11 / 61
11/言い訳
しおりを挟む
若気の至りという便利な言葉がある。
誰かに愛されたいと──セックスがしたいという情欲に蓋をすることが出来ずわたしは、とおやに身を委ねた。
嫌いなわけでもなく、好きでもない相手とわたしは身体を重ねてしまった。今回のことはきっと、そう、若気の至り──若さゆえの過ち。
とおやは、わたしの女としての感情の隙間からするりと侵入し、満たし、解き、完膚なきまでに溶かした。
心地が良かった。なにも考えず、快楽の海に身を投げ出して。別に、悪いことをしたわけじゃあない。わたしもとおやも、パートナーはいないのだから。ただ純粋に、己の欲に素直になり、交わっただけ。
これから彼をもっと好きになる。もっと、もっと好きになれるはずだ。
全くわたしという生き物は、たった一度抱かれただけの男にこうも心酔してしまう女だったのかと、呆れはしたけれど。けれど、好きになってしまったものは仕方がない──
──ひょっとしてセックスをして、好きだと錯覚ている?
いいや違う。確かに身体を重ね、交わらなければ、彼のことを男として見ることは出来なかっただろう。セックスをしたから好きになった──そこは否定することが出来ない、けれど錯覚などでは断じてない。今のわたしは、心底彼に惚れて込んでいた。
とおやはわたしのことを好きだと言ってくれた。それだけで、十分幸せだった。
玄関を出て帰ろうとするとおやの背を見つめ、ようやく頭は冷静さを取り戻していた。
(……まさか三回もするなんて、どんだけタフなのよ)
足の付け根がなんとなく痛い気がする。これは筋肉痛コースかもしれない。早くお風呂に入って寝よう、そう思いとおやの背に触れようとした瞬間だった。
──がちゃ。
「よう、初めまして」
わたしの隣の部屋──三○二号室のドアが、内側から開く。中から出てきたのはほっそり……というか、痩せすぎで、化粧っ気のない女性。見たところ、わたしより少し年上だろうか。
「あ……初めまして、あの」
「なあ、今エッチしてたのって君ら?」
「……ええっ?!」
驚き声を上げたわたしは、とおやの背中の後ろに思わず身を隠す。サンダルを引っかけた彼女は、長い黒髪を揺らしながらゆらゆらとこちらへ近寄ってくる。
「警戒しなさんなって、アタシは格子って者だ」
「……真戸乃といいます」
「下の名前は?」
「ほたるです」
「可愛い名前だねえ。アタシは樹李だ。樹李って呼んでくれ」
「……はぁ」
格子 樹李と名乗った彼女は、黒いロングTシャツの袖を捲り腕を組む。穴が開くほどわたしのことを見つめ、そして視線をとおやの下半身へと投げた。
「最近の若い子は凄いね。この短時間で三回もやるなんて。それにしても良い声だったよ、ほたるちゃん……すっげえ可愛かった、マジで好み……って、ああごめん、気を悪くしないでくれ」
「何なんですか、あなた」
わたしの前にいたとおやは、手を腰にあてて苛立った様子。スーツの裾を後ろから引っ張ると、「わかってる」と言って手を握り返してきた。
「怒らせちゃったんなら謝るよ。ごめんごめん、アタシ隣人がエッチしてるのを盗み聴くのが好きでさあ、自分の創作の肥やしにしてるだけだから、気にしないでくれ」
「……創作?」
「お兄さん興味ある? 創作って小説とか、漫画だよ。ああ、絵画に生かすことも多いな」
「あなたは一体何なんですか」
とおやの声は、次第に怒りから呆れたものへと変わっていた。人のエッチの声を盗み聴くなんて、そんなの本人たちに告げるものじゃないだろうに。
「べつに大した者じゃねえよ、絵とか色々、趣味でやってるだけ。お兄さん名前は?」
「俺ですか」
「男は君しかいねえよ」
「……大家 桃哉」
「大家? 大家って、ここの管理者も大家だよな?」
「父です」
「へえー!!」
一人楽しげな樹李さんは、腕を組みニヤニヤと厭らしい笑みを湛えている。どうしたらいいかわからず、わたしはとおやの後ろに隠れることしか出来ない。
「いいねえ、管理者の息子が住人に手をつけたの?」
「違います、こいつは幼馴染で、今は恋人で……」
「幼馴染から恋人にレベルアップしたの!? わお、君たちめちゃくちゃ美味しいね! もっと詳しく話を聴きたいけど……そろそろバイト行かねえと」
