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第36話 アゼル視点
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重厚な扉が閉じられると同時に、議場の空気は一層厳粛なものへと変わる。
王国議会の間。円卓に集ったのは、王家直轄の宰相、軍務卿、魔術審問官、各派閥を代表する貴族たち――そしてその中心に、第一王子ライナルトが座していた。
「ハイデン・ヴァルメルシュタインの存在について、再度議論する必要がある」
ライナルトの一声に、ざわりと空気が揺れる。
数日前、貴族令嬢リリアによって提出された【証言】――ハイデンが暴走した魔力を用い、魔術的干渉を行っていた可能性。
さらに精神の不安定さ、過去の逸脱的な行動について詳細な報告書と共に告発が行われた。
その一部には、虚偽や歪められた内容があったのをアゼルは気づいている。だがそれを精査しようという声は、場内にはなかった。彼の存在そのものが国家の秩序を揺るがすという前提のもと、議論は既に結論へと進んでいたのだ。
「これ以上放置すれば、王都そのものが危険に晒される可能性がある」
「もはや彼は、人ではなく【災厄】そのもの。我らは未来のために、断を下さねばなるまい」
口々に並ぶ糾弾の声。その中でアゼルは何も言わなかった。
髪をきちんと整え、制服の袖口から覗く包帯を左腕に巻いたままアゼルは何も語らず座っていた。
彼の腕は未だに治らない。まるで呪っているかのように。
呪っている相手はハイデンを護ろうとする男――クリスの剣が確かに自分を貫いた。それでも、アゼルは叫ばなかった。ただ静かに己の中で何かを押し殺していた。
「――あの者を討て。いかに名門の血を継ごうと、もはや【理】を逸脱した存在だ」
宰相ミランダの決定的な言葉に、視線がアゼルへと集まる。
彼はゆっくりと立ち上がり、深く頭を垂れた。
「……御意。私の手で、確実に仕留めます」
その言葉には揺らぎもなく、完璧な臣下の答えだった。
だが――そのまま議場を出たあと、人気のない廊下に一人佇んだアゼルの足取りは、どこかぎこちなかった。
窓から差し込む曇り空の光が、彼の包帯を鈍く照らす。
左腕をそっと押さえると、痛みが脈打つように広がった。けれどそれ以上に脳裏にこびりついた【あの声】に対して痛みが増す。
『僕はただ、生きたかっただけなのに』
その言葉は、風に消えることもなくアゼルの耳に焼きついていた。
あの日、肌を刺すような魔力の余韻と呪詛の痕が残る空気の中――弟は、怒りと悲しみが交わった瞳でアゼルに必死に訴えた。
あの時の姿のハイデンは、普通の人間のように見えた。
【生きたい】と願うことすら許されなかった弟の声。
その震えた声を、アゼルは今も鮮明に覚えている。理性の仮面をかぶり続けてきた自分の奥底にまで、深く、鋭く突き刺さっている。
(……本当に、これでよかったんだろうか?)
