル様は、本当にハイデン様の事を……どうでも良いと?」

 問いは静かだった。
 けれど、そこには確かな痛みがあった。

 アゼルの喉が微かに動いく。だが、すぐには言葉が返ってこない。
 ノアは話を続ける。

「……俺よりあなたの方が、ハイデン様のことをよく知っていたはずです。子どもの頃からずっと……彼にとって、アゼル様は【世界】でした。家族であり、指針であり、憧れだった」

 その言葉に、アゼルの瞳が微かに揺れた。
 それは、まるで自分の心の中に仕舞いこむかのように。

「……もう遅いんだ、ノア」

 低く搾り出された声は、どこか自嘲の響きを帯びていた。

「……アゼル様……」

「俺は、弟よりも一族を選んだ。……国の安定を選んだ。それが、俺の責務だと思った。……いや、そうするしかなかったんだ」

 言葉の奥に、確かな葛藤があった。
 それでも、アゼルの表情は崩れる事はない。硬く、苦しげなまま。

『――にいさま?』

 アゼルの頭の中に一瞬だけ浮かんだハイデンの姿。
 しかし、それでもアゼルは唇を動かした。

「……だから、俺がハイデンにかける言葉はもう、何一つ残っていない」

 ノアはしばらく黙ってアゼルの横顔を見つめ、そして静かに目を伏せる。

「アゼル様……俺は行きます。あの方ハイデン様のもとへ」

 その一言は、命令ではなく決意。それだけを告げ、頭を下げ、アゼルは何も言わなかった。何も言えなかった。
 だからこそ、ノアの背は決意に満ちている。彼の足取りは止まらない。
 王都の門を抜ける頃には空はわずかに明るみ始め、朝焼けにはまだ遠く、灰色の夜明け前。
 馬は使う事をせず、足で向かい、迷いのない歩調で彼は森へ入っていく。
 小道に残る微かな足跡、踏み荒らされた草、折れた枝、全てが彼を導いていた。
 ハイデンが消えたと聞いた時、ノアの中で何かが砕ける音がした。取り返しのつかないことばかりが続いて、それでもなお、失いたくないものが残っていると、思ってしまった。

 あの夜、あのとき、あの瞬間――守れなかったハイデンの姿が、まだ夢に出る。
 血に染まった床、届かなかった声。震えていた小さな背中を、ただ見ていることしかできなかった自分をノアはまだ赦していない。

「……今度こそ……守る事が出来れば……」

 誰に向けたともわからぬ声が、森の空に溶けていくのであった。
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