一瞬部屋の中を気にした樹李さんは、「ちょっと待ってて!」と言ってドアの奥に消えた。何なんだろう、一体。
「おまたせ! これ使ってみてよ、凄いから」
「……これは?」
「精力剤」
「はあ!?」
とおやの手に無理矢理握らされているのは、怪しげな黒い箱。何やら漢字で書かれているが、はっきりとは見てとれない。
「ちょっとさあ、漫画描く資料で買ってみたんだけど、アタシはもういらないからさ」
「いや、流石にこれは……」
「大丈夫大丈夫。副作用とかなさそうだったし」
「そういうことじゃなくて」
「感想聞かせてよね」
肩に鞄をかけた樹李さんは、玄関の鍵を閉めると「じゃ!」と言って立ち去ろうとする。よくよく見ると彼女はラフなパンツからジーンズへと着替えを済ませていた。
「樹李さん!」
「なんだ?」
「あの……わたしたちのことは、大家さんには内緒にしてもらえませんか?」
「それが精力剤を使ってくれる交換条件ってことだね」
「ええ!?」
ヒラヒラと手を振る彼女は、ゆったりと階段を下りて行く。残されたわたしたちは、ただ茫然とその姿を見送るしかなかった。
「どうすんのこれ……」
「俺土曜休みだけど、週末にでも使ってみるか?」
「ば、馬鹿!」
とおやの頬をつねれば「痛い痛い」と大袈裟に声を上げる。彼の手から黒い箱を奪い取ると、ため息を盛らしながらまじまじとそれを見つめた。
「うちで保管しとく……?」
「流石に俺も持って帰るの怖いわ」
「……わかった」
とおやを見送った後、わたしはその箱をとりあえずはベッドサイドのチェストにしまい込んだ。こんなもの平日に使ったら一体どうなるのか、考えただけでも恐ろしかった。
誰かに愛されたいと──セックスがしたいという情欲に蓋をすることが出来ずわたしは、とおやに身を委ねた。
嫌いなわけでもなく、好きでもない相手とわたしは身体を重ねてしまった。今回のことはきっと、そう、若気の至り──若さゆえの過ち。
とおやは、わたしの女としての感情の隙間からするりと侵入し、満たし、解き、完膚なきまでに溶かした。
心地が良かった。なにも考えず、快楽の海に身を投げ出して。別に、悪いことをしたわけじゃあない。わたしもとおやも、パートナーはいないのだから。ただ純粋に、己の欲に素直になり、交わっただけ。
これから彼をもっと好きになる。もっと、もっと好きになれるはずだ。
全くわたしという生き物は、たった一度抱かれただけの男にこうも心酔してしまう女だったのかと、呆れはしたけれど。けれど、好きになってしまったものは仕方がない──
──ひょっとしてセックスをして、好きだと錯覚ている?
いいや違う。確かに身体を重ね、交わらなければ、彼のことを男として見ることは出来なかっただろう。セックスをしたから好きになった──そこは否定することが出来ない、けれど錯覚などでは断じてない。今のわたしは、心底彼に惚れて込んでいた。
とおやはわたしのことを好きだと言ってくれた。それだけで、十分幸せだった。
玄関を出て帰ろうとするとおやの背を見つめ、ようやく頭は冷静さを取り戻していた。
(……まさか三回もするなんて、どんだけタフなのよ)
足の付け根がなんとなく痛い気がする。これは筋肉痛コースかもしれない。早くお風呂に入って寝よう、そう思いとおやの背に触れようとした瞬間だった。
──がちゃ。
「よう、初めまして」
わたしの隣の部屋──三○二号室のドアが、内側から開く。中から出てきたのはほっそり……というか、痩せすぎで、化粧っ気のない女性。見たところ、わたしより少し年上だろうか。
「あ……初めまして、あの」
「なあ、今エッチしてたのって君ら?」
「……ええっ?!」
驚き声を上げたわたしは、とおやの背中の後ろに思わず身を隠す。サンダルを引っかけた彼女は、長い黒髪を揺らしながらゆらゆらとこちらへ近寄ってくる。
「警戒しなさんなって、アタシは格子って者だ」
「……真戸乃といいます」
「下の名前は?」
「ほたるです」
「可愛い名前だねえ。アタシは樹李だ。樹李って呼んでくれ」
「……はぁ」
格子 樹李と名乗った彼女は、黒いロングTシャツの袖を捲り腕を組む。穴が開くほどわたしのことを見つめ、そして視線をとおやの下半身へと投げた。