自らの正義の名のもとに下した決断。
忠誠を誓った王国のために掲げた剣。
そのすべてが、たった一人の弟の【願い】を踏みにじってしまったのではないか――そんな疑念が、心の隙間に静かに広がっていく。
アゼルは拳を握ったまま、言葉にできない感情を飲み込んだ。それが【迷い】だと認めてしまえば、これまで積み重ねてきたものが音を立てて崩れてしまう気がして。
声には出さない。出せるはずがなかった。
だがアゼルの沈黙には、確かに【迷い】がある。
『兄さまっ』
笑顔で手を伸ばす弟の小さき姿を思い出してしまった。今更なのだが。
それでも、弟を殺すべき存在として認識するために、どれほど多くを切り捨てたか。それでもなお、たった一言が心の奥に残ってしまった。【生きたかっただけ】という、あまりにも人間らしい言葉が。
「……お前は、行きたいのか?」
誰もいない場所で、アゼルは静かに呟く。
しかし、それを答える者たちはいない。
アゼルは息を静かに吐いた後、背筋を伸ばし、再び歩き出す。
歩みの先には処刑の命令がある――だがその背中には、微かに揺れる影が差していた。
王国議会の間。円卓に集ったのは、王家直轄の宰相、軍務卿、魔術審問官、各派閥を代表する貴族たち――そしてその中心に、第一王子ライナルトが座していた。
「ハイデン・ヴァルメルシュタインの存在について、再度議論する必要がある」
ライナルトの一声に、ざわりと空気が揺れる。
数日前、貴族令嬢リリアによって提出された【証言】――ハイデンが暴走した魔力を用い、魔術的干渉を行っていた可能性。
さらに精神の不安定さ、過去の逸脱的な行動について詳細な報告書と共に告発が行われた。
その一部には、虚偽や歪められた内容があったのをアゼルは気づいている。だがそれを精査しようという声は、場内にはなかった。彼の存在そのものが国家の秩序を揺るがすという前提のもと、議論は既に結論へと進んでいたのだ。
「これ以上放置すれば、王都そのものが危険に晒される可能性がある」
「もはや彼は、人ではなく【災厄】そのもの。我らは未来のために、断を下さねばなるまい」
口々に並ぶ糾弾の声。その中でアゼルは何も言わなかった。
髪をきちんと整え、制服の袖口から覗く包帯を左腕に巻いたままアゼルは何も語らず座っていた。
彼の腕は未だに治らない。まるで呪っているかのように。
呪っている相手はハイデンを護ろうとする男――クリスの剣が確かに自分を貫いた。それでも、アゼルは叫ばなかった。ただ静かに己の中で何かを押し殺していた。
「――あの者を討て。いかに名門の血を継ごうと、もはや【理】を逸脱した存在だ」
宰相ミランダの決定的な言葉に、視線がアゼルへと集まる。
彼はゆっくりと立ち上がり、深く頭を垂れた。
「……御意。私の手で、確実に仕留めます」
その言葉には揺らぎもなく、完璧な臣下の答えだった。
だが――そのまま議場を出たあと、人気のない廊下に一人佇んだアゼルの足取りは、どこかぎこちなかった。
窓から差し込む曇り空の光が、彼の包帯を鈍く照らす。
左腕をそっと押さえると、痛みが脈打つように広がった。けれどそれ以上に脳裏にこびりついた【あの声】に対して痛みが増す。
『僕はただ、生きたかっただけなのに』
その言葉は、風に消えることもなくアゼルの耳に焼きついていた。
あの日、肌を刺すような魔力の余韻と呪詛の痕が残る空気の中――弟は、怒りと悲しみが交わった瞳でアゼルに必死に訴えた。
あの時の姿のハイデンは、普通の人間のように見えた。
【生きたい】と願うことすら許されなかった弟の声。
その震えた声を、アゼルは今も鮮明に覚えている。理性の仮面をかぶり続けてきた自分の奥底にまで、深く、鋭く突き刺さっている。
(……本当に、これでよかったんだろうか?)
自らの正義の名のもとに下した決断。
忠誠を誓った王国のために掲げた剣。
そのすべてが、たった一人の弟の【願い】を踏みにじってしまったのではないか――そんな疑念が、心の隙間に静かに広がっていく。
アゼルは拳を握ったまま、言葉にできない感情を飲み込んだ。それが【迷い】だと認めてしまえば、これまで積み重ねてきたものが音を立てて崩れてしまう気がして。
声には出さない。出せるはずがなかった。
だがアゼルの沈黙には、確かに【迷い】がある。
『兄さまっ』
笑顔で手を伸ばす弟の小さき姿を思い出してしまった。今更なのだが。
それでも、弟を殺すべき存在として認識するために、どれほど多くを切り捨てたか。それでもなお、たった一言が心の奥に残ってしまった。【生きたかっただけ】という、あまりにも人間らしい言葉が。
「……お前は、行きたいのか?」
誰もいない場所で、アゼルは静かに呟く。
しかし、それを答える者たちはいない。
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