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11/言い訳

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 若気の至りという便利な言葉がある。

 誰かに愛されたいと──セックスがしたいという情欲に蓋をすることが出来ずわたしは、とおやに身を委ねた。

 嫌いなわけでもなく、好きでもない相手とわたしは身体を重ねてしまった。今回のことはきっと、そう、若気の至り──


 とおやは、わたしの女としての感情の隙間からするりと侵入し、満たし、解き、完膚なきまでに溶かした。


 心地が良かった。なにも考えず、快楽の海に身を投げ出して。別に、悪いことをしたわけじゃあない。わたしもとおやも、パートナーはいないのだから。ただ純粋に、己の欲に素直になり、交わっただけ。

 これから彼をもっと好きになる。もっと、もっと好きになれるはずだ。



 全くわたしという生き物は、たった一度抱かれただけの男にこうも心酔してしまう女だったのかと、呆れはしたけれど。けれど、好きになってしまったものは仕方がない──

 ──ひょっとしてセックスをして、好きだと錯覚ている?

 いいや違う。確かに身体を重ね、交わらなければ、彼のことを男として見ることは出来なかっただろう。セックスをしたから好きになった──そこは否定することが出来ない、けれど錯覚などでは断じてない。今のわたしは、心底彼に惚れて込んでいた。

 とおやはわたしのことを好きだと言ってくれた。それだけで、十分幸せだった。





 玄関を出て帰ろうとするとおやの背を見つめ、ようやく頭は冷静さを取り戻していた。


(……まさか三回もするなんて、どんだけタフなのよ)


 足の付け根がなんとなく痛い気がする。これは筋肉痛コースかもしれない。早くお風呂に入って寝よう、そう思いとおやの背に触れようとした瞬間だった。



 ──がちゃ。


「よう、初めまして」

 わたしの隣の部屋──三○二号室のドアが、内側から開く。中から出てきたのはほっそり……というか、痩せすぎで、化粧っ気のない女性。見たところ、わたしより少し年上だろうか。

「あ……初めまして、あの」
「なあ、今エッチしてたのって君ら?」
「……ええっ?!」

 驚き声を上げたわたしは、とおやの背中の後ろに思わず身を隠す。サンダルを引っかけた彼女は、長い黒髪を揺らしながらゆらゆらとこちらへ近寄ってくる。

「警戒しなさんなって、アタシは格子こうしって者だ」
「……真戸乃といいます」
「下の名前は?」
「ほたるです」
「可愛い名前だねえ。アタシは樹李きりだ。樹李って呼んでくれ」
「……はぁ」

 格子 樹李と名乗った彼女は、黒いロングTシャツの袖を捲り腕を組む。穴が開くほどわたしのことを見つめ、そして視線をとおやの下半身へと投げた。

「最近の若い子は凄いね。この短時間で三回もやるなんて。それにしても良い声だったよ、ほたるちゃん……すっげえ可愛かった、マジで好み……って、ああごめん、気を悪くしないでくれ」
「何なんですか、あなた」

 わたしの前にいたとおやは、手を腰にあてて苛立った様子。スーツの裾を後ろから引っ張ると、「わかってる」と言って手を握り返してきた。

「怒らせちゃったんなら謝るよ。ごめんごめん、アタシ隣人がエッチしてるのを盗み聴くのが好きでさあ、自分の創作の肥やしにしてるだけだから、気にしないでくれ」
「……創作?」
「お兄さん興味ある? 創作って小説とか、漫画だよ。ああ、絵画に生かすことも多いな」
「あなたは一体何なんですか」

 とおやの声は、次第に怒りから呆れたものへと変わっていた。人のエッチの声を盗み聴くなんて、そんなの本人たちに告げるものじゃないだろうに。

「べつに大した者じゃねえよ、絵とか色々、趣味でやってるだけ。お兄さん名前は?」
「俺ですか」
「男は君しかいねえよ」
「……大家 桃哉」
「大家? 大家って、ここの管理者も大家だよな?」
「父です」
「へえー!!」

 一人楽しげな樹李さんは、腕を組みニヤニヤと厭らしい笑みを湛えている。どうしたらいいかわからず、わたしはとおやの後ろに隠れることしか出来ない。

「いいねえ、管理者の息子が住人に手をつけたの?」
「違います、こいつは幼馴染で、今は恋人で……」
「幼馴染から恋人にレベルアップしたの!? わお、君たちめちゃくちゃ美味しいね! もっと詳しく話を聴きたいけど……そろそろバイト行かねえと」

 一瞬部屋の中を気にした樹李さんは、「ちょっと待ってて!」と言ってドアの奥に消えた。何なんだろう、一体。


「おまたせ! これ使ってみてよ、凄いから」
「……これは?」
「精力剤」
「はあ!?」

 とおやの手に無理矢理握らされているのは、怪しげな黒い箱。何やら漢字で書かれているが、はっきりとは見てとれない。

「ちょっとさあ、漫画描く資料で買ってみたんだけど、アタシはもういらないからさ」
「いや、流石にこれは……」
「大丈夫大丈夫。副作用とかなさそうだったし」
「そういうことじゃなくて」
「感想聞かせてよね」

 肩に鞄をかけた樹李さんは、玄関の鍵を閉めると「じゃ!」と言って立ち去ろうとする。よくよく見ると彼女はラフなパンツからジーンズへと着替えを済ませていた。

「樹李さん!」
「なんだ?」
「あの……わたしたちのことは、大家さんには内緒にしてもらえませんか?」
「それが精力剤を使ってくれる交換条件ってことだね」
「ええ!?」

 ヒラヒラと手を振る彼女は、ゆったりと階段を下りて行く。残されたわたしたちは、ただ茫然とその姿を見送るしかなかった。

「どうすんのこれ……」
「俺土曜休みだけど、週末にでも使ってみるか?」
「ば、馬鹿!」

 とおやの頬をつねれば「痛い痛い」と大袈裟に声を上げる。彼の手から黒い箱を奪い取ると、ため息を盛らしながらまじまじとそれを見つめた。

「うちで保管しとく……?」
「流石に俺も持って帰るの怖いわ」
「……わかった」


 とおやを見送った後、わたしはその箱をとりあえずはベッドサイドのチェストにしまい込んだ。こんなもの平日に使ったら一体どうなるのか、考えただけでも恐ろしかった。



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