「最近の若い子は凄いね。この短時間で三回もやるなんて。それにしても良い声だったよ、ほたるちゃん……すっげえ可愛かった、マジで好み……って、ああごめん、気を悪くしないでくれ」
「何なんですか、あなた」
わたしの前にいたとおやは、手を腰にあてて苛立った様子。スーツの裾を後ろから引っ張ると、「わかってる」と言って手を握り返してきた。
「怒らせちゃったんなら謝るよ。ごめんごめん、アタシ隣人がエッチしてるのを盗み聴くのが好きでさあ、自分の創作の肥やしにしてるだけだから、気にしないでくれ」
「……創作?」
「お兄さん興味ある? 創作って小説とか、漫画だよ。ああ、絵画に生かすことも多いな」
「あなたは一体何なんですか」
とおやの声は、次第に怒りから呆れたものへと変わっていた。人のエッチの声を盗み聴くなんて、そんなの本人たちに告げるものじゃないだろうに。
「べつに大した者じゃねえよ、絵とか色々、趣味でやってるだけ。お兄さん名前は?」
「俺ですか」
「男は君しかいねえよ」
「……大家 桃哉」
「大家? 大家って、ここの管理者も大家だよな?」
「父です」
「へえー!!」
一人楽しげな樹李さんは、腕を組みニヤニヤと厭らしい笑みを湛えている。どうしたらいいかわからず、わたしはとおやの後ろに隠れることしか出来ない。
「いいねえ、管理者の息子が住人に手をつけたの?」
「違います、こいつは幼馴染で、今は恋人で……」
「幼馴染から恋人にレベルアップしたの!? わお、君たちめちゃくちゃ美味しいね! もっと詳しく話を聴きたいけど……そろそろバイト行かねえと」
一瞬部屋の中を気にした樹李さんは、「ちょっと待ってて!」と言ってドアの奥に消えた。何なんだろう、一体。
「おまたせ! これ使ってみてよ、凄いから」
「……これは?」
「精力剤」
「はあ!?」
とおやの手に無理矢理握らされているのは、怪しげな黒い箱。何やら漢字で書かれているが、はっきりとは見てとれない。
「ちょっとさあ、漫画描く資料で買ってみたんだけど、アタシはもういらないからさ」
「いや、流石にこれは……」
「大丈夫大丈夫。副作用とかなさそうだったし」
「そういうことじゃなくて」
「感想聞かせてよね」
肩に鞄をかけた樹李さんは、玄関の鍵を閉めると「じゃ!」と言って立ち去ろうとする。よくよく見ると彼女はラフなパンツからジーンズへと着替えを済ませていた。
「樹李さん!」
「なんだ?」
「あの……わたしたちのことは、大家さんには内緒にしてもらえませんか?」
「それが精力剤を使ってくれる交換条件ってことだね」
「ええ!?」
ヒラヒラと手を振る彼女は、ゆったりと階段を下りて行く。残されたわたしたちは、ただ茫然とその姿を見送るしかなかった。
「どうすんのこれ……」
「俺土曜休みだけど、週末にでも使ってみるか?」
「ば、馬鹿!」
とおやの頬をつねれば「痛い痛い」と大袈裟に声を上げる。彼の手から黒い箱を奪い取ると、ため息を盛らしながらまじまじとそれを見つめた。
「うちで保管しとく……?」
「流石に俺も持って帰るの怖いわ」
「……わかった」
とおやを見送った後、わたしはその箱をとりあえずはベッドサイドのチェストにしまい込んだ。こんなもの平日に使ったら一体どうなるのか、考えただけでも恐ろしかった。
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
【完結済】25億で極道に売られた女。姐になります!
satomi
恋愛
昼夜問わずに働く18才の主人公南ユキ。
働けども働けどもその収入は両親に搾取されるだけ…。睡眠時間だって2時間程度しかないのに、それでもまだ働き口を増やせと言う両親。
早朝のバイトで頭は朦朧としていたけれど、そんな時にうちにやってきたのは白虎商事CEOの白川大雄さん。ポーンっと25億で私を買っていった。
そんな大雄さん、白虎商事のCEOとは別に白虎組組長の顔を持っていて、私に『姐』になれとのこと。
大丈夫なのかなぁ?